第8話 我が家のおやつはお小遣い制です
新生鬼のついうっかりで住処が吹き飛ぶ危険を抱えるわけにもいかず、浄化の血族とレインは契約を結ぶことになった。
「あたしの血を一滴、お嬢ちゃんに飲ませればいいんだね?」
「はい、続けてカミラ様とベント様からもいただきます」
レインの指先から垂れた血を飲み下し、ハニが上を向いて口を開ける。
言われるがままに血を与えたカミラは首を傾げた。
「転化の時の血じゃ契約には繋がらないの?」
「契約管理者が人、契約者が鬼なので、まずは管理者である人から血をいただく決まりなんです」
ぺろりと舌で唇を舐めたハニが目を閉じる。
「これにて契約は結ばれました。ハニはこれより正式に、カミラ様のおやつ兼ベント様のごはん、そしてレインのための願望器に就任します」
就任も何も、ほぼ押し売りである。
脅迫されたに等しい契約であったが、当のハニにはそんなつもりなど一切ないようだ。
喜色満面のハニをどう教育していくかは今後の急務である。
それはそれとして、だ。
今この時に、何をすべきか。
ハニの『良識』に頼らずとも、その答えは確定的に明らかであった。
「さあ、レイン。何か望みを言ってごらんなさい。早く。可及的速やかに」
カミラに急かされ、老女は盛大に顔を顰める。
「急に言われてもさ。願いなんざないとまでは言わないけど、この年じゃねえ。大半はもう自力で叶えちまった後だよ」
「そう言わず。ほら、まずは腰痛からでしょう。ハニ、望みってどうやって伝えるの? 口頭かしら」
「心の中で唱えても、口で仰っていただいても、どちらでもかまいません。ニエは人の望みを正確に探り当てます。得意です。基本機能なのです」
背中をぐいぐい押すカミラと眉間の皺を押し伸ばすベントの圧。さらには期待に目を輝かせるハニの視線に耐えられなくなったのか、レインが渋面でぼやいた。
「わかった。わかったよ。じゃあまずは、契約に使ったこの指の傷だね。治しとくれ」
「わかりました。それがあなたの望みなら……」
レインが宣言した直後、ハニの目が強く光る。
よく見れば、その奥底には魔術の式が浮かび上がっていた。
一瞬の発光の後、レインの傷が跡形もなく消える。
「どうでしょう。もう痛くないですか?」
「ああ、すっかりね。ちなみに、エネルギーとやらは今のでどれくらい減ったんだい」
「小さじ一杯分くらいです。残念ながら、この調子で使い切ろうとしても、私が爆発する方が早いですね」
「容量の調整はどうしたんだ」
律儀に突っ込むベントの肩を叩き、レインが次の願いを唱える。
「とりあえず次だ。腰痛でいこう。頼むよ」
加齢により痛みと僅かな湾曲を生じさせている腰は瞬きの間に伸び、レインが驚きの声を上げた。
「こりゃすごい。ついでに肩も、おお!」
こんな調子で次々とレインの願いを叶えていった一行だが、現実は非情だった。
「……もう勘弁しとくれないか。これ以上は逆さに振られたって何も浮かばないよ」
ものの数分でレインの願いの残弾は尽きた。
レインときたら見るからに萎れ、いまや悪態への返礼にすら覇気がない。
加齢による痛みはあらかた取れているはずなのだが、もはや逆に老けた印象すらあった。
カミラは半眼で文句をつける。
「短命種のくせにだらしがない子ね。もっと欲深く生きなさいよ。レインのバカ、ニンゲン、小市民」
「それの何が悪いってんだい」
庭の草刈り。いやいや自分でやりたい。
金。田舎暮らしで大金を持つとかえって危ない。
他所様の幸せ。勝手に手を出していいわけがない。
悲しいかな、レインは順当に年を重ねて真っ当に生きてきた。彼女の内には確固たる倫理観が形成されてしまっているのである。
ちなみに、ハニ曰く生命の創造は『不可能』ではなく『禁止事項』であるそうだ。尤も、レインとてそんなことを望んだりしないが。
「あとどれくらい残ってる?」
「はい、たくさんです!」
絶望の答えにカミラまでもが撃沈した。
これはもう、ハニ自体の容量を調整する他ないだろう。
「ねえ、ハニ。容量の調整ってどれくらいかかるの?」
「最低二日はほしいです。一度で終わらせず、微調整を何度か重ねるべきかと」
「その間、食事は?」
「できます。でも、爆発したらごめんなさい」
カミラは低く呻いた。
もう一人の捕食者はというと、大袈裟に嘆く彼女の横で控えめにショックを受けている。
疲れ果てたレインが天井を振り仰いで呟いた。
「すまないねえ、旦那。あたしが小市民なばかりに」
「レインに咎はない。だが、だがァ……!」
重い音が響く。
ベントが机に額を打ちつけたのだ。
悪食で留まるカミラと比較しても、ベントの偏食は悲惨である。何せ、同血族の血肉以外で受け付けることのできるものが限られているのだ。
せいぜい茶などの水分、あるいはスパイスや香草少々まで。
ぎりぎり牛乳。
固形物はヘタをすると吐く。
「うぐ、うぐぐぐ」
約百年ぶりに食の愉しみを思い出した身体だ。
その強烈な渇望は、どんな強固な忍耐力をも打ち壊してしまうのだろう。
悶えるベントを横目で眺め、カミラは慰めを口にした。
「私の血を牛乳で割ってみたらどう? 私もお前の血を割って飲んだことがあるけれど、案外イケるわよ」
