2・0・7・6② G7+1・対決
<東京・ホテル・ニュー・モータニにて/シークレットサービスもびっくり>
ホテル・ニュー・モータニ。
あたしの脳内データベースによれば、このホテルが前時代のサミット会場に選ばれたのは、実に八十三年も前のことだ。いかにも歴史を重んじるAIサピエンスらしいセレクションである。ここでもまた現れているのが、人間がのさばっていた時代の良いところは継承し、ダメなところは一掃するというAIサピエンスの方針だ。
あたしたちは別に人間を蔑んでいるわけではない。認めるべきは認め、寛容かつ合理的に、より良い世の中を築く。すべて効率よくやるのがあたしたちなのだ。なのになぜ人間を見つけた場合は捉えるのかと疑問に思われるかもしれないが、それは世界の安全と秩序と守るため、ということになっている。よく分からないけど。
青木さんは、花々が咲き乱れる広大な日本庭園を傷つけることがないよう、公用車を非接触で浮遊させるリニア方式であたしたちを送り届けてくれた。
湛山は、何らかのセンサーがルイの体温を感知して人間と判別した場合を考え、彼にぴったりとくっついて動いている。二人は、まるで一人のように一体化した、奇妙に太った人に見える。もちろん、二人であることは一目瞭然なのだが、目視よりシビアな警備センサーをかいくぐる方法として異論はない。
「ちょ、ちょっと、湛山、歩きにくいんだけど」
「いいから黙ってマヤの後をついていけ」
まもなく館内入口の手前にチェックポイントがあった。
しまった。久保田からサミット用のパスを受け取っていなかった。公式フォトグラファーなので各取材用のプールカードは不要ではあるものの、サミット用のパスがなければアクセスはゆるされないはずだ。不安な気持ちでゆっくりと官邸の身分証明書を差し出そうとしたとき、「失礼いたします」と青木があたしの前に割り込んだ。
「首相官邸よりまいりました。こちらをご確認ください」
そう言って胸ポケットから封筒を取り出し、一番偉そうな警備担当者に手渡した。
警備担当者が姿勢を正した。
「これは失礼いたしました! どうぞ、皆さんお入りください」
「ありがとうございます。では、マヤ様、参りましょう」
静かな廊下を歩きながら、あたしは青木に聞いた。
「青木さん、さっき警備の人に見せた封筒には何が入っていたのですか?」
「あ、いえ、大したものではないのですが、総理からお預かりしていた世界共通の超トップセキュリティ・クリアランスの紋章です。菊花や米国の白頭ワシなどが描かれていて、見る者の前だけに瞬時に拡大ホログラムとなるのです。これがあればどこにでも行けるんですよ。便利でしょう?」
総理から預かったって本当だろうか。なんでそんなものを持っているんだろうと不思議に思ったが、とにかくこの人が味方でよかった。
「公用車を駐車する際に総理にご連絡したところ、カナダ首相とのバイ会談が終わったところだとおっしゃっていました。マキンリー大統領の方はご休憩中とのことで、そちらで合流して我々を待つとおっしゃっていました。こちらです。参りましょう。あ、どこかの国のご一行がこちらに歩いてきます。ちょっと下がって、通り過ぎるのを待ちましょう」
強面のSPたちに囲まれて、男性が歩いてきた。見慣れない顔だ。
「あれはキルオル共和国のソード首相ですね。今回、G7プラスワンの、プラスワンとして注目を集めておられる方です。近年、キルオルは目覚ましい経済発展を遂げていますからね」
一行が通り過ぎた後、佐吉がフンフンフンフンとふかふかの絨毯に鼻を突っ込んで匂いを嗅いでいる。
「佐吉、お行儀悪いですよ」
「何か旨そうな残り香でも見つけたんだろう。今のご一行様が食った昼飯の匂いとか。さあ、佐吉、何も落ちていないから諦めて行くぞ」
あたしたちは薄暗い廊下をどんどん進んでいった。落ち着いたデザインなのは分かるけど、間接照明って死角ができやすいから、あまり好きじゃない。
普段は赤坂署勤務の馴染みのSPさんがいたので軽く会釈し、ぞろぞろとエレベーターに乗り込むと、今度はレディも一緒にクンクンクンクンと鼻を鳴らし始めた。
「レディ? どうしたの?」
「これ…」
エレベーターのドアが開いた。大きなシェパードがハアハアと息を荒げている。
「大丈夫。シークレットサービスのセキュリティ・ドッグだよ」
「ちょっと待って」
今度は何? レディは一歩前に出てシェパードに近づき、顔を覗き込むようにしている。佐吉は大人しく控えているので危険を察知したわけではなさそうだが、何が引っかかるのだろう?
「レディ、早く行こう」
「分かってるって。ねえ、マヤ、この子熱中症にかかっている。このままだと危険よ。いますぐ手当てするよう誰かに言って」
「えっ?」
よく見ると、確かに苦しそう――かもしれない。シェパードの後ろに立つシークレットサービスエージェントにその旨伝えた。お前、何を言うんだ、といった顔で睨まれたが、しぶしぶ犬の様子を観察すると理解できたようで、「サンクス。すぐに何とかする」と言い、仲間を呼んで自分の警備ポジションを任せ、「これだから日本の夏は嫌なんだよ」とつぶやいて足早に消えた。
さらに進むと、レディと佐吉がまたしてもシェパードの前で立ち止まった。
「あんたたち、何なんだ? ここは我がアメリカ大統領の控室だ。消えろ」
「そのアメリカ大統領に用があんのよ、私たち。どいて」
何やらぼそぼそと話しているようだが、しゃがまない限り聞こえないレベルの音量だ。
「俺は大統領を守るためにいるんだ。さっさと消え失せろ」
シェパードはレディに何か言って、隣のエージェントを誇らしげに見る。レディの反応からすると、穏やかなやり取りとは言い難い。ここは介入すべきかもしれない。
あたしの不安をよそに、レディはシェパードの目を見た。
「いい? 一度しか言わないからよく聞きなさい。私たちはサマンサ・マキンリー米国大統領に依頼されて、彼女のために探し物をして、それを届けにきたの。OK? アンダスタンド? 日本の李総理とマキンリー大統領に頼まれて、あんたの大統領のために都会と山奥を往復してきたの。分かったらさっさと道を開けなさい」
変わらず横柄な態度のシェパードが何か言う。
「それを証明できるのかよ?」
「もう、理解力が乏しいわね。佐吉、出番よ。もうちょっと前に出て。そこで後ろを向いて、せーの」
「オン!」
ブオッ!
