35
――side リゼット。
国家騎士団本営の一角に設けられた小演習場。
小演習場という名前ではあるが、二十人ほどが並んでも十分に余裕がある。
踏み固められた地面には、木と金属で作られた人形や標的が置かれ、壁際には刃引きされた剣や槍が整然と並べられていた。
集まった者たちの姿は様々だ。
仕立てのよい服を身につけた貴族の付き人。
使い込まれた革鎧を纏う護衛役。
慣れていない様子で武器を抱えた、若い見習いの姿もある。
男性の方がやや多く、女性は全体の三分の一ほどだろうか。
騎士試験の受験者と比べると、年齢も装備もばらつきがある。
仕える相手も、ここへ来るまでに積んできた経験も異なるのだから、当然なのかもしれない。
その中に、私と同じくメイド服を身につけている方がいた。
柔らかそうな茶色の髪に、どこか頼りなさげな雰囲気。
王都に到着してから、どこかで見かけた気もするが……。
すぐには思い出せなかった。
「それでは、従騎士登録試験を始める」
演習場の中央から、よく通る声が響いた。
担当を務めるのは、赤みがかった髪を後ろで束ねた女性騎士だった。
装飾の少ない軽鎧を身につけ、腰には細剣を下げている。
女性騎士が私たちを見回すと、自然と周囲の話し声が収まった。
「最初に説明しておくが、従騎士は騎士団の正式な階級ではない。ゆえに、国家騎士の入団試験ほど厳密な審査を行うつもりもない」
その言葉を聞いて、何人かがほっとしたように肩の力を抜く。
「だが、騎士の任務へ同行する以上、最低限の力は必要になる。自分の身を守る力。仕える騎士を補佐する能力。そして、周囲を巻き込まないだけの魔力制御だ」
女性騎士が片手を上げると、係の者たちが人形を演習場の中央へと運び込んだ。
人と同じほどの大きさがあり、胴体や手足にはいくつもの関節が備わっている。
内部へ魔力を流すことで、実際の人間に近い動きをする仕組みらしい。
「各自、得意とする魔法か武技を一つ見せてもらう。攻撃に限る必要はない。防御や治療、敵の足止めなどでも構わん。従騎士として役立つ能力だと判断できれば合格とする」
説明が終わると、試験札の番号順に名前が呼ばれていく。
剣に魔力を纏わせ、人形の胴へ鋭く斬り込む者。
魔力の盾を作り、木剣の一撃を防ぐ者。
味方の身体能力を一時的に高める補助魔法を披露する者もいた。
騎士試験とは違い、純粋な強さだけを比べるものではないらしい。
仕える騎士に何ができるのか。
それを示す試験ということなのだろう。
「次、ミリア・エルネス」
「は、はいぃ!」
名前を呼ばれたのは、先ほど見つけたメイドの少女だった。
ミリアは肩を大きく跳ねさせると、ぎこちない足取りで演習場の中央へ向かう。
緊張していることは、離れた場所からでも一目で分かった。
右手と右足が同時に出かけ、そのことに気づいて慌てて姿勢を整えている。
「使用するのは魔法か?」
「はいっ。火属性の魔法を使います!」
質問に答える声も、僅かに裏返っていた。
女性騎士が人形を指し示す。
ミリアはその正面に立つと、胸元で両手を重ね、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「落ち着いて……。姫様の従者として、しっかりしないと……」
小さな呟きが聞こえる。
やがて、ミリアの両手の間に赤い魔力が集まった。
小さな炎が一つ、二つと浮かび上がる。
それらは数を増やしながら、ミリアの周囲をゆらゆらと漂い始める。
離れた場所にいても、頬を撫でる熱が感じられる。
周囲の受験者たちは声もなく、増え続ける炎を見つめていた。
「【火葬】!」
ミリアが両手を前へ突き出す。
次の瞬間、ゆらめいていた炎が一斉に押し寄せた。
赤い炎は扇状に広がり、人形ごと辺りを呑み込んでいく。
燃え盛る炎が地面を舐め、熱気と焦げた匂いが演習場に立ち込めた。
「なんだ、あの威力は……」
「攻撃範囲も広いぞ」
「本当に従者なのか?」
周囲から驚きの声が上がる。
複数の敵を一度に焼き払うことを想定した魔法なのだろう。
従騎士試験で見せるものとしては、十分すぎるほどの威力だった。
「や、やりましたぁ……」
ミリアは安堵したように胸を撫で下ろす。
しかし、広がった炎の端が風に煽られ、彼女の足元へ流れていた。
「え?」
メイド服の裾に、赤い炎が燃え移る。
「ひゃあああっ!? も、燃えてます! 私、燃えてますぅ!」
ミリアは顔を青ざめさせ、その場で慌てて回り始めた。
このままでは、かえって炎が広がりかねない。
「動かないでください。【氷結】」
私は指先から冷気を放った。
白い霜が地面を走り、燃えていた裾の部分だけを氷で覆う。
炎は小さな音を立てて消え、白い蒸気が立ち上った。
「もう大丈夫です」
「あ、ありがとうございますぅ……!」
ミリアは涙目になりながら、何度も頭を下げる。
その様子を見て、担当の女性騎士が大きく息を吐いた。
「魔法の威力と範囲は十分だ。だが、自分の服を燃やしていては、騎士を補佐するどころではないぞ」
「も、申し訳ありません……」
「放った後の炎にまで意識を向けろ。魔法は発動すれば終わりではない。今回は合格にするが注意するように。下がってよし」
「はいぃ……」
すっかり肩を落としたミリアが、こちらへ歩いてくる。
