398
王様の居室のある建物は、不思議なほどに静かだった。
壁も精霊も出てこない。
動くものと言えば、あっちこっちで、ぱくぱくと瘴気を食べている蔦だけだった。
僕らは、慎重に、部屋をひとつずつ、確認していった。
どの部屋も、寝坊した人が、大慌てで出て行った後、みたいな感じだった。
ベットは起き出したまま。服や道具も散らかったまま。
それに、ここの住人は、きっと、忘れ物大王だ。
装備や武器なんかも、たくさん、忘れていってる
って、もちろん、それどころじゃなく逃げだした、ってことなんだろうけど。
真夜中にすごい悲鳴を上げて、お城の人たち、みんな逃げだした。
恐ろしい怪物が出た、ってその人たちは言った。
だけど、その怪物については、今一つよくわからない。
ただ、この部屋を見れば、そのときの混乱は、よく伝わってきた。
わけもわからず、ただただ恐ろしくて、とにかく逃げた。
訓練されたお城の兵士を、ただの人と同じくらい慌てさせるなんて、いったいどんな恐ろしい怪物だろう。
会いたくない、会いたくない、って思いながら、部屋の扉をひとつひとつ開けていった。
そうして、何も起きなければ、そのたびに、ほっとした。
だけど、それって、まだこの先で、怪物に会うってことだから。
次の扉を開けるときには、また、会いたくない、会いたくない、って心の中で繰り返した。
そうして、扉を開けていって。
とうとう、残ったのは、王様のいた部屋だけになった。
なんか、ちょっと、やっぱりね、って気もしたけど。
もうあとひとつしか部屋は残ってないんだし。
となると、ここにいるのは、確実なんだし。
いやもう、開けたくない、よね?
だけどさ。
それじゃ、何しに来たのか分からないし。
駄々こねてたレグルスとおんなじになってしまう。
う。
くそ。
イヤだイヤだイヤだあああっ、って、言いたくなるのをなんとか堪えて。
僕はみんなについていった。
先頭はルクス。
そのちょっと後ろにアルテミシア。
レグルスは、ルクスの服をぎゅっと握って、ルクスの背中にぴったりくっついている。
僕は仲間たちの一番後ろから、恐る恐る、ついていった。
扉に手をかけて、ルクスは、みんなの顔を、一周、ぐるっと見回した。
ひとりひとり、ほんの一瞬ずつだけど、ルクスは目を合わせる。
それはまるで、覚悟はいいか?って、尋ねるみたいだった。
覚悟?
は、あんまりよくない、けど…
ごくっと、唾を飲んだら、その音がいやに耳の中に大きく響いた。
どきどきどき、と、自分の心臓の音も響き始めた。
う。
イヤだ。
イヤだ。
イヤだよぉ…
僕より前に、ルクスもアルテミシアもいるのに。
レグルスだって、必死に頑張ってるのに。
仲間たちの背中を見て、なんとか逃げだしたいのを必死に堪えた。
ぎぎぎぎぎぃ…
扉に鍵はかかっていなかった。
王様の部屋なのに、鍵かけてないんだ、って思って、いや、王様だって、それどころじゃなかっただろうって、思った。
確か、王様は、ルクスが追い出した前の王様の息子だとかいってたっけ。
だけど、その人は、まったく王様になる気はなくて、前王の言いなりだった、とか。
王様は無事に逃げたのかなあ。
前王は、どうなったんだろう。
そういえば、隊長さんの話しには、王様のことも、前王のことも、なかった。
考え事をしていたら、いつの間にか、目の前の扉は全開になっていた。
うひゃっ。
慌てて、身構える。
………
息が苦しくなって、自分がずっと息を止めていたのに気付く。
急いで息継ぎをして、また身構える。
………
……………
息を止めているのは辛いなって思って、ちょっと息をしてみた。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
あ、れ?
