16
晶紀は夢を見ていた。
なぜ夢だと分かったか、というと、フワフワと空を飛んでいたからだった。
いつもの街並みを空から見下ろすと、こんな感じなのか。晶紀は航空写真で見たような風景を見下ろしていた。
足の痛みは消え去っていた。疲労も、筋肉痛も、フワフワと空に浮かぶように軽やかだった。
晶紀は思いのままに空を飛んでいると、とある住宅の屋根から手を振るモノが見えた。
それは『くまのぬいぐるみ』だった。
よくよく見てみると、手を振っているのは『バイバイ』という意味で手を横に振っているのではなく『こっちに来い』という意味で呼びつけるように手を振っていた。
晶紀は吸い込まれるようにその屋根に向かって飛び、屋根の上に立った。
晶紀のひざ下に届かないほどのぬいぐるみが、頭を動かすと、声を出した。
『やあ、体の調子はどうだい?』
ぬいぐるみが喋った。子供の声を想像していたが、その声は、おじさんのものだった。
「調子いいわよ」
『そうかい。じゃあ、俺の役割も終わりだな』
おっさん声に、急に悪意が加わって、声にエコーが掛かっていた。
『このぬいぐるみは頂いた』
「?」
くまのぬいぐるみが、急速に巨大化し、晶紀の背丈を超えた。
その時、腰に下げていた神楽鈴が鳴った。
晶紀は素早くそれを手に取ると、かなえに教わった通りに構えた。
あっ…… かなえの前以外では素振りをしてはいけないんだった。晶紀は夢の中であるせいか、突然そう考えると、神楽鈴を腰につけたホルスターに戻そうとする。しかし、神楽鈴が音を立てて抵抗する。
「どうしたの?」
三倉の鈴が揺れ、神楽鈴自体を揺らしているようだった。
晶紀は鈴を一つつまみ、取り外した。そして口もとに持っていくと呪文のようにつぶやいて、鈴を投げた。
「あれっ?」
投げた鈴は屋根にあたった辺りで消えてしまい、三倉は現れない。
「三倉? 三倉、どうしたの?」
晶紀は視野の端で、どんどん大きくなるぬいぐるみに気付き、振り返る。
『天摩晶紀。お前はここで終わりだ!』
そう言うと、巨大なぬいぐるみは、晶紀に向かって倒れ込んでくる。
必死に避けようともがくのだが、不思議と前にも後ろにも、右へも左へも動けない。
「どうして?」
避けれないのは『夢だから』とは思うのだが、晶紀は、倒れ込んでくるぬいぐるみを、なんとしても避けなければならないと感じていた。愛らしい姿形とは裏腹に、ぬいぐるみからは底知れぬ恐怖が伝わってくる。
『死ね!』
晶紀は結局避けきれなかった。さらに巨大化した『くまのぬいぐるみ』は、晶紀の体が動けないように圧し掛かっている。そして、晶紀の首をぬいぐるみの前足がはさみ込んだ。
「くっ……」
苦しい。夢なのに? 苦しい、夢なのに、息が出来な……
まさかこれは、現実? 晶紀は手足を動かして抵抗しようとするが、ぬいぐるみの足をどかすことは出来ない。
ヤバい、ヤバい、これは…… まずい。
白いシャツに黒いスーツの上下を着た三倉は、立ち上がると部屋の灯りを付けた。
そして晶紀のベッドに近づくと、掛け布団をめくった。
掛け布団の下の光景が確認出来た。15センチほどのくまのぬいぐるみが、晶紀の首を絞めているのだ。
三倉はくまのぬいぐるみのしっぽをつかんで引っ張った。
「なっ……」
とても15センチの生物が持つ力とは思えない。
晶紀の表情が苦痛に歪んでいる。早くしないと、三倉はしっぽではなく、首を絞めている前足そのものをつかんで引っ張った。
「そこから…… 離れろっ!」
三倉が全体重をかけて引っ張ると、ぬいぐるみが晶紀の首から離れた。勢いあまってぬいぐるみは部屋の壁に放り投げられる。
ドン、と鈍い音がしてぬいぐるみが床に落ちた。
晶紀から激しい呼吸音が聞こえた後、咳き込んだ。
三倉はぬいぐるみを指でつまむように拾い上げると、ぬいぐるみをあちこちから眺めた。
咳が止まって、晶紀の目が開いた。
「三倉」
晶紀がそう言うと、三倉は片膝をついて会釈した。
「そのぬいぐるみが私の首を絞めていたのね」
「はい。このぬいぐるみを満たしていた霊気がすべて晶紀様の怪我や疲労の回復に使われ、空になったところを悪霊に利用されたと思われます」
なるほど、このぬいぐるみが私の癒す仕掛けが逆に仇になったということか。
「ありがとう」
三倉は、片膝をついて、手を胸に当てて頭を下げる。
「ご主人様をお守りするのが私の使命です」
「危ないところだったわ。本当にありがとう」
晶紀はベッドから立ち上がると、机の引き出しからペンとリボンを取り出すと、椅子に座ってなにやらリボンに書き込みを始めた。
書き込んだリボンを適当な所で切ると、三倉の捕まえているくまのぬいぐるみの首にそのリボンを巻いた。蝶結びをして、端を三角形に飾り切りする。
くまのぬいぐるみを受け取ると、机の上に置いた。
「これでよしっ…… と。三倉。戻れ」
三倉が頭を下げると輝きながら小さくなっていき、晶紀の手の中に鈴となって握られた。
「ありがとう」
そう言いながら晶紀は神楽鈴に鈴をつけた。




