23話 後悔
職員会議を翌日に控えた生徒会室には、聖羅が俺の想定質問に返答する声がたんたんと響いていた。
優乃と紺野はプレゼン資料の最終確認。
千景は印刷した原稿を見比べながら、何度も誤字脱字のチェックをしている。
「よし! 大丈夫だ。よくやったな聖羅」
「本当か!?」
「ああ。さすが生徒会長だ」
聖羅はラーメン屋に行ってからのここ数日で、見違えるように受け答えがしっかりできるようになった。
毎日遅くまで学校に残り、練習した甲斐がある。
――あとは明日、職員会議を迎えるのみだ。
「智兄、パンフの最終版、これで大丈夫?」
聖羅の練習が終わるのを見計らうようなタイミングで千景がパンフレットを持ってきた。
「最後のところが変更になったから確認して欲しい」
「変更? なんだよ?」
パラパラと最後のページまでめくると、最後のページに発行元の記入が増えていた。
――その下に、小さく設けられた今までになかった、新しい欄。
「……は?」
そこには、元のデータにはなかったはずの見出しが追加されていた。
蒼山高校文化祭実行・生徒会メンバー。
その下に、名前が並んでいる。
会長 金城聖羅
副会長 桃井優乃
会計 紺野和樹
書記 紫藤千景
――そして。
庶務 黒瀬智也
指先が、ぴたりと止まり、自分の心臓が、ドクドクと激しく鳴っているのがわかる。
「……これ、誰が入れた」
自分でも驚くくらい、低い声が出た。
キーボードを叩いていた紺野の手が止まり、優乃が顔を上げる。千景も紙から視線を外した。
千景が少しだけ戸惑った顔でこちらを見る。
「これは……」
「あ、あの、私だ」
聖羅がすっと手を挙げた。
やっぱりか。
俺は椅子を引いて立ち上がった。
音が、やけに大きく響く。
「勝手に入れたのか」
「っ……」
聖羅の肩がびくっと揺れた。
「とも、や……?」
「元の原稿にはなかっただろ。なんで追加したんだ」
「それは……」
「なんで、俺の名前を載せた」
言葉を重ねるたびに、自分でもわかるくらい、声が冷たくなっていく。
わかっている。
聖羅に悪意なんてない。
そんなことは、最初からわかっている。
それでも……それでも、これは駄目だ。
「だって……」
聖羅は一瞬だけ視線を伏せ、それからまっすぐ俺を見た。
「会長挨拶だけじゃ、変だと思ったんだ。みんな頑張ってるのに、私だけ名前が出るなんて、おかしい!」
「だからって勝手に――」
珍しく、聖羅が俺の言葉を遮った。
そこには、怯えよりも強い感情が混じっていた。
「智也が一番頑張ってくれたのに! 智也の名前がないなんて絶対におかしい!」
聖羅は歯を食いしばりながら続ける。
どうやら引く気はないらしい。
「私一人だったのに! 生徒会のメンバーを集めてくれたり、パンフだったり、模擬店の調整だって、安全管理だって……っ。どれだけ智也が支えてくれたと思ってるんだ!」
俺はパンフレットを持ったまま、聖羅を強く睨んでいた。
「これは手伝いだ。俺は裏方だ。そういう話で、最初からやってきたはずだ」
「でも、あれだけ頑張ってくれた智也の名前がないのは――」
「名前の問題じゃないんだよ!」
聖羅がどんな反応をするのか、よせばいいのに、わかっているのに、自分を止められなかった。
「お前は俺を最初から生徒会に入れるつもりだったんだろ! よく知ってるはずだ! 『水森』の件で俺はもう生徒会なんて懲り懲りなんだよ!」
自分でも驚くくらい、語気が強い。
聖羅に対して、こんなに感情的になったことはおそらくなかったと思う。
聖羅が、はっと息を止めた。
唇を噛み、言葉を絞り出す。
「智也がどれだけ自分を抑えてるか。どれだけ私たちに線を引いてるか。どれだけここから先には入らないって、自分で決めてるか……!」
