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 馬車の様子は明らかにおかしかった。

 車輪が軋み、荷台が左右に大きく揺れている。

 やがて街道のくぼみに乗り上げた瞬間、車体ががくんと傾いた。


「うわああっ!?」


 御者の悲鳴と同時に、積み荷の木箱がいくつか転がり落ちる。

 驚いた馬は高くいななき、馬車は斜めに傾いたまま動かなくなった。


 突然の出来事に、俺たちは顔を見合わせる。

 真っ先に動いたのはアランだった。


「大丈夫ですか!」


 張り上げたアランの声に、御者の男が反応する。


「ア、アラン様……!?」


 御者の男は、こちらの顔を見るなり目を見開いた。

 だが、すぐに痛みに顔を歪め、胸の辺りを押さえる。


「無理に動かないでください。怪我をされたのですか?」

「い、いえ……少し打っただけです。それよりも、護衛の方々が……」


 男はそこまで言って、青ざめた顔で街道の先を振り返った。


 その視線を追う。

 この先で何があったのか。

 答え合わせをするかのように、街道の先に三つの影が現れる。

 あっという間に距離を詰め、目の前に立ちはだかったのは獣人族の男たちだった。

 

「おいおい、ひでえじゃねえか。俺たちを置いて逃げるなんてよぉ」


 下卑た笑い声が、草原に響く。

 頭部からは狼のような尖った耳が生え、腰の後ろでは尻尾が揺らめいている。

 この辺りでは見慣れないいで立ちだ。


 クラヴィエ領は辺境といっても、他国と接する国境地帯ではない。

 大陸の端にある静かな領地である。


 そのため、他種族と会う機会は少ないのだが……。


「アラン、ノエル、リゼット。下がっておれ。こやつらの相手は、ワシがする」


 ギデオンが、俺たちの前へと歩み出た。

 獣人たちは態度もそうだが、手には血のついた曲刀を持っている。

 馬車を追ってきた様子から見ても、盗賊の類だと判断するには十分だった。

 

「先生、僕も戦います」


 アランが声を上げる。

 だが、ギデオンは振り返ることなく言い切る。


「駄目じゃ」


 いつもの豪快さとは違う、短く重い声だった。


「ですが……!」

「今のお主にはまだ早い。下がっておれ。戦いを見るのも、修行のうちじゃ」


 まだ何か言いたげなアランの肩に、俺はそっと手を置いた。


「兄さん。ここは先生に任せましょう」


 アランがこちらを振り返る。

 悔しさと焦りの入り混じった瞳だった。


「相手が盗賊なら、領主の息子として見過ごせない気持ちは分かります。でも、先生は七聖騎士の一人です。盗賊に後れを取るような人ではありません」

「ノエル……」


 ギデオンだけでなく、俺からも諭されたことで、アランはようやく一歩下がった。

 納得したというより、飲み込んだという顔だ。


 これでいい。


 アランはきっと、自分の実力が足りないから止められたのだと思っている。

 それも間違いではないが……。

 恐らく、ギデオンが見せようとしているのは、剣の腕前だけではない。


「はっ、騎士だぁ? こんな辺境にいる爺が?」


 先頭の狼獣人が、鼻で笑った。


「適当なこと言ってんじゃねえよ。なら、こいつを避けてみろや!」


 盗賊の男が地面を蹴る。

 速い。

 獣人特有の瞬発力に加えて魔力での強化。

 もちろん【瞬動】も使っていた。

 湾曲した刃が、ギデオンの肩口へ迫った時だった。


「遅いのう」


 ぼそりと呟き、右手を上げる。

 その身体に、紫電が走った。


 次の瞬間、振り下ろされた曲刀とギデオンの手が衝突する。

 周囲に乾いた炸裂音が響く。

 男の持っていた刃が、根元から砕け散った。


「なっ――」


 男の顔から、先ほどまでの笑みが消える。

 だが、驚く暇すら与えられない。


「【轟雷ノ鉄槌】」


 気付いた時にはもう、ギデオンの拳が男の胸元にあった。

 雷を纏った一撃が、その身体を容赦なく打ち抜く。

 紫電の波紋が草原へ広がり、吹き飛ばされた男から焦げたような煙が上がった。

 

 なるほど、これがギデオンの魔法か。

 雷属性は火属性と風属性、二つの魔力を持っている者のみが扱える合成属性。

 珍しくも強力な属性を使いこなし、自らの肉体を強化して戦う。

 この世界における、魔力持ちの戦い方のお手本のようなものだ。

 

 隣で、アランが言葉を失っているのが分かる。

 ギデオンが強いからではない。

 これは模擬戦とも魔物狩りとも違う。

 人の命を奪う戦いだ。

 それでもアランは、言われた通り、戦いから目を逸らさなかった。


「近づくんじゃねえ! 【土槍】」


 二人目の獣人が叫ぶと同時に、街道の土が波打った。

 尖った土塊が連なって突き出し、ギデオンへ向かって地面を走る。


「逃げ腰の魔法では、ワシには届かん」


 ギデオンは避けることなく、その攻撃を真正面から受けた。

 だが、獣人の放った魔法はギデオンの身体に触れた瞬間、音を立てて砕け散る。


 遠距離魔法が意味を持つのは、相手の魔力を上回る時だけだ。

 それでも頼ったあたり、あの獣人はかなり焦っているな。

 ギデオンは紫電を纏った右手をかざす。


「【雷穿】」


 一筋の雷光が走った。

 放たれた雷撃は敵の身体を貫き、声を上げる暇すら与えない。

 二人目の獣人は糸が切れたように、その場へ崩れ落ちる。


「冗談じゃねえ……やってられるかよ!」


 残った一人は、仲間を助けるどころか背を向けていた。

 すでにかなりの距離を取っている。

 ギデオンとの力の差を、はっきり理解したのだろう。


「逃がさん」


 短く告げ、ギデオンが地面を蹴った。

 二人を仕留めた以上、最後の一人からは話を聞くつもりなのだろう。


 巨体に似合わぬ速度で距離を詰める。

 逃げる獣人の背中に、ギデオンの手が届きかけた――その時だった。


 離れた茂みから、一本の矢が飛来する。


「むっ」


 ギデオンは咄嗟に腕を振るい、矢を弾いた。

 だが、矢じりに括りつけられていた小さな筒が割れ、灰色の煙が一気に広がる。


 ただの煙幕ではないな。

 煙の中に細かな魔力の粒子が混じり、周囲の気配を乱している。

 魔力探知を妨害するための魔道具だろう。


「小癪な真似を……!」


 ギデオンの声が煙の向こうから響く。

 だが、風が煙を払った時には、逃げていた獣人の姿はどこにもなかった。

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