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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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水路への出入口は、庭の隅にあって、大きな石板で蓋がされていた。


「これ、持ち上げるの?」


ちょっと両手をかけて持ち上げようとしてみたけど、そんなに軽くは持ち上らない。

覚悟を決めて、両足を踏ん張って持ち上げたけど、それでも、僕の力じゃかなわなかった。


僕は、後ろにいるチビ勇者をもう一度見た。

この小さい子が、どうやってこれ、持ち上げたんだろう?


すると、チビ勇者は、さっきまで僕のいたところに立って、石板を持ち上げようとした。


「あああ!ムリしちゃだめだよ?

 爪をはがして…」


しまう、まで言えなかった。

ひょい、と、本当に、何か軽い板でも持ち上げるみたいに、ひょいっ、と、チビ勇者は石板を持ち上げていた。

さっき、自分でやってみなかったら、この石板は、重そうに見えるだけで、実はものすごく軽いものなのかと誤解したところだった。


「へえ。お前、なかなかやるじゃねえか。」


ルクスが感心したみたいに言うと、チビ勇者は、嬉しそうにルクスを見上げた。

チビ勇者のその目は、なんだかもう、すっかりルクスを信頼しきっているように見えた。


石板をどけると、そこには、真っ暗い穴が開いていた。

どのくらい深いかも分からない。

差し込む光は、底には届いてなかった。


なんだか頼りない梯子が、穴の縁には取り付けてある。

この梯子、下まで無事なのかどうかも怪しい。

途中で朽ちてなくなってたりとか、しそう…

もちろん、チビ勇者は、ここから出てきたわけだから。

一応、ちゃんと繋がっては、いた、んだよ、ね?


この中に下りるのか、と思ったら、いきなり行きたくなくなった。

だけど、そういうわけにもいかないし。

僕は、必死にやる気を振り絞って言った。


「っと、とりあえず、行こうか?」


「あああああ!!!お待ちください、王様!大賢者様!」


そこへ、さっきの夫婦、と子どもたちが、大荷物を抱えて、転げるようにやってきた。


「水路へ入られるなら、いろいろと、その、あると便利かと。」


そう言って持ってきてくれたのは、ランプやらロープやら、本当にあると助かりそうな物ばかりだった。

………ちょっと、匠のリュックを思い出した。

匠ってば、王都の中の任務でも、いっつも、いろいろ大荷物だったっけ。

けど、それに助けられたことも、たくさんあったんだ。


水路くらい大したことないだろう、って、僕らは思い切り軽装だったから、有難く、その道具類を使わせてもらうことにした。

灯りくらいは、僕の魔法でなんとかなるけど、ランプがあれば、エエルの消耗を抑えられて、とても助かる。


ひととおり、装備を身につけると、僕らは水路へと下りることになった。

梯子を下りながら魔法をかけ続けるなんてムリだから、とりあえず、魔法はなしで下りて行くしかない。

お掃除隊の人たちがいる、っていうのは心配だったけど。

なるべく、音を立てずに、注意して下りていくしかなさそうだった。


「お戻りまでに、宴の支度を済ませておきます。」


見送りの人たちは、そう言って、にこにこと手を振ってくれた。


いや、あの、宴だけは、どうしても、忘れてくれないみたいですね?