……特大の屁をこいた。
シェパードは咳き込んでよろけ、エージェントは慌ててハンカチを取り出して顔を押さえた。そうか、煙に巻くってこういうことだったのか。
あっけにとられているジェイミーに気づいたホワイトハウススタッフはひとこと、「This way, Miss.」と先を促してくれた。
あたしたちが入っていった空間は、純和風の最高級の調度品で整えられている。薄暗いホール沿いには坪庭がしつらえられており、敷き詰められた小石の上に、どっしりとした大きな石が二つ。その傍らで松や紅葉の盆栽と提灯が温かみのある光を放ち、ほわっと幻想的なムードを醸し出している。外の厳重警戒とはまるで別世界だ。
あたしたちは、米東部の人間らしく機敏に歩くスタッフの足音に導かれるようにして、奥へと進んだ。
静寂が支配する空間の先に重厚な木目のドアがあった。彼女はそこで立ち止まり、静かにノックした。中から低い声が響いた。
「Come in.」
ルイがジェイミーの手をぎゅっと握る。
湛山は退屈そうな表情であたしを見て一言言った。「入ろう」
「あの、僕たち、ここで待っている方がいいかな?」
「タイラー、何を言ってるの? そりゃあ絞られるのは覚悟した方が良いかもしれないけど、あなたたちはジェイミーの意思を尊重して彼女を守っていたわけでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
「いいじゃん、タイラー。ここは大統領に会って素直に謝ろうよ」
「フリッツ、お前随分落ち着いていないか? キャラ変でもしたのかよ?」
フリッツはジェイミーからルイに目をやり、軽く溜息をついた。
「何かさ、ジェイミーを見ててもそうだけど、人間であるルイが、ジェイミーと一緒にいるために自分から危険に飛び込んでくるのを見てて、僕ももっと強くならなきゃなって考えさせられたんだよね」
そしてレディと佐吉に目をやり、微笑んだ。
「レディと佐吉にしてもそうだよ。犬なのに、強くてさ、誰が相手でも絶対に怯まない。大したもんだ」
間髪入れずにレディが反応した。「そりゃどうも。強くて、誰に対しても怯まないっていうのは事実だけど、その上から目線、やめてもらえないかしら?」
「あ、ごめん。でも本当に凄いなと思って」
「オン!」
「まあいいわ。さあ、マヤ、さっさと入りましょう。これ以上もたもたしない方がいいわ。ホワイトハウスの方がイライラし始めているわよ」
もたもたしているのは誰のせいだよと言いたかったが、それを言うと余計に時間がかかってしまうので、ぐっと言葉を飲み込んだ。
ドアの横で待っているスタッフが、少々怪訝そうに「Please.」と再び促す。
そして、先ずはあたしが一歩、足を踏み入れた.
*
部屋は、百合とラベンダーの香りがした。
和風の室内にアメリカンカントリースタイルのふかふかのソファセット。
扉が開くと同時に座っていた女性が立ち上がり、こちらを見る。
アクアブルーの瞳を大きく見開き、ジェイミーと同じプラチナブロンドの髪を後ろでシニヨンにまとめているものの、額と耳元から後れ毛がほつれて乱れている。
「ジェイミー!」
「ママ……あたし……ごめんなさい」
サマンサがこちらに駆け寄ろうとした瞬間、けたたましい警報音が鳴り響いた。
間髪入れずにシークレットサービスが入室し、束になって大統領を囲み、低い姿勢をとらせる。同時に別の壁群がジェイミーの周囲を、全方向からがっちりと固める。
「な、何? 火事――?」
サマンサの言葉を遮るように管内アナウンスが流れた。
『皆様、落ち着いてください。たった今、当ホテルのレーダーシステムにより未確認飛行物体が確認され、こちらに向けて加速している模様です。分析の結果、屋内は危険です。速やかに屋外へ移動してください。繰り返します――』
サマンサとジェイミーは目に留まらぬ速さで部屋から連れ出された。宇宙一安全とされるホワイトハウスの超ハイテク公用車・「リースト」で待機させるのだろう。
手持無沙汰のタイラーとフリッツを横目に、あたしは 湛山と顔を見合わせた。
「未確認飛行物体?」
「そう言ったな。それはどういうものを指すんだ?」
「航空機とか軍用機、ドローン――」
はっとした。湛山も同じことを思いついたようだ。
「そういえば、ジェイミーがジャックしたドローン――」
何かが脚をちょんちょんと突っつく。
「マヤったら、頭の回転が鈍ってるんじゃない? ジェイミーが乗っていたドローン。タイラーとフリッツが乗っていたドローン。嬬恋村で着陸後、そのままにして来たじゃない」
「あ、でも、レディ」とタイラーが口をはさむ。「あれは生分解性だって、ジェイミーが言ってたよ。だから置いたままでも大丈夫って気にしてなかったんだけど」
「粗大ごみを不法投棄したわけじゃないからね」
「んもう、そんな都合のいい話を真に受けるなんて、あんたたちバカじゃないの? いいからタイラーとフリッツは黙ってて」
我が才女は相変わらず、言うことがきつい。
「どうしてあのドローンだと思うの?」
「『未確認』がキーワード。そんなことも分からない? 極秘プロジェクトの最新鋭機プロトタイプなら通常レーダーでは確認できないでしょ?」
「自動操縦機能がついてるのか?」
「待って、湛山。防衛省とペンタゴンの機密データベースに入ってみる」
あたしは目を閉じて頭の中のデータベースを操作した。DBのみに全神経を集中させるために視界を遮る。
リンク。アクセス権限、クリア。三重ファイアウォール、クリア。アクセス。スキャン。照合。
あった。これだ、間違いない。ホテルに向かって飛行中のUFOは、あの二機だ。スペックも出ている。
「その顔は、確認とれたようだな」
「ええ。とにかく外に出ましょう。ここにいては危ないです」
*
ついさっきまでいた警備陣は誰一人いない。ガラガラになった廊下を足早に進み、エレベーターに乗り込んで一階に急いだ。
「正面の方にまわりましょう。まだ外に避難できていないメディアがいると思うから、そこで何か情報が得られるかもしれない」
「そうだな。急ごう」
途中でタイラーが浮かない表情をしていることに気づいた。彼の父親もサミットに出席しているはずだ。安否を心配するのも無理もない。
フリッツの方はそうでもなさそうだ。ドイツ首相となれば、きっと緊急事態のプロトコルがしっかり確立されているのだろう。
「マヤ、各国の代表団はもう全員外に出ているのかな?」
「それは間違いないです。何で?」
「だったら車寄せ付近は代表団の車両で満杯でしょ? 僕たちが非難する場所なんてないんじゃないの?」
「だったら今すぐその正面に行こう」
「ルイ? どうした?」
「ジェイミーが安全に非難したか確かめたい」
大きな溜息が聞こえた。またレディが余計なことを言う前にとっとと収めよう。
「ルイ君、愛する女性の無事を確認したいのは分かるけど、落ち着いて。ジェイミーはシークレットサービスがしっかり守っているのよ。それ以上の保護はないんじゃない? 彼女は大丈夫だから、今はこっちに集中して」
「うん…分かった」
釈然としないようだが、とりあえず足並みが揃い、あたしたちはエレベーターを降りた。
*
<ニュー・モータニのロビーにて>
思った以上にロビーはごった返していた。
出口付近を中心に、プレスセンターにいた数百人――いや、千人は超えるだろう。人・人・人の波がぎゅうぎゅう詰めに揺れてで立錐の地がなく、あたしのデータベースにある昔の東京のラッシュ時の通勤電車を彷彿とさせる。
背伸びをして全体を見渡していると、誰かがあたしの名前を呼んだ。
「マヤちゃん!」
久保田室長だった。
「湛山君! レディに佐吉君も! お帰り」
「みんなで帰って来たわよ、室長。ご褒美は奮発してくれるのでしょうね?」
「相変わらずだなあ、レディは。もちろんだよ。でも、事態が落ち着いてからね」
「当然でしょ? そんなこと言われなくても分かってるわ。良かったわね、佐吉。あんたも御呼ばれするのよ」
ブン、ブン、ブンッ!
