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闇の壁や、精霊たちと、戦わなくちゃならないときもあったけど、レグルスは、パニックを起こしたりもせずに、大人しく、僕の後ろに隠れていてくれた。
小さい子にとっては、恐ろしいことだと思うんだけど。
いや、僕は、小さくなくても、いまだに恐ろしいんだけど。
それでも、レグルスは、落ち着いて僕らの言うことを聞いてくれたから。
それには、僕ら、とても助かった。
僕らはもちろん、全力で、レグルスを守るつもりだったし。
危険な目にもあわせたりしなかった。
二階は、周囲に小部屋がぐるりとあって、中央に、謁見室になっていた大広間がある。
大広間に沿った廊下を歩いて、まずは周囲の小部屋を見て回った。
壁や精霊はちまちま出たけれど。
肝心の怪物とは遭遇しなかった。
やっぱり、三階の一番奥の部屋にいるんだろうか。
大広間は二階の探索の一番最後になった。
両開きの大扉は、なかなか開かなかったけれど。
五人がかりでなんとか押し開く。
扉を開けてびっくり。
そこは、見事な森だった。
昔は舞踏会をやっていたという大広間。
中は、仕切りもなくて、天井も高い。
その広間いっぱいに、立派な森ができていた。
森はまるで、星祭のように、いろんな色の、きれいな光に彩られていた。
そっちにも、こっちにも、ほわり、ほわりと、淡いきれいな光が灯っている。
よく見ると、光る茸や、光る苔、光る花なんかも、たくさん生えていた。
お日様の光は届かなくても。
森は自分の力で光っている。
その美しさに、僕ら全員、思わず息を呑んで、言葉を失った。
ルクスを先頭に、僕らは、ゆっくりと森に足を踏み入れた。
もちろん、最大級に警戒はしていたけれど。
森の中は清浄で、健康な木の匂いに満ちていた。
ずっと、瘴気の中にいて、浅い息しかしてなかったけど。
久しぶりに、胸の奥の奥まで、深く息を吸い込んだ。
見たことのない木ばかりだったけれど、イヤな感じはまったくしなかった。
ここにはお日様の光も届かないし、ふかふかの土もない。
雨だって、降らない。
なのに、森の木々は、固い石の床にしっかりと根を張って、すくすくと育っていた。
いったい、この木は、どうやってこんなに大きくなったのか。
石のお城の中に、こんな立派な森ができるなんて、いったい、どういう仕組みだろう。
はじめ、その理由は皆目見当もつかなくて、ただただ、不思議に思っていたんだけど。
その答えはじきに見つかった。
アニマの木だ。
この森には、アニマの木が、何本も生えていた。
アニマの木は、アマンの地から、たくさんのエエルを吸い上げる。
そして、それを、周囲へと送り込んでいるんだ。
この森には、瘴気をまったく感じなかった。
お城の中は、あんなに瘴気が充満しているというのに。
この広間はお城のほぼ中央にあるのに、ここだけ、ぽっかりと、瘴気が抜けているようだった。
アニマの木に瘴気を浄化する力はない。
むしろ、瘴気に呑まれて、力を吸い取られてしまう。
だけど、ここのアニマの木は、とても元気そうだ。
いったい、何が、ここの瘴気を浄化しているんだろう?
とにかく不思議なことだらけの森を、僕らは恐る恐る進んでいった。
けれど、イヤな感じはなったくないし、むしろ、この森は、居心地がいいと言ってもいい。
少しずつ少しずつ、僕らの警戒は緩んでいった。
そうして、いつの間にか、僕らは大いに油断をしていたんだと思う。
だから、ルクスもアルテミシアも、ほんの一瞬だけだけど、遅れを取ってしまったんだ。
そんな僕らに、突然、一本の蔦が襲い掛かってきた。
蔦は鞭のようにしなり、矢のように真っ直ぐに、僕らの中に飛び込んできた。
蔦にはまるで、意志があるようだった。
蔦の狙いは僕らの中で一番弱いレグルスだった。
蔦は、正確にレグルスのからだに絡みつくと、そのまま宙へと引っ張り上げた。
「レグルスっ!」
僕の悲鳴を聞いて、ルクスは、即座に剣を抜いて、気合と共に、高く跳んだ。
けれど、ルクスの剣は、ほんの髪の毛一筋ほどの差で、蔦には届かなかった。
アルテミシアは、息を吐く暇もないほどに、素早く矢を連射した。
けれども、蔦は、器用にからだをくねらせて、その矢もすべて避けてしまった。
「くそっ。」
それがルクスの声だったのか、アルテミシアの声だったのかは分からない。
もしかしたら、僕だったかもしれない。
とにかく、油断していたことが悔しくて仕方なかった。
この森の美しささえ、僕らを油断させるための罠だったのかと思った。
きーん、と自分の内側で、高い音が鳴った。
なにか、張りつめた力が、ぷつん、と切れそうな気配がした。
そのときだった。
ぶーん、という羽音と共に、ブブが、蔦を目掛けてまっしぐらに飛んで行った。
ブブまで、蔦に捕まってしまう!
僕は、焦って、ブブを呼び戻そうとした。
だけど、僕の声は間に合わない。
ブブはもう、蔦のすぐ近くにいた。
「ブブ!」
悲鳴のような声で、僕は、ブブを呼んだ。
ブブが蔦にむかって手を伸ばすのが見えた。
ブブのその手は、レグルスに絡みついた蔦を、引き千切ろうとしているようだった。
だけど、蔦のほうが、ブブよりもっと速かった。
蔦は、ひょいとブブを避けると、まるで嘲笑うかのように、レグルスをさらに高く持ち上げた。
くそっ!
僕の中で、どくん、となにか、重いものが落ちたような音がした。
ひゅん!
風を切る音に、僕ははっと我に返った。
見ると、ルクスが、蔦の根元を、剣で断ち切っていた。
蔦は、力を失い、レグルスごと、落ちてきた。
ブブは、蔦を掴んで、なんとかそれを止めようとした。
だけど、ブブの力では、蔦とレグルスを支えることは難しかった。
レグルスは、気を失っているのか、ぐったりとしている。
このままじゃ!と焦る僕の目の前で、ルクスがもう一度、宙に跳んだ。
見事にレグルスを受け止めて、ルクスは、器用に地面に着地した。
その周りに、蔦が、ロープのように、ぱさりと落ちた。
「レグルス!」
僕らはルクスに駆け寄った。
レグルスは気を失っていたけれど、どこにも怪我はなさそうだった。
ぷぴ?
ぷぴぴぴ。
そこへ、奇妙な音が聞こえてきて、僕らは、はっと振り返った。
すると、手のひらに乗りそうなくらいの小さな老人がひとり、木の根元に立っていた。




