9話 霞む景色
「智也、あれ!」
昇降口で靴を履き替えていた俺は先に上がっていた聖羅の声に振り返る。
聖羅の指差す先には、階段の下で男子生徒三人に絡まれている紺野がいた。
「あいつら……」
紺野といるのは、一年三組で紙を投げつけていた三人だ。なにが楽しいのか、紺野を囲んで馬鹿みたいに笑っている。
「……どうしよう」
優乃が困ったように眉を寄せた。
こいつ、争いごとは苦手だからな。
「大丈夫だ。ほっとくわけないだろ」
紺野はようやく前を向き始めたんだ。それをあんな奴らに邪魔される訳にはいかない。
「聖羅、優乃、行くぞ」
「おっ! あいつらやっちゃうんだな。付き合うぞ智也」
聖羅はシュッシュっと、なぜかシャドーボクシングを始めた。
なにも分かってないぞこいつ!?
「手は出すなよ。仮にも生徒会長だろ」
「う、うむ。わかっている……」
ほんとかよ……。
そして優乃は俺の制服の袖を引っ張りながら、不安そうに目尻を下げていた。
「喧嘩は絶対ダメだよ」
「心配するな。喧嘩なんかしない。優乃は俺と聖羅の後ろにいろ」
「うん……」
俺たちは朝の登校で生徒達が多く往来する中、ゆっくりと歩を進めた。
◇ ◇ ◇
僕――紺野和樹はいわゆる陰キャである。教室では目立たないし、いつも自前のノートパソコンばかりいじっている。
昔っからリアルなコミュニケーションが苦手で、話し相手といえば、もっぱらゲームの中のキャラクターや、AIだった。
寂しくない、寂しくないと心の中で言い聞かせ続けて、ストレスを発散するために、ネットの掲示板や学校の裏サイトに悪口を投稿し続けた。
そんな僕でもPCスキルだけは磨き続けた。将来とか……僕にはこれしかなかったからだ。
蒼高に入って、なにかが変わるかと思ったけど、結局なにも変わらなかった。
当たり前だ。目標があるわけでもなく、ただひたすら誰かが僕の前に現れて話しかけてくれる。
そんな受け身な考え方で、なにかが変わることはずなんかないのに。
そんなクラスの隅にいるような僕に絡んでくるのは、クラスの中でもイカれた連中だ。
「おい、気持ち悪いぞパソオタ」
「パソコンばっかりいじってる無能だな」
次第に、丸めたプリントが僕や机に当たるようになった。
本当は無茶苦茶、腹が立った。
人を馬鹿にして、言葉の暴力でぶん殴ってくるアホの相手は、死ぬほど嫌いだ。
こいつらは僕のなにが気に入らないんだ。
なぜ僕はゴミを投げられるんだ。
僕は……やっぱり、『ゴミ』なんだろうか――。
そんなことを思い始めていたとき、生徒会長選挙で金城聖羅先輩を初めて見た。
登壇した金城先輩は、僕みたいに燻んだ色とは違って、鮮やかな色彩をそのまま光に変えたみたいに輝いていた。
先輩はなんの迷いも躊躇もなく、こう演説した。
「誰だって頑張ってるのに、うまくいかないときがある。
誰だって本当は、もう少しだけ前を向きたいと思ってる。
だから私は、そんな人が一歩踏み出せる学校にしたい!
一緒に笑って、悩んで、前に進もう。
困ったときは私を頼ってくれ。必ずみんなの力になる!」
金城先輩の言葉は僕の心に深く突き刺さった。
「僕も……踏み出したい……」
――この人に会長になって欲しい。
僕は迷わず『金城聖羅』に投票した。
そしたら、生徒会の使いを名乗る黒瀬先輩が僕の前に現れた。
黒瀬先輩はどっからどう見ても、僕なんかと関わらないような人種だ。いかにもカーストトップの自信のある雰囲気に、頭が回る言葉遣い。
きっと女の子にもモテるのだろう。
彼は僕を教室から連れ出して、まっすぐに僕の目を見る。
「――紺野の力が必要なんだ」
濁りのない目で……あのファミレスで……踏ん切りがつかなかった僕を、先輩は導いてくれた。
「――今、そのときだぞ」
僕は生徒会の力になりたくなった。
そうしたらなにかが変わると思えたんだ。
生徒会室を訪れると、僕は驚いた。
美男美女揃いの生徒会の人達は、陰キャの僕にも優しいし、馬鹿になんかしない。
みんなが僕の力を認めてくれて、生徒会に誘ってくれた。
こんなに嬉しいことなんかない。
僕の居場所はここなんだって、思ってしまったんだ。
分不相応なのはわかってる。
でも、あんなに楽しい時間を僕は他に知らなかった。
それなのに……僕はまた……目の前の光景に絶望してしまう。
「ぶはっ! なんだよ、その髪型」
「オタクが調子乗ってんなー」
「パソコンいじってるだけの無能のくせに、生意気だ」
イカれた連中は今日も目の前に現れる。
それだけのことなのに、こいつらの前では、僕は陰キャでオタクでゴミだ。視界がどんどん真っ暗になっていくのがわかる。
「なぁ紺野、お前最近、生徒会室に入り浸ってんだろ?」
クズの一人が馴れ馴れしく肩を組んでくる。
「……うん。仕事の手伝いで呼ばれてたんだ」
僕がなにを言っても、クズ達の言葉の暴力は止まらない。
「無能のお前になにができんだよ」
「生徒会の先輩達に遊ばれてんだよ。陰キャ改造計画とかでさ」
――やめろ。先輩達はそんな人じゃない。
「てか、お前、会長と副会長の連絡先知らね? あの人達、すっげー可愛いじゃん? 俺も仲良くなりたいなー」
「頼んだらヤらせてくれそうじゃね? 特にあの巨乳の先輩とかさ」
「ギャハハ。尻軽そうだもんな」
――やめろ。
――やめろ。
お前らみたいなクソ虫が会長と副会長を馬鹿にするな。
その人達は僕みたいな奴にも優しくしてくれた。
僕の名前を呼んでくれた。
僕を必要だと言ってくれたんだ!
「……いいかげんにしろよ」
僕の口から小さな反抗が勝手に出ていった。
「あ?」
しまった……と、思ったのは一瞬だけ。
それでも、言わないと僕は自分が許せない。
「お前らみたいな他人を蔑むような連中が、あの人達の事を軽々しく語るな!」
「なんだお前? 口答えするとか、いい度胸してんな?」
「うるさい! 生徒会の先輩達は優しくて、とてもかっこいい人達だ。お前らみたいなクズの相手なんかする訳ないんだよ!」
言ってしまった。
胸がドクドクと鳴ってうるさい。
殴られるかもしれない。
でも――後悔なんかしていない。
「夢見過ぎなんだよ陰キャが!!」
僕の腕が掴まれた、まさにそのときだった。
「――そんなことないぞ」
聞き覚えのあるよく通る声に、僕の視界に色が戻る。
よく見ると、昇降口の方から三人の人影が近づいてきていた。
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