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村を離れて荒れ地を少し行くと、森があった。
だけど、この森は、なんか変だ。
何がどう、というわけじゃないんだけど。
なんとも、普通じゃない、感じなんだ。
森にはどこもそこに独特の歌がある。
森の歌は、土地によって、かなり違うものだけど。
こんな歌は、聞いたことなかった。
否。
はたしてこれは、歌と言っていいんだろうか。
呟き?
そう。そんな感じ。
この森は、なにかをずーっと呟いているんだ。
それは、僕の知っているどの歌とも違っていた。
いや、歌とも言えない何か、だった。
今まで出会ってきた森の歌は、調子はいろいろだったけど、とりあえず、みんな歌ではあった。
しばらく聞いていれば、どの歌も、僕の笛で再現できた。
だけど、これは、無理だ。
低い唸り声のような、呟きのような、一定の音が、ずっと、響き続けている。
何かの言葉のようにも聞こえるけれど、言葉の意味は分からない。
ただ、この言葉にはちゃんと意味があって、それが、この場所を縛っている。
そう。
護っている、んじゃない。
何かを、厳重に、閉じ込めているんだ。
森に足を踏み入れようとした途端、キン、と金属を叩いたような甲高い音が耳の中に響いた。
それと同時に強く弾かれたような、固く拒絶されたような、そんな感じがした。
驚いて、思わず後退った僕に、ご先祖様たちが言った。
「結界があるのです。」
「侵入者を防いでいます。」
「気付かずに入ろうとする者も、百年にひとりくらい、出るので。」
百年にひとりのために、この厳重な結界を?
そんなに危険な場所なのかと改めて思う。
僕は、胸に手を当てて、自分の中の覚悟を、もう一度確かめた。
うん。
なんとか、…大丈夫。
そうだ。目印の木、は…?
確かめるまでもなかった。
それは、目の前に、あのおばあさんの言った通り、本当に、ひょーん、と立っていたから。
樹冠の波のなかに、目印の木は、ぽっかりと立っていた。
森の入り口からでも、それはよく見えた。
ルクスは、多分、あそこにいる。
あの木に辿り着くには、かなり遠そうだ。
だけど、あの木の辺りまでなら、この森は進んでも大丈夫なんだ。
ご先祖様たちに案内はしてもらえるけど。
一応、僕も、あの木の位置は確かめておこうと思った。
ご先祖様たちは、僕の周りをぐるっと取り囲んだ。
「こうしておけば、少しはマシなはずじゃから。」
「どうぞ、結界を越えてくだされ。」
僕は言われた通り、もう一度、森に足を踏み入れた。
また、さっきの、キン、って音がしたけれど、さっきほどの強い衝撃はなかった。
なんとなく、足は重いけど、歩けないほどじゃなかった。
ご先祖様たちに護ってもらいながら、僕は森の中を進み始めた。
それほど木は茂っていない。
見通しのいい森だ。
すっかり夜も更けて、もう真夜中だった。
今夜は月があったから、困らない程度には明るかった。
それに、ご先祖様たちも光って、道を照らしてくれていた。
森の呟きは、もうずっと聞こえていた。
この声を聞いていると、なんとも、気が滅入って、その辺にしゃがみ込みたくなるような、そんな響きだった。
早くルクスを見つけて帰ろう。
森なんだけど、居心地はよくない。
とにかく、早く出て行きたくなるような森だ。
もっとも、それが、結界、の効果なのかもしれない。
「この森は、穴の周りをぐるっと取り囲んでおるのよ。」
「穴に人や獣が落ちんように護っているそうじゃ。」
確かに、こんなに、先へ進みたくない森、ってのも珍しい。
「この森は、鳥も獣も敬遠して近付かん。」
「もう、何百年も、木しかない森じゃ。」
そんな森があるなんて。
存在しているのが不思議になるような森だった。
森の民の棲む森のように、迷わせる術もかかっていないし。
足を取られる下草もない。
先を阻む藪もなかった。
だから、一見、すごく手入れをされた森のようにも見える。
ここを手入れしたのは、森の民でも、他のどんな民でもないだろうけど。
目印の木は、森に入ってからも、ちらちらとその姿が見えていた。
だから、迷わず、ほぼ真っ直ぐに、そこへ行くことができた。
ようやく、その木の根元が見えたとき。
月明かりに照らされて、木にもたれて座っている人影が見えた。
「ルクス!」
その途端、足枷が取れたように、僕は、そこへむかって走り出した。
あんなに気も足も重たくて、ずっと前に進みたくなかったのに。
不思議と、それも全部、忘れていた。
ルクスはぐったりと木の根元にもたれて、目を閉じていた。
僕がゆすると、ゆっくりと目を開けて、ぼんやりこっちを見た。
「………こんなところに来ちゃ、ダメだ………」
開口一番、けだるげに、ルクスはそう言った。
その言葉、全部、君にお返ししたいよ。
僕はさっきよりちょっと強く、ルクスのからだをゆすった。
「こんなところで眠ったらダメだよ。
さあ、帰ろう!」
なんとかルクスのからだを背中に乗せようとしたんだけど。
ルクスってば、僕より背は小さいんだけど、とにかく、がっちりと筋肉がついていて重たいんだ。
引っ張っても、背中をよじっても、僕が背負うのは無理だった。
う。
「ちょっと!
