468
そろそろ戻ろうと行きかけたら、大精霊は、僕の背中に声をかけた。
「あの、お兄さま…」
どこか遠慮を含んだようなその声に、僕は、わずかに違和感を感じて振り返った。
「どうかした?」
僕と目が合った大精霊は、一度、目を逸らして、でも、その目をもう一度戻して、僕を見た。
「どうか、くれぐれもお気をつけください。」
「あ。…有難う…」
わざわざ引き留めてそんなことを言ってくれるのも珍しいな、って思う。
だいたい大精霊ってば、いっつも、僕と話しているうちに寝てしまってたのに。
今日はまだ、ぜんぜん眠そうじゃなくって。
かなり、長いこと、もったなあ。
そういえば、この間の婚礼式も、ずっと起きててくれたし。
大精霊も、こっちの世界に慣れて、眠くならなくなったのかな?
それっきり大精霊は黙ってしまったから、僕はまた振りむいて行こうとした。
そうしたら、その背中に、もう一度、大精霊が声をかけてきた。
「お兄さま。
お兄さまのお力は、日に日に、強く、大きく、増しています。
どうか、お気をつけて。」
???
僕はもう一度振り返って大精霊を見た。
いったい、何を僕に伝えようとしているの?
だけど、大精霊は、僕が目を合わせようとすると、また、すっと目を逸らしてしまった。
なんか、そんなふうにされると、妙に淋しいんだけど。
「…分かった…」
力が増しているから、気を付けて?
ということは、最初に、くれぐれもお気をつけください、って言ったのも、それのこと?
僕はてっきり、また誰かが襲ってくるかもしれないから、気を付けて、って言ったのかと思ったけど。
というか、もうずっと、それには気を付けてるけど。
ほら、よくあるじゃないか。
寒いから、気を付けて、とか。雨降ってるから、気を付けて、とか。
言われなくったって、気を付けてるんだけど、こう、気を付けて、って言うのが、気遣い?みたいな場面。
あれだと、思ったんだけど…
でも、大精霊って、あんまりそういう、気遣い?みたいなことは、言わなかったっけ。
大精霊も、こっちの世界、長くなったからか、人っぽくなったなあ…くらいに感じてたんだけど。
うーん…
だけど、その、力、って、なんのこと?
相変わらず僕は非力だし、取り立てて、何か自分に力がついた、とも思わないけど。
しいて言えば、最近ちょっと、魔法の練習は頑張ってたかなってくらい。
けど、ステルステント(仮)の魔法は、まだ未完成、って感じだし、ラブリーフライングソーサーちゃんの方が、僕よりよほど有能だし。
それに、もし、仮に、何か力があったとしたら。
怖い人たちに襲われても、なんとかなりそうだから、むしろかえって、安心なんじゃ?
いろいろ言いたいことはあったけど、どうした?って怪訝そうに振り返ったルクスに、僕は、ううん、なんでもない、って首を振った。
ルクスは、大精霊のほうにむかって片手をあげると、じゃ、って言った。
「また、来る。」
大精霊はかすかに微笑んで、軽く会釈をした。
それで、僕は、今度こそ帰ろうと、エエルを喚んでお願いした。
僕らを、元の場所へ。
エエルたちの応える声が聞こえたかなと思ったら、もう僕らは、扉の前に立っていた。
ルクスはそのまま扉を開けて家の中へ入ろうとした。
すると、家の中から、わっ、という驚いたような声がした。
「どうした?オルニス?」
僕も急いで家に入ったら、オルニスがむこうの壁に張り付くようにして、こっちを見ていた。
「オルニス?どうしたの?」
慌てて声をかけたら、オルニスは、はあ、と大きく息を吐いて、言った。
「君たちか。
突然、扉が開いたから、何事かと…」
「あ。そっか。」
オルニスには僕らが見えてなかったんだっけ。
僕は急いで、ステルステント(仮)の魔法を解いた。
「ごめん。驚かせて。」
大精霊は、魔法なんかまったく関係なく僕らが見えていたから、そんな魔法をかけていたことすら忘れていたよ。
だけど、大精霊は、自分は怖い人じゃないから、魔法は効かないって言ってたけど。
僕にとっては、オルニスも、怖い人、じゃないんだけど。
まあ、最初に実験したとき、オルニスに確かめてもらってたから、オルニスにも見えなくなっててくれないと困るんだけど…
うーん…
僕がぐちゃぐちゃと考えている間に、オルニスは椅子を引き寄せて、そこへ座ってため息を吐いた。
「いや。
ただ、いきなり扉が開いたから、驚いただけだよ。」
「ここの扉は、僕らに害を成す輩には、開かないよ。」
この家はヘルバの木そのものだから。
木が、僕らのことは護ってくれてる。
「…そう、だったね。」
オルニスだって、そのことはよく知ってるはずなんだけど。
やっぱり、ずっと、不安だし、心配してるんだ。
こんな状況、このままにしといて、いいわけない。
って、僕は強く思った。
僕ら、過ちを侵してしまったかもしれないけど。
それはきちんとつぐなおうと思うけど。
だけど、それは、ほとんどの森の民には関りのないことだ。
なのに、森の民だってことだけで、襲われたり、生死を問わず報奨金が出る、なんて。
やっぱり、そんなことを言う王様なんて、間違ってるよ。
そして、そんな王様の言うことをきく人たちも、おかしいよ。
さっきのオルニスは、ひどくおびえた目をしていた。
オルニスはそんな目をする人じゃなかったのに。
明るくて、飄々として、誰とでもすぐに仲良くなって。
そういう人だったのに。
そんなオルニスでさえ。
ちゃんとここで護られてるって、分かっててても。
消えない不安を心の中に抱えてしまってる。
「なあ、そういや、腹、へらないか?」
そこへ聞こえてきたのは、ルクスのどこかのんびりした声だった。
「ああ、そうだね。もう、夕方だよ。」
さっきより少し落ち着きを取り戻したオルニスが、いつも通りの調子で言った。
「ええっ?もう夕方なの?」
僕が驚いたら、ふたりとも、ちらっと笑った。
「精霊って、関わってると、時間の感覚とか、すごく狂うらしいな。」
それは、僕も、知ってたけどさ。
僕ら、朝早く、大精霊のところへ行ったはずなのに。
もう一日、経ってしまってたんだ。
お腹すいた、って聞いた途端に、僕のお腹も、ぐーって鳴った。
ふたりは、さっきよりもう少し大きな声で、笑った。
「さてと。夕飯、できてるよ。」
オルニスはそう言って、厨房に下りていった。
そんないつも通りの光景に、どうしてか、ふいに、胸がじんってなった。
「おい。どうした?」
ルクスは驚いたみたいに僕を見ている。
はっと我に返った僕は、いつの間にか涙があふれてたのに気付いて、自分で驚いた。