僕ら団子のように固まって、身構えていたんだけど。
何も、起こらない。
何も、出てこない。
ようやくちょっとだけ正気を取り戻して、目だけ動かして、見える範囲を観察した。
ルクスは、この部屋のこと、きんきらきん、って言ってたけど。
まず、目に入ったのは、大量の書物だった。
右も、左も。
真新しい木で作った書棚があって、そこに、ぎっちりと書物が詰め込まれている。
棚に入りきらなくて、床に積み重ねた書物の塔も、いくつか建設されていた。
ヘルバの家をちょっと思い出した。
「これは、すごい、お宝だ。」
そう言って、真っ先に部屋に踏み込んだのは、アルテミシアだった。
引き留める暇もなく、アルテミシアは書架に歩み寄ると、一冊一冊、手に取って、確かめ始めた。
「これは!
魔法大全の原本じゃないか。
魔法大綱の写本もある。
この魔法装置の目録は、匠の作った最新版じゃないか!」
それが、いったいどのくらい、すごい、のかはよく分からないけど。
とにかく、すごそうだ、ってのは、よく伝わってきた。
「王様は、魔法に興味があったんだな?」
アルテミシアはこっちを振り返って言った。
「へえ~。
俺もそれは知らなかった。」
ルクスはそう言って、アルテミシアの隣に立った。
「お。これは、見覚えがあるな。
ヘルバの書いたやつ、じゃね?」
そう言って、嬉しそうに書物を一冊取り出して見ている。
「これ、世界に三冊しかないんじゃなかったっけ?」
それは、僕らが森を出るきっかけになった、あの書物だった。
僕の両親が、どこかから手に入れてきて、うちの寝室でほこりをかぶっていた、あれだ。
「本当だ。
なんだか、懐かしいな…」
「これが、紋章学の、基礎の基礎になったんだ。
この発明がなければ、研究院で作られた護符も装置も、ほとんどが存在していないな。」
アルテミシアも僕も、その書物をしげしげと見た。
そのときだった。
「特別な能力を持たなくても、誰にでも魔法が使える。
紋章というものは、まったく、すばらしい発明です。
人がその手で作り出したものの中でも、一二を争うほど、すばらしいものだと言っても過言ではないでしょう。」
突然、熱に浮かされたようにレグルスが話し始めた。
「これを発明したのは、名もなき森の民であったとか。
魔法への親和性は、旧き者ほど、より高い。
それは、枯渇したエエルの復活量が、時代が下るにつれ、少なくなっていったからではないでしょうか。」
ずっとルクスの背中に張り付いていたレグルスが、そこで、くるっとこっちを振り返った。
その目は、こっちを見ているのに、何も映していなかった。
「最初の滅びをくい止めたのは森の民でしょうそのとき世界には森の民しか存在しなかったのですから森の民の復活させたエエル量はおそらくそれ以前と同じくらいあったはずしかし二度目の山の民は最初の森の民ほどにはエエル量を戻せなかった彼らはエエルの少ない世界を生き抜くためにたくさんの工夫を創り出した三度目の平原の民にいたってはほとんどエエルを取り戻すことなくエエルは世界を崩壊させない程度にぎりぎりしか戻っていなかったというのが僕の仮説です平原の民にとっては魔法など信用できないものだった圧倒的に現実を優先する平原の民は魔法などという不確かな物ではなく確固としてこの世界に存在する物質を何より大切にした彼らは何より勤勉で陽気で自分の力を信じているただ目に見えないものは信用できないと思っているそれは彼らの特性であって一概に悪いものと決めつけるわけにはいかないけれどけれど、それは…それは…」
レグルスは息継ぎもせずに話し続けた。
僕はびっくりして、ただ、目をぱちぱちさせた。
なんだか、すごいことを話している気はするんだけど。
何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
ふいに、レグルスは、言葉に詰まった。
それから、何かがぷつんと切れたみたいに、その場にずるずると崩れ落ちた。