寝てないで、少しは協力してよ!」
思わず叫んだら、ルクスが、ふ、ふ、ふ、と笑った。
「…すまん…」
ルクスはそう言うと、しゃがんだ僕の背中にずるずると乗っかった。
「だれ、か、に…背負われる、なんて…何年ぶり、だ…」
なんだかちょっと嬉しそうに聞こえる。
僕は、両手両足を踏ん張って、立ち上ろうとした。
した。
した…
した………
したんだけれども。
う。
お、も、た…
ちょ、う…立ち、あが、れ…な、い………
僕は、そのままルクスに押しつぶされたみたいに、べっちょりと地面に伏せてしまった。
僕の周りでご先祖様たちはおろおろしていた。
だけど、力を貸すのは無理みたいだった。
「誰か…助け…」
やっぱり、アルテミシアに来てもらえばよかったかな。
アルテミシアってば、このルクスを、平気で抱き上げるからな。
いや、違う。
こんなふうに何かあればすぐに頼るから、いつまで経っても、アルテミシアに頼りにしてもらえないんだ。
なにか、魔法でも、使えないかな。
ルクスのからだを、もう少し、軽くする、みたいな…
両手が塞がっていて笛は吹けないけど。
からだを軽くする魔法なら、大昔、ヘルバに習ったことがある。
あれなら、なんとか…
記憶を辿って、その魔法を使おうとした。
そのときだった。
ずるずるずると、まるで、どこかに引きずり込まれるような、強い力を感じた。
真っ黒い巨大な腕に、僕の髪がわしづかみにされて、暗い昏い地の底に、連れて行かれるみたいだった。
恐怖にからだが凍り付いて、その拍子に魔法が途切れた。
すると、僕を掴んでいた手の影が、すっと消滅した。
「大丈夫か!」
「エエルを使ってはいかん!」
「やつを、おびき寄せてしまう!」
周りのご先祖様たちの叫ぶ声が聞こえた。
僕のからだは、震えが止まらなかった。
がたがたと、震え続けた。
だめだ…
もう、無理だ…
心の中に、そんな言葉が渦を巻いた。
僕にはルクスを抱える力がない。
なのに、ここじゃ、魔法も使えない。
周囲の森の呟きまで、む~り~、む~り~、って言ってるみたいに聞こえてきた。
う。
無理だ。
む~り~、む~り~、む~り~………
「俺を、置いて、いけ。」
背中でルクスの言うのが聞こえた。
「イヤだ。」
僕は、答えた。
だけど、その声に力は入らなかった。
かすれた声は、周りの、無理無理無理に、掻き消されてしまった。
くっ、そっ。
こんなはずじゃなかったのに。
なんとかなるって、思ったのに。
ずるずると背中のルクスが、自分から、僕の背中を下りようとした。
それに気付いて、僕は、ぶんぶんと頭を振った。
くそっ!
「ダメだ。イヤだ。ルクス!帰るんだっ!!
下りないでっ!もうちょっとだから。
帰るから。僕、頑張るから。…お願い…」
駄々をこねるみたいに、僕は言い続けた。
最後は、声に涙が混じった。
それを聞いたルクスは、いったん下りるのはやめてくれたけれど、宥めるように言った。
「…このままじゃ、お前まで…
いったん戻って、誰か、助けを…」
そうか。
その手があった。
いったん戻って、アルテミシアを連れてこよう。
アルテミシアなら、きっと、助けてくれる。
だけど。
ここにルクスを置いて行って、大丈夫だろうか。
戻ってくるまで、ルクスは、無事でいてくれるだろうか。
今だって、こんなに弱っているのに。
そうだ。
ルクスは弱ってる。
そうじゃなきゃ、きっと、自分の力で歩こうとするはずだもの。
肩くらいは貸してくれって言うかもだけど。
そうできないくらい、ルクスは弱ってしまっているんだ。
ダメだ。
このルクスを、こんなところに、置いて行けるもんか!
くっ。
なんか、方法は、ないかな…
必死に頭を巡らせる。
だけど、無理無理無理の大合唱がうるさくて、なかなか集中できない。
無理無理無理、って言葉が、ともすると、僕の内側を侵して、埋め尽くそうとしているんだ。
そのときだった。
「ほれほれ。しっかりしなされ。若いのにだらしない。」
いきなり耳元で響いた声が、からだの内と外とに響いていた、無理無理無理の大合唱を打ち破った。
「げげっ、居眠りばあさん。」
「ご初代様?」
ご先祖様たちが口々に叫ぶのが聞こえた。
目を開くと、あのおばあさんが、ふよふよと漂いながら、僕の顔を覗き込んでいた。
「友だちを、助けるんじゃろ?」
そうだよ!
今、ここで僕が諦めたら、ルクスは助けられない。
くっ、そっ!
両手両足、ふんばった。
「わしょーい。」
「わしょーい。」
周りのご先祖様たちは、そんな僕を応援するように、周りを取り囲んで、何かを持ち上げるように両手を下から上へと動かした。
「ほれほれ。
しっかり足を踏みしめて。
腰に力を入れるんじゃ。」
おばあさんの叱咤激励と、ご先祖様たちの応援のおかげか、僕は、なんとかよろよろと立ち上った。
そのまま、一歩、踏み出した。
歩き始めたら、少し、楽になった。
これなら、なんとか、なるかもしれない。
「わしょーい。」
「わしょーい。」
ご先祖様たちは、僕らを取り囲んで、そう言い続けてくれる。
その声に励まされて、僕は、よろよろと一歩ずつ、森を歩いていった。




