27話 隣に立つ
「失礼します」
私は扉を開けた。
職員室の中には、すでに先生たちが揃っていた。
中央の長机を囲むように、担任、学年主任、各担当教員。そして、奥の席には鷲尾教頭となぜか神崎先生が爽やかに笑って小さく手を振っていた。
「生徒会の皆さんですね。どうぞ」
入口にいた先生に促され、私は先頭で入る。
後ろから、優乃、紺野、千景。
優乃と千景は先生たちに資料配り、紺野は手早くノートパソコンを接続し、スクリーンに最初のスライドが映し出された。
生徒会提出資料――文化祭開催に向けた修正計画案。
そのタイトルが映った瞬間に、ぐっと全身に力が入る。
この資料も。あの資料も。ここまで持ってくるために、みんなが、どれだけ動いてくれたか。
そして――。
安全対策のページだけは、智也が何度も私と確認してくれた。
『ここは絶対に突っ込まれる。だから、曖昧にするな』
『先生たちが知りたいのは、事故が起きるかどうかじゃない。起きてしまった時、誰がどう動くかだ』
何度も言われた。
何度も練習した。
「では、金城さん。説明をお願いします」
鷲尾教頭の声で、意識が引き戻される。
「……はい」
私はスクリーンの前に立つ。
足が震えそうになるのを、なんとか抑え込んだ。
大丈夫だ。練習した通りにやればいい。
――最初に結論を言え。
――数字は先に出した方が、先生は安心する。
――突っ込まれそうなところは、自分から先に言っとけ。
頭の中に、智也の声が響く。
来ていないのに。
ここにいないのに。
まるで、隣で見ていてくれてるようだ。
「本日は、文化祭開催に向けた修正計画について、ご説明させていただきます」
声は、思ったより震えていなかった。
「まず結論から申し上げます。現時点でご指摘いただいていた予算、出店配置、進行管理、安全対策については、すべて再調整案を作成済みです」
スクリーンが切り替わる。
紺野の操作は、完璧だ。
私が少し目線を送るだけで、次の資料がすぐに出る。
「予算面については、各クラスの装飾費上限を見直し、共通備品を一括管理に変更することで、当初不足していた分を補填しました」
数字を示す。
先生たちの視線が手元の資料に落ちる。
「また、模擬店の配置については、混雑緩和と導線確保のために再編成しています。こちらが修正版の配置図です」
次のスライドに切り替わる。
智也が調整して、何度も教えてくれた“意味のある配置”。
「ステージ発表についても、準備遅延が発生していた団体には生徒会から個別確認を行い、リハーサル時間を再配分しました」
練習通り。大丈夫だ。ちゃんと、言えてる。
怖くない……と言えば嘘になる。
でも、言えてる。
私はちゃんと、やれてる。
「――以上が生徒会としての修正案となります」
最後まで説明できた。
「これより質疑を受け付けます」
優乃がそう言って、室内の空気が少し変わった気がした。
先生たちが資料やパンフレットを確認しながらパラパラと紙をめくる音が響いた。
「金城さん」
三年の学年主任が、手を挙げた。
「ここまではわかりました。ただ、安全対策については、まだ不十分に見えます」
心臓が、だんだんと大きくなっているのがわかる。
「特に火気使用教室の監督体制です。模擬店ごとに責任者は記載されていますが、非常時に誰が最終判断をするのか、少し曖昧ではありませんか?」
「……っ」
大丈夫。ここは、練習した。
ここは、一番やった。
私は安全対策のページをめくる。
指先が、少しだけ震えた。
「そ、それについては、各教室に担当教員を――」
「それだけでは足りません」
別の先生が口を挟む。
「混雑時の誘導責任者は? 雨天時の代替導線は? 緊急時の第一報は、誰がどこに入れるのですか?」
矢継ぎ早の質問に少し面をくらってしまう。
正論だ。全部、正しい。
そして――全部、智也と確認したところだ。
『火気使用は絶対聞かれる』
『混雑時の責任者も、雨天導線も、第一報ルートもセットで考えろ』
頭の中に、昨日までのやり取りが鮮明に蘇る。
並んで座って、資料を広げて。
私が噛んだら、呆れた顔でため息をつきながら、それでも何度でも付き合ってくれた。
『ここはこう言い換えろ』
『その説明じゃ伝わらない』
『……ほら、もう一回だ』
なのに。
私は、その智也に。
『迷惑だったんだな』
あんなことを、言った。
違う。
本当は違うって、わかってたのに。
智也がそんな風に思ってないのはわかっていたのに。
自分が不安で、怖くて、余裕がなくて。
八つ当たりみたいに……。最低だ。
「金城さん?」
先生の声が、遠い。
「……ち、違います」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
違う? 何が?
先生たちは、正しい。
「そこは……あの、ちゃんと準備してて……」
……こんなの、説明じゃない。
ただの感情だ。
資料を持つ手が震える。
ページがうまくめくれない。
喉が締まって、次の言葉が出てこない。
「聖羅ちゃん……」
小さく、優乃の声が聞こえた。
私は今なにを答えるんだった?
頭の中が――真っ白だ。
責任者の配置も。巡回ルートも。
緊急連絡の優先順位も。
全部、言えるはずなのに。
なのに、喉のところで、全部がつかえて出てこない。
どうしよう――私の……私のせいで文化祭が……みんなの頑張りが……。
そう思った、その瞬間。
「――失礼します」
聞き慣れた声が、職員室の入り口から聞こえた。
反射みたいに、私は顔を上げた。
開いた扉の前に立っていたのは――
「智也……」
どうして……そう思ったのは、一瞬だけ。
次の瞬間には、もうわかってしまった。
……違う。今、来たんじゃない。
このタイミングでたまたま入ってこられるわけがない。
私がどこまで話して、どこで詰まって、何を言えなくなったのか。
全部、聞いていたんだ。
扉一枚向こうで、ずっと。
私が、自分で立てるところまでは、手を出さずにいたんだ。
でも、本当に駄目になりそうなところだけは、絶対に見捨てない。
――ああ。
そうだった。
昔から、智也はずっと、そういうやつだった。
校庭の隅で、泣きながらステップを踏めなかった私に。
『じゃあ、俺は見てるだけにする』
そう言って。
自分でさせようとしてくれた。
本当に、見ているだけだったくせに。
私が転びそうになった瞬間だけ、ちゃんと支えてくれた。
今も……支えてくれるために来てくれたんだ。
「すいません。庶務の黒瀬です。トイレ掃除で遅れました。なかなか汚れが頑固で落ちなくて」
軽口を叩きながら入室してきた智也は、私の隣に立った。
――最初から、ずっと隣にいてくれたんだ。
「その件については、僕から補足させてください」
その横顔は中学のとき、私が尊敬していた生徒会長のときの智也だった。
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