北部連隊との謁見
その日ブリスコーには朝から小雨が降り注いでいた。
雨は丘一面に広がった夏草をしっとりと湿らせた。雨はテントの天蓋を軽く叩き、冷気が寝床の中にまで入って来た。
まだ補修は終わっていないが、彼らは全員が遺跡へ移り住むことにした。まだ崩れた場所のある古代の遺跡は目に見えぬ隙間から雨が伝い、そこかしこの天井から激しく雨漏りをしていた。
彼らは応急処置として茅葺の屋根を作り穴を塞ぐことにした。アイルは遺跡の壁のとっかかりに足を引っ掛け、屋根に上った。そして上からロープで木の板を受け取り、穴の空いた天井に板を渡した。
そして板を茅葺きで覆った。ひとまずはこれで雨と冷気を防げるはずだ。
ふと気づくと、その作業を下からイブが覗いていた。
アイルは部屋の中に飛び降りた。
「よう」アイルは言った。
「うん」イブは答えた。
「テオは?」
「テオは騎士団に混じって前線に出てるわ」
「もう前線に?すごいね」アイルは感心した。「あいつってどこで魔法覚えたの」
「わからない。三つぐらいで自然と魔法が使えるようになったんだった」
「そうなんだ。お前は魔法覚えたりしないのか」
「私は……」
「あのさ、お前ってお姫様かなんかなのか?えらい美人だけど」
「……」
「まあ言えないならどうでもいいけどね。これお前がやったのか?」
アイルは背中の壁を指さした。壁には丸い円を描いた木の板が立てかけてあり、その中心には何十本もの矢が刺さっていた。同じ中心に何度も打ち込まれた矢は、折れた枝のささくれのように屹立し広がっていた。
「お前が弓を使うところ、結局一度も見なかったな」
「うん」
「その弓見せてくんない?」
アイルは弓を受け取り、その弦を弾いた。その弓はふたつの素材を張り合わせて出来ており、非常に軽く、そして引き絞るとある箇所から一定の力で弓を絞れるような構造になっていた。
「変わった弓だな」
「うん」
「一本打ってみていいか」
「うん」
アイルは弓を一本受け取ると、壁際まで下がり弓を引き絞った。
普通短弓というのはかなり強い力で絞る必要があったが、これは簡単に弓を絞れ、狙いもつけやすかった。
アイルは矢を放った。それを想像していたよりも速い速度を出し、的の中心に突き刺さった。
狭い部屋の中で釘打ちを思わせる鋭い打撃音が響いた。
「お前、何でこんなところで弓の練習してるんだ?」
「うん」
「外でやろうぜ。ここじゃ練習にならねえだろ」
「うん」
「うんて……おまえこっちきてからやたら性格暗くなったな」
アイルは的の木の板を持って外に出た。エリスは弓と矢の束を持って彼に続いた。
彼らは遺跡の裏手の丘の上を登り、森の際の木の根元に的を立てかけた。
「射ってみたら」
「うん」
イブは答えた。彼女は弓をつがえ、顔を上げて的を見ると、一瞬のうちに弓を引き絞り矢を放った。
この一連の動作の熟達した滑らかさにアイルは驚いた。
矢は的を打ち抜き、衝撃に跳ね飛んだ。
「 いいじゃん」
アイルは言った。イブは何も答えずアイルを見つめた。
「今度から外で練習しろよ。 あんな狭いところでやったって意味ねえだろ」
イブは何も答えず手をさすっていた。
「お前義勇兵団はいるんだろ?」
「多分……」
「多分って……お前も義勇兵の誓いは立てたんだから、今更拒否できねえだろ」
「うーん」
「どれ貸してみ」そう言いアイルは弓を受け取った。
そして矢を絞り放った。その矢は羽が大きいせいか、アイルの想定した弾道よりも沈み込まなかった。
矢は的の上をかすった。
「下手くそ」イブは言った。
アイルはもう一本の矢を受け取り、今度はやや下を狙い放った。矢は的の中心めがけ飛んでいきそれは見事に中心を射抜いた。 矢は板に深く突き刺さり、衝撃でしばらく振動していた。
「まあまあ」イブは一言批評した。
二人は丘を降り家に戻った 。
「お前飯ちゃんと食ってんのか?」
