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ブリスコーの日常

 アイルは明け方に目が冷めテントから這い出た。空は紫色に輝き遥か天高くに尻尾を巻く巻雲が朝焼けの光を受けて虹色に輝いていた。


 アイルは昨日の焚き火の後に薪をくべて再び火をおこした。そして土瓶を火にかざして昨夜のんだ出がらしのお茶を出した。彼は草むらから突き出た石灰岩の石に腰を下ろすと、冷たい空気を頬に感じながらお茶をすすった。高山地帯の朝方は夏でも寒く冷え込んだ。遠くにはウルゴーン山脈の堂々たる山並みが、空と地上の境界線を刃の崩れた歴戦の剣のように刻んでいた。


 やがてテントからアベルが這い出てきた。彼の長い金髪が朝焼けの横日を受けて美しいマリーゴールドに光り輝いた。

「おあよう」アイルは欠伸をしながら声をかけた。

「おはよう」彼は応えた。彼は伸びをしてアイルの隣りに座った。

「昨日眠れた?」

「まあまあかな。昨日はとことん疲れたから」

「そうだね」

「ルイのことは残念だったね」アベルは一息ついていった。

「ああ」

 アイルはアベルにお茶を注ぐと、街を見下ろしながら静かに座っていた。

 アイルは言った。「なあ、お前の剣見せてれない?」

「いいけど」ジョシュアは遺跡の中に入り細剣を持ってきた「ん」

 アイルは剣を引き抜き朝日の陽光に照らした。細身の刃が夜明けの茜色の光を反射した。金細工の持ち手がなめらかな曲線で照らされていた。

「綺麗な剣だな」アイルは言った。「振っても?」アベルはうなずいた。

 アイルは剣を振るった。朝焼けに輝く細剣は燐光の軌跡を描きながら空気を裂き軽やかにしなった。

 アイルは剣を仕舞い、尋ねた。「エルザ達は?」

「家の中で寝てるよ」アベルは応えた。

「テントじゃなくて?」

「うん」

「ふうん。あいつら飯食ってんの?」

「ああ、昨日商店で色々買ったらしいけど」

「お前らと別のもの食ってんの?」

「あー、うん」

「ふうん。あいつらってさ、なんか偉い人なのか?身分が高いとか?」

 アベルは答えなかった。

「ま、別にどうでもいいけどね」

  

 陽が高くなり山の斜面が明るい陽気に包まれたころ、ドワーフの一団が大荷物を背負って坂道を上ってきた。男も女も背丈の二倍はあろうかという高さの荷物を背負っていた。彼らにはエルフ達のさらに奥、山の斜面沿いの家々と洞窟があてがわれたらしい。荷降ろしをしている彼らのもとへ、ゴードンが挨拶に向かった。ゴードンはスホルト難民の暫定的なリーダーになった。男性的なたっぷりの髭を蓄えた屈強なドワーフたちに囲まれていたも、ゴードンの分厚い肉体は彼らに見劣りしなかった。アイルはそのことを誇らしく思った。

 ジェイがアイル達のもとへやってきた。

「おい」彼は言った。「ご近所さんみたいだな」

「おっす」アイルは言った。「ずいぶん大荷物だな」

「おばちゃん達早くに避難したって言ったろ。それでヴェリザードまで物資を買い込みに行ってたんだと」

「ヴェリザードで暮らさないのか?」アベルが訊いた。

「バーロぅ、あんなとこ土地高すぎて住む家なんか買えねーよ」

「積荷はなんなの?」アイルが訊いた。

「大工道具とか膠とかだな。あと白檀とかいろんな木か」

「木なんて奥に生えてるの使えばいいんじゃないの?」アベルが言った。

「勝手に取っちゃ駄目なんじゃない?ああいうのは包囲されたときに薪に使ったり緊急時の建築資材に使ったりするんだ。あと、この谷間の大きさなら獣もたくさん自生してるだろうしね」

「へぇえ」アベルが気のない返事をした。

 三人はそのままぼんやりと座っていた。奥の遺跡の方から金槌で何かを打ち付ける音が響いてきた。見ると、ドワーフ達は遺跡の外壁をハンマーで叩いていた。遺跡がどれだけ建築物として劣化しているのか反響音で確かめてから補修に入るらしい。ドワーフらしい気の長いやり方だった。エルフやスホルト村の人間たちは、ドワーフに遺跡を調べて貰う代わりに、彼らの3日分の食料を用意することになった。