水路はうんとうんと深くて、僕らは急な梯子を、延々、下りなければならなかった。

外は暑いのに、水路の中は、ひんやりと涼しかった。

下りて行くと、ぽたぽたと雫の落ちる音や、ちょろちょろ水の流れる音が聞こえてきた。


梯子を下りきって、ようやく底に辿り着くと、真っ暗な水路が、そこから左右にずっと続いていた。

水路の脇には、人がひとり歩けるくらいの細い通路がつけられている。

僕らの入ってきた出入口は、うんとうんと高いところに小さく見えた。

ルクスは早速、ランプをつけた。


ランプの光が灯った途端に、ぎゃあぎゃあ、と凄まじい声がして、バタバタと羽を鳴らして何か逃げていった。

暗いところを好む生き物だろう。

驚かしてごめん。


人の話し声や気配なんかは感じなかった。

お掃除隊の人たちは、近くにはいないみたいだ。

まあ、この水路は内側の街全体を覆うくらい広いから。

街の中歩いていて、知り合いに出会う確率、くらいのもんかな。


下に降りて落ち着いたところで、僕は、ステルステント(仮)の魔法を使った。

これなら、お掃除隊の人たちにも、それから、ここに棲む獣たちにも、気付かれないで進めるはずだ。


ルクスを先頭に、チビ勇者を真ん中に挟んで、水路の脇の細い道を縦一列になって、僕らは進むことにした。

ルクスは明かりを持って、足元に危険がないか確かめながら、僕らを先導してくれた。


ステルステント(仮)を使っていると、光も漏れないし、獣たちも僕らに気付かないで、すぐ近くを通っていく。

目の前を蛇みたいなのがにょろにょろと横切ったときには、思わず、叫びそうになった。

壁にも天井にも、無数に光る目のようなものがある。

こんな暗い場所だけど、ここにはいろんな獣が棲みついていた。

暗いところを好む生き物って、意外とたくさんいるみたいだ。


少し行くと、四辻のようなところに出た。


「どっちだ?」


ルクスの質問に、チビ勇者は、こっちと指をさす。


いくつかの分かれ道を、そんなふうに尋ねながら、僕らは進んだ。

取り立てて、危険な目にはあわなかった。

けれど、チビ勇者の隠れ家には、思ったほどすぐには辿り着けなかった。


「案外、遠いな?」


ルクスも同じことを思っていたようだった。


ステルステント(仮)は外に音は聞こえてしまうから。

本当は、しゃべったりしないほうがいいんだ。

だけど、僕ももうそろそろ沈黙に耐えられなくなっていた。

お掃除隊らしき人たちの気配も、さっきからまったく感じない。

だから、ルクスのしゃべるのも、あえて止めなかった。


「お前、ここに、どのくらい、いたんだ?」


「…あのときから、ずっと…」


チビ勇者は、言い難そうに答えた。


あのとき、っていうのは、あの、婚礼式のとき、のことだろうか。


あの後のことを、僕は思い返そうとした。

だけど、今はまだ、考えようとすると、心がひりひりして、あまり考えられなかった。

そうしたら、ルクスが言った。


「そりゃまた、結構、長い間だな。」


うん、とだけ、チビ勇者は答えた。


そうか。

あれからもう、結構、時間は経ってるのか。


どのくらいの時間が経ったのか、実感がない。

すごく前のことの気もするし、それほどでもない気もする。

ただ、これだけは、間違いないのは。

僕らにとって、あれは、とても辛いことだった。

だけど、チビ勇者にとっても、もしかしたら、辛いことだったのかもしれない、ってちょっと思った。


「そんなに長い間、こんな暗い場所に、ひとりでいたのか?」


「…うん。」


「宿に泊まる金がなくなったから?」


「………」


「もしかして、逃げてたのか?」


「………うん。」


チビ勇者は、何から逃げたんだろう。

森の民を傷つけても、誰からも咎められない。

むしろ、王様からご褒美をもらえるくらいなのに。


もしかして、僕らが仕返しにくる、と思った?

確かに、僕らは、彼の行方を捜していた。

彼、というより、彼の持って行った剣の行方を捜していたんだけど。


僕たち、彼を見つけたら、…どうしようと、思っていたんだろう。

歓迎して、仲良く、なんて、思うわけなくて。

でも、普通、剣には、もれなく、彼も、ついてくるわけで…

もしかしたら、僕ら、彼については、あんまり考えてなかったかもしれない。

いや、考えられなかった、のかな。

考えたくないことを、考えないようにしていた、のかも。


一発殴りたい?

うん、ルクスなら、そんなことも言いそうだけど。


だけど、ルクスは、殴るどころか、パンをご馳走して、うちに連れてきた。

僕ら、仲良くなんてなりたくなかったけど。

いつの間にか、一緒に、お茶なんかしてしまった。


許せない、憎い、って気持ちは、あるのに。


ふいに、気付いてしまった。

今、もしここで、水路にむかって突き飛ばせば、僕の力でも、簡単に彼を傷つけることはできそうだな、って。


後ろの僕を警戒することもなく、彼は、ただ、とぼとぼと歩き続けている。

確かに、石板を持ち上げるくらい力はあるけど。

勇者の剣に見初められるような素質もあるのかもしれないけど。

ルクスも僕も、今、ここで彼を水路に突き落として、そのまま逃げることだって、やろうと思えば、可能なんだ。


そこまで考えたとき、はっと、なった。

僕は、いったい、なにを…


さっきから、ずっと、頭の中に、キーン、という音がしていた。

すごく不快な音だった。


はっと気付いたら、その音はもうしなくなっていた。

今はただ、僕らの足音と、水の音だけ、水路にこだまするように、聞こえていた。






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