55-今ここで名乗ってしまえよ。
「なんでって……」
重力に囚われて墜落し、炎と光を噴き上げて崩壊する魔王城を背にして口ごもるイングリットさん。
「わかんないよ、そんなの。あたしはその歌を知っている。知っているから歌える。それだけだ」
魔王城が溢れ出る光に包まれた。逆光でイングリットさんの表情が影に埋もれて読めなくなる。
「見知らぬ異世界の歌を歌える召喚観測士の娘よ。ならば聞こう。ワタシは異世界アストラル体なのだが、普通の人間には感知することができない概念なのだ。おまえには、何故、このワタシの姿が見えるのだ?」
ムンクの叫び顔してシリアスに決めて、The Dがイングリットさんに詰め寄る。
「知らないよ、そんなの。あたしがわかるわけないじゃないか」
イングリットさん、君は何者なんだ?
そう言いかけて、俺はぎりぎりのところでその言葉を飲み込んだ。今、これだけは言ってはいけない台詞だと思った。
この言葉を口に出せば、イングリットさんが俺の知っているイングリットさんではなくなる。何もかもが根底からひっくり返って、もう後戻りできないところまで転がり落ちてしまう気がする。
「あたしは……」
魔王城を包み込む光がその質を変えた。周囲に落とされる薄暗い影の中で、イングリットさんの瞳だけが光っているように見える。
「カナタにここにいて欲しいって思ってるだけだ」
この言葉は彼女の嘘偽りない本心か。
それを確かめるためのほんの少しの時間さえ、俺には与えられなかった。
彼女の背後に眩しい光が迫ってくる。ああ、もう。あと少しでイングリットさんの核心に触れられるってとこまで来てるのに。邪魔をするなよ、光の国の住人。
強過ぎる光が魔王城の残骸を引き裂き突き破った。光の国の住人が放つ光が眩しいくらいに見えるってことは、光の速さで動ける奴はもうすでに目の前にいるも同然だ。こちらも時間を超越した速さで応戦するしかない。
時を限りなく静止に近い状態にさせて、俺はぐるり回り込むようにしてイングリットさんとThe Dよりもさらに一歩前に踏み出した。さまざまなエネルギーを転換蓄積できるスチームバンカーを装備した左腕一本で奴の光属性攻撃を受け止めてやる。
完全に墜ちた魔王城から一直線に俺の左腕まで光のラインが結ばれる。それはまるで世界がバグったような光景だ。白く直線的にグラフィックが抜け落ちたみたいにそのエリアだけ何も見えなくなり、やがてそれは収縮してヒトのカタチになる。とても滑らかで、力強い光を解き放ちながら。
「光を捕らえるなんて、奇妙な感覚だな」
そのヒトのカタチは俺に強力なパンチを繰り出すファイティングポーズに収束した。スチームバンカーできっちりガード。そのパワーをエネルギーに転換して溜めさせてもらうが、余りある力強さに身体が押されて蹴爪ブーツが地面にめり込んでしまう。それでも俺の腕は光を掴むことができたようだ。暖かく、弾力のある触感がある光の塊。
その光の攻撃が眩しくて、俺の背後に空間がえぐれるほどの真っ黒い影が生じた。
ヒトのカタチをしたそれは俺の背丈の二倍はある巨躯をすっと伸ばして直立不動の姿勢を取った。しなやかな筋肉を感じ取れるシルエットをしていて、太い血管のような赤と青が二重螺旋を描いて身体の表面を輪郭付けている。眩し過ぎず蠢くように発光するボディに、その顔の部分にだけ二つの真っ黒い丸が刻み込んであった。目だ。俺をじいっと見つめている。
「俺が勇者カナタだが、何か用か?」
たとえ光そのものとの戦闘になろうとも、こいつに圧倒的に勝つことを前提に決め台詞を叩き込んでやる。
「これは失礼をした。挨拶が遅れたな」
意外にも、といった印象はなかった。至極当然のように光の国の住人は紳士的な返事をしてくれた。
「私は光る世界から喚び出されたとある固有の意識体だ。残念ながら名乗るべき名前はない」
顔に相当する位置にある二つの黒点が彼が言葉を喋るタイミングに合わせて細かく明滅する。まるで通信インジケータランプみたいだ。
「そうか。じゃあ、ちょうどいい。今ここで名乗ってしまえよ」
「……それはいいアイディアだ。そうしよう。私はライティアン。誰よりも眩く光りたいと願う固有意識だ」
「おう、だったら、誰よりも強くありたいと思う俺とは戦う運命にあるようだな。よろしくな」
「今ここで出逢ったばかりだが、そのようだな」
ライティアンと名乗った固有意識体とやらは瞬く黒点二つしか表情っぽいものはないが、にっこりと微笑んでいるように見えた。
「そちらにいるのは、かつて仲間と呼ばせてもらったディムィトゥル・ペルツォーフカではないか。どうだろう、この戦いの見届け人になってはくれないか?」
不意に名前を呼ばれてThe Dの奴は心底驚いたようだ。裏返った声でかしこまって答える。
「あ、ああ。わかった。しっかりと、見届けさせてもらう」
そしてライティアンはイングリットさんに向き直る。
「あなたがイングリット・アルマヴィヴァか。会えて光栄だ」
彼女は気丈にも怯えもせずに真正面からそれを受け止めていた。
って、ちょっと待て。なんで登場したばかりのライティアンがイングリットさんを知ってるんだよ。しかもフルネームで呼ぶなんて。
「さて、私はどちらの勇者カナタと戦えばいいのだ?」
「そうだな。まずは俺からお相手を願おうか」
ライティアンは俺を通り越して向こう側に声をかけ、そして俺の背後からもう一人の俺の声がした。もう一人の俺? 振り返ると、そこには確かにもう一人の俺、カナタ・ブラックが立っていた。
さっきのライティアンの攻撃でやけにくっきりとした影が見えたが、それはおまえだったか、カナタ・ブラック。
「俺も勇者カナタだが、何か用か?」
カナタ・ブラックは大きく一歩前に進み出て、胸を張って決め台詞を言った。




