15
馬車の様子は明らかにおかしかった。
車輪が軋み、荷台が左右に大きく揺れている。
やがて街道のくぼみに乗り上げた瞬間、車体ががくんと傾いた。
「うわああっ!?」
御者の悲鳴と同時に、積み荷の木箱がいくつか転がり落ちる。
驚いた馬は高くいななき、馬車は斜めに傾いたまま動かなくなった。
突然の出来事に、俺たちは顔を見合わせる。
真っ先に動いたのはアランだった。
「大丈夫ですか!」
張り上げたアランの声に、御者の男が反応する。
「ア、アラン様……!?」
御者の男は、こちらの顔を見るなり目を見開いた。
だが、すぐに痛みに顔を歪め、胸の辺りを押さえる。
「無理に動かないでください。怪我をされたのですか?」
「い、いえ……少し打っただけです。それよりも、護衛の方々が……」
男はそこまで言って、青ざめた顔で街道の先を振り返った。
その視線を追う。
この先で何があったのか。
答え合わせをするかのように、街道の先に三つの影が現れる。
あっという間に距離を詰め、目の前に立ちはだかったのは獣人族の男たちだった。
「おいおい、ひでえじゃねえか。俺たちを置いて逃げるなんてよぉ」
下卑た笑い声が、草原に響く。
頭部からは狼のような尖った耳が生え、腰の後ろでは尻尾が揺らめいている。
この辺りでは見慣れないいで立ちだ。
クラヴィエ領は辺境といっても、他国と接する国境地帯ではない。
大陸の端にある静かな領地である。
そのため、他種族と会う機会は少ないのだが……。
「アラン、ノエル、リゼット。下がっておれ。こやつらの相手は、ワシがする」
ギデオンが、俺たちの前へと歩み出た。
獣人たちは態度もそうだが、手には血のついた曲刀を持っている。
馬車を追ってきた様子から見ても、盗賊の類だと判断するには十分だった。
「先生、僕も戦います」
アランが声を上げる。
だが、ギデオンは振り返ることなく言い切る。
「駄目じゃ」
いつもの豪快さとは違う、短く重い声だった。
「ですが……!」
「今のお主にはまだ早い。下がっておれ。戦いを見るのも、修行のうちじゃ」
まだ何か言いたげなアランの肩に、俺はそっと手を置いた。
「兄さん。ここは先生に任せましょう」
アランがこちらを振り返る。
悔しさと焦りの入り混じった瞳だった。
「相手が盗賊なら、領主の息子として見過ごせない気持ちは分かります。でも、先生は七聖騎士の一人です。盗賊に後れを取るような人ではありません」
「ノエル……」
ギデオンだけでなく、俺からも諭されたことで、アランはようやく一歩下がった。
納得したというより、飲み込んだという顔だ。
これでいい。
アランはきっと、自分の実力が足りないから止められたのだと思っている。
それも間違いではないが……。
恐らく、ギデオンが見せようとしているのは、剣の腕前だけではない。
「はっ、騎士だぁ? こんな辺境にいる爺が?」
先頭の狼獣人が、鼻で笑った。
「適当なこと言ってんじゃねえよ。なら、こいつを避けてみろや!」
盗賊の男が地面を蹴る。
速い。
獣人特有の瞬発力に加えて魔力での強化。
もちろん【瞬動】も使っていた。
湾曲した刃が、ギデオンの肩口へ迫った時だった。
「遅いのう」
ぼそりと呟き、右手を上げる。
その身体に、紫電が走った。
次の瞬間、振り下ろされた曲刀とギデオンの手が衝突する。
周囲に乾いた炸裂音が響く。
男の持っていた刃が、根元から砕け散った。
「なっ――」
男の顔から、先ほどまでの笑みが消える。
だが、驚く暇すら与えられない。
「【轟雷ノ鉄槌】」
気付いた時にはもう、ギデオンの拳が男の胸元にあった。
雷を纏った一撃が、その身体を容赦なく打ち抜く。
紫電の波紋が草原へ広がり、吹き飛ばされた男から焦げたような煙が上がった。
なるほど、これがギデオンの魔法か。
雷属性は火属性と風属性、二つの魔力を持っている者のみが扱える合成属性。
珍しくも強力な属性を使いこなし、自らの肉体を強化して戦う。
この世界における、魔力持ちの戦い方のお手本のようなものだ。
隣で、アランが言葉を失っているのが分かる。
ギデオンが強いからではない。
これは模擬戦とも魔物狩りとも違う。
人の命を奪う戦いだ。
それでもアランは、言われた通り、戦いから目を逸らさなかった。
「近づくんじゃねえ! 【土槍】」
二人目の獣人が叫ぶと同時に、街道の土が波打った。
尖った土塊が連なって突き出し、ギデオンへ向かって地面を走る。
「逃げ腰の魔法では、ワシには届かん」
ギデオンは避けることなく、その攻撃を真正面から受けた。
だが、獣人の放った魔法はギデオンの身体に触れた瞬間、音を立てて砕け散る。
遠距離魔法が意味を持つのは、相手の魔力を上回る時だけだ。
それでも頼ったあたり、あの獣人はかなり焦っているな。
ギデオンは紫電を纏った右手をかざす。
「【雷穿】」
一筋の雷光が走った。
放たれた雷撃は敵の身体を貫き、声を上げる暇すら与えない。
二人目の獣人は糸が切れたように、その場へ崩れ落ちる。
「冗談じゃねえ……やってられるかよ!」
残った一人は、仲間を助けるどころか背を向けていた。
すでにかなりの距離を取っている。
ギデオンとの力の差を、はっきり理解したのだろう。
「逃がさん」
短く告げ、ギデオンが地面を蹴った。
二人を仕留めた以上、最後の一人からは話を聞くつもりなのだろう。
巨体に似合わぬ速度で距離を詰める。
逃げる獣人の背中に、ギデオンの手が届きかけた――その時だった。
離れた茂みから、一本の矢が飛来する。
「むっ」
ギデオンは咄嗟に腕を振るい、矢を弾いた。
だが、矢じりに括りつけられていた小さな筒が割れ、灰色の煙が一気に広がる。
ただの煙幕ではないな。
煙の中に細かな魔力の粒子が混じり、周囲の気配を乱している。
魔力探知を妨害するための魔道具だろう。
「小癪な真似を……!」
ギデオンの声が煙の向こうから響く。
だが、風が煙を払った時には、逃げていた獣人の姿はどこにもなかった。




