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食事がすんで、人心地ついた僕らは、厨房の探索はそこそこに、先に進むことにした。
レグルスが、厨房には、怪しい者は何もいない、と教えてくれたからだった。
「みんながいなくなってしまってから、僕、ずっと、ここにひとりでいました。
ここなら、食べるものもあったし。
部屋の外の森も、ここには入ってこなかったから。」
「それは、多分、あれのせいだろうな。」
アルテミシアは、厨房の四隅を指差して言った。
よく見ると、そこには、見慣れない不思議な形の紋章を描いた木の板が、打ち付けてあった。
「あれは、この厨房に、悪いモノ、が入ってこられないようにする紋章だ。
元は、トゥーレの村の結界術の応用だな。」
トゥーレの村の結界術。
確かに、あの村には、外から悪いモノが入ってこられない不思議な魔法がかかっていた。
そのおかげで、荒野に闇の塊が大量に現れたときも、周囲が疑似アマンに覆われてしまったときも、村の中は、安全だったんだ。
「そういうのも、お城に使われてたんだ。」
「匠は、新しい知識を、ありとあらゆる方法で実用化するやつだったからな。
厨房というのは、大勢の人の健康を守る大切な場所だ。
そういう場所に、悪疫等が入り込まないように、してあったんだろう。」
そのお蔭で、レグルスは、怪物から逃げることができたんだ。
「だけど、部屋の外には恐ろしいモノがたくさんいそうだったし。
僕は、ここから出られなくて。
ここにあるものを、盗んで、食べてました…」
ごめんなさい、としょんぼり謝るレグルスの髪を、ルクスは、いつも僕にしてるみたいに、くしゃくしゃにかき回した。
「そんなこと、気にするな。
お前の大事な命を守るためだったんだから。
それを咎めるやつなんか、いないよ。
それに、さっき、アルテミシアも言ってたろ?
ここにあるものは、元々、俺の、だったらしいから。
かまわん、思う存分、食え。」
なら、とアルテミシアは腰を上げた。
「所有者の許可も出たことだし。
あたしたちも、いくらか持って行くとしよう。
肉が食いたいとうるさいやつの口も、これで塞ぐことができる。」
「…お前、その言い方は、ちょっと…」
ルクスは抗議したそうだったけど。
アルテミシアは真剣な目をして、食材の吟味を始めたもんだから。
邪魔しないように、黙っていた。
食材の補給を終えると、僕らはまた、お城の探索に戻ることになった。
「あの。僕も、連れて行ってください。」
そう申し出たレグルスを、ルクスは心配そうに見た。
「外は、危険なのは、確かだ。
ここは安全も確保されてるみたいだし。
いろいろ済んだら迎えに来てやるから。
お前は、ここで、待っていたらどうだ?」
レグルスは、簡単な鎧こそ着ているけれど。
外の怪物たちを相手に、戦うのは無理だと思う。
彼の安全のためには、その方がいいんじゃないか、って、僕も思った。
「僕は、邪魔、ですか?」
レグルスは涙をためた目で、ルクスを見上げた。
その目と目が合ったルクスは、うっ、と息を呑んだ。
「…いや、邪魔なわけじゃないけど…」
「じゃあ、お願いします。
僕、もう、ひとりぼっちは、イヤなんです!」
レグルスはルクスの腕をぎゅっと掴んで訴えた。
ルクスは、困ったように、僕らの顔を見回した。
アルテミシアは、ふむ、と唸ってから、答えた。
「連れて行ったらいいんじゃないか?
ここも、いつまで安全かは分からん。
それに、帰りも無事に迎えに来られる保証もない。」
「い、いざとなったら、ブブの疑似アマンに、入ってもらったらいいよ!」
僕はブブをだっこして、みんなに見せるように差し出した。
ブブは、にこにこして、あい、と頷いた。
「…そうか、ブブ、か。その手があったな。」
ルクスも、納得するみたいに呟いた。
「じゃあ、まあ、いざとなったら、そうするってことで。
けど、大丈夫そうなうちは、俺たちと一緒に行くか。」
やったー!と喜ぶレグルスを、僕らみんな、にこにこして見ていた。
レグルスは、厨房で見つけたランプを持ってきた。
ほんのり明るい光の中に、僕ら、自然とまとまって歩く。
光のあるのは、やっぱり安心できるんだな、って思った。
「お前、この城で何してたんだ?
