第3話 産地直送搾りたてがオススメです
激昂していたわりにはなんだかんだしっかりと三脚のカップを用意し、ベントが深い溜め息を吐いた。
「……経緯は分かった。分かったが。カミラ、貴様には学習能力がないのか」
沈痛な面持ちの偉丈夫がぎりぎりと歯を鳴らす。自身が転化された時のことを思い出しているらしい。
「おれで懲りた。貴様、そう言っていたよな?」
「ええ。だから、次の子は素直で可愛いハニにしたんじゃない」
ちなみに、ベントの際は転化後三十年に渡り全力の反抗を試みられた。
いくら気の長いカミラでも嫌気がさす。もう二度と血族は増やさないと心に決めていた。
しかし、今回、何となくでハニを引き込んでしまったわけで。
そう。何となく、だ。
蜂蜜色の瞳に惹かれた。
それだけである。
カミラは僅かな困惑を追い払うように首を振る。
「むしろ、これはお前のためでもあるのよ、ベント。この意味が分かって?」
「理解は出来る。必要はないがな」
「私と長期間離れる場合とか、私に万が一のことが起きた場合は? 餓死する気?」
「致し方ないだろう。それも定めだ」
一般的な鬼は人や動物、それらの上位互換であるニエを食糧とする。
しかし、カミラとベントは違った。
カミラは鬼の血肉を喰らう悪食。
ベントに至ってはさらに偏食で、同じ血族の血肉以外は受け付けないときている。
結果、二人はお互いの血肉を喰らい合う日々が続いていたのだ。
「正直、お前の味にも飽きたのよね」
「まさかそれが本音ではないだろうな……?」
ぼそりと呟くカミラに対し、ベントが低く唸る。
「今回の件、やはりおれが請け負うべきだった」
「仕方ないでしょう。ミナトは由緒正しき血統の古い鬼よ。お前に任せて万が一があっては我が血族の名折れじゃない」
「協会法を犯したお前がいう台詞か」
一言の下に叩き切られ、カミラは舌打ちをした。
「それもこれもお前がひ弱だからよ。私だっておうちでぬくぬく寝ていたかったわ」
「なんだと?」
カミラとベントが険悪な雰囲気になりかけた時、かちゃりと音が鳴る。
やや離れた位置、ベルベットの椅子に掛けたハニがカップを傾けたまま硬直していた。
対話の邪魔をしたとでも思ったのだろう。
彼女は身を竦め、蚊の鳴くような声で囁いた。
「すみません。どうぞ続けてください」
哀れである。
いち早く年長者たる自覚を取り戻し、ベントが咳払いをした。
「ハニと言ったか。誤解をするな。決してお前を受け入れること自体を否定しているわけではない」
「お前ってば顔が怖いものね。見なさい。こんなに萎縮してしまって、可哀想に」
おーよしよし、などと自身の罪は棚に上げ、ハニの頭を撫でて大仰にアピールするカミラ。
ベントはというと、額に青筋を浮かべながらも引き攣った愛想笑いを浮かべている。
どうやら強面の自覚もあるならば、新生を迎え入れる度量もあるにはあるらしい。
ハニがさらに恐縮する前に、とベントが言葉を継いだ。
「ともかくだ。戸惑いもあるだろうが、血族としてできる限り支えよう。何でも言ってくれ」
「あらあら、急にお兄さんぶるじゃない。案外面倒見がいいのね」
「お前が適当すぎるだけだろうに」
言葉の投げ合いは常通り。態度をいくらか軟化させたベントがぼやく。
カミラと彼は特段仲が悪いわけではなく、嫌いあっているわけでもない。
ただただ性格に差があるだけなのだ。
経緯の説明もひと段落し、三人は大人しく茶を啜った。
「しかし、新たな仲間か。驚いたな」
ベントがしみじみと呟く。
一度冷静になれば案外温和な彼は、日向ぼっこをする猫のように背を丸めた。
ほうと息を吐き、彼はハニへ向き直る。
「気を張り続けて大変だったろう。少し休んできてはどうだ? 客室が空いているから、しばらくそこで過ごすといい」
「いえ、お気になさらず。私は大丈夫です」
「だが……」
ミナトの“穢れ堕ち”から鬼への転化、協会を経由しての新天地。
変化の連続はどう考えても心理的負担を強いる。
ベントが気にするのも致し方ないことだ。
しかし、当のハニはあっけらかんとしている。
それどころか、不思議そうに目を瞬いていた。
ハニが動じぬ理由をカミラは知っている。
「この子、変わった能力持ちなのよね」
「もう固有能力が発現したのか」
「どうかしら。もしかしたら、転化のせいで、身体の再編ついでにニエの機能が強化されてしまっただけなのかも」