「食べてるよ別に…なんで?」
「みんなが食ってるところに出てこないじゃん。肉食ってるか?」
「野菜とパンをたくさん」
「パンなんか食ってんのか。贅沢だな。でも肉食わなきゃ筋肉つつかねーよ。遠慮してないで飯食いに来いよ」
「ん~でも示しが……」
「示しってなんの?」
「……」
「おまえ義勇兵になるんだろ?肉食って筋肉つけろ。テオにずいぶん実力差つけられてるけどいいのか」
「わたしとテオはそんなんじゃない」
「じゃどんなんなん?」
「……」
「お前こっち着てから暗くなったな。アベルとは話てんの?」
「……」
「まあどんな事情で引きこもってんのか知んないけどさ、今夜みんなと飯食いに来いよ」
その日イブは降りてきてみんなと鍋を囲った。
彼女は普通にみなに混じり、笑顔で飯を食っていた。
イブと彼らとの間になにかあるのかと思っていたが、杞憂だったようだ
そうしてアイルがみなと粥をくっていると、丘を登って一人の女声がやってきた。
彼女はアマンダだった。彼女は砦で見た時と違い、仕立ての良い白いシャツと紺色のスカートに、光沢のするケープを羽織っていた。
「こんばんは」
「おっす」アイルが返事をした。
「こんばんは」ねねもそう答えた。
「ひさしぶりね」アマンダはそう言い、手ぷらぷらさせた。
「ああ。元気してるか」
「うん。隣座っていい?」
アイルは座ったまま横にずれ椅子の横開けた。
「あのね…お礼言いに来たんだけど。助けてもらったお礼、してなかったから」
「いいよ別に 」
「ううん、みなさんにもここでお礼させてください」アマンダは立ち上がり言った。
「みなさん、私を助けてくれてありがとう。ええと、みんなは私の英雄です」
「うぉおおおおおおおお!!いぇえええええええええええええええええ!」それを聞いてジェイがいきなり叫び小躍りしだした。
「なんやねんお前」アイルが苦笑いした。
「それでね、私は伝言を伝えに来たの」アマンダが話を続けた。
「北部連帯の人があなたを呼んでいるわ。調査があるから出頭しろって」
その日の午後、ブリスコー領主であり北部連隊騎士長であるクルツ・フォン・ハインツベルグが前線から帰還した。
北部連隊は パルパット砦の奪還に失敗した。
彼らは魔法都市ネーヴェの住民や北部に点在する村の村民を引き連れてブリスコーに帰還した。
ブリスコー騎士団の城塞の一室では難民の扱いについて喧々諤々の議論が繰り広げられていた。
「私は反対ですな、納税も兵役も果たさないでいた人間たちを庇護するのは」隻眼の武官が異議を唱えた。北部の寒村の中には国家の支配を嫌い山中に居を構え、納税の義務を逃れていた者たちがいた。これらの村は大概地図になく名前もなかった。
クルツが応えた。「わしも若い頃は頭の固い騎士団の仕組みに反発して冒険者稼業をやっていたからな。独立心が強い彼らの生き方もわかる。彼らの大半は自給自足で暮らしているわけだしな。そもそもそれが北部人の生き方として称揚されてきた部分もあるわけだ。ただ今回魔物の侵略に本格的に晒されて、国家の庇護下にあることの利点も重々理解できたはずだ。つまりこれは、順序が逆だが合法的な支配に成功したんだよ。過程はどうあれ我々は彼らを支配下においた。彼らは手づから自由の一部を手放したわけだから、今後は当然国家に忠誠を誓うだろう」
「本当にそうなるでしょうか」若い武官が言った。「納税を拒否し、内部から反乱を起こすやもしれません」
「国民の義務を果たさないものがいれば、ここから追い出すだけだ。出る分には拒まん。しかし庇護を求めるものには、そうする。まあ例えが悪いが人狩りに成功したとでも思え」
「エルフが保護されてることに意義を唱えるものもいます」モノクルをかけた官僚が言った。
「誰だ」
「ケルドン伯です」
「なるほどな。そうか……」クルツは嘆息した。「しかし既にエルフは徴募に応じた聞いたが」
