28
――五年後、クラヴィエ家の屋敷。
窓から差し込む日差しに俺は目を細める。
もう朝のようだ。
しかし、昨夜遅くまで起きていたせいか、まだ眠い。
布団から出られないでいると、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「ノエル様、お目覚めでしょうか?」
この声はリゼットだな。
質問に答えるとすれば、起きてはいるが、起きたくはないといったところだ。
寝たふりをすれば見逃してくれないものだろうか。
体を横にしたまま目を閉じていると、がちゃりと扉の開く音がした。
どうやら、リゼットが部屋に入ってきたらしい。
「ノエル様。寝たふりをなさっているのは分かっております」
リゼットが近寄ってくる。
返事はしない。
ここで反応すれば負けだ。
「……仕方ありませんね」
呆れたようなため息が聞こえた。
次の瞬間、頬にひやりとしたものが触れる。
「冷たっ!?」
俺は布団を跳ね除け、反射的に飛び起きた。
「おはようございます、ノエル様」
リゼットがにっこりと微笑む。
その手には、魔力で作ったのであろう氷片が握られていた。
「寝起きの主に氷を当てる従者がいるか」
「申し訳ありません。ですが、普通にお声をかけても起きてくださらなかったので」
「頬がまだひんやりするんだが」
満足げなリゼットに思わず口を尖らせる俺。
「では、温めましょうか」
リゼットの手がそっと俺の頬に添えられた。
先ほどまで氷を持っていたはずの手は、不思議と柔らかく温かい。
近い距離でこちらを覗き込む蒼い瞳に、思わず言葉が止まる。
「……分かった。起きる。起きるから、少し離れてくれ」
「はい。お目覚めいただけたようで何よりです」
涼しい顔で一歩下がったリゼットは、流れるような銀髪のよく似合う、凛とした少女へと成長していた。
ついでに言うと、こちらをからかう余裕まで身につけてしまったらしい。
将来は男を手のひらで転がす小悪魔にでもなっているんじゃないか?
心の中で言い返しながら、俺は布団を押しのけてベッドから降りた。
凝り固まった体をほぐすように、大きく伸びをする。
俺が腕を下ろすのを待ってから、リゼットは一通の封書を差し出した。
「ノエル様、こちらを。今朝、ギデオン様より届いたお手紙です」
「先生から?」
封書を受け取ると、深紅の封蝋に刻まれた紋章が目に留まった。
アシュラント王国騎士団のものだ。
今では騎士となったアランから、同じ紋章の手紙が届くこともあるが……。
けれど今回、封書に記されていた差出人は、リゼットの言う通りギデオンだった。
封を切り、折り畳まれた便箋に目を通す。
そこに書かれていたのは、十五歳になった俺に、国家騎士の試験を受けるため王都へ来いという内容だった。
言わんとしていることは分かる。
この国では、騎士試験は十五歳から挑めるようになるのだ。
続きを読むと、試験の日程や王都での待ち合わせ場所まで、ご丁寧に記されている。
どうやらギデオンも当日は顔を出し、俺を会場まで案内してくれるらしい。
相変わらず、面倒見のいい人だ。
しかし、動き出すにはちょうどいい機会かもしれない。
俺は王都へ向かう準備を始めることにした。
♦
クラヴィエ領を出てから数日。
俺とリゼットは、王都へ向かう馬車に揺られていた。
車輪ががらがらと音を鳴らし、馬の蹄が規則正しく街道を叩く。
普通、長く馬車に揺られていれば尻や腰が痛くなりそうなものだが、座席の下には衝撃を和らげる魔道具が仕込まれているらしい。
おかげで思っていたほど揺れはなく、旅はなかなか快適だった。
窓から外を眺めると、陽の光を受けた草原がゆっくりと後ろへ流れていく。
雲ひとつない青空の下、街道を行き交う馬車の数も少しずつ増えてきていた。
「少し意外でした」
向かいの席に座るリゼットが、不思議そうに首を傾げる。
「ノエル様が、こうも素直に王都へ向かわれるとは」
「そんなに意外か?」
「できることなら、屋敷に籠もっていたい方かと」
「誰が引きこもりだ」
「そこまでは申し上げておりませんが……。今回は、何か理由があるのですか?」
冗談めかした空気を収めるように、リゼットの表情が真面目なものへ変わる。
咳払い一つして、俺は話し始める。
「そうだな、ギデオン先生からのお願いは無下にはできない。……というのは建前で、そろそろあいつらの動向が気になってな」
「魔族、ですか」
「ああ。クラヴィエ領の近辺では見かけないが、活動を止めたわけじゃないだろうからな。情報を集めたいと思っている」
ナイトアイズたちを使えば、周辺の様子を探ることはできる。
だが、距離には限界があるため、クラヴィエ領の外まで調べるのは難しい。
幸い、合成魔法の扱いもそれなりに板についてきた。
魔族の動きを探るなら、自分から動いてもいい頃だろう。
「王都には各地の人や情報が集まります。魔族に関する手がかりも、何か掴めるかもしれませんね」
「そうだな。とはいえ、いきなり魔族のことを聞き回るわけにもいかない。まずは騎士試験を済ませて、動きやすい立場を作るところからだ」
「承知しました。私もできる限りお手伝いいたします」
「頼りにしてるよ」
リゼットは元冒険者で、礼儀作法や各国の事情にも明るい。
王都で動くにしても、彼女が側にいてくれるのは心強かった。
そんな話をしていると、前方の御者席から声がかかる。
「お二方、まもなく王都でございます」
その言葉に促され、窓の外へ目を向ける。
街道の先に、空を区切るような高い石造りの城壁が見えた。
あれが、アシュラント王国の中心か。
俺がこれから騎士試験を受けることになる、王都だった。
剣と魔法の世界にある大きな街。
その響きだけで胸が高鳴ってしまうのだから、我ながら単純なものだ。