カミラは肩を竦めた。
「まあ、おいおい説明するわ」
長旅が堪えたのか、どうにも身体が怠い。カミラが肩を回したり首を捻ったりしていると、ハニが側に寄ってきた。
「カミラ様、お疲れですね。血をお飲みになりますか? そうだ。よろしければ、ベント様もご一緒にいかがでしょう」
そんな、茶のおかわりを勧めるような調子で言われても。
ここ数日で慣れたカミラはともかく、ベントは困惑も露わに目を瞬いている。
二人へ柔らかく微笑みかけた後、ハニがブラウスのボタンに指をかけた。
「お食事の用意ならすぐにできます。もちろん、血だけでも」
「献身はありがたく受け取るが、待て。何故脱ぐ必要がある」
冷静に制止したベントがカミラを見る。面倒が起きる前に指導しろと言わんばかりの渋面だ。
確かに同性の方が伝えやすいかと思い、カミラはハニの腕に触れて優しく諭した。
「ハニ、ボタンを全部外す必要はないわ。首元が開いていれば充分」
「ですが、服が汚れてしまいます」
「その時はその時よ」
「待て。違う、そうじゃない。お前達は何を言っているんだ」
苛立った様子でベントが席を立つ。
彼は壁際の棚を開き、注射器状の器具を手に戻ってきた。
「血を抜くなら採血器を使え。脱がずとも袖を捲るだけでいいだろうが」
「……サイケツキ?」
初めて見聞きしましたと言わんばかりのカタコトでハニが呟く。
手渡された採血器を暫し眺め、彼女は心なしか残念そうに問うた。
「ベント様は直飲みがお嫌なのですね」
「そうではなく。もしや採血器を知らないのか? 主に人から血を貰う場合に使うものだ」
「知識はあります。使用方法についても一通りは学びました」
訝しげに問うベントへハニが答える。
さりげなく採血器を机に置き、彼女は続けた。
「ただ、私はニエですから、特別な場合を除き、直接お召し上がりになっていただけるよう調整されています。極上の味、至上の食肉体験を保証いたしましょう。もしよろしければ──」
「待て待て待て、急に話すな」
これまでも会話に難があったわけではない。
しかし、どちらかといえば大人しく傾聴に回っていたはずのハニが流暢にセールストークを始めたせいで、ベントの腰は完全に引けていた。
制止された当のハニは美しい笑みを浮かべたまま唇を閉ざすだけ。
明らかにトーク再開の許しを待っている彼女から視線を逸らし、ベントが頭を抱える。
「なんだ、こいつは」
「ニエよ。食べられるプロフェッショナル」
人肉を模した最高の代替食であり、同時に被捕食にかけての専門職でもある。
それがニエであるらしい。
館への帰路でハニ本人から聞いた商品説明を一通り繰り返し、カミラはハニの頭を撫でた。
「この子、すごいのよ。ものすごくおいしいの。ね、ハニ?」
「はい、ハニはものすごくおいしいです」
「語彙が死んだのか?」
貧相すぎる食レポと営業にベントが突っ込みを入れる。この男も大概混乱しているようだ。
眉間の皺を拳で押し伸ばす彼を横目で眺め、カミラは呟いた。
「そういえば、お前、牙童貞だものね。これは大変だわ。血の親たる私がお口に運ぶところから始めなければならないのかしら」
「品のない物言いは即刻やめろ。雛鳥扱いもだ。虫唾が走る」
溜め息を溢したベントがハニへ向き直る。
「いいか、新生。我が家において、牙を用いた直接の食事は禁止だ」
「それはここでのマナーということでしょうか?」
「違う。隷属化は知っているか?」
首を傾げたハニを見つめ、ベントが続けた。
「古き血や強大な力を持つ鬼が下位の鬼に牙を立てると、相手の自由意志を奪い、無理矢理従わせることが出来る。文字通り、隷属させられるのだ」
だからこそ、鬼は鬼同士の戦いに牙を用いない。
相手の誇りや尊厳を奪いかねないからだ。
ベントの説明に対し、ハニがこくりと頷く。
「はい。それは知っています」
「知っているのなら、野蛮なことを言うものではない。お前ももう鬼だ。鬼に対して牙を介した食事を勧めるということは、『あなたに隷属してもいいですよ』と言っていることになる」
分かりやすいよう極力優しく伝えているのだろう。ベントが抑揚を抑えた声音で話す。
「今の話は理解できたか?」
再び頷いたハニだったが、その顔にはまだ疑問が滲んでいた。
