476
水路への出入口は、庭の隅にあって、大きな石板で蓋がされていた。
「これ、持ち上げるの?」
ちょっと両手をかけて持ち上げようとしてみたけど、そんなに軽くは持ち上らない。
覚悟を決めて、両足を踏ん張って持ち上げたけど、それでも、僕の力じゃかなわなかった。
僕は、後ろにいるチビ勇者をもう一度見た。
この小さい子が、どうやってこれ、持ち上げたんだろう?
すると、チビ勇者は、さっきまで僕のいたところに立って、石板を持ち上げようとした。
「あああ!ムリしちゃだめだよ?
爪をはがして…」
しまう、まで言えなかった。
ひょい、と、本当に、何か軽い板でも持ち上げるみたいに、ひょいっ、と、チビ勇者は石板を持ち上げていた。
さっき、自分でやってみなかったら、この石板は、重そうに見えるだけで、実はものすごく軽いものなのかと誤解したところだった。
「へえ。お前、なかなかやるじゃねえか。」
ルクスが感心したみたいに言うと、チビ勇者は、嬉しそうにルクスを見上げた。
チビ勇者のその目は、なんだかもう、すっかりルクスを信頼しきっているように見えた。
石板をどけると、そこには、真っ暗い穴が開いていた。
どのくらい深いかも分からない。
差し込む光は、底には届いてなかった。
なんだか頼りない梯子が、穴の縁には取り付けてある。
この梯子、下まで無事なのかどうかも怪しい。
途中で朽ちてなくなってたりとか、しそう…
もちろん、チビ勇者は、ここから出てきたわけだから。
一応、ちゃんと繋がっては、いた、んだよ、ね?
この中に下りるのか、と思ったら、いきなり行きたくなくなった。
だけど、そういうわけにもいかないし。
僕は、必死にやる気を振り絞って言った。
「っと、とりあえず、行こうか?」
「あああああ!!!お待ちください、王様!大賢者様!」
そこへ、さっきの夫婦、と子どもたちが、大荷物を抱えて、転げるようにやってきた。
「水路へ入られるなら、いろいろと、その、あると便利かと。」
そう言って持ってきてくれたのは、ランプやらロープやら、本当にあると助かりそうな物ばかりだった。
………ちょっと、匠のリュックを思い出した。
匠ってば、王都の中の任務でも、いっつも、いろいろ大荷物だったっけ。
けど、それに助けられたことも、たくさんあったんだ。
水路くらい大したことないだろう、って、僕らは思い切り軽装だったから、有難く、その道具類を使わせてもらうことにした。
灯りくらいは、僕の魔法でなんとかなるけど、ランプがあれば、エエルの消耗を抑えられて、とても助かる。
ひととおり、装備を身につけると、僕らは水路へと下りることになった。
梯子を下りながら魔法をかけ続けるなんてムリだから、とりあえず、魔法はなしで下りて行くしかない。
お掃除隊の人たちがいる、っていうのは心配だったけど。
なるべく、音を立てずに、注意して下りていくしかなさそうだった。
「お戻りまでに、宴の支度を済ませておきます。」
見送りの人たちは、そう言って、にこにこと手を振ってくれた。
いや、あの、宴だけは、どうしても、忘れてくれないみたいですね?
