26話 自慢の幼馴染
私――金城聖羅は勉強もできなくて、運動神経も悪くて、なにをやってもみんなから笑われるような小学生だった。
「聖羅、下手っぴ」
「なんか動き面白いよね」
クラスのみんなから指をさされて、馬鹿にされる毎日に、私はうんざりとしていたが、仲間はずれにされるのが怖くて、へらへらと薄ら笑いを浮かべているような気弱な女の子だった。
あれは運動会で披露するダンスを練習していたときだった……。
その日も私は、みんなから「変なの」とか「ちゃんとやってよ」とか、きつい言葉を浴びせられていた。
一生懸命やっているのに……なんで私はみんなから馬鹿にされなければならないのだろう。
そんな事を考えて、みんなが帰った放課後に一人で校庭の隅っこで練習していた。
「ぐすっ……ぐすっ……できない」
何回やっても、どれだけ一生懸命やっても、一向に上手くならない私はついに泣き出してしまった。
流れる涙が、悔しくて、悔しくて、いつまでも止まらなかった。
「聖羅、力入りすぎ」
「智也……」
いつから見ていたのか、いつの間にか智也が私の隣でしゃがみ込んでいた。
智也は私と違って、なんでも出来るクラスの人気者。
勉強だって、かけっこだって、なんでも一番。
おまけに優しくて、仲間はずれは許さなかったし、かっこいい。
女の子はみんな智也のことが好きだった。
「ほら、教えてあげるから一緒にやろ」
「いらない! 私は自分の力でなんとかしたいの!」
泣きながら叫ぶ私に、智也は少しだけ目を丸くした。
でも、困ったように笑うでもなく、呆れるでもなく、ただ「そっか」と一言だけ返した。
「じゃあ、俺は見てるだけにする」
「……え?」
「聖羅が自分でやるんだろ? だったら、俺はやり方だけ言う」
そう言って、智也は私の少し前に立った。
「まず、肩に力入りすぎ。もっと楽にして」
「で、でも……」
「いいから。ほら、いったん深呼吸」
言われるままに、私は小さく息を吸って、吐いた。
それだけで、さっきまでガチガチだった体が、少しだけ軽くなった気がした。
「次、足。動かそうとしすぎ。順番にやればいいんだよ」
「順番……?」
「うん。いきなり全部やろうとするから、わかんなくなるんだ」
智也はそう言って、ひとつひとつの動きをゆっくり見せてくれた。
右手を上げて、左足を出して、体をひねって、最後に一歩。
それだけ。
たったそれだけのことなのに、智也がやると、なんだかすごく簡単そうに見えた。
「ほら。今度は聖羅」
「……う、うん」
私は涙を拭って、ぎこちなく同じ動きを真似する。
最初はやっぱり上手くいかなかった。
手と足がこんがらがって、変な向きに体が傾いて、危うく転びそうにもなった。
それでも。
「今の、最初よりずっといい」
「……ほんと?」
「うん。ちゃんとできてる。だから、次はここだけ直せばいいよ」
智也は笑わなかった。
みんなみたいに、面白がったりもしなかった。
できない私を見ても、当たり前みたいに「次はここ」と言ってくれた。
それだけなのに、どうしようもなく嬉しかった。
「もう一回」
「うん」
「……もう一回!」
「うん」
夕焼けで赤く染まる校庭の隅っこで、私は何度も何度も同じ動きを繰り返した。
転びそうになっても、間違えても、智也はそのたびに、
「今のは惜しい」
「次はいける」
「ほら、さっきよりできてる」
そう言ってくれた。
そして――
「……できた」
最後の動きまで、止まらずに踊りきれたとき。
私は自分でも信じられなくて、ぽかんと立ち尽くしてしまった。
「な? できるじゃん」
得意気でもなく、偉そうでもなく。
まるで最初からわかっていたみたいに、智也はそう言った。
悔しくて泣いていたはずなのに。
気づけば、さっきとは違う涙がまた溢れていた。
「な、なんでまた泣くんだよ」
「だ、だって……っ」
言葉にならなかった。
嬉しい、とか。
悔しい、とか。
ありがとう、とか。
そんなありきたりな言葉じゃ、全然足りなかった。
ただ、ひとつだけはっきりわかった。
このときからだ。
私の世界の中心に、黒瀬智也という男の子が立ったのは。
中学に上がる頃には、私はすっかり智也に依存していたと思う。
出来ないことは智也に頼めばいい。
智也がなんとかしてくれる。
智也なら絶対助けてくれる。
そんなふうに、本気で信じていた。
――そして実際、智也はなんでもできた。
勉強も、運動も、先生とのやり取りも。
面倒な雑務も、揉め事の仲裁も、誰かのフォローも。
中学で智也が生徒会長になったとき、私は少しも驚かなかった。
当然だと思ったからだ。
あの人は、誰よりも人のために動けて。
誰よりも周りを見ていて。