「理解はできますが、何か問題があるのでしょうか? 元より、私はお二方のものですから、何も変わらないように思います」
「……何?」
「ええと、つまり、ハニは『あなたに隷属してもいいですよ』と申し上げました」
妙な間が空く。
しかし、存外空気という物に無頓着らしいハニは、はきはきと明朗に営業を続けた。
「既にカミラ様には提供し、ご好評をいただいております。ベント様にもご満足いただけるはず。お気に召していただけるよう、きっと尽くしてまいります」
ご機嫌にセールストークを続けるハニに反し、ベントの顔から血の気が引いていく。
「カミラに提供した? それは採血器でという意味なんだよな? そうだと言ってくれ」
「いえ、直接ずずいとです」
絶句するベントをよそに、ハニがいそいそとシャツをはだけ始める。
きめ細かな褐色の肌がのぞき、微かに甘い命の香りが食卓に漂い始めた。
「お話を窺うに、ベント様は牙でのお食事を嫌っておられるわけではないのですね。むしろ、これが初めてでいらっしゃると。とても嬉しいです。ニエとして腕が鳴ります」
黒髪をかきあげ頸を露出させたハニが、美貌の顔に魅惑の笑みを浮かべる。
「カミラ様、ベント様。お食事の準備が整いました。どうぞ、心ゆくまでご堪能くださいませ」
カミラもまた満面の笑みで応える。
「じゃあ遠慮なく」
「────馬鹿者!」
ハニの首筋にむしゃぶりつこうとしたカミラをひっぺがし、ベントが絶叫した。
あまりの大音声にハニが椅子から飛び上がる。
驚愕に見開かれた琥珀色の瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。
「えっ、あの、だ、だめなのですか? ベント様? 何故私を簀巻きに? ああ!?」
ベントは素早く脱いだ上着をハニに被せてぐるぐる巻きにした挙句、ソファに投げ飛ばして隔離。
悪鬼からか弱き童を庇うように、カミラとハニの間に立ち塞がる。
「カミラ、貴様……見損なったぞ」
身の丈二メートル近い偉丈夫が筋肉を隆起させて立っているのだ。
威圧感がすごい。
カミラは眉を顰めた。
「少しは落ち着きなさい。ハニには変わった能力があると言ったでしょう? だから──」
「問答無用だ、ケダモノが! 物を知らぬ若者を誑かして隷属させるなど、恥を知れ!」
「聞きなさいってば。ハニに隷属化は」
「黙れ、この外道!」
もはや言葉は届かず、憤怒で肌を赤くしてまでベントは怒鳴り散らした。
しかし、言葉を遮られた上、一方的に罵られてはカミラも黙っていられない。
「ちっ、牙童貞はこれだから」
「うるさい!」
屋敷中の硝子が割れそうなほどの怒声を上げるベントの背後、突然、勢いよく扉が開いた。
「まったく、騒がしい奴らだね」
現れたのは白髪混じりの老女。
左眼は眼帯で覆われて窺えないものの、残る右眼にははっきりと呆れが浮かんでいる。
真っ直ぐに背筋を伸ばし仁王立ちとなった彼女は、鬼二人を睥睨して大きく息を吸った。
「ようやく帰ってきたと思えばまた喧嘩かい! 毎度毎度、もういい加減にしておくれよ!」
響き渡る、ベントに負けず劣らずの大声。
矍鑠たる姿から繰り出されるのは、呆れを多分に含んだ説教だった。
大股で部屋に入ってきた老女は、手にした買い物籠を机の上に置き、そこに並べられた三脚のカップに気付く。
「おや、客人とは珍しいじゃないか」
「ああ……いや、それは」
我に返ったベントがぼそぼそと呟いた。
バツが悪そうにトーンダウンした彼の様子を訝しみ、老女が周囲を見回す。
「こんな時間に来るなら客人は人間だろう? 昼も間近だ。軽食くらいなら用意できるよ。どうする?」
「いや、それがだな」
「なんだい、はっきりしないね。もしかして、怒って帰っちまったのかい? ベントの旦那も、元人間なら相手の気持ちも分かるだろうに、もっと上手くやれないもんかねえ」
腰を叩いて背を伸ばした老女がやれやれと言わんばかりに首を振った。
そうして、一息ついた彼女は、ふとソファの方へと視線を向けて眉を顰める。
「なんだい、あれ」
そこにいたのは美貌の少女。
琥珀色の瞳を潤ませ、頬を膨らませた鬼の新生。
この屋敷の新たな住人である。
彼女は涙目で呟く。
「……知ってますもん。隷属化、ちゃんと習いましたもん」
ハニは簀巻きのまま、いじけてしまっていた。