兵士の見習いかなんかか?」
歩きながら、ルクスはレグルスに尋ねた。
「あ。いいえ。
僕、お父さんと暮らしてたんです。」
「父親と?」
「はい。僕は、お父さんとふたりで、このお城に来ました。」
「そうか。
父親が兵士かなんかだったんだな。
しかし、家族を連れてくるやつってのは、珍しいな。
お前、母親…、あ、いや、なんでもない。」
尋ねかけて、ルクスはやめた。
もし、母親や、他に面倒を見てくれる人がいれば、父親も、こんな幼いレグルスを、わざわざ連れて来たりはしないだろう、ってことに、気付いたんだと思う。
「いい、父ちゃん、なんだな?」
代わりにルクスはそう言った。
けれども、それを聞いたレグルスは、ちょっと黙って、うつむいた。
「なんだ?お前、父ちゃん、好きだろ?」
不思議そうに聞いたルクスに、レグルスは、下をむいたまま答えた。
「好き…なのかな…
お父さんは、とても、立派な人です。
だけど、僕…」
なんだか、様子がおかしい。
僕らはみんな黙って、レグルスの次の言葉をも待った。
「僕、は…お父さんのこと…
好きかどうか、分からない。」
それから、レグルスは、ぽつりと、怖かった、と呟いた。
「怖かった?
躾の厳しい父ちゃんだった、ってことか?」
盗み食いをしてごめんなさい、と謝り続けていたのを、ちょっと思い出した。
レグルスに、父親の話しは、あまりしないほうがいいかな。
多分、僕ら三人、みんなそう思った。
ルクスが、暗く沈んだ雰囲気を変えるように、わざとらしいくらい明るい声で言った。
「そっかそっか。
んで、お前、この城で、何してたんだ?」
レグルスは黙って首を振った。
「僕は…なにも。
ただ、毎日、お部屋に座って、お父さんを待っていました。」
うっ、とルクスは言葉に詰まってから、なんとか言った。
「そうか。
それは、かわいそうにな。
城には、子どもも少ないから、遊び相手もいなかったろう?」
「はい。
けれど、お父さんは、お城の外は危ないから、部屋の中にいなさい、って。」
「確かになあ。
今のこの状況じゃ、子どもが自由に外で遊ぶ、ってわけにもいかないよな。」
あまり日の差さない冷たい石の部屋に、ずっとひとりぼっち。
そんな状況を想像して、僕ら、何を言っていいか分からなくて黙り込んだ。
すると、今度はレグルスのほうから話してくれた。
「だけど、僕、本当はずっと、部屋にいなさい、って言われてたんだけど。
あのころはまだ、お城の中は、こんな森じゃなかったから。
ときどき、こっそり部屋を抜け出して、お城の中を、探検してました。」
「おう!探検か!
そいつはいいよな!」
ルクスは盛大に相槌を打った。
「なんか、面白いもの、あったか?」
けれど、レグルスはそれには、困った顔になった。
「…あんまり…」
ありゃりゃ…
せっかく明るい雰囲気になりそうだったのに、みんなしてまたしょんぼりと、しぼんでしまった。
「見つかったら、叱られるし…
怖そうなおじさんも、いっぱいいたし…」
僕もね、鎧を着た人たちのこと、怖かったから。
その気持ち、分かるよ。
「じゃあ、お前にとって、この城は、つまらなかったな?」
「うん。
僕、お城は、つまらなかった。
お城に来る前のほうが、よかった。」
レグルスは、ルクスの言葉に頷いた。
「お城に来る前は、お父さんも、あんなに怖くなかった。
寒いときは、僕、お父さんにくっついて寝てました。
あったかくて、安心だった。
あのお父さんは、好き、でした。」
ルクスはたまりかねたみたいに、レグルスの髪をちょっと乱暴にかき混ぜた。
そうしたら、レグルスは、ルクスを見上げて、淋しそうに笑った。
「僕、お父さんを、探さなくちゃ。
みんな、大声をあげて、叫びながら、逃げていきました。
だけど、僕、お父さんを探さなくちゃ、って思って。」
悲鳴を上げて逃げ惑う人々の中で、こんなに幼い子が、父親を探して歩いていた。
どうして、誰も、彼のことを助けなかったんだろう。
みんな、自分のことだけで精一杯で、小さな子どもに気付かなかったのかもしれない。
だけど。
レグルスの父親は、どうなったのかな。
無事なら、レグルスのこと、探しに来てもよさそうなものだ。
いやだけど、このお城には、闇の壁やら、闇の精霊やら、危険なものも、いっぱいいるから。
僕らは、みんなして、黙り込んだ。
父親は、レグルスを置き去りにして、自分だけ逃げたのか。
それとも、迎えに来ようにも、来られないような状況になってしまっているのか。
本当のところは、分からない。
だけど、どっちにしても、それを、幼いレグルスに、わざわざ聞かせる必要はない、ってみんな、思ってた。




