396
朝の光が、ちらちらと差してきて、目が覚めた。
頭上を覆っていた森は、ほんの少し、隙間ができて、そこから、光が差していた。
どうしようもなく重苦しい瘴気は、ほんの少しだけ、ましになった気がした。
周りを見ると、あの蔦がたくさんいて、ぱくぱくと花を開いたり閉じたりしていた。
一晩中、この辺りの瘴気を食べてくれていたらしい。
もしかしたら、光が差してきたのも、そのおかげかもしれない。
ずっと奇妙な夢を見続けていて、よく眠れたんだか、眠れなかったんだか、分からない。
とりあえず、からだは、回復していた。
気持ちがたかぶるのも、仕方ないかもしれない。
だって、いよいよ、今日はこれから、あの恐ろしい怪物、に会いにいくんだから。
軽く朝食をすませて、ステルステントをしまったら、さあ、出発だ。
元気いっぱいに歩き出そうとしたんだけど。
いきなり、レグルスが、ふらふらとその場に座り込んでしまった。
「どうした?」
心配したルクスが尋ねると、レグルスはイヤイヤをするみたいに首を振った。
「僕、もうこれ以上、行きたくありません。」
「確かに。
そりゃあ、怖いよなあ?」
ルクスは気の毒そうにレグルスに言った。
「けど、流石にここに置いて行くわけにはいかんし。
なんとか頑張って、一緒に来てくれないか?」
「あの。ブブの疑似アマンに入る?」
僕はレグルスにそう尋ねた。
「あそこなら、多分、怖い思いもせずに、いられると思うよ?」
「そうだな。
そうしたほうがいい。」
アルテミシアも賛成してくれた。
けれど、レグルスは、頑なに首を振った。
「僕、イヤです。」
それから、レグルスは、ルクスの手にすがりついて言った。
「僕、みなさんと離れたくありません。」
「それは、大丈夫。
ブブはずっと一緒にいるし。
だから、ブブの疑似アマンにいても、ずっと一緒にいるようなもんだよ?」
僕は安心させようと思ってそう言ったんだけど。
レグルスは今にも泣きそうな顔になった。
「僕、お邪魔、ですか?」
それから、大きな目に大粒の涙を浮かべて、僕の顔を見た。
ううう。ごめん。
「いや、そんなことはないよ?
ただ、君が怖い思いをしないように、って、そう思っただけだよ。」
「僕、力もないし、弱いし、すぐ疲れるし。
お邪魔、ですよね?」
こんな小さい子が、気を遣うなんて。
僕は、ぶんぶんと首を振った。
「そんなことはないよ?
レグルスはすっごく頑張ってるし、きっと、練習したり鍛えたりしたら、もっと強くなる。
だけどさ、今は、仕方ないから。
ね?ほんの少しの間、ブブの疑似アマンに行かない?」
「ブブ、いっしょ、だいじょぶ。」
ブブも励ますみたいに言ったんだけど。
「…ルクスさんも一緒なら…行きます。」
レグルスはそう答えた。
いや、流石に、ルクスは、ちょっと、困る。
「レグルス。
君が怖いなら、君は疑似アマンに行っていてもいい。
だけど、君以外の人は、疑似アマンには行けない。
君がひとりでは疑似アマンには行けないって言うなら、君は、怖いのは我慢して、一緒に来るしかない。」
こういう状況になると、僕なんかは、いっつもおろおろして困ってるだけなんだけど。
アルテミシアは、淡々として、容赦ない。
もちろん、怒ってるわけじゃないし、声を荒げたりもしないけど。
静かに、淡々と、そう言い渡すんだ。
ルクスと僕は困って顔を見合わせた。
ここはもう、アルテミシアの言う通りにするしかないんだろうけど。
レグルスにきつく言うのも、なんかかわいそうな気がした。
そうしたら、レグルスの目からぼろっと涙が零れ落ちた。
ルクスと僕は、言葉に詰まって、ぐっと息を呑んだ。
レグルスは、ぼろぼろと涙を零しながら、ルクスと僕を見る。
それから、駄々っ子のように、ぶんぶんと首を振り始めた。
「イヤだイヤだイヤだああああっ!!!」
いや、そりゃ、イヤだよね?