「は。すでに二十名が連隊に加わっています」
「わかった。ケルドンはまずはわしから説得しておこう。もしだめならば、お前に任せよう。して報告にあったパルパットの生き残りの少年だが……」
「外に控えさせています」
アイルは扉を開けて部屋に入った。
中では壮年の騎士たちが座り、アイルを観察していた。彼はこの部屋の人間達がいかなる強者であるのか、魔法を使える今だからこそわかった。
アイルは右手の後方に気配を感じた。振り返るとねずみ色のローブをかぶっていた男が部屋の隅に静かに佇んでいた。義勇兵の誓約をしたあの遺跡にいた、年齢不詳の老人だった。彼は無表情でアイルを観察していた。
「ほう、よくその方に気づいたな?」クルツは感心して声を上げた。
アイルは砦で見たものを順を追って話した。北部連隊の兵士の死体が村で見つかったこと。砦は皆殺しの目にあっていたこと。少年たちが荷車に乗せられて北へさらわれたこと。領主の娘を救出したこと。内通者は灰色のローブを着たその魔術師であり、そいつはクラウザーを名乗っていること。緑青という巨大なオークが砦を支配していたこと。そして彗星と呼ばれる赤い鎧を着たオークが子どもたちを連れ去ったこと。継手のある巨大な大砲が砦の防御を破ったこと。
「継手のある大砲か。ウルバン砲だな」クルツは言った。
「話は以上だが……ところで君はその少年たちについてなにか知っているかね」
「……何か、とは?」
「何でも。知ってることを全て」
「……少年とは、目が合いました」
「目が合った?」
「はい。砦の上から彼らを観察していて、そしてその少年は自分を見つけて、目が合った……それだけです」
「他にはなにもないか?」クルツはアイルの目を真っ直ぐ見て聞いた。
アイルは嘘はつけないと判断した。
「……砦の兵士達が話していたのは、その少年達は囮だということです。”手”とかいう国の諜報機関が彼らを囮に使い、ウルゴーン山脈を越える進入路を探ろうとしていると」
「その話を誰かにしたかね?」
「いえ。誰にもしていません」アイルは応えた。
クルツはモノクルの役人を見た。
「彼は真実を述べています」彼は言った。
「よくわかった。今の話は決して他言しないように。ところで君は義勇兵に参加するようだな」クルツは首の痣を見ながら言った。「君はアスタロトとは何か知っているかね」
「義勇兵に参加する際に名前は聞きました」
「なるほど。以前よりこの北部前線ではオーク共との戦争が続いているが、こいつらの裏には国賊の魔法使い共が糸を引いている。悪魔に魅せられ国を裏切り悪魔の手先となった魔法使いたちが。そしてその悪魔こそがアスタロトだ。アスタロトは己を信望するものに無限の叡智を授けるという。魔法使い達はアスタロトの持つ無限の叡智に惹かれて頭が狂ってしまっているのだ。我々はこの魔術師たちを抹殺しなければならない」クルツは立ち上がり手を差し出した。
「しかし国が戦っているのはこの北部だけではない。ネーヴェでは東夷の乗る竜種の類が目撃されたようだ。そしてラインベルクを支配しているあのガレオン船も東夷の寄越したものだろう。つまり、この喫緊の事態に対し常設軍だけでは力不足なのだ。だから君のような義勇兵が必要だ。国家は君のような勇敢な戦士の忠誠を待っている」
アイルが部屋から出ると、例の年齢不詳の老人は既に廊下に出ており、後ろから声をかけられた。
「君がさっき部屋に入ったとき、どうやって私に気づいたのかね?」
「……わかりません。なんとなくです」アイルが応えた。
「そうか、なんとなくか。わしはエリスとともに遺跡にいたのだが、覚えているかね?」
「覚えています」
「そうかそうか。遺跡で見た君のエーテルの表出はそれは見事なものだった。儂は君のことを非常に気に入っているんだ。ところで君は、職能は何にするかもう決めているのかね?」
「職能?」