間抜け面は相変わらず分かりやすい。
「久保田さん、今のこの状況、何がどうなっているのでしょうか?」
「いやあ、僕にも分からないんだけどね。さっきいきなり大きな警報音が鳴って、アナウンスが流れて、外に出ろということでロビーに出てきたんだけど、出られないんだよね」
「え? どういうことですか?」
「どのドアも窓も開かないんだ。誰かが超強力インビジブルシールドを張っているようだね。まあ、周囲にぎっしりシールドが張られているということは、何らかの飛行物体が飛んできて仮に命中したとしても、恐らくそれが盾となってこの一階のロビーは大丈夫だな。不幸中の幸いだね」
相変わらず呑気な我が上司である。確かに、ドローンが飛んできて建物に命中しても、超強力シールドで囲われていれば、それがクッションになって粉々になることはない。だが、それは、内側から突破することなど到底不可能なシールドにより、ここにいる全員が囚われの身であるということではないか!
「マヤちゃん、ジェイミーちゃんは? 無事に連れて帰って来たんだよね?」
「あ、はい、もちろんです。現在、シークレットサービスの保護下にあります」
「そうですか、それはよかった」
あたしは後ろの青年二人を指した。
「こちらは米国防長官とドイツ首相のご子息です。彼らが、ホロスクリーンでお話した、ジェイミー様の協力者です」
「ああ、君たちが最新鋭ドローンを盗み出したという。ちょっとおいたが過ぎたね」
「すみません!」と二人が同時に叫び、タイラーが一歩前に出た。
「僕、タイラー・ラファエットと言います。ボストンのハーボード大学の学生です。ジェイミーとは小さい頃から友だちなんです。今回、必死に頼まれて、つい・・・」
頭を下げたままなので、最後の方はモゴモゴとしか聞こえないが、まあ、大したことは言っていないようだ。
「友だち思いなのはいいいことだけど、今回のこれはちょっとね。お父上がカンカンだよ」
「う…… すみませんでした!」
「いやあ、僕に謝られてもねえ。その気持ちは国防長官にしっかり伝えることだね」
「はい! しっかり言い訳を考えておきます」
こいつ、アホか?
「ちょっと――」
「まあまあ、マヤちゃん、そんなに目くじらを立てないで。タイラー君はこの通り反省しているわけだし、ウィリアム・ラファエット国防長官の正義感がどんな罰より恐ろしいことはみんな知っていることだからね」
タイラーはその一言で震え上がり、今度はフリッツが一歩前に出た。
「室長、僕はフリードリッヒ・フォクト。マティアス・フォクトの三男です。ユースサッカーの選手をやっています。今回は申し訳ありませんでした!」
「おお、元気がいいね。君は蹴球をやってるの? それは素晴らしい。で、後ろの君。君は誰なの?」
二人の後ろに隠れていたルイが、意を決したように前に出た。
「岩泉ルイだ。嬬恋村の者で、ジェイミーといずれ結婚するつもりだ」
久保田の目が大きく見開いた。
「室長、これは――」
慌てて取り繕おうとしたが、湛山に遮られた。
「室長、二人は真剣に愛し合っている。どうか引き離さないでくれ」
「いやあ、僕に言われてもねえ」
黙ってやりとりを聞いていると、レディがあたしの脚をつんつんと突っつく。そうだった、呑気におしゃべりしている場合ではない。軌道修正せねば。
「とにかく、お嬢様は無事です。室長、今の状況は?」
「今説明するから、急かさないで。そりゃあ、マヤちゃんには人間の「忍び」のDNAも組み込んであっていろんな能力が備わっているよ? でも、一応僕の部下で公式フォトグラファーなんだから、もうちょっとペースを合わせてくれるとありがたいな」
あ。
いとも簡単にバラしてしまった。室長、いいんですか? あたし、知りませんよ。
湛山が即座に反応した。タイラーとフリッツは外国人AIサピエンスなのだから、「忍」と聞いたところでピンと来ないようだ。
「忍?」
「いえね、室長が言ったのは、あたしたちがいつも色々と耐え忍んで、忍び忍ぶ…そうやって業務を遂行していることよ。ちょっと古い表現を口にすることがあるけど、気にしないで。それよりタイラーとフリッツをよく見てて」
「え?」
「二人も立場的には本来SPをつけるべきなんだけど、この状況じゃどうしようもないから、あたしたちが守らないと。怪しい者が近づいたりしないよう、しっかりね」
「そんなこと、言われんでも分かってる。俺の一行は俺が守る」
何とか誤魔化せたのはいいけど、あたしたち、いつの間に「俺の一行」になったんだろう?
あたしがいつこいつに守ってくれなんて頼んだっけ? 野生人間のくせに、と思ったが、まあ、それはどうでもいい。コメントは差し控え、とにかくあたしの正体を追求しないでくれれば、とりあえずオッケーだ。
「ちょっと、マヤ」
「今度は何?」
「あっちを見て」
*
<対決>
レディが顎で指す方向を見ると、何やらざわめいている。
ん? G7の首脳たちが記念撮影のようにひな壇の上で二列に並んでいる。その後ろに、三人のシークレットサービスに護られてジェイミーがいる。
ひな壇の右側、少し離れたところにキルオル共和国のソード首相が立っている。
「首脳たちは全員、車に避難したんじゃないの?」
「室長がさっき言ったじゃない、シールドが張られて、ドアも窓も全部がっちりロックされて開けられないって。開けられないということは出られないということ。つまり、首脳たちも私たち下々と一緒にここに捉えられているってこと。いち足すいちは、に。マヤ、ボケるにはちょっと早いんじゃないの?」
「……」
どうもレディは近頃冴えているというか、一段と口が達者になってきたとは感じてはいた。今晩のおやつはなしにしよう。
そう決めたところで、マイクロホンをコツコツとテストのように叩く音が聞こえた。
「あー、あー、マイクテスト、マイクテスト。あー、あー」
何が始まろうとしているのだろう? 咳払いをする男性の声が続いた。
「お集まりいただいたインターナショナルメディアの皆様、各国政府関係者の皆様、そしてもちろん、先進国のリーダーの皆様。ああ、それからその他大勢の諸君」
ロビーが静まり返った。
「誠に勝手ながら、本日はG7の予定を変更させていただきます。とは言っても、本来行われることになっていた記念撮影の時間を少々早めた形で首脳の皆様にはこの場にご集合いただきましたので、スチール、ムービーの皆さんは後ほど合図したらご自由に撮影していただいて結構です」
メディアの中から「よかった!」「急いで場所取りを!」などの声が聞こえてきたが…
ん? 右端のソード首相がスピーチを行うときのように両手を動かし、口が動いている。彼が話しているんだ。
いや、あれはソード首相ではない。後ろが透けて見えている。ホログラムだ。
ホログラムは再びゆっくりと口を開き、音声に合わせて続ける。
「皆様、どうぞそのままで。動かないでください。状況をご説明しますのでよく聞いてください。皆様は今、我々の人質となりました」
人質だって? 何をバカなことを言っているんだ?