うん。それは、分かるよ?
「イヤだイヤだイヤだああああああっっっ!!!!!」
レグルスの駄々は、次第にエスカレートしていく。
僕らは手をつけかねて、ますますおろおろする。
ずっと、レグルスは、すごく聞き分けもよくて、我慢強い、いい子だった。
僕らは、そのおかげで、すっごく助かっていたんだと思う。
だけど、もしかしたら、そのせいで、レグルスには、ずっと、無理をさせていたのかもしれない。
それが、とうとう、溢れちゃったんだ。
だけど、困った。
ここへきて、僕らだって、足を止めるわけには、いかないんだもの。
「レグルス。お前の気持ちは分かった。
だけど、俺たちは、お前の望み通りにするわけにはいかない。」
ゆっくりと、言い聞かせるように、ルクスは言った。
レグルスは、ちょっとびっくりしたみたいに泣き止むと、うるんだ大きな目をして、じぃっとルクスを見つめている。
「俺たちは、そのためにここへ来た。
だから、それをせずに戻ることはできない。」
ルクスはきっぱりと言い切った。
レグルスは、ひっく、と、小さなしゃっくりをした。
それから、レグルスは、下をむいた。
レグルスがかわいそうで仕方なくて、僕は、おろおろと手を差し出そうとした。
その僕の手を、レグルスは、いきなり、ぱしっと払いのけた。
「…ィャって言ってるのに…」
うつむいたまま、レグルスは、小さく呟いた。
「え?なに?どうした?」
僕が聞き返すと、今度は、きっぱり顔を上げて、僕を睨みつけた。
それはとても、あのレグルスと同じ人だとは思えない表情だった。
「イヤだっ!って!言って!るのにっ!!」
一言一言区切るようにして、レグルスは叫んだ。
「僕はっ!イヤだっって!!言ってる!!!」
こんなレグルスは見たことなかった。
想像すらつかなかった。
僕はぽっかりと口を開けたまま、ただ呆然と、目の前のレグルスを見ているしかなかった。
「…いい加減にしろ、レグルス。」
低い声で、ルクスが言った。
完全に怒ってる。
僕は、慌てて、ルクスを引き留めた。
「ルクス。怒らないで。
レグルスはまだ、小さいんだ。」
「小さかろうと、大きかろうと、そんなことは、我儘を言っていい理由にはならない。
お前のことは、出来る限り守る。
だけど、お前が俺たちを信じられないなら、それは仕方ない。
なら、もう…」
勝手にしろ、とだけは、ルクスも言わなかった。
それは流石に言っちゃいけない、って思ったんだろう。
「なあ、レグルス。
疑似アマンと、怪物、君はどっちのほうが怖い?」
静かに、アルテミシアが尋ねた。
あっ、と僕は思った。
「いや、違うよね?
ルクスと離れるのと、怪物に会うの、どっちがイヤ?」
僕は、ちょっと言い換えた。
レグルスは、すっごく怒った顔のまま、それでも、少し考えているみたいだった。
それから、ぽつり、と言った。
「ルクスさんと、離れるの。」
「じゃあ、一緒に行こう。
大丈夫。もし本当にいざとなったら、僕が問答無用で、疑似アマンに放り込むよ。
そうすれば、君の身に危険はない。
ね?」
僕は、みんなを納得させるように見回した。
みんな、仕方ないな、って顔をしながら、頷いてくれた。
「ね?」
ダメ押しに、レグルスとも視線を合わせて訊いてみた。
レグルスも、しぶしぶだけど、頷いてくれた。