「トグマは家の補修手伝わなくていいのか?」アイルは金槌の音が響く上方の遺跡を指差しながら言った。

「おれはああいうのはやらない。生まれ持っての戦士だからな」トグマは応えた。二人は特に追求しなかった。


 こうして三人がたわいもない話をしていると、斜面の下から人が登ってきた。そのすらりと背の高い黒髪の女性にアイル達の目線は引き寄せられた。

なぜなら今のアイル達には魔法がみえるから。

義勇兵団長エリスはアイルたちのそばにまで登ってきた。甲冑を着ないその姿は、華奢で細身であり、とてもあの大楯を振り回していたとは思えなかった。彼女は言った。

「ほかのやつらはいるか?」

「呼んできましょう」アベルはそういうと、遺跡の中に歩いて行った。

「家があるのにテントで寝てるのか」団長は言った。

「家が安全か確かめて、修繕が終わるまでは、テント暮らしですね」アイルは答えた。

「別に大丈夫だと思うがな……」団長は小声で言った。

 しばらく待っていると、アベルはエリスとテオを連れて家から出てきた。

「久しぶり」アイルはイブに声をかけたが、テオは彼のことを睨みつけてきた。気やすく話しかけるなということだろうか。

 「揃ったか」エリスは話し始めた。「まず義勇兵団についてだが、9月の頭までは活動はしない。訓練はまとまった人数が集まってから始めるから、それまでは体を休めておけ。そして貴様、確かテオといったな」テオは顔をあげてエリスを見た。「貴様は既に義勇兵として遜色のない技量がある。貴様はすでに魔術が扱えるようだし、訓練課程は飛ばして義勇兵団に参加してもらう。異存はあるか?」

「いえ」テオは短く答えた。

「ではついてこい。ほかの者は五日後に会おう」エリスはそう言うと、彼らに背中を向けて斜面を下って行った。

 テオが去ると、アイルはイブに話しかけた。「よう、お前飯食ってんの?」

「別に食べてるよ?」イブは答えた.

「なんでみんなと食わんの?エルフって本当は菜食主義者なんだっけ?」

「う~ん、肉を食べないというより殺生がだめなんだけど」

「ほ~ん坊さんみたいなもんか。でも肉食って体力つけないと義勇兵なんかやれねえだろ」

「う~ん」

「何?お前義勇兵にならないのか?」

「いや?なる……う~ん、なると思う」

「なんだそりゃ。兵士になったらさ、食うもんなんか選べねえだろ。今のうちに肉食って慣れとけよ」

「う~んまぁ、うん」彼女はなんとも煮え切らない返事をした。そのうちにエルフの女に呼ばれて、イブはまた家の中に引っ込んでしまった。

 テントで寝ていた村人たちもちらほらと起きだした。アイルは手持無沙汰でやることもないので、村仕事の手伝いを申し出たが、怪我の大事を取って断られた。彼らは三人で釣りに出かけることにした。

 

 彼らは城門を出た。門前には馬車を引いた商人の群れが列をなして並んでいた。荷車の中には果物などの食料品のほか、剣や黒光りする甲冑を載せた荷馬車もあった。昨日戦闘があったばかりなのに、前線基地までやって来て商売する彼らの商魂には恐れ入った。アイルはその場で果物商と交渉し、りんごを3つ買った。


「釣りかあっ!?」城門の上の兵から声がかけられた。

「釣りでぇす!」アイルは棹を掲げて応えた。

「俺も行きてえぞっ」兵は笑いながら嘆いた。


 門を出てすぐ眼前にラインベルクの鷹揚とした流れが広がっていた。人間の争いごとなど露知らず、大自然はあるがままの姿で何千年も変わらぬその営みを続けていた。夏の草むらは日差しを浴びて美しい緑を一面にたたえていた。しかし一歩城門を出ると、鼻をつく刺激臭に覆われ彼は顔を背けた。土手の上流ではオークの死体が一箇所に積み上げられ燃やされていた。煙とともに肉の焼ける甘ったるい匂いが漂ってきた。硬質の肌が裂け、腸詰めの様に弾けた皮膚からピンク色の肉がむき出しになっていた。彼らは下流へ移動した。