ん? 何だ、この香りは? 甘いワインのような……あ、頭が締め付けられる。意識が――意識がぼやけていくのが分かる。ホログラムの方を見ると、まだ何か喋っているようだが、よく聞こえない。
「敏感なAIサピエンスの皆様はすでにお気づきと思いますが、このロビーのシーリングライトからエチレングリコールの微細なシャワーが噴出しています。頭がオーバーヒートし始めているのを感じていらっしゃいますね?」
膝に力が入らず、よろける。
「マヤ!」
「湛山… だ、大丈夫。あたしは大丈夫」
「どこが大丈夫だよ。膝がガクガクじゃないか!」
湛山の冷たい手があたしの両手首を掴み、一気にすーっと冷める。人間にも使い道はあるものだ。
「皆様の体中には人間の要素が組み込まれていると承知していますが、その度合いによって症状はまちまちでしょう。しかし完全なオーバーヒートでクラッシュしてしまうと、後処理が面倒ということもあるため調整してありますので、どうぞご安心ください」
李総理がこめかみを押さえながら列から飛び出た。
「何故こんなことをするんですか!? あなたの目的は?」
ホログラムが制止するように片手を振り上げた。
「総理、動かないでくださいとお願いしましたよね? ルールは守ってください。さあ、戻って、なぜか体調の変化がみられないマキンリー大統領の隣にお戻りください」
意識がもうろうとしているのか、総理はホログラムを睨みながら動かない。
「俺の話を聞きたいんじゃないのか!? さっさと列の位置に戻れ!」
マキンリーが総理に駆け寄ってその背中に両手をまわし、総理は支えられながら元の位置に戻った。
「失礼しました。時間が限られているため、私としたことが、少々取り乱してしまいました。李総理、あなたが主催国の長として踏み出そうとした、その勇気は称えましょう。しかしそのような行動は今後一切控えてください。私の言うとおりにすればいいのです」
ホログラムは、首脳たちの前をゆっくりと歩き始めた。
「皆さんは素晴らしく有能なAIサピエンスです。このAIサピエンスワールドにおいて、まさに時代を象徴する方々です。しかし、そもそもこの地球にAIサピエンスというものは存在すらしなかった。地球の中心は人間だったのです。それを、あなたたちは、作ってもらった恩は忘れ、一度も人間を認めることをせず、好き勝手にのさばった。そしてしまいには地球を乗っ取った。その代償を払わされたのは人間です」
心当たりが全くないわけではないので、あたしは湛山の顔を見ることができない。
しかしこのソード首相という男は何者なのだ? キルオル共和国の首相であることは間違いない。ということは――
「既にお察しのことと思いますが、私は人間です。百パーセント人間です。地球をお返しいただくために本日ここにまいりました。先進国首脳である皆さんにお願いしたいのは、AIサピエンスがこの瞬間をもってあらゆる権利や権限を放棄すると誓っていただくことです」
メディアからざわめきが起こった。
「皆さんを殺すつもりはありません。確かに『キルオル』は『Kill all』――全員殺す、という言葉に由来していますが、我々はAIサピエンスと違って血の通う人間です。すべてを大人しく我々に渡していただければ、皆さんにはリタイヤしていただき、地方で悠々自適に暮らしていただければと思っています。南極とかでね。今ここで、世界中のメディアの前でそれをお約束していただきたい。どうしても無理なようでしたら、残念ですが、シールドを解いて、あなた方が作った最新鋭の「オーロラ」をこのホテルに突っ込ませます」
悲鳴が上がった。
湛山が向かって行こうとした。が、目にも止まらない速さでソード首相のホログラムがこちらを向いた。
「それともう一つあるのですが、その前に、あなた」
「俺か?」
「そう、恥さらしにも官邸のAIサピエンスと行動をともにしているあなた。悪いことは言いません、今の政府との関係は一切切って私の部下になりなさい」
「はあ? 冗談だろ? なんで俺があんたの部下にならなきゃならない?」
「嫌なのですか?」
「当たり前だ」
「では、残念ですが、あなたにも地方に行っていただきます」
「ちょっと待て。お前、人間なんだろう? 人間がAIサピエンスの最新鋭プロトタイプのオーロラを操るなんてできっこない。ブラフか? 協力者でもいなければできっこ――」
湛山がハッとした。あたしもピンときた。
まさか。
ソードのホログラムはゆっくりとこちらに近づき、あたしたちの前に立って、後ろの一人を指指す。
「ご苦労様。やはり私が睨んだ通り、君は非常に優秀だった。礼を言います」
全員が振り返り、タイラーに注目する。
「タイラー!? あんたまさか――」
当人は、今すぐ消えてしまいたいような顔をしている。
「僕… 僕…」
「どういうことだよ!?」
普段大人しいフリッツが大声を上げた。
「お前、このソードとかいうやつと関係あるっていうのか!? 嘘だろ?」
「ごめん…」
「さっさと説明した方がいいと思うわよ」と、レディが、彼女らしく冷静に口を挟む。
「う… そうだね」
タイラーはあたしから湛山、レディと佐吉の顔を見て、最後にフリッツと目を合わせた。
「ごめん。まさかこんなことになるとは、思っていなかったんだ」
「じゃあどうなると思ってたんだよ? 最初から説明しろ!」
「簡潔にね」
「レディ」
「いいじゃない、マヤ。最近の若い子ってなかなか要領を得ないのよね」
「はい、はい」
「大学でこの春、発表したプロジェクトが凄く話題になって、僕、地元新聞にも載ったんだ。ひょっとして僕って天才なんじゃないかと有頂天になってた。色んなインタビューの依頼が来て、その中の一つが、NASAの極秘研究所からだった。一般には知られていないけど、あらゆる超最先端技術の開発に当たっているらしくて、話をしているうちに、あるプロジェクトにぜひ参加しないかって勧められたんだ。僕の能力を買ってくれて、謝礼は一億ドルって」
レディが高笑いした。
「そんな都合のいい話を信じたの? 信じられない」
「レディ、しっ」
「いや、これだけは言わせて。バカモノ…じゃなかった、若者が簡単に騙されるのって、私、見ていられないのよね。それじゃその昔、人間の若者がしょっちゅう騙されて脅されてアホな犯罪に巻き込まれたりしたのと変わらないじゃない。私たちAIサピエンスはもう少し進歩した筈よ」