「義勇兵団ではそれぞれの適正に合わせて兵士を型に分けて訓練するのだ。そうさな、例えば君は狩人と盗賊とならどちらを選ぶかね?」
「それは狩人かと」
「なぜ?」
「ここに来る前自分は狩人だったからです」
「よくわかった。だが……」老人はアイルにぐいと近づいて、言った。「君はぜひ盗賊を選びなさい」
「え……?」アイルは唐突な提案に戸惑った。
「その人の言うことは聞いたほうがいいですよ」部屋から出てきたモノクルの役人が声をかけた。「その人はロードラン最高の戦士の一人ですから。彼が選ぶなら間違いありません」
「私は盗みはやりません」アイルが応えた。
老人と役人は、顔を見合わせて笑った。
「いや決っして盗賊とは盗みをする仕事ではない。ただ便宜上そういう職能に分けるだけだ」老人は笑い、役人に目配せをした。
「アイル君、すまないがこれは決定事項だ。君の天命がこう言ってるんだ。きみは盗賊を選ぶのだと……」
役人はモノクルを外しながらアイルに顔を近づけた。彼の長いまつげの下の左目が一瞬青い妖艶な光を放った。その瞳は瞳孔が開き、あり得ないことだが瞳孔そのものが青く色づき自ら光を放っていた。
アイルは身動きが取れなかった。彼の意識はただただその瞳の中に吸い込まれた……。
気付くとアイルは広場に立っていた。通りには馬車が行き交い、商人の大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
アイルは自分がなぜここに立っているのか思い出せなかった。
彼は後ろ首をかき、自宅の方角へ歩き出した。
ブリスコー西側の山の斜面には、石灰岩を 切り取って作った四角い墓標が無数に並んでいた。
それは遥か2000年前から続くこのブリスコーの習わしだった。
斜面の麓には教会立っていた。その教会前の広場に百を超える英霊の遺体が柩に入れられて安置されていた 。
彼らは剣を握らされ、彼岸花の赤い花弁で胸元を飾られた。
黒い喪服に身を包んだ修道士がバデの前で祈祷を捧げていた。
墓地にはブリスコー中から人が集まっていた。人相不定なスラム街の住人から普段は飲んだくれている浮浪者まで列の後方で直立していた。
祈祷が終わりバデに火がつけられた。それは棺に燃え移り、遺体を燃やした。
遺体は灰になって空へと帰った行った。みな頭を垂れて黙祷していた。
アイルたちは心のなかで、義勇兵としての誓いを新たにした。
義勇兵団からの召喚状が届いた。
明日から義勇兵団による訓練が始まるらしい。アイルはその時を待ちきれなかった。彼は自分の右手を中に浮かべて眺めた 今は魔力が弱まって見えないが、時々右手から立ち上る瘴気を薄っすらと感じ取ることができた。
早くこの力で戦ってみたい。そして、緑青……あの緑色のオークを葬りたい。それが彼の望みだった。
彼が興奮で眠れず何度も寝返りを打っていると、戸口に人の気配がした。
「ねえ……」
アイルは振り向いた。戸口にネネが立っていた。
彼女はゆっくりとアイルのいるベッドに近づいてきた。
そしてベッドに尻を腰掛けた。そして言った。
「母さんとおじさんがセックスしてる」
二人は夜の草むらを歩いた。今日は真夏日だったからか、夜の風も生ぬるかった。
家の壁に掲げた松明の明かりがすすきの穂を照らしていた。
ねねが草むらを指さした。
肩幅の大きな人間が、女に覆いかぶさっていた。脂に濡れた背中が松明の光をぬらりと反射していた。
艶めかしい喘ぎ声と、腰を打ち付ける水気のある音が響いていた。
草むらのあちこちからも別の喘ぎ声が聞こえてきた。スホルトの人間がところかまわずセックスに励んでいた。
ネネがアイルの手を引いて草むらに入った。
「ねえ」彼女は言った。そしてアイルの腰に手を回した。
彼女は潤んだ目でアイルを見上げて、言った。
「ねえ……」
二人は草むらに倒れ込んだ。そして二人は結ばれた。




