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ご先祖様たちの作った壁は、要の木を中心に、ちょっとした広場くらいの広さがあった。
この内側には、外のエエルは影響しないし、ここで起こったことは、外には影響を及ぼさない。
確固とした防御の壁だった。
ステルステントを出た僕には、ご先祖様たちの背中が、互いにぴったりくっついて壁のようになっているのが見えた。
まるで、ご先祖様の作る、守護の塔の中のようだった。
守護の塔は、要の木を覆い隠すくらい、高く聳え立っていた。
要の守は、守護の塔を見て、ほう、と感嘆の声を漏らした。
「これはまた、強固な護りの陣だ。」
それから、ルクスの背負った紋章をまじまじと観察した。
「それは?」
「ぎりぎり発動の一歩手前で待機してる魔法だよ。」
ルクスは軽く答えた。
要の守は、物珍しそうに、紋章を眺めた。
「昔、それとよく似たものを、ヘルバに見せてもらったことがあります。」
「ヘルバが編み出したんだ。紋章術は。
これを使えば、俺たちみたいに普段魔法を使わない者も、魔法を使うことができる。」
すると、要の守は、また、ほう、と感嘆の声を上げた。
「そちらの方のも、紋章、でしょうか。」
アルテミシアのカバンからちらりと覗く板切れにも、要の守は気がついた。
「そう。
こっちは、もっと簡素で、単純な魔法だけどね。」
アルテミシアの答えを聞いて、要の守は、ほう!ほう!とまた言った。
「それもまた、ヘルバの?」
「そうだよ。」
「なんとまあ。そのように使っていただいているとは。
ヘルバもそれを知れば、喜ぶことでしょう。」
要の守は、感慨深げにうなずくと、僕らの顔を順番に、何か確かめるように見回した。
「準備は万端、のようですね?」
僕らはひとりずつ、要の守と視線を合わせて、頷いた。
今のところ、ここはいたって平穏な状況だった。
息苦しい重圧は感じるけれど、これは、闇ではなく、結界の影響だった。
さっき一度目を覚ましたかに思えた勇者は、今は気配も感じさせなかった。
「勇者の剣を。出してください。」
僕が言うと、要の守は、静かにうなずいた。
その剣は、要の木の根元にしっかりと突き立っていた。
よく見ると、根が絡んで、まるで剣をそこに繋ぎとめているようだった。
僕らはもう一度だけ互いに顔を見合わせると、ルクスが剣の傍へ行って、その柄に手をかけた。
大して力を入れたふうにも見えなかった。
剣は、まるで、自らの意志でそうしたように、するすると、地中から姿を現した。
刀身はもう、ぼろぼろに錆びていて、元の形をとどめていなかった。
そして、それは、地中から抜かれたことで、最後の抵抗も失い、ほろほろと、小さな欠片になって崩れ落ち、そのまま消失した。
あとは、柄に嵌め込まれていた小さな宝石だけ、ルクスの手の中で、光っていた。
ただ、その石だけは、ぼろぼろになっていた剣とは対称的に、磨きたてのように、不思議な光を湛えていた。
ルクスはその石を僕らに見せようと、振り返った。
そのときだった。
石は突然、眩い光を放ったかと思うと、その光の中に、ゆらゆらと人のような形をした影が現れた。
影はゆっくりと濃くなって、それと同時に、現実の物のような、血肉を備えた人の姿になった。
彼の身に纏う鎧は、たくさん傷がついていたけれど、丁寧によく磨き込まれていた。
それとは対称的に、短く刈った髪は、剣か何かで適当に切ったみたいに、ざんばらになって、毛先も斜めになっていた。
小柄だけれど、力強い手足をしていて、大地をしっかりと踏みしめるその足には、使い込まれた風の、鋲を打った長靴を履いていた。
彼は、自分の両手をまじまじと見下ろしていた。
それはまるで、自分の身に何が起こったか分からずに、困惑している人の姿だった。
彼の指は、力のありそうな、節くれだった指で、土いじりをする人によくあるように、爪の中まで、びっしりと土が詰まっていた。
こんな手をした平原の民を、僕はたくさん知っている、と思った。
彼は何かを探すように、しきりに足元を気にした。
それから、はっと気付いたように、僕らのほうを見た。
「あなたたちは?」
思ったより清んだ高い声をしていた。
想像したより、若そうだった。
こっちを見上げた目は丸く、瞳には明るい光を宿していた。
僕らはどう答えたものか、一瞬、戸惑った。
どう見ても、敵意など微塵も感じない人を相手に、まさか、あなたと戦いに来ました、とも言い難かった。
最初に口を開いたのは、ルクスだった。
ルクスは、彼の質問には答えずに、質問で返した。
「あんたは、世界を救った勇者、なのか?」
勇者は不思議そうにルクスを見た。
どうしてそんなふうに不思議そうに見るんだろうって、思ったけど、次の勇者の言葉を聞いて納得した。
「あなたは、森の民?
僕らの言葉がお上手なんですね?」
あ。そうか。
僕らは元々、互いに、言葉の通じる間柄じゃなかった。
ルクスの願った魔法のおかげで、今は通じるようになったけれど。
彼の生きていた時代には、まだその魔法はなかったんだ。
「いや、賢者と名高い森の民ならば、余所の種族の言葉くらい話せるものなのか?」
彼は自問自答するように呟いて首を傾げた。
それから、僕らを見て、にっこりと微笑んだ。
「なんにせよ、話せることは嬉しいです。」
その曇りのない笑顔を見ていると、彼が、闇に落ちてしまった、ということは、何かの間違いなんじゃないかと思えた。
彼は、それから、少し考えるようにして言った。
「さっき、僕を、世界を救った勇者か、とお尋ねになりましたね?」
僕らが頷くと、彼は、僕らから視線を逸らせて言った。
「そのように、僕のことを呼ぶ人も、います。」
彼の口元には、淋し気な微笑が浮かんでいた。
「けれど、僕自身は、そのように名乗りはしません。」
それから、彼はまた、僕らに視線を戻して、じっと問いかけた。
「そもそも、世界を救うなんてことが、可能だと思いますか?」
え?
勇者にそう問いかけられて、僕は、ちょっと戸惑った。
だけど、隣にいたルクスは、にやっと笑って、あっさり一言、断言した。
「無理だな。」
え?
僕は、びっくりしてルクスを振り返った。
ルクスと勇者は、互いから目をそらさずに、じっと、視線を交えていた。
そのルクスの口元にも、勇者とそっくり同じな微笑が浮かんでいた。
「そう。
世界を救う、なんて、誰にも、不可能です。」
勇者の笑みに、自嘲が混じった。
「ただ、目の前にいる、ひとり、ふたり、が困っているなら、その人の手助けをする。
できることなんて、せいぜい、それだけですよ。」
「確かに。その通りだ。」
どちらも、一度は、世界を救った勇者、と呼ばれたふたりは、そっくりな笑顔を浮かべてうなずきあっていた。