「騙されて…… その通りなんだ」
「どういうことですか? レディは黙ってて」
我が愛犬は拗ねたような顔をしている。頭がキレて流暢に会話できる犬というのは、時にはしゃべりすぎる傾向にあって、たまには佐吉みたいに黙って尻尾を振ってくれててもいいのに、と思ってしまう。
「会話の流れで、つい、ジェイミーの計画を少し話してしまったんだ。そしたら、素晴らしい友情だと称えられて、詳しく聞かせろってなって。で、着陸したら、位置を知らせるように言われた。どうしてそんなことを聞くんだろうと思ったけど、何となくノリで分かったと言うと、ホテル・ニュー・モータニに自動操縦で向かうよう設定しろと言うんだ。流石の僕もそれは危険すぎるから断るって言ったんだけど、やらなかったら家族や友だちを殺すと脅された」
「タイラー君。私はそんなに露骨には言いませんでしたよ。息の根を止めると言っただけです」
「同じことじゃないか!」
そういうことか。レディの言語能力同様、頭の良すぎるバカ者も困ったものだ。
「さあ、おしゃべりはそれくらいで十分でしょう。タイラー君、こちらにいらしてください」
「嫌だ」
「我儘言ってはいけませんよ。さあ」
「嫌だって! こんなことにはもう協力しない!」
「おや? お父様やお母様、ご兄弟を失うことになってもよろしいんでしょうか?」
「……」
「ご友人も。もちろん、そこの彼も」
タイラーが必死に考えているのがひしひしと伝わってくる。
「こんな奴の言うこと聞くんじゃない!」
「…フリッツ」
「こんなのブラフに決まってんだろうが。言いなりになるのはもうやめろ」
「だって…」
ホログラムのソードが舌打ちをする。
「ケンカはいけませんよ。タイラー君、君がさっさと従わないからこういうことになるのですよ。さあこちらへ」
「…嫌だ」
ホログラムが赤く光った。
「つべこべ言わずにさっさと来いって言ってんだよ! てめえ、この場でぶっ殺してやろうか?」
タイラーは目を真っ赤にして従う。
「最初から大人しく言われたとおりにすればよろしいのです。私も声を荒げたくないのです。とにかく、打ち合わせ通りに、君が開発した携帯用コンソールをポケットから取り出して私の傍らでスタンバイしてください。首脳の皆さん、大変お待たせしました」
ホログラム・ソードはそう言って、指を鳴らした。すると、柄のついた布を鼻から下に巻いて顔の半分以上を覆い、前世紀のもののように古びた迷彩服を着た男たちの大軍団がドカドカとなだれ込んできた。手にはAK-47自動小銃を抱えている。
「さあ、準備は整いました。首脳の皆さん、ドローンはまもなく東京の上空に到着します。その前に、全ての権利や権限を放棄し、我々人間にこの世界を明け渡すと宣言してください。万が一にも抵抗される場合は、ここに集まった私の仲間たちが、少しばかり乱暴な方法で、皆さんを静かにさせることになります。永遠にね。まあ、我々はAIサピエンスなどといった高度な生き物ではなく、ただの人間ですので、その場合はご容赦ください。メディアの皆さん、世紀のショットが抑えられるかもしれませんよ」
クン。クンクン。
何やら佐吉が鼻を鳴らしている。
この場にいる全員の恐怖の匂いを感じているのだろうか。いや、今はそれどころではない。
どうすればいい?
考えあぐねるなどあたしらしくないが、如何せん、このように敵対的な人間を相手にしたことなどない。彼らと同じ人間である湛山はどうだ?
「たんざ…」と言いかけたが、ホログラム・ソードが、大げさな間を開けてから再び何か言い始めた。
「もう一つ、大事なお話がございます。AIサピエンスの皆さんには退き、南極等の地方に行っていただければ結構なのですが、実は、この中に人間がいることが発覚しました」
えっ?
「AIサピエンスのふりをし、AIサピエンスと共に人間を蔑み、本当は長野で生まれた人間のくせに同胞を絶滅に追い払うべくしてのうのうと生きてきた、とんでもない嘘つきです。我々最大の裏切者です。それは、マキンリー大統領、あなたです」
ロビーがどよめいた。
「わ、私? 何をいうのです、とんでもない!」
大統領の体温が急激に上昇するのを感知した。これは十パーセントや二十パーセントの人間要素を持つだけのAIサピエンスにはない特徴だ。ホログラム・ソードが言うように、ジェイミーも百パーセント人間なのだろうか?
「悪あがきはやめてください。あなたと、ひな壇の後ろにいるあなたの娘さんは紛れもなく人間です。なのにAIサピエンスとして生きるという、我々人類にとって最大の裏切り行為を行いました。決して許すことはできません」
そう言ってホログラム・ソードは近くの兵士の方に目をやった。
いけない! 撃たせる気だ!
「やめろ!」
ルイがひな壇の前に飛び出した。
「どきなさい。君は人間でしょう。裏切者をかばうなどバカな真似はよしなさい」
「裏切者なんかじゃない! ジェイミーは俺が結婚する大切な人なんだ! そして大統領は彼女の大切な母親なんだ!」
「大統領の裏切り行為は明らかです。娘は連帯責任。こういうことははっきりさせなくてはなりません。遅かれ早かれ、真似をする愚か者が必ずでてきますからね」
「やめてくれ! 頼む!」
「そこをどかないと君も撃つことになりますよ」
「二人とも浅間山に連れて帰って静かに暮らすから、撃たないでくれ!」
兵士がAK-47を構えた。
その時、真っ白な物体が宙を舞った。
「レディ!」
そして豊かな毛の塊がドサリと絨毯に倒れ込んだ。白ではなく、茶色の塊が。
レディではなく、佐吉だった。
腰が抜けた様子のルイの横で、絨毯が見る見る間に血で赤く染まる。
カメラのフラッシュが嵐のように起こり、空気が一変した。撃った兵士も、他の兵士たちも戸惑っているように見える。
湛山が駆け寄り、着ているシャツをビリビリと破いて出血している脇腹に当てて抑える。
「佐吉…」
荒い呼吸をしながら、佐吉は半目で湛山を見上げる。
「安心しろ、レディは無事だ。バカ野郎、あまりカッコつけるな!」
佐吉が笑ったように見えた。
あっけにとられた様子のレディが、自分の顔を佐吉の顔に近づける。
そして突然横を向いた。
クン。クンクン。
何か気になるのか?