聖羅の瞳が、まっすぐ俺を射抜く。
うるうると――雫が頬を走っていた。
「一回失敗したくらいでなんだ! というか水森のことだって、お前はなにも悪くないじゃないか!」
その言葉に、背筋が凍った。
優乃も、紺野も、千景も、誰も口を挟まない。
聖羅だけが、震えながら拳を握る。
「そんなの……そんなの、智也が勝手に決めただけだ!」
「……っ」
痛いところを、正確に刺された。
わかっている。
それでも、俺は首を横に振った。
「水森が学校に来なくなったのは俺のせいだぞ! 忘れたのか!?」
喉の奥から、掠れた声が出る。
「俺はもう、生徒会なんて場所に立っちゃいけないんだよ!」
その瞬間、聖羅の顔から血の気が引いた。
たぶん、優乃たちには意味がわからない。
でも聖羅には、わかる。
――あの時。
中学の、生徒会室で、泣きそうな顔で立ち尽くしていた後輩。
そして、翌日から来なくなった、あの小さい背中。
あれを一番近くで見ていたのは、副会長だった聖羅だ。
「それでも、私は嫌だ! ちゃんと、生徒会として智也に隣にいてほしかったんだ!」
受け取ったら、戻ってしまう。
戻った先で、また誰かを傷つけてしまう。
そんな恐怖が、先に立つ。
「……そうやって、また俺を引っ張り込むのかよ」
聖羅の目が、大きく見開かれる。
「っ……!」
その言葉は、明確に聖羅を傷つけたようだ。
「……そう」
聖羅は、ほんの少しだけ俯いた。
そして次に顔を上げた時には、もう泣きそうな幼馴染じゃなかった。
蒼山高校生徒会長、金城聖羅の顔だった。
「迷惑だったんだな。すまない」
「聖羅――」
「智也がそう言うなら、もう頼まない」
聞いたことのないような聖羅の声音に俺は胸をナイフで刺されたみたいな痛みが走る。
「この文化祭は、私が会長として通す。明日の職員会議も、私がなんとかする!」
言い切ると同時に、聖羅は机の上の原稿を掴んだ。
そのまま、踵を返して扉へ向かう。
「ちょ、ちょっと聖羅ちゃん!」
優乃が慌てて呼び止めるが、聖羅は止まらない。
「金城先輩!」
「聖羅姉!」
紺野と千景も声をかけるが、聖羅は振り返らない。
生徒会室のドアが、勢いよく開いて――バン! っと、大きな音を立てて聖羅の姿は消えてしまった。
生徒会室の沈黙と視線がやけに重くのしかかる。
なぜいつものように軽口で返さなかった――。
なぜ冷静でいられなかった――。
誰もすぐには口を開けない。
そりゃあそうだ。
明日の職員会議というタイミングで、俺と聖羅が言い争いになるなんて、優乃も紺野も千景も想像すらしていなかっただろう。
俺の手の中で、パンフレットだけがくしゃりと音を立てる。
その場の空気に耐えられなかった俺は、重い口を開いた。
「みんな、すまない」
ハッとした表情を浮かべて、優乃が慌てて俺の前に立つ。
「智也くんが生徒会に入らないのって、さっきの水森さん? のことが原因なの?」
なにも言えない俺を見て、優乃は俺の手をそっと握る。
「智也くん、中学のとき生徒会長だったんだよね。なにがあったのか教えてくれないかな。聖羅ちゃん、あのままだと一人で抱え込んじゃうよ」
優乃の手が少しだけ強くなった。
わかっている。
俺はただ自分に言い訳して、勝手に距離とって、生徒会の輪に加わらなかった。
それがみんなの為になると信じていたからだ。
――いつでも本気の聖羅の気持ちなんて、わかっていたはずなのに……。
普段なら弱いところなんか見せたくない。
でも、優乃のぎゅっと握られた手に、少しだけ頼りたくなってしまった。
「……中学のときにさ――」
俺は一人、後輩を追い詰めた。
取り返しのつかない形で。
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