24話 黒瀬会長
「一回だけ、生徒会長をやったことがある」
優乃も、紺野も、千景も、何も言わない。
俺が話すのを待っている。心配そうに俺を見ながら、そっと耳を傾けていた。
「そのとき……後輩を、一人潰してしまったんだ」
「……え」
三人の声が、かすかに漏れる。
俺は視線を上げないまま、淡々と続けた。
「水森陽花。一つ後輩の書記だった」
名前を口にした瞬間、まるであの日の光景がフラッシュバックする。あれから二年も経つとうのに、決して薄れることのない記憶。
「真面目で、責任感が強くて……頑張り屋だった。経験は足りなかったけど、なんでも一生懸命やろうとしてた」
あの頃の水森の顔が、嫌でも浮かぶ。ノートを抱えて走り回っていた姿。俺や聖羅に必死に食らいつこうとしていた背中。
「文化祭の準備で、ステージ発表の進行表と機材申請の取りまとめを任せていた。本当は、最後に俺が確認するはずだった。……けど、その頃の俺、他の案件も抱えすぎてたんだ。先生との調整、予算、備品、クラス間の揉め事……なんでもかんでも俺が対応していて」
勝手に自嘲が漏れた。
「俺もそれを、やめなかった。『自分がやれば早い』って思ってたから」
それがどれだけ傲慢だったのか、今ならわかる。
「水森は、一部の提出遅れを抱え込んだ。相談したかったんだと思う。でも、俺が忙しそうだったからか……それとも、ちゃんとできる後輩だって思われたかったのか、最後まで一人でなんとかしようとした」
そして、そのまま本番を迎えてしまった。
「申請に不備があったんだ……」
唇の端をぎゅっと結び、自分の心拍が上がっているのがわかる。
「当日の朝に発覚した。体育館ステージの順番が噛み合わない。音響の手配も一部抜けてる。使えるはずの機材が使えない。保護者も来るし、出演団体は大荒れ。先生も厳しく水森を追求したんだ」
あのときの体育館のざわめきが、耳の奥で蘇ってくる。怒号。泣き声。水森を責める声。
「その場で、俺は全部、自分の責任だって言った」
優乃が、はっと息を呑んだ。
「『最終確認を怠ったのは会長の俺です』、『管理責任は全部俺にある』って。水森が何か言おうとしたけど……止めたんだ」
「……どうして」
優乃の問いは、責めるものじゃなかった。
純粋に、理解したいという声。
「……そうするしかないと思ったからだよ」
あの場で、全員の矛先を全部受けるには、それが一番早かった。混乱を収めるには、それが一番確実で、本気で正しいことをしたつもりだった。
「その場は、収まった」
でも、と続ける。
「周りの生徒は見てた。先生も、他の役員も、クラスの連中も。みんな、なんとなく察するんだ」
――ああ、水森がやらかしたんだな。
――でも黒瀬会長が庇ったんだ。
――結局、会長が尻拭いしたんだろ。
耳に入らないふりをしても、入ってくる。
「水森は、翌日から学校に来なくなった」
その言葉が落ちた瞬間、生徒会室の空気が凍った。
誰も、口を開けない。
「……しばらくして、一度だけ連絡が取れた」
今でも覚えている。
短くて、まるで自分を責めているように感じた。
「『会長、すいません』って」
紺野は青ざめた顔で俯き、千景だけがじっと俺を見ている。
「俺は守ったつもりだったんだ」
自分でも、笑えるくらい情けない。
「先生に怒鳴られるのも、責任をかぶるのも、俺だけでいい。あいつまで巻き込まない方がいいって、本気で思ってたんだ」
でも。
「違ったんだ。失敗するのも経験なのに、俺はあいつからその機会も奪ったんだ」
勝手にそれが正しいと信じて。失敗して、叱られて、謝って、それでももう一回やり直す。本当は、そこまで含めて経験のはずなのに。
なのに俺は、全部自分で片づけてしまった。
結果、水森は『庇われたダメな後輩』としてみんなの記憶に残ってしまった。
自分で立ち直る道ごと、塞いだ。
「それ以来、わからなくなってしまったんだ。どこまで手を貸せばいいのか。どこから先は、相手のためにならないのか」
自分がどれだけ勝手な人間なのか……。
学校に来ない水森が、一番辛いはずなのに……。
「変な言い方かもしれないけど、俺が前に出ると、周りは頼る。俺がなんとかすると、周りは甘える。……俺も、それを許してしまう」
だから怖い。
「最後には、また誰かを潰すかもしれない」
それが、ずっと消えない。