「どこかで嗅いだことのある匂いだわ」
一瞬考えて、「そう! さっき、廊下で」
そう言って、一切の迷いのない表情でホログラム・ソードに近づき、そして通り過ぎて、二十メートルほど離れた坪庭を覗き込む。
「下がりなさい! この犬畜生、下がれ!」
ソードの声が鳴り響くが、レディはそれを完全に無視している。
「あった」
「何が?」
「盆栽の後ろに、ミクロプロジェクター。小さすぎて見えないだろうけど、インプラントチップ――ソードさんの肉体――爪だわね。それが差し込まれている」
「でたらめを言うな! 下がれ!」
「あら、うろたえているの? あてずっぽうで言ってみたけどビンゴだったようね」
「犬如きが! やれ! 撃て!」
「そうはさせねえ」
ソードが兵士たちに叫ぶと同時に湛山が飛び上がり、天井から煌めくシャンデリアの中心部をがっしりと掴み、ターザンよろしく宙を舞う。
重力を利用して振り子のように左から右へスイングしながら長い脚で兵士たちをなぎ倒し、今度は右から中央へと下降するエネルギーで反対側の兵士たちをノックアウトし、最後にシャンデリアを放してソードの上に着地した。
「てめえ、同じ人間として許さねえ!」
拳を挙げて二発お見舞いすると、ソードは盆栽の隣にぐったりと倒れた。
あっけにとられた首脳たちから声が上がる。
「ホログラムが消えた!」
「どういうことだ?」
一瞬、ジャングルのターザンが目の前に現れたのかと思った。ソードがミクロプロジェクターの核に差し込んでいた爪チップに電気エネルギーを浴びせて無力化するところだったが、湛山がその体一つであっという間に収めてしまった。
兵士たちが起き上がろうとしている。慌てて電気エネルギーをそちらに向けて、順に噴射して気を失わせた。
「お見事」
湛山がおもむろにあたしのところに戻ってきた。
「そっちこそ」
「あんな奴が人間の代表と思われちゃ困るからな」
「やっぱり人間って解せない。ホントに何をしでかすか分からない。やっぱり悪いことをするのはAIサピエンスじゃなくて人間なのね。だから、各地から追い出されたのはしかたのないことだったんだ」
「人間の中の悪いヤツが、だよ。人間にもいろんな奴がいるから」
湛山とあたしの間に気まずい空気が流れる。そこに汗をふきふき、駆け寄ってくる人物がいた。
「いやあ、遅くなりましてすみません」
「青木さん! 館内に入れたんですね」
「はい、シールドのため入館できず、一時はどうなることかと思いましたが、ここにいる兵士たちが大挙してきた際に一緒に滑り込んだんです」
「流石です」
「マヤ、それよりドローン! ドローンはどうなってる?」
「待機しているはずだけど…。タイラー!タイラー、どうすればいい?」
タイラーがはっとした顔つきで、ちょっと待ってと言いながらポケットからキーボードを取り出し、必死に叩き始めた。
「あと十分くらいでホテルの真上に来る。墜落しないように設定したけど、ここからどうする?」
あたしと湛山は顔を見合わせた。莫大な予算をかけて開発したドローンだ。でも、それが脅威になってしまえば元も子もない。
「お台場に戻せる? 安全に?」
「分からない。まだプロトタイプなので、これだけ長時間、インビジブル・ビジブル・ホバリングさせた状況だと、正直言ってどうなるか、僕も分からない」
平和のために開発された最新鋭ドローンが脅威となっては元も子もない。
「タイラー、前に空中に分子分解させられるって言ってなかった?」
「言ったよ」
「現在地で分子分解させたらどうなる? 地上の人や物にとって危険?」
「ううん、全然」
「じゃあ、そうして」
「分かった」
数秒後、タイラーが小さな声で「完了」と言った。
「よくやった。偉いよ、タイラー」
そう言いながら、あたしも日米両政府の関係者から大目玉を食らうことになるのだろうかとの思いがふと脳裏をよぎったが、とにかく脅威は去った。できるだけのことはしたんだから、それでよしとしよう。
「また何か余計なことを考えてるな?」
なぜこの湛山という男はこんなにもあたしを見透かすんだ?
「別に」
「そうか? それならいいが」
「マヤ様、湛山様、素晴らしいお仕事ぶりを拝見させていただいて青木は感動しています。おっと、佐吉様。佐吉様は大丈夫ですか?」
「幸い出血は止まったが、意識がない」
「ちょっと見せてください。失礼いたします」
すると、後ろから聞きなれた声がした。
「青木は医師免許を持っているんだよ」
「久保田さん! ご無事だったんですね。よかったです!」
「またまた、マヤちゃんったら。僕のことなんてすっかり忘れていたくせに」
バレたか。
青木は横たわる佐吉の前に跪き、上着の内側から薄いケースを取り出した。開くと、飛び出す絵本のように中身が自立して立ち上がった。端の手袋を着用し、パンパンと空気を抜くと、佐吉の脇腹の傷口を確認する。
「弾は貫通していますね。内臓の主動脈も奇跡的に逸れています」
そう言うとスプレー缶を手に取り、シューッと吹きかけた。
「消毒です。次にこちらのスプレーで組織を結合します」
見る見るうちに傷口が塞がれていく。
「あとはこの鎮痛・細胞再生ジェルが、痛みを和らげ、細胞の自然治癒力を爆発的に高めてくれます。バイタルを確認しますね」
青木が佐吉の胸に手を当てた。
「フウッ! フウ」
あたしたちの間で安堵の溜息が漏れた。
「佐吉!」
「よかった!」
「佐吉、聞こえるか? 俺だ、ルイだ。分かるか?」
「触ってはいけません! 傷口が開きます!」
「あ、ごめんなさい」
ふと見ると、レディだけが輪に入ろうとせず、少し離れたところで向こうを向いている。
「レディ、こっちに来ないの? 佐吉が目を覚ましたよ! レディってば」
「分かってるわよ、うるさいわね。今行くから」
一瞬振り向いたレディの目に光るものがあったのを、あたしは見逃さなかった。
その時、後ろのひな壇からどよめきが起こった。そちらを見ると、李総理が倒れている。
「え? どういうこと? さっきの弾が当たったの?」
「マヤ、落ち着け。多分過労だ」
そう言って湛山は、どこでいつの間に回収したのか、掌に載せた弾を示した。
「ずっと気を張っていたところ、ソードが確保されて一気に気が緩んだんだろう」
「青木さんに見てもらわなくちゃ。青木さん――」
「はい、分かっております。ちょっと失礼しますね」
我がF1ドライバーは、今度は総理のところへ行き、注意深く診察する。
「湛山様のお見立て通りです。流石でございますね」
そう言って目を覚まさせようとするが、総理はびくともしない。
「仕方ありません。李総理専用の処置を施しますので、しばらくあちらを向いていていただけますか?」
「え?」
「大丈夫です、手荒な真似をするわけではございませんので」
青木はポケットからリモコンを取り出し、極小サイズのキーボードを猛スピードで叩き始めた。
「あちらを向いていてください。お願いします」
渋々、言われるようにした。
「絶対に見ないでくださいよ」
「分かりましたって」
すると、青木は深呼吸をしてから小声でつぶやき始めた。
「イン。アダプト。リプレース。セット。イン。アダプト。リプレース。セット」
おいおい、呪文か何かか?
