32話 会長
名前を呼ぶと、そこにいた人物が振り返った。
「……黒瀬先輩」
弱々しく掠れた、細い声。
自信なさげに垂れた眉。
記憶よりも少しだけ大人びた顔立ち。
「どうして水森がここにいるんだ……」
呆気に取られていると、聖羅が肩をポンと叩いた。
「私が連れてきたんだ。どうしても智也に会わせたくて」
「どういうことなんだ……意味がわからない」
「智也、二人で水森の家に行ったことを覚えているか?」
「ああ。でも会えなかった」
インターホンの音。
返ってこない返事。
閉ざされたままの扉。
胸に、鈍い痛みが走る。
「私は、あの後も何度も通っていたんだ」
「っ……!」
知らなかった。
「どうして、そこまでしたんだ……お前は関係ないじゃないか」
「関係なくはないだろ。副会長だったんだし……それに私は、その……ポンコツだから……こんなことしかできなかったんだ」
聖羅は、少しだけ視線を落としてから続けた。
「水森に、また学校に来て欲しかった。また一緒に生徒会をやりたかった。私たちが卒業してからになってしまったが……ようやく、話を聞いてくれるようになったんだ」
水森は黙っている。
ただ、指先がかすかに震えていた。
「水森はずっと智也に言いたかったことがあるそうだ。聞いてやってくれないか?」
俺はゆっくりと聖羅から視線を外し、水森を見る。
逃げるように逸らされかけた視線が、ぎこちなく戻ってくる。
一歩ずつ、止まっていた時間を踏み出すみたいに、距離を詰めた。
目の前に立つ。
それだけで、心臓が嫌になるくらい鳴っていた。
罵倒されてもいい。
責められてもいい。
――それくらいは、受け取るべきだ。
「ほら、水森。智也に言いたいことがあるんだろ?」
聖羅の声に背中を押されるように、水森が小さく息を吸った。
「黒瀬先輩……あの……」
懐かしい、小鳥がさえずるような綺麗な声だ。
俺はそれをただ呆然と聞いていた。
「あの文化祭のとき……私は逃げてしまいました」
「えっ……」
「黒瀬先輩が私のミスを庇ってくれたのに……それなのに私は逃げてしまいました」
「いや、水森……あれは……」
俺が悪い――と言おうとしたのだが、聖羅に止められた。
「智也、聞いてやって欲しい」
「黒瀬先輩みたいに、金城先輩みたいになりたくて、私でも一人で出来るんだって証明したかったんです」
拳をギュッと握りながら水森は続けた。
「でも、私が未熟なばっかりに、結局みんなに迷惑かけてしまって……黒瀬先輩に庇ってもらったら、もう申し訳なくて……」
「うん」
「先輩に合わせる顔がなくて、学校に行けませんでした」
「うん」
吐き出すように、苦しむように、あのときの事を教えてくれる水森は見ていて辛かった。
「黒瀬先輩と金城先輩が家に来てくれたのも、わかっていました。でも……どうしても会えなくて……」
そう言った水森の瞳には涙がいっぱい、既にあふれていた。
「それでも、金城先輩が通ってくれて……黒瀬先輩のことを聞いたら、どうしても直接謝りたくて……今日は来ました」
顔を上げた水森は、なにかを覚悟したように俺を見ると、深々と頭を下げた。
「黒瀬先輩、あのときは庇ってくれてありがとうございました。そして……すいませんでした!」
水森はずっと頭を下げていた。そんなことをする必要なんかないのに、いかにも彼女らしい姿に俺はさらに一歩進んだ。
「水森が頑張っていたのは、俺も聖羅もよく知ってる」
「――っ!」
水森の身体がビクッと跳ねる。
なにか言われることも、俺と一緒で怖いのだろう。
「俺も悪かったんだ。水森を見てやる余裕がなかった。支えなくちゃいけないのに、俺は自分に余裕がなくて、水森を傷つけてしまったんだ」
ずっと言いたかった。
直接、本気で、この言葉を。
「すまなかった」
俺も頭を下げた。
心を込めて、まっすぐに――。
お互いに少し気まずくなるくらい静かだ。
でも、そんな空気を変えたのは我らが生徒会長だった。
「よし! お互い『ごめんなさい』したな! これでこの話は、終わりだ」
「でも……金城先輩……」
水森が慌てて顔を上げる。
俺も続いた。
「聖羅……だけど……」
「二人とも考え過ぎなんだ! これからは前を向いていけるだろ!」
俺と水森は顔を見合わせてクスクス笑った。
「なんですか金城先輩」
「ほんとにな。聖羅、お前おかしいぞ」
聖羅は不服そうに唇を尖らせる。
「なにがだ!? 私は一生懸命、今日のために――」
俺は聖羅の肩をポンと叩いた。
「ありがとな」
「ふ、ふん!!」
聖羅は怒っていたけど、こいつがなぜ生徒会長になったのか、なぜ文化祭をこんなに頑張っていたのか、全てわかった。
――俺と水森のため、だったんだな。
「あの……黒瀬先輩」
「ん?」
「私、清峰学園で、生徒会やってるんです」
清峰学園といえば、ここいらでも有名なお嬢様学校だ。
水森はそこに進学したのか。
「すごいな。水森はそこでも頑張ってるんだな」
「はい! いつか二人みたいに立派な生徒会長になるのが目標です」
そう言った水森は今度こそ満面の笑みを浮かべていた。
水森が頑張ってるなら、俺も負けてはいられない。
「そうか。じゃあ俺も頑張るよ。庶務だけどな」
「えぇ!? 黒瀬先輩が庶務」
水森は信じられないくらい大きな瞳を向けて聖羅を凝視する。まぁ、中学のときの俺からは想像できないらしい。
「ほ、本人の希望だ……」
聖羅は吹けない口笛の真似をしながら腕を組んでいた。
俺がそこに口を割る。
「役職はなんでもいいんだ。この会長をフォローできるのは俺くらいだからな」
「ふふ、そうですね」
「ひどいぞ二人とも!」
俺たち三人は、またケラケラと笑った。
あの文化祭の日に置いてきたかけがいのない時間を、聖羅は全部俺に返してくれた。
――ありがとう聖羅。
これからは俺が支えるよ。