「なんとか任期は全うしたんだが、結局水森にはそれっきり会えなくなってしまった。――謝ることもできなかったんだ。聖羅はそんな俺をずっと励ましてくれていた」
あのときの聖羅の気持ちが嬉しかった。
「だから俺は、この生徒会に手を貸したが、表立って動くようなことはしなかった。……必要以上に手を出すのはみんなの成長を妨げるから」
ようやく言い切ったところで、重たい沈黙が流れる。
理解したからこそ、簡単に言葉を返せないのだろう。
最初に口を開いたのは、優乃だ。
「智也くん、話してくれてありがとう。だから生徒会に入らなかったんだね」
いつもの優しい声で続けた。
「支えなさすぎてもダメで、支えすぎても壊しちゃうって……知っちゃったから」
たぶん、誰にもちゃんと説明できなかったものを、優乃は一言で言い当てた。
「……でも」
紺野が、ぎこちなく顔を上げる。
震えてはいたけど、その目は逃げていなかった。
「それでも、今の会長を一人にする理由にはならないです」
「紺野……」
「水森さんのことは、僕には軽々しく言えません。でも……今の会長は、金城会長です」
紺野は、珍しくはっきり言い切った。
「金城先輩は、黒瀬先輩が思ってるほど弱くないです」
その言葉に、俺は息を呑む。
「むしろ、すごく強いです」
紺野らしい、不器用だけど真っ直ぐな言葉だ。
わかっている。紺野の言う通りだと思う。俺のわがままで、聖羅に嫌な思いをさせている。
千景も、俯いていた俺の側まで来て、顔を覗く。
「聖羅姉は、水森さんじゃない」
「……っ」
「智兄、また同じことしようとしてる」
千景の瞳が揺れない。
「先回りして、決めつけて、聖羅姉から“ちゃんとやる権利”を奪いかけてる」
こいつには、はっとさせられる。
大事な物はちゃんと見てるんだな。
――ちゃんとやる権利。
水森に対して、俺が奪ったもの。
そして今、聖羅に対しても。
優乃が、そっと続ける。
「聖羅ちゃん、きっと失敗することもあると思う」
「……」
「でも、それも含めて、会長なんだよ」
柔らかい声なのに、ひどく強い。
「黒瀬くんが全部先に片づけちゃったら、聖羅ちゃんは“会長としてやりきる”ところまで辿り着けない」
それは、まるで。
俺がずっと見ないふりをしてきた答えを、目の前に置かれるみたいだった。
「……じゃあ、どうすればいいんだよ」
気づけば、そんな弱音が漏れていた。
我ながら情けないと思うが、本音だ。
「聖羅のことは助けたい。でも、手を出しすぎたくない。放っておきたくもない。……どこまでが正しいのか、俺にはもう――」
「簡単だよ」
優乃が、少しだけ笑った。
優しい、でもどこかいたずらっぽい笑み。
「“代わりにやる”んじゃなくて、“隣に立つ”の」
その一言に、息が止まった。
「会長の席を奪うんじゃなくて、会長が立つための足場になるの」
……ああ。そうか――。
それはたぶん、俺がずっと、聖羅にしてきたことのはずだった。
なのに、肝心なところで怖くなって、履き違えたんだ。
「聖羅ちゃんも言ってたよね。『生徒会として智也に隣にいてほしかったんだ』って」
優乃の声が、やわらかく響く。
「智也くんは聖羅ちゃんにとって“自分の戦いを、隣で信じてくれる人”なんだよ」
そうか。
俺は、隣にいてやるだけで良かったんだ。
聖羅も……水森も……。
「……最悪だな、俺」
思わず漏れた本音に、優乃が苦笑する。
「うん。そんなのは智也くんじゃないよ」
「桃井先輩、そこは否定してくださいよ……」
紺野が小声で突っ込み、少しだけ空気が緩んだ。
でも、その軽さに救われた。
俺はゆっくりと立ち上がる。
椅子の脚が、床を擦る音がやけに大きく響いた。
「みんな……明日の職員会議は、きっとうまくいく」
三人が顔を上げた。
「今の生徒会なら、大丈夫だ」
「智也くん……?」
優乃が不安そうに名前を呼ぶ。
俺はそれに、いつもみたいに軽く手を振った。
「じゃあな」
そのまま、生徒会室の扉に手をかける。
――ここから先は……生徒会長の仕事だ。
黒瀬智也として、幼馴染として俺があいつにできることは、もうここにはない。
背中に、三人の呼び止めるような声が聞こえたような気がしたが、もう振り返らなかった。
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