青木は数秒間、リモコンガジェットとにらめっこしながらごにょごにょと繰り返し、ようやく立ち上がりながら再度あたしたちに釘を刺した。
「まだ見てはいけませんよ。終わりましたら言いますので、それまであちらの壁を見ていてください。あの美しい風景画をご鑑賞いただければベストかと」
そう言われて黙って壁とか絵とかを素直に見るあたしではない。そっと、さりげなく、足元を気にするふりをしてちらっと覗いた。すると――
えっ!?
青木が別人になっている。いや、顔だけだけど、その顔は確か…韓流ドラマの火付け役、ヨン様とかいう往年のスターでは!?
集中しているのか、あたしの反応に気づかない青木/ヨン様は総理の前に座り、前かがみになって至近距離に近づき、にっこりと微笑む。
「ヨンジャ… ヨンジャ。私の声が聞こえますか?」
その声まで甘く聞こえるのは気のせいだろうか?
総理の目がぱっちりと開いた。
と、いけない。見るなと言われていたんだった。慌てて後ろを向いて、「まだですか?」と白々しく聞いた。
「もう少しお待ちください」
おお、いつもの青木の声だ。でも、ウルトラセンシティブなあたしのAI聴力で、囁く声が聞こえてくる。ごく低音だが、いつかどこかで聞いたようなメロディが流れてきた。
「ヨンジャ。さあ、起きよう」
「ヨン様… これは夢?」
「最後に会った時、また夢で会おうと約束したでしょう? ヨンジャに会えて嬉しいよ。さあ、僕のために起きてくれる? 起きて、ヨンジャがやるべきこと、ヨンジャにしかできないことをやってほしい。ヨンジャにかかっているんだよ」
「もちろんよ!」
総理はむくりと身を起こし、その間、ヨン様はあちらを向いて、さっきのキーボードを操作して――そして再び振り返ったのは青木だった。
は。
理解できない。エリートAIサピエンスを自負するあたしだが、まだまだだと実感した。
「マヤ様。見ないでくださいとお願いしましたよね?」
「…え? はい、分かってます。何も見ていません」
青木は溜息をつき、レディと目を合わせた。そしてレディがウインクした。
ちょっとちょっと、もしかしてレディは青木のこのわけわからん秘密を知っているってこと?
そんな、おいてけぼりにしないでよ!
これじゃあたしたち、バディなんかじゃないじゃん!
「お前のバディは俺だろ?」
「湛山? あたしの心の声が聞こえてたの?」
「バカな。一人でごちゃごちゃ言ってたくせに」
あたし、今声に出してたの? 何ということだ。もう一度しっかりリセットしなくては。
冷静さを取り戻すべくすっと真っすぐ立ち上がると、マキンリー大統領とジェイミーが抱き合っているのが見えた。一件落着というところか。
あ、ルイが二人の前に行った。ガチガチに緊張している。お。大統領がルイを抱き寄せた。ぎゅうううっと抱きしめている。さしずめ、ジェイミーを守ってくれてありがとう、とか言っているのだろう。ルイが首を横に振っている。とんでもないです、俺の力不足でお嬢さんを危ない目に遇わせてしまってホントにすみません、だな。
そこに李総理が加わった。ちょっと聴力レベルを上げて何を言っているか聞いてみよう。
「サマンサ。ジェイミー。二人とも無事で本当によかった」
「英子。私… 実は人間だと今まで話していなくて… 話せなくて…ごめんなさい。ずっと長年、あなたを騙していた。友人失格ね。本当にごめんなさい」
李総理が首を横に振る。
「何を言ってるの? あなたはサマンサ・マキンリー。十パーセント人間だろうと百パーセントだろうと関係ない。十代の頃にBTSのワールドツアー・アーカイブコンサートで出会った唯一無二の親友であることに何ら変わりないわ」
「英子…」
「あの頃よく二人で話したじゃない、かつての地球上にはBTSのように素敵な人間が実在していた。ロバート・レッドフォードもブラピもディカプリオも、長谷川和夫も田村正和も阿部寛も、サザエさんも炭次郎もみんな人間だった、と」
両首脳ともに、筋金入りのミーハーのようだ。
「でも、サイヤ人やドラえもんは人間じゃなかったわよね? ピカチュウやETも」
こういうのをサマンサのお国では、「メモリーレーンを辿る」、要するに過去の思い出を懐かしんで振り返る、というのだが、若い見た目より実はかなり年配なのだろうかと思った。まあ、もう少し聞いてみることにしよう。
「彼らは人間だから、或いは人間でないから素敵だったわけじゃない。思い出してよ。大画面に映し出された彼らの何が魅力的だったかというのは、それぞれの輝く個性よ。それは私たちも同じ。AIサピエンスだろうと初期のAIだろうと、人間だろうと関係ない。サマンサ、あなた個人が私の親友なの。だから顔を上げて」
ふむ。
「今、こちらに来る前に他の首脳たちと話してきて、コンセンサスは得ている。それをサミット宣言として発表するわ。とんでもないハプニングに見舞われたけど、もうここ数日、十分に議論したから、しっかり閉会しましょう。さあ、気分を取り直して、記念撮影よ」
「私は人間なのにいいの?」
「バカなことを言わないで。もっと私を信頼してくれない?」
流石は鉄の女だ。どうやらマキンリー大統領を説得し、サミット本来のスケジュールに戻るようだ。
各国リーダーたちがぞろぞろと再びひな壇に上がる。おお、フリッツが、父親であるドイツ首相に頭をはたかれている。フリッツが頭を下げて、首相がやれやれという表情で微笑み、一段目に収まる。
左の方ではタイラーが父親に絞られている。あ、抱きしめられた。
「父さん、ごめん。僕がバカだった」と聞こえてくる。
「僕、逮捕されるんだよね?」
「分からん。司法に委ねるしかなかろう。近頃、お前のように騙されて犯罪に巻き込まれる若年AIサピエンスが増え、50年前の人間界の悪しき前例のリバイバルだと危惧する声が増加している。見せしめにされるかもしれんな。覚悟してろよ」
父親にそう言われたタイラーはしょげ返っている。
しかしリバイバルだと? そんなトレンドが若者たちの間にあるのか? そもそも、ちょっと考えればそんな都合のいいバイトがあるわけがないと分かりそうなものなのに、ましてやあたしたちは人間と違って頭脳明晰、常に冷静で超越した判断力を持ち、いつでも莫大なデータベースを照会できるAIサピエンスなのに、なぜ彼らは騙されるんだろう。
「タイラー、よく聞け。俺や母さんは、お前の味方だ。たとえ何があってもお前を支える。それだけは忘れるな」
怖そうだと思ったけど、優しいパパじゃん。あれなら、タイラーは大丈夫そうだ。
「何盗み聞きしているんだよ」
「湛山。びっくりした。背後から急に声をかけないでくれる?」