水路はうんとうんと深くて、僕らは急な梯子を、延々、下りなければならなかった。
外は暑いのに、水路の中は、ひんやりと涼しかった。
下りて行くと、ぽたぽたと雫の落ちる音や、ちょろちょろ水の流れる音が聞こえてきた。
梯子を下りきって、ようやく底に辿り着くと、真っ暗な水路が、そこから左右にずっと続いていた。
水路の脇には、人がひとり歩けるくらいの細い通路がつけられている。
僕らの入ってきた出入口は、うんとうんと高いところに小さく見えた。
ルクスは早速、ランプをつけた。
ランプの光が灯った途端に、ぎゃあぎゃあ、と凄まじい声がして、バタバタと羽を鳴らして何か逃げていった。
暗いところを好む生き物だろう。
驚かしてごめん。
人の話し声や気配なんかは感じなかった。
お掃除隊の人たちは、近くにはいないみたいだ。
まあ、この水路は内側の街全体を覆うくらい広いから。
街の中歩いていて、知り合いに出会う確率、くらいのもんかな。
下に降りて落ち着いたところで、僕は、ステルステント(仮)の魔法を使った。
これなら、お掃除隊の人たちにも、それから、ここに棲む獣たちにも、気付かれないで進めるはずだ。
ルクスを先頭に、チビ勇者を真ん中に挟んで、水路の脇の細い道を縦一列になって、僕らは進むことにした。
ルクスは明かりを持って、足元に危険がないか確かめながら、僕らを先導してくれた。
ステルステント(仮)を使っていると、光も漏れないし、獣たちも僕らに気付かないで、すぐ近くを通っていく。
目の前を蛇みたいなのがにょろにょろと横切ったときには、思わず、叫びそうになった。
壁にも天井にも、無数に光る目のようなものがある。
こんな暗い場所だけど、ここにはいろんな獣が棲みついていた。
暗いところを好む生き物って、意外とたくさんいるみたいだ。
少し行くと、四辻のようなところに出た。
「どっちだ?」
ルクスの質問に、チビ勇者は、こっちと指をさす。
いくつかの分かれ道を、そんなふうに尋ねながら、僕らは進んだ。
取り立てて、危険な目にはあわなかった。
けれど、チビ勇者の隠れ家には、思ったほどすぐには辿り着けなかった。
「案外、遠いな?」
ルクスも同じことを思っていたようだった。
ステルステント(仮)は外に音は聞こえてしまうから。
本当は、しゃべったりしないほうがいいんだ。
だけど、僕ももうそろそろ沈黙に耐えられなくなっていた。
お掃除隊らしき人たちの気配も、さっきからまったく感じない。
だから、ルクスのしゃべるのも、あえて止めなかった。
「お前、ここに、どのくらい、いたんだ?」
「…あのときから、ずっと…」
チビ勇者は、言い難そうに答えた。
あのとき、っていうのは、あの、婚礼式のとき、のことだろうか。
あの後のことを、僕は思い返そうとした。
だけど、今はまだ、考えようとすると、心がひりひりして、あまり考えられなかった。
そうしたら、ルクスが言った。
「そりゃまた、結構、長い間だな。」
うん、とだけ、チビ勇者は答えた。
そうか。
あれからもう、結構、時間は経ってるのか。
どのくらいの時間が経ったのか、実感がない。
すごく前のことの気もするし、それほどでもない気もする。
ただ、これだけは、間違いないのは。
僕らにとって、あれは、とても辛いことだった。
だけど、チビ勇者にとっても、もしかしたら、辛いことだったのかもしれない、ってちょっと思った。
「そんなに長い間、こんな暗い場所に、ひとりでいたのか?」
「…うん。」
「宿に泊まる金がなくなったから?」
「………」
「もしかして、逃げてたのか?」
「………うん。」
チビ勇者は、何から逃げたんだろう。
森の民を傷つけても、誰からも咎められない。
むしろ、王様からご褒美をもらえるくらいなのに。
もしかして、僕らが仕返しにくる、と思った?
確かに、僕らは、彼の行方を捜していた。
彼、というより、彼の持って行った剣の行方を捜していたんだけど。
僕たち、彼を見つけたら、…どうしようと、思っていたんだろう。
歓迎して、仲良く、なんて、思うわけなくて。
でも、普通、剣には、もれなく、彼も、ついてくるわけで…
もしかしたら、僕ら、彼については、あんまり考えてなかったかもしれない。
いや、考えられなかった、のかな。
考えたくないことを、考えないようにしていた、のかも。
一発殴りたい?
うん、ルクスなら、そんなことも言いそうだけど。
だけど、ルクスは、殴るどころか、パンをご馳走して、うちに連れてきた。
僕ら、仲良くなんてなりたくなかったけど。
いつの間にか、一緒に、お茶なんかしてしまった。
許せない、憎い、って気持ちは、あるのに。
ふいに、気付いてしまった。
今、もしここで、水路にむかって突き飛ばせば、僕の力でも、簡単に彼を傷つけることはできそうだな、って。
後ろの僕を警戒することもなく、彼は、ただ、とぼとぼと歩き続けている。
確かに、石板を持ち上げるくらい力はあるけど。
勇者の剣に見初められるような素質もあるのかもしれないけど。
ルクスも僕も、今、ここで彼を水路に突き落として、そのまま逃げることだって、やろうと思えば、可能なんだ。
そこまで考えたとき、はっと、なった。
僕は、いったい、なにを…
さっきから、ずっと、頭の中に、キーン、という音がしていた。
すごく不快な音だった。
はっと気付いたら、その音はもうしなくなっていた。
今はただ、僕らの足音と、水の音だけ、水路にこだまするように、聞こえていた。