「いらん世話だ。それに……もう試した……」
死屍累々の食卓を前に、ハニが一人で気合を入れる。
「よし、なるべく早く容量を調整します。ばばんと広げます。超特急です」
「頼むから、速さより安全を優先してくれ」
ベントが沈痛な面持ちで呻く。
その背を叩いてやりながら、老女が顔を上げた。
「あたしも願いを捻り出し続けるよう努力するよ。ただ、考えたんだけど、これはこれで何だか納得いかないねえ」
「何がよ」
「あたしばっかり願い事を言わされてさ。結構恥ずかしいもんだよ。自分の頭の内を無防備に晒すんだからね」
疲労困憊の顔でぼやくレインに、おやつタイムを奪われ不機嫌なカミラが舌打ちする。
「口に出さなきゃいいでしょ」
「そうは言っても、願いが叶えば外から見て分かるかもしれないだろ。たとえば、この頬のシミなんかが消えてみなよ」
その言葉と共にレインの頬からシミが消えた。
半笑いのカミラを見て願望成就に気付いたレインが頭を抱える。
「ほら見な、恥ずかしいだろ。大体、村の奴らに指摘されたらどう説明すればいいんだい」
「大丈夫大丈夫、婆さんの顔なんて誰もみてないわ」
「こっちはあんたらみたいに社会と距離を置いてないんだよ!」
ややはりつやのよくなった両手で顔を覆い、レインが嘆いた。
「こんなの不公平じゃないか! せめて、あんたらも腹の内を明かして願いを唱えるべきだよ!」
レインの叫びが轟いたその時のことだ。
ハニの瞳が一際強い光を放った。
「────え?」
青褪めるカミラの傍ら、ギリギリと歯を軋ませながらベントが呟く。
「ざっぎの血豆腐……毎日でも……だべだい」
声が濁るほどの全力の抵抗も虚しく、ベントは本音をぶちまけさせられた。
絶望の面持ちで視線を落とした彼を笑う暇もなく、カミラの唇が戦慄き始める。
「わ、私は、ハニとレインと、ベン、トに、もっとなま、名前を呼んでほしい、わ……!」
何度も口を閉ざそうと試みて跳ねる声。羞恥が身体のうちを暴れ回り、カミラは堪らず叫んだ。
「いやあああ! 私をみないで!!」
床を転がりまわるカミラ、死んだ目で机の表面を眺め続けるベント、自棄になって爆笑するレイン。前者二名など意味もなく願いを暴露させられている。
三者三様の地獄を眺め、ハニが申し訳なさそうに目を伏せた。
「血豆腐は、はい、大丈夫です。カミラ様も、積極的にお名前で呼ぶようにしますね」
「……どうしてお前は無事なのよ。ハニも何か言いなさい。さあ、秘めたる願いをぶちまけるの」
「カミラ様、ごめんなさい。ニエは自身のために願う機能を削られていて、頑張っても思いつかないんです」
頭を下げたハニの足下に縋りつき、カミラはごねにごねる。
「じゃあ、鬼として! この際、ニエとして、私達のために願うことでもいいわ! 何かないの?」
ハニは困ったように首を傾げた。
それから流れるように膝をつき、床に転がるカミラを支えて膝枕の体勢をとる。
さらに暫く悩みに悩み抜き、やっとのことで彼女は告げた。
「食器」
ぽつりと溢れたのは単語ただ一つ。
ハニが呟く。
「食器がほしいです。皆さんの食卓を彩る食器が」
「ああ……うちは皆適当に食事をとっていたからねえ。食器なんて中身が漏れなけりゃいいと放置してたよ」
レインの言葉に頷き、ハニが続けた。
「実は先程のお食事も味気ない見た目になってしまいました。これは由々しき事態、ニエの名折れです」
「あら、そうなの? じゃあ買い足す?」
「いけません。これは私が望んだことです。ならば、ハニ自身が努力すべきことなのです」
握り拳を作って息巻くハニの頭上、低い声でベントが提案する。
「ならば、小遣い制はどうだ」
「お小遣い、ですか?」
「家事見習いとしてレインの仕事を手伝い、鬼見習いとしておれとカミラが請け負う協会の仕事を手伝う。その報酬をおれ達が払う。見習いだから安賃金だがな」
懸命に威厳を保とうとしているベントだが、机に打ちつけていた額は僅かに赤く、首元まで羞恥の朱色に染まっている。
「お前の経験にも繋がる。悪くない案だと思うが、どうする?」
年長者の虚勢への配慮か、はたまたただの天然か。ハニが花の綻ぶような笑みを浮かべた。
「わかりました。お手伝い、頑張ります」
「それはいいけれど、まずは容量の調整を頑張ってほしいわね」
「はい、ちょっぱやです!」
返事も行動も元気よく全く悪気のない彼女だが、何か始めるたびにやらかしているような印象すらある。
一抹の不安を覚えつつ、カミラは家長として鷹揚に頷いてみせた。
「期待しているわ」
「はい、カミラ様の期待に応えます。ハニは必ずやカミラ様のお役に立ってみせますよ!」
「ごめんなさい。名前、連呼しなくても結構よ」
やはり、不安だ。
口の端を引き攣らせ、それでもカミラは意地を振り絞り笑みを浮かべるのだった。
新たな生活の始まりということで、ここで第1章完結となります。
次章はお仕事編!
「彼らの今後が気になる」と思っていただけましたら、
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