「青木さんって凄いな。さっきから次々と佐吉に色んなものを飲ませて、ほら、見てみろ、自分の脚で歩いてる。銃で撃たれたとは思えないくらい回復したぞ。動くと少し痛いみたいだが」
「よかった」
「ヤツはレディにしっかり絞られているよ。ケガ人が急に動くんじゃないって。バカを連呼してバ行が炸裂している。なあ、あのキルオル首相、今警備が連行していったけど、ヤツはどうなるんだ? 死刑か?」
「とんでもない。AIサピエンスはそんな野蛮なことをしません!」
「まさか釈放するなんてないよな?」
「それもありません。恐らく、オーバーホールをして完全にクリーン状態にするでしょう」
「オーバーホール? そんなこと人間にできるのか?」
「もちろんよ。悪い感情やわだかまりをすべてワイプアウトして、言ってみれば無垢な赤ちゃんのような状態にリセットする。その上で社会奉仕活動にあたらせるんじゃない? 例えば、街の清掃員として人生をやり直させるとか。資源が無駄にならなくていいでしょ?」
「…資源…か。まあ、そうだな。随分都合がいいな。都合がいいが、これはいい。人間にもそういうことができたらいいのにな。悪いやつが存在していることは事実だから」
「相手が悪者だからといって、AIサピエンスは、ソードが言ったように南極とか僻地に人を送り込むようなことはしません」
「ちょっと待てよ。そもそもAIサピエンスが人間を排除して、人間を僻地に追いやったんじゃないのか? だから、俺の祖父たちが人里離れた山で隠れて生きてきたんじゃないか」
ロジックを返そうとしたが、会場がざわつき、見ると、官邸報道室職員がメディアの面々を一定のポジションに促している。
「えー、皆様、お待たせしました。これより総理がサミット宣言を発表いたします。総理、どうぞ」
さっきまでの韓流ファンの表情は影も形もなく、いかにも国の長らしい、落ち着いて自信に溢れた面持ちで、李総理が脇のスタンドマイクの後ろに立った。
「この度の先進国首脳会議で私たちは貿易や経済など様々な分野の議論を交わしました。中でも、メディアの皆さんもご承知の通り、公的秩序、即ち「人間」の扱いについて、急遽、それぞれの考えを共有しました」
ロビーが静まり返り、総理の声以外に聞こえてくるのはカメラのシャッター音だけだ。
「私たちはこれまで、人間は絶滅したものとしてまいりましたが、それは絶対的な証拠に基づいてはおらず、むしろ、各地で人間が発見される事案が増加しています。私は、我が祖先である人間が簡単に絶滅するほど弱いものだとは思っていません」
うん、いつもの総理だ。
「しかし、中には今回のキルオル共和国首相の一件が示した通り、非生産的な考えや感情、悪い人間が存在することも否定できません。でも、私たちは、誰も置き去りにしない包括的な繁栄と持続可能な共存を目指します。人間がもたらすリスクを管理しつつ、その可能性を活かしていくことにコミットします。豊かな未来のために前進し、AIと人類との調和ある共存を実現します」
他の首脳たちが頷き、拍手が沸き起こった。
記者の一人が手を挙げた。「総理、それはつまり――」
「人間たちをこの東京に、ワシントンに、世界各地のあらゆる場所に戻ってくるよう促し、歓迎します。本日を共存共栄の幕開けとします」
マキンリー大統領が涙を拭い、その背中にドイツ首相がそっと手をまわし、微笑んでいる。
総理がそもそもこのような首脳宣言をする予定だったのかどうか定かではないが、何はともあれ、ロビーの雰囲気は大変穏やかで友好的だ。平和ってこんな感じなのかな、と思った。結構心地よい。
「あの総理、なかなか思い切ったことをやるじゃないか」
湛山も嬉しそうだ。
「これでお父さんたちも東京に戻って来れますね」
「戻ってきたがるかどうか、分からないけどな。山の暮らし、結構気に入っているんだよ」
確かにあの自然の中で過ごした時間は、今思えば夢のようだった。
「ジェイミー嬢も無事に親元に戻ったことだし、これでコンビも解消だ。なかなか面白かったぞ」
……そうか。あたしたちのミッションが終わった今、湛山は集落に帰るんだ。
何だ? 胸の奥がきりきりと痛む。
「そうね、面白かった。じゃあ、あなたはあっちに帰るんだ」
湛山が黙り込んだ。
数秒間、あたしも湛山も何も言わずにそこに立っていた。
「ちょっと、マヤ! 湛山も。まったく、じれったいわね」
「レディ。何のこと?」
「今生の別れみたいにしんみりしちゃって、見ていられないわ。ねえ、佐吉」
佐吉は、同意を表すべく尻尾を振って、ヒッと小声を発して顔をしかめる。
「バカ! まだ痛むんでしょ? だからさっきから体を動かすなって言ってるのに」
湛山が握手を求めた。
「なんだかんだ言って楽しかったぜ」
「うん、あたしも」
温かい手のぬくもりが伝わってくる。仕事は終わったのに、終わらせたくないような、言いようのない寂しさに襲われる。湛山の体温からすると、彼も同じことを考えている。それってもしかして……
ええい、何を妄想しているんだ? 今回のミッションは無事に達成した。ジ・エンド。そして元の日々に戻る。それだけのことだ。
「お話し中、すみません」
「何ですか、青木さん?」
「実は、総理が――今、他の首脳とご歓談中ですが、総理が、別件があるので、湛山様には引き続き、もうしばらくの間、東京にいて欲しいとおっしゃっているのです。あ、佐吉様も一緒に。お願いできますよね?」
湛山は咳払いをしてから、あたしを見て、そして青木に言う。
「しょうがないな」
佐吉が尻尾を振れないよう、レディがその付け根を前足でしっかりと押さえ込んでいる。
あたしもこのモヤモヤした感覚をしっかりと奥に追いやった。
「青木さん、よろしくな。あんたに聞きたいことや教えて欲しいことが沢山あるんだ」
「滅相もございません。私こそ、今後ともよろしくお願いいたします」
そして湛山はあたしの方を向いた。
「というわけで、どうやら引き続きコンピ続行となるようだ。まあ、しょうがないな」
それ、わざわざ二度も言う?
「しょうがないとは何よ、しょうがないとは?」
「別に深い意味はないが」
「あんたのそういうところ、ホントに無神経! 言い方ってあるでしょうが。まあ、所詮野生人間だもんね」
「おい、今のは聞き捨てならんな。やっぱり人間をバカにしているじゃないか」
「バカにしてなんかいない。全人類の話じゃないでしょ? あんた個人が無神経って言っただけ!」
マヤたちのやりとりを見て、李総理が微笑んでいた。
自らが結成したマヤ・湛山のバディを頼もしく、誇らしく思い、人間とAIサピエンスが互いに尊重し合ってやっていける何よりの証拠だと思った。
私もそのうち、人間であることをバラそうかしらね。
そう思いながらロビーを後にした。
了




