58-そういえば、イングリットさんの本、ここにあるか?
異世界図書館の謎めいた司書の隠し寝床は、やっぱりさまざまな形の本でいっぱいの本棚に囲まれていた。片手にすっぽり隠せるくらい小さな本、パッソナが胸に抱えているのよりもさらに巨大な絵本、立方体ブロックのような分厚すぎる書籍、そもそも形が四角くない雑誌。それらが本棚にみっちり収まり、壁となり、テーブルとなり、ベッドになっていた。
ちょい狭めのビジネスホテルくらいの隠し小部屋なくせに、すべて読破するのに何年かかるんだってレベルの蔵書量。さすがは異世界図書館だ。パッソナは本棚でできたベッドにちょこんと座って、やっぱり本が詰まっているサイドテーブルに大事そうに抱いていた大判絵本を置いた。
「座りなよ」
細い手首に巻かれたリボンを揺らして手招き。小柄なパッソナ一人横になればいっぱいになりそうな窮屈なベッドだし、そもそも本棚の一部の本を取り除いてベッドに仕立てているようで、本の上に乗っかるみたいで気が引けてしまう。
「見せたいものがあるんだ。おいでよ」
なかなか誘いに乗らない俺に催促するように自分の隣をぽんぽんと叩くパッソナ。ベッドマットは本棚のくせに柔らかそうだ。
「えーと、お邪魔します」
本に囲まれた窮屈なベッドに座り、カレかカノジョか不明のゴシックロリータな司書と肩を触れ合わせるとなんだか変な気分になってしまいそうだ。
「たぶんだけど、ブラック・カナタくんが君に見せたかった本ってこれだよ」
さっきまでカレ、あるいはカノジョが胸に抱いていた大判な絵本。パッソナはペットの猫を撫でるようにその表紙に愛おしく手のひらを這わせた。
「ブラック・カナタの終わらない冒険、第256巻」
絵本のタイトルは見たこともない象形文字みたいなので書かれていたが、なぜかその文字を見ただけで頭の中で自動翻訳できた。
「って、256巻もあんのかよ」
「まだまだ序の口。ボクが見つけた中では第776巻が最大だよ」
「どれだけ濃厚なバトル人生を送ってるんだよ、あいつは」
「おそらく一千巻近くあるはず。もうばらばらに散らばってるから全巻発見するのに相当時間がかかるよ」
このブラックな絵本は型こそ大きいがページ数は薄めで、どこかアメコミ調で描かれているのでさくっと勢いで読破できそうだ。しかし一千巻ともなると読むだけでどれだけ膨大な時間を要するか。それだけですでに嫌になってきたが、とりあえず絵本を適当にめくってみる。
「ちょうど光の国の住人戦か」
ブラック・カナタが黒マントを翻し、クロスさせた腕から光線を放つライティアンとの熱いバトルシーンが描かれていた。
「異世界間でもトップレベルで強敵な光の国の住人は普通のやり方では倒せないんだって。その本に戦い方のヒントがあるはずだよ」
異形の文字を読み飛ばしてぱらぱらと先をめくる。なるほど、ライティアンは正攻法のファイタータイプらしく、正々堂々真正面から光の速さで戦いを挑んでくるようだ。
ブラック・カナタもそれに応えて限りなく時間停止に近い最速の攻撃で切り返している。超至近距離では光の速さもあまりに時間単位が短過ぎて移動の意味を失っているだろう。たぶん超接近戦を選んだブラック・カナタのバトルは正解だ。
次頁では残像を残してパンチを繰り出すブラック・カナタと光の像を鋭角に歪めて拳を突きつけるライティアンがぶつかり合っている。
やはりライティアンの肉体は光そのものなのか。ブラック・カナタは黒マントがさらに黒く灼けるような傷を負っているが、ライティアンには物理ダメージは通っていないように見える。
相手が光そのものなら、それ相応な戦法を取らなければ。三次元の戦いでは光を捻じ曲げることすら難しい。四次元で時空を操作し、五次元で光の素を断つ戦い方が必要だな。よし、俺の勝ちが見えてきた。
「あれ? ここで終わってるぞ」
絵本は次のページから突然白紙になっていた。
「うん。終わりというよりも、まだ書きかけなんだよ。現在進行形でこの256巻が描かれているんだ」
「今まさに本が書かれてる最中なのか?」
「そうだよ。ブラック・カナタくんと光の国の住人との戦いはまだ決していない。それは君がよく知っているだろ?」
パッソナは俺の手に小さな手を重ねるようにして絵本のページを取って、一枚、また一枚と白紙のページをめくっていく。最後のページまで、ブラック・カナタの本は真っ白のままだ。
「そうだな。ライティアンは俺が倒す。これから俺が倒すから、ブラック・カナタの本は真っ白なんだ」
しかし待て。この展開が256巻だとして、じゃあこの先何百巻とあるブラック・カナタの続きはどうなってんだ?
「で、パッソナが見つけた最長776巻では誰と戦っているんだ?」
俺は心に浮かんだ素直な疑問を聞いてみた。
「まだ見ぬ敵かな。ブラック・カナタの並行した一千もの冒険はまだまだ続きそうだよ」
並行した一千もの冒険。あいつの正体を暴くキーワードになりそうなことを呟いたパッソナ。ブラック・カナタの絵本を閉じて、ベッドに横向きに座り直して俺を見つめる。至近距離から見つめ合っているってのに、フードの奥は真っ暗で相変わらずその顔は拝めない。
異世界の事象すべてが網羅されている異世界図書館。その異常な世界の住人にして司書であるパッソナは俺たち何をどこまで読破しているのか。俺の本は? ブラック・カナタの本が現在進行形で一千巻続いているとして、俺の本は現在何巻まで書かれている? イングリットさんは? 彼女の本は?
その暗闇の素顔に吸い込まれて、もう一つ、聞かなければならない疑問が浮かんだ。
「そういえば、イングリットさんの本、ここにあるか?」
「『夢見る召喚観測士イングリット・アルマヴィヴァ』第2巻だろ? 別の寝床に置いてあるよ。1巻と3巻はまだ未発見だけどね」
「ああ、それだ。あの本って、確かイングリットさんの十代後半から三十歳くらいまで書かれていたんだっけ?」
「そうだよ。君との出会いも、君が何と戦ってきたかも書いてあったよ。君と、どこまで行くか、もね」
パッソナはとっておきの秘密を教えてくれるみたいに小声で囁いた。
「何故だ? 何故、現在22歳のイングリットさんの未来のことが本に書かれているんだ?」
ブラック・カナタの未来は描かれていなかった。現在進行形でのバトルが途中まで描かれているだけだ。しかし何故、イングリットさんの三十歳までの未来のことがその本に書かれている?
パッソナは吐息交じりに囁く。
「彼女は二周目を歩んでいるからね」




