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「……もういい。好きにしろ」
ニクスは地面に片手をついたまま、力なくそう吐き出した。
夜の草原を風が走り、足元の草がざわめく。
それ以外に聞こえるのは、虫の声くらいだ。
ニクスは俯いたまま、それ以上動こうとしない。
どうやら、本当に戦意を失ったようだった。
さて、どうしたものかな。
このまま仕留めるのは容易いが、無抵抗になった相手をわざわざ殺す趣味はない。
かといって、捕らえて屋敷へ連れ帰るのも面倒だった。
俺は表向き、そこまで戦えることになっていない。
……最近、その建前もだいぶ怪しくなってきているが。
それでも「盗賊団の隊長らしき獣人を捕まえてきました」などと言えば、余計な詮索を招くに決まっている。
少しの逡巡の後、俺は地面にうずくまるニクスへ視線を落とした。
「国に戻って自首するなら、見逃してやらないこともないぞ」
「……は?」
素っ頓狂な声を上げるニクス。
まあ、驚くのも無理はない。
俺だって、何の考えもなしに提案してるわけではなかった。
ここでニクスまで仕留めれば、盗賊団の部隊はほぼ壊滅する。
だが、世界規模で動いているという盗賊団だ。
連絡が途絶えたことを不審に思い、別の連中が様子を見に来る可能性もある。
「お前がその姿で戻れば、多少の牽制にはなるだろう」
ニクスは盗賊団の中でも、それなりの実力者のはず。
少なくとも、クラヴィエ領を狙うのは割に合わない。
そう思わせるだけの効果はあるはずだ。
続けて、俺はニクスに手のひらを向け、魔法を行使する。
「【魂ノ冥約】」
黒い魔力が細い鎖のように伸び、ニクスの胸元へと吸い込まれていく。
「な、なんだよ、これ……!」
ニクスが顔を歪め、胸元を押さえた。
身体の奥に、異物を流し込まれたような不快感があったのだろう。
「呪いのようなものだ。約束を破って逃げたり、再びこの領地に害をなそうとすれば、その時点で命を失う」
もっとも、効力はそれほど長続きしない。
数年も経てば切れてしまうのだが、勿論そこまでは説明しない。
ついでに、流れ続けていた血だけは止めておく。
ここで死なれても困るからな。
黒い靄がニクスの右肩を包む。
胸元に残る違和感と、塞がれた傷口。
一連の流れで、こちらの言葉がただの脅しではないと理解したのだろう。
「……俺だって、命は惜しい。国に戻って自首すりゃいいんだな」
「そうだ。分かったなら、さっさとこの地から出ていけ。気が変わらないうちにな」
片手を広げながらそう言うと、ニクスは悔しげに唇を噛んだ。
それでも反論はせず、ふらつきながら立ち上がり、街道の向こうへと去っていく。
さて、少し手間取ったな。
怪しまれないうちに帰るとしよう。
♦
屋敷へ戻ると、騒ぎはすでに収まっていた。
玄関広間では衛兵たちが倒れた獣人を縛り上げ、使用人たちが壊れた扉や散らばった破片の片づけを始めている。
大きな怪我人は出ていないようだ。
「ノエル、無事だったんだね。どこに行っていたの?」
こちらに気づいたアランが、ほっと表情を緩めて駆け寄ってくる。
「屋敷の周りを確認していました。もう大きな危険はなさそうです」
「そうなんだ……。でも、勝手にいなくなるのは心配するよ」
「すみません。次からは気をつけます」
「アラン様、少しよろしいでしょうか!」
広間の奥から衛兵の一人が声を上げる。
捕らえた獣人たちの扱いについて、確認したいことがあるらしい。
「分かりました。今行きます」
アランは名残惜しそうにこちらを見たが、屋敷の中はまだ慌ただしい。
それ以上追及することなく、衛兵の方へと駆けていった。
詳しく聞かれれば、少し困るところだった。
実際は、少し離れた森まで行って親玉と戦ってきたわけだしな。
そんなことを考えていると、衛兵隊長と話していたリゼットがこちらに気づいた。
目が合うなり、静かに歩み寄ってくる。
「ノエル様、お戻りになられたのですね」
「ああ。そっちも落ち着いたみたいだな」
俺がそう言うと、リゼットはこくりと頷いた。
「はい。どうにか、任された役目は果たせたかと思います」
「聞いたよ。かなり活躍したらしいな。兄さんと屋敷の皆を守ってくれてありがとう」
「お礼には及びません。ノエル様からいただいた御恩に、少しでも報いることができたのなら幸いです」
リゼットはいつものように背筋を伸ばし、丁寧に頭を下げた。
戦いの直後とは思えないほど、立ち居振る舞いは普段と変わらない。
真面目というか、律儀というか。
今回はリゼットに頼んで正解だったが、あまり無理をさせすぎないよう気をつけないとな。
心の中でうんうんと頷く俺を横目に、リゼットは周囲に人がいないことを確かめるように視線を巡らせると、声を落として口を開いた。
「ところで、ノエル様。先ほど仰っていた親玉らしき者は――」
「ガハハハ! ノエルも戻ったか」
聞き慣れた豪快な声に振り返ると、ギデオンがこちらへ歩いてくるところだった。
「先生の方は、もう終わったんですか?」
「うむ。倉庫に向かった連中も、屋敷へ入り込んだ連中も、ひとまず片づいた。じゃが……」
そこでギデオンは、顎髭を撫でながら目を細める。
「部隊を率いていたらしき者の姿が見当たらんのじゃ。捕らえた連中に聞いても、はっきりせん」
「先生を恐れて、逃げたんじゃないですかね」
何食わぬ顔で答えたつもりだったが、自然と視線がリゼットの方へ流れる。
リゼットとニクスの話を続けるわけにもいかない状況だったが、まさかギデオンの方から同じ話題を持ち出してくるとは。
「お主が言うなら、きっとそうなのじゃろうな。この領には、ワシより恐ろしい者もおるようじゃしのう」
ギデオンは愉快そうに喉を鳴らした。
もう完全に、親玉の相手は俺がしたとバレてるな……。
しかし、やはりというべきか。
ギデオンは、この件に深く踏み込んでくることはなかった。
ここまでくると、逆になぜ聞いてこないのか聞きたくなるくらいだ。
勿論、そんなことはしないが……。
リゼットも今のやり取りで納得したらしく、それ以上、親玉について尋ねてくることはない。
一息ついて、周囲へ視線を巡らせる。
荒らされた玄関広間を見れば、何事もなかったとは言えない。
畑の方も少し燃やされたそうだ。
それでも、屋敷の者にも領民にも、命に関わるような被害は出ていない。
相手が大陸規模で動く盗賊団だったことを考えれば、これ以上ない結果だろう。
ひとまず、クラヴィエ領を襲った脅威は去ったのだった。