「本当に助かりました。あのままだったら、服だけでは済まなかったかもしれません……」
「お怪我がなくて何よりです」
「えっと……先ほど、ノエル様とご一緒にいらした方ですよね?」
「ノエル様をご存じなのですか?」
首を傾げて尋ねると、ミリアはこくりと頷いた。
「はい。姫様を追いかけていた時、転びそうになったところを助けていただきました」
「そうだったのですね。私はリゼットと申します。ノエル様の従者として、こちらの試験を受けに参りました」
「私はミリアです。フィオナ姫様にお仕えしています」
名乗り終えると、私たちは揃って頭を下げた。
フィオナという名を聞き、受付で遠目に見かけた金髪の少女を思い出す。
ノエル様の前に立ち、何やら強い口調で言葉を交わしていた方だ。
その傍らに、ミリアの姿もあったような気がする。
「姫様のお役に立ちたくて受験したのですが……。やはり、私には向いていないのでしょうか」
「そのようなことはありません。先ほどの魔法には、十分な力がありました」
「でも、自分の服を燃やしてしまいましたぁ……」
「扱いに慣れていないのであれば、これから身につければよいのです。最初から何もかも完璧にできる方ばかりではありませんから」
私自身、氷属性の魔法を使い始めた頃は、必要以上に周囲を凍らせてしまうことがあった。
ノエル様やギデオン様との修行を重ね、少しずつ扱い方を覚えてきたのだ。
「……はい。ありがとうございます、リゼットさん」
ミリアは表情を明るくし、私の隣へ並ぶ。
その時、後方にいた男性たちの話し声が耳に入った。
「火力だけは大したものだったが、あれではな」
「自分の身を危険に晒すようでは、従騎士失格だろう」
「所詮はメイドだ。戦場へ出るより、主人の身の回りの世話をしている方が似合っている」
声を潜めているつもりなのだろう。
けれど、エルフ族である私の耳には、はっきりと届いていた。
ミリアにも聞こえたのか、再び俯いてしまう。
私一人が何を言われようと、気にするつもりはない。
王宮にいた頃は、これよりも悪意のある言葉を何度も浴びせられてきた。
けれど、今の私はノエル様の名を背負い、この場に立っている。
私の振る舞いは、主人であるノエル様への評価にも繋がるかもしれない。
ならば――。
ノエル様の従者として、恥ずかしくない姿をお見せしなければならない。
「次、リゼット」
「はい」
名前を呼ばれ、私は一歩前へ出る。
演習場の中央へ向かう途中、先ほど話していた男性たちから視線を向けられた。
「またメイドか」
「しかも、エルフ族の子供だぞ」
私は足を止めることなく、訓練人形の前へ立つ。
「使用するのは氷属性の魔法と、短剣です」
そう告げ、エプロンの裏側に仕込んでいた二本の短剣を抜いた。
女性騎士が係の者へ目配せする。
係の者が魔道具を操作すると、訓練人形の瞳に淡い光が灯った。
続けて木剣を構え、関節を軋ませながら動き始める。
「準備はいいか?」
「はい。いつでも構いません」
「では、始め!」
合図と同時に、訓練人形が地面を蹴った。
真っ直ぐにこちらへ向かい、木剣を振り上げる。
「【凍華陣】」
私の足元から、冷気が地面を伝っていく。
ただし、以前のように周囲一帯を凍らせることはしない。
白い氷が花のように咲いたのは、訓練人形の両足だけだった。
地面と足を繋ぐように氷が固まり、人形の身体が大きく揺らぐ。
振り下ろされた木剣が、虚しく空を切った。
同時に、私が進む先の地面へ細い氷の道が生まれる。
一歩踏み出し、靴底を滑らせた。
足を乗せる頃には、その先へ新たな氷が伸びていく。
通り過ぎた場所の氷はすぐに薄くなり、地面にはほとんど残らない。
訓練人形へ向かって、一直線に加速する。
人形の足は封じた。
けれど上半身は動く。
迫る私に合わせて、訓練人形が木剣を横薙ぎに振るった。
剣が届く寸前。
右足へ僅かに力を込める。
私の前に伸びていた氷の道が、急角度で横へ曲がった。
木剣の軌道から外れ、そのまま人形の周囲を滑る。
直進から急な曲線へ。
身体を傾けながら背後へ回り込み、氷の道を途切れさせた。
その瞬間、滑っていた身体がぴたりと止まる。
私は右手の短剣を持ち上げ、人形の首筋へ刃先を突きつけた。
演習場が静まり返る。
「……そこまで」
女性騎士の声が響いた。
私は短剣を下ろし、訓練人形から離れる。
「対象の拘束、自身の移動、急な方向転換から停止まで……。すべて一つの魔法で行ったのか」
「はい」
「それでいて、必要のない場所にはほとんど魔力を使っていない……」
女性騎士は訓練人形の足元へ視線を落とすと、感心したように息を吐いた。
「見事だ、リゼット。文句なしの合格とする」
「ありがとうございます」
短剣を収め、丁寧に頭を下げる。
その直後だった。
演習場の外から、大きな歓声が聞こえてくる。
高い壁の向こう側。
ノエル様が試験を受けている方角だ。
「今の歓声は……?」
「騎士試験の方で、誰かが何かしたのか?」
周囲の受験者たちが、口々に声を上げる。
姿を見ることはできない。
それでも、あの歓声の中心に誰がいるのか、なぜか分かったような気がした。
「……ノエル様」
私は演習場の外へ視線を向ける。
きっとあちらでも、ノエル様は周囲の方々を驚かせているのだろう。
そう思うと、自然に口元が緩んだ。