誰よりも、みんなを引っ張れる人だったから。
そんな智也は、私を副会長として選んでくれた。
「聖羅、一緒に生徒会に立候補しないか? お前となら、楽しくやれる気がするんだ」
私は嬉しかった。智也が私を選んでくれた。
私は智也にとって特別な存在なんだって思えたから。
中学の生徒会はすごかった。
行事の段取りは完璧で、先生たちからの信頼も厚くて、生徒たちからの評判だって良かった。
体育祭も、合唱祭も。
「今年の生徒会はすごい」と、みんなが口をそろえていた。
私は、そんな智也を副会長として隣から見ているのが、好きだった。
私の幼馴染はすごいんだ。智也はこんなにもすごいんだ! って……。
……たぶん、このときには既に、それ以上の気持ちになっていたと思う。
でも、その頃の私は、ひとつだけ気づいていなかった。
智也が“できる”のは、
全部を一人で抱え込んでしまうからだということに。
誰かが失敗しそうなら先回りして手を打つ。
誰かが困っていたら、自分の仕事を後回しにしてでも助ける。誰かがサボれば、その穴を黙って埋める。
みんなはそれを「頼れる」「すごい」と言った。
……私も、そう思っていた。
だけど、あの日。
たった一度の、ほんの少しのすれ違いで。
智也は、後輩を泣かせてしまった。
いつもみたいに冷静で、正しくて、
誰よりも相手のことを考えていたはずなのに。
気づけば、追い詰められていたのは、智也のほうだった。
積み重なった疲れ。
誰にも頼れない責任。
失敗を許されない空気。
智也は全部を抱え込もうとしただけなのに。
その結果、水森は学校から姿を消した。
智也は、それ以来、変わってしまった。
「俺がやれば早い」って顔で動いていた人が、
「別に俺じゃなくていい」って顔をするようになった。
前に出れば、また誰かを傷つけるかもしれない。
力を見せれば、また全部押しつけられるかもしれない。
そんなふうに、自分を閉じ込めるようになった。
……私は、それが悔しかった。
あの日、校庭の隅っこで泣いていた私に、智也は
「できる」と言ってくれた。
できない私を笑わず、置いていかず、ちゃんと隣で、前を向かせてくれた。
なのに、そんな智也が、自分のことだけは信じられなくなってしまった。
それが、悔しくて。悲しくて。許せなかった。
だから私は決めたのだ。
今度は、私が智也の隣に立つと。
助けられるだけの幼馴染じゃなく。
守られるだけの女の子じゃなく。
智也が一人で背負わなくて済むように、
同じ景色を見られる人になると。
……だから、パンフレットに智也の名前を載せた。
私は、智也に隠れたままでいてほしくなかった。
あの人は、胸を張っていい人だと。
誰よりも誇れる人だと。
私が、学校に……世界に言いたかった。
でも、私はきっと智也を助けたいと言いながら、どこかで、昔の自分のまま、“智也ならわかってくれる”と甘えていた。
智也の痛みを、ちゃんと見ないまま。
――大丈夫。
肩の力を抜いて。
順番に。
ひとつずつ。
――そうやって、教えてもらったのだから。
あの日。
泣いてばかりだった私に、智也は言ったのだ。
『聖羅が自分でやるんだろ?』
だったら今日くらいは、私が一人で立たなければならない。
いよいよ……職員会議である。
私は生徒会のメンバーを引き連れ、職員室の扉の前に立っていた。
隣を見ると、優乃が、紺野が、千景が、目を閉じながら深く息を吸っていた。緊張しているのだろう。
私もそれに倣うとする。
だが、弱いところは見せられない。
「みんな、ここまで支えてくれてありがとう」
「聖羅ちゃん……絶対うまくいくよ」
「金城先輩。やってやりましょう」
「聖羅姉、頑張って」
三人がそれぞれ励ましてくれる。
私は本当にいい仲間達と出会った。
でも――引き合わせてくれた智也は、ここにはいない。
本当は隣にいて欲しかった。
だめだ。私は会長だ。この蒼山高校の生徒会長なんだ。
生徒のためにも、助けてくれた三人の生徒会メンバーのためにも……智也のためにも……必ず文化祭を勝ち取ってみせる。
私は職員室の扉に手をかける。
とにかく集中しないと……。
やれる。やれる。やれる。
あんなに練習したんだ。絶対にやれる。
毎日、智也と……みんなと……あんなに頑張ったんだ。
――この職員会議が終わったら智也に会いに行こう。
「やったぞ!」って報告してやるんだ。
そして、目を真っ赤にさせて私は謝るんだろうな……。
心の中で呟いた。
『ごめん、智也。今日こそはちゃんとやってみせるから――』
「よし! 行こう!」
私は職員室の扉をゆっくり開けた。
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