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もう一つの楽園  作者: 村野夜市


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森の中にエエルが満ちる。

エエルは目には見えないんだけど。

濃い霧の中にいるときみたいに、なにか濃厚な気配に包まれるのが分かる。

お腹の底から、何か弾けて、湧き上がってくる。

それは、力というか、やる気というか、わくわく感?うん、それに近い。

戦いの前に、わくわくするとか、いや、そんな、戦いは嬉しいはずないんだけど。

戦いとか別にして、この高揚感は、そうだな、エエルに酔った、みたいな感じかな。

酔うほどお酒を飲んだことはないけど。

酔っ払った人の楽しそうなのは、この感じに近いんじゃないかな、って思う。


森の木々が歌い始める。

初めて聞くのに、ちょっと懐かしいような、どこかもの淋しいような、それでいて、あったかい感じのする歌。

なんだか、ヘルバを思い出す。

そうして、ここは、ヘルバの故郷だったなと思う。


ふいに、少年の姿をしたヘルバが、森の中を駆けぬけていった。

あれは、多分、僕の思念を読み取ったエエルの起こした幻だろう。

僕のよく知ってるヘルバに比べたら、背も小さいし、後ろ姿だけだったのに、ヘルバその人の姿だって、何故かはっきり分かった。


この森も、ヘルバのことを憶えているんだ。

同じ森にいた大切な仲間として、今も、ヘルバの姿は、この森に刻まれているんだ。


多分、ヘルバのいた頃より、この森はうんと小さくなってしまっただろうけど。

でも、きっと、大丈夫。

エエルが回復すれば、この森も、昔、ヘルバたちのいたころのように、また青々と大きくなるに違いない。


「賢者様?」


心配そうに僕を呼ぶご先祖様の声に、はっと我に返った。

すっかりエエルに酔っ払っていたらしい。


ご先祖様は、僕の顔の前をふよふよと飛びながら、僕を気付かせるように、目の前で手のひらをひらひら振っていた。


「あるじさま?」


アニマの木の主も、さっきまで、楽しそうに舞い上がって飛んでいたのに、今は心配そうに、僕の手をぎゅっと握って、下から僕の顔を見上げていた。


「あ。

 ごめん。

 ちょっと、ぼーっとしてた。」


我に返った僕が笑ってみせると、ふたりとも、ほっとした顔をした。


「戻りましょうか。賢者様。」


ご先祖様は僕に言った。

そうだ。のんびりしている暇はないんだった。


大地に根付いた木の主は、木の傍から離れられない。

つまり、ここに残して行かなくちゃならなかった。


僕は、アニマの木の主の隣にしゃがむと、頭を撫でてから、目を合わせた。


「じゃあね。頑張ってたくさん水を飲んで、光を浴びて、大きくなるんだよ?」


「は~い。」


片手を上げて、いいお返事。

いつまでこんな可愛いかなあ…


アニマの木の成長速度は分からないけど、この濃厚なエエルの中じゃ、かなり早く大きくなりそうだ。

ましてや、彼らは、元々、一人前の姿だったんだ。

むしろ、今のこの幼い姿は、力を失って、そうならざるを得なかった、ってだけ。

多分、きっと、すぐに、元に戻ってしまうんだろう。

いや、それは、良い事なんだけど。

………いや、なんでもない。


僕は、僕のなかで膨れ上がった何かを解放するように、祝福を送った。

多分、この濃いエエルの中だと、これを何回もしないと、僕自身が耐えられない。

僕の送った祝福は、森全体に行き渡るように、拡がっていく。

森の木々が、祝福に応えるように、一斉に、ざわめいた。


「ふふ。

 有難うございます。あるじさま。」


目の前のアニマの木の主は、甘えるみたいに僕に抱きついたけど。

ん?なんかちょっと、成長した?


いやいや。

このままずっとアニマの木の成長を見ていたい気もするけど。

今は、とにかく、戻らなくちゃ。


後ろ髪を引かれる思いを振り払い、僕は、立ち上った。


「結界の要に、戻りましょう。」


ご先祖様にそう言って歩き出す。


ルクスとアルテミシアはそこにいるはずだった。


エエルの濃くなった森の中は、結界もまた一段強力になっていた。

ただ、使い放題になったエエルの力を借りられたから、普通に歩くことも同時に可能だった。


道々、ご先祖様は、僕に尋ねた。


「さっきのは、なんですか?

 あの一斉に、森が、きらきらきら~、ってなったやつ?」


「???祝福のことかな?」


「へえ。祝福。あれが、祝福、ですか。」


「ごめん。正確には、知らない。

 僕がそう呼んでるだけ。

 僕、ちゃんと、修行とか、してないから。」


「修行しなくても、あんな、すごそうな魔法をお使いになるなんて、やっぱり、ご立派ですな?」


「いやいや。

 こんなの、郷のおじいちゃんおばあちゃんたちに見つかったら、大目玉くらいそうだよ。」


祝福ってのは、大切な節目に厳かに族長がやる、大事な儀式だったんだもの。

こんなね、思いよ届け~みたいなのは、完全に自己流だし。

今はエエルが余ってるからいいけど。

エエルの無駄遣い、って言われたって、反論はできないもの。


そうなんだ。

エエルがたくさんあれば、こんな自己流の祝福だって、みんなに届く。

ヘルバがエエルを増やそうとずっと研究していたのだって、きっと、こういうふうにしたかったからだ。

ずっと前、アルテミシアも、エエルさえたくさんあれば、みんな幸せになれるはずだって言った。

やっぱり、エエルは、幸せの素だと思う。


そのときだった。

僕の耳に、ふいに、地の底から響くみたいな、低い声が聞こえてきた。


「エエルがあれば…

 エエルさえ、たくさんあれば…」


ごごごごごぉぉぉぉっ~~~。


いきなり、森の中に、風が吹いた。

ぎょっとして、僕らは足を止めた。


風はすぐに吹き過ぎて、すぐに辺りは、明るい普通の森の風景に戻ったけれど。

今のは、いったい、なんだったんだ?


僕はご先祖様と顔を見合わせた。

ご先祖様は、ちょっと怯えたみたいに、僕の目をじっと見つめた。


「闇が、目覚める…」


ご先祖様は、ぽつりとそう言った。


僕らは急いで戻ろうと、走り出した。














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