57-誰の人生の本を探しているんだい?
本って奴はデータ読み込みが厄介な外部記憶装置だ。基本的にリード・オンリー・メモリーだし、人によってはランダム・アクセスしまくったりもするが、例えばわずか1ギガのデータの保存にも膨大な物理容量を必要とする化石的なメディアだ。
本屋とか図書館に行くたびにそう思っていた。
それでも化石には化石なりのメリットがあり、大切に保存しておけば一千年の時を経ようが専用の機械も使わずに手軽に情報を引き出せる媒体でもある。奇跡的に3.5インチフロッピーディスクを百年間保管できたとしても、それを読み込むハードウェアが百年後生き残っているかは甚だ疑問だ。
異世界図書館に来ると特にそれを思い知らされる。本はとてつもない時間をかけて膨大な量の情報を後世へ保存しておく記憶装置なんだ、と。ある制作者の偏った思考であったり、ある研究者の搾り出した成果であったり、ある人のありふれた人生であったり。
「誰の人生の本を探しているんだい?」
ブラック・カナタの奴に異世界図書館へ強制転移された俺。ここは異世界図書館世界。数え切れない量の蔵書で構築された図書館こそがこの異世界の全貌であり、その全てを閲覧するなんて不可能な閉鎖された異世界だ。
前も、後ろも、そして頭上までも。果ての見えない書架通路に目眩がして、裏路地のような狭い区画に迷い込み、行く手を阻む壁のようにそそり立つとてつもない数の本棚に囲まれて、俺は途方に暮れていた。
そんな本棚の迷路で迷子になっていた俺に降り注ぐ甲高くて優しげな声。果たして何人存在するのか、この広大な異世界図書館の司書たちの一人、パッソナの耳障りのいい高い声だ。ようやくのおでましか。
「それともただの迷子かな? でも迷うのは悪いことじゃないよ。それだけ選ぶべき選択肢があるってことだ」
声のする方、頭上を見上げる。
「君の場合、どの選択肢を進んでも茨の道って奴かもしれないけどね」
「所詮、血塗られた道さ」
いた。異世界図書館司書パッソナ・パッソア。いったいいつからそこに隠れていたのやら、大きな書架にかけられた梯子階段のかなり上段、大判な書籍が抜き出された空っぽの棚に座り、こちらを見下ろしている。
「進むべき者がそれを道だと言えば、どんな悪路だろうと目的地へと導いてくれるよ」
「できれば歩き易い舗装された歩道を行きたいけどな」
「違いないね。ところで、そうやってずっと上を見続けられたら、ボクはいつまでも降りられないんだけど。どうしようか? 異世界の旅人カナタくん」
パッソナは書架の棚にお人形さんのようにちょこんと腰掛けたまま、ゴシックロリータ調の灰色のスカートをひらひらと摘んで揺らした。相変わらずカレなのかカノジョなのか不明な外見して、黒のニーハイソックスに包まれた細い脚を露わにゆらゆらさせる。
ゴシックロリータ調がよく似合うのはわかったから、下向いててやるからさっさと降りてこい。
謎技術で淡いくせに指向性のある光を放つ不思議ランタンを長く捻れた杖の先端にぶら下げて、ハイヒールでコツコツと木床を叩くパッソナ。その胸にやたら大判で分厚い絵本を軽そうに抱えている。
「カナタくんはかなり順調に進んでるんだってね。とってもブラックなカナタくんが言っていたよ。また別のカナタを送り込むから、優しくしてやってくれって」
ブラック・カナタと面識があるのか。それにしてもブラックの奴、ブローカーか何かのつもりか。人を勝手に異世界へ派遣するなんて。
パッソナは相変わらず外套のフードを深くかぶったまま。不思議ランタンの光にも負けない真っ暗な影となってその素顔を見せてくれない。
「それじゃまるでボクがカナタくんをいじめて楽しんでるみたいじゃないか。なんかひどい言い方だよね」
パッソナはこちらに振り返ってフードの奥でくくっと可愛く笑った。
「ブラックの奴はいつも説明不足だ。何をどこまで知ってんだか、ポンコツの上司みたいにやたら上から目線で一方的に言うから会話も情報交換も成り立たない」
「まったくその通りだね。何気に偉そうだ。でも彼にも彼なりの憂慮があるんだよ、きっと。正解が常に優先されるわけではないし、時にはハズレもまた、最短コースでゴールに続く道かもしれない。道は幾つも枝分かれしてるからね」
「って待て。道は幾つも? ブラックはまた別のカナタを送り込むって言ったんだよな」
パッソナのハイヒールの音が止まる。
「なあ、パッソナ。俺やブラックの奴以外にも、また別のカナタと会って話しているのか?」
ゆっくりと焦らすようにこちらに振り返るパッソナ。彼なのか、彼女なのか、不思議ランタンのほのかな灯りに細いシルエットとなってまっ暗いフードの奥がさらに黒く染まっている。その表情がまったく伺えない分だけ、何か重大な秘密を隠しているような、そんな絶妙な間の沈黙を守っている。
「……うん。君の他にも何人ものタナカ・カナタと出逢っているよ」