 積み上げた彼らの遺体の中心で簡単な木組みの火葬塔が燃えていた。

「あの塔は?」アベルが訊いた

「あれはバデっていうんだよ。言い伝えでは俺たちは死んだ後に焼かれて煙になってまたどこかの土地で生まれ変わるんだと。だからなるべく高く煙を上げれるように高い塔と一緒に燃やすんだよ」アイルが答えた。

「へえ。オークもそうなの?オークも生まれ変わる?」

「そうだよ。オークも人間に生まれかわるかもしれないし、人間もオークに生まれ変わるかもしれない」

「君も生まれ変わってオークになる?」

「なるかもしれないし、元はオークだったかもしれない」

「普通オークも弔うものなのか?」

「普通はしないよ。まあ誰か博愛主義者でもいるんじゃね?」アイルはそう言うと下流へ歩き出した。

 アイルは歩きながら餌を探した。アイルは道ばたの草むらのふくらみに目をつけた。霜をつけた土のようにこんもりと盛り上がり、穴の空いた茶色い土くれの塊があった。アイルは素手で湿った土をえぐった。膨らんだ土は簡単にほぐれ、掘り返された土の上には大量のドバミミズがうねうねとうねっていた。

「お~」アイルはひとりにやにやした。アイルは木箱に大量のミミズを確保すると、土手の下に降りていった。土手の草むらはまだ朝露に湿っていた。彼らは下流へと歩き小さな流れ込みまで歩いていった。


「岸に近づくなよ」アイルが言った。彼は草むらにかがんで針にミミズをつけた。硬質な感触で手の中で暴れまわるミミズにアイルは期待を膨らませた。これは”いいミミズ”だ。彼は水面を目視できない位置から餌を川面に投入した。竿先にすぐに反応があった。

「よっ」アイルが勢いよく竿を立てた。ぬっとりとした荷重に竿はしなり、小気味よい振動がアイルの腕から肩に伝わった。彼の心臓が高鳴った。「ナマズかな?」アイルは言った。

 水中から魚を引きずり出すと、果たしてそれはナマズだった。ピチピチと爆ぜるような音を立てて草の上で転がり回り、身をくねらせると葦の間をかき分け逃げようとした。アイルはスカリにナマズを入れると、それを水中に放った。

「よくわかったね」アベルは言った。

「感覚。釣りは得意だからね」アイルは応えた。

「一発で釣れたな」ジェイが言った。

「餌がいい。かなり生きのいいドバミミズだよ。四日前に雨降ったばっかだから。これ使ってみ」アイルはアベルのために大きなミミズを選んで針に付けた。

 アベルはアイルの指示で流れ込みの奥へ移動した。そしてアイルのやったように岸から離れて池の淀みに餌を入れた。しかし反応はなかった。アベルが立ち上がろうとすると、アイルが手振りで待てと静止させた。

『一分待て』アイルは小声でそう言った。

 そうして一分間茂みに座っていると、突然竿先に強烈な荷重がかかり竿のされた。

「思いっきり引け!!立っていい!!」アイルは叫んだ。

 はたして言うとおりにアベルは立ち上がり全力で竿を立てた。全長二フィートはある巨大なレンギョがごぼう抜きになった。

「ハクレンだ」アイルは言った。「今夜は土鍋だなあ」

 

 彼らはそれから三時間ほど釣りをして二十匹のナマズを釣った。アイルはホクホク顔で足を踊らせながら家路についた。あまりの喜びように他の3人までつられて笑った。


 昼飯は昨日と同じく家の外で作られた。ドワーフたちが運んできた大きな鍋に火がくべられ、煮炊きの雑炊が振る舞われた。ネネたちは市場でシソの葉を買ってきた。あいかわらず具の少ない雑炊だったがシソの香りに食がすすんだ。ナマズはまたぶつ切りにされスープにされた。女衆が下町の店から使われない鶏ガラをたくさん確保してきた。鶏の脂が浮くナマズのスープは滋養たっぷりで身体に染み渡った。

 昼飯の後、アイルたち四人はブリスコー全体を回ってみることにした。


 彼らは村の中央を流れる小川を遡って水源を見に行った。川は山間に入るとすぐに細くなり、時々礫石の地下に隠れた。か細く流れる水源の最上流に水源を示す石柱が立っていた。彼らはさらに山を上ったが、先が急峻な崖になっていたので引き返した。


 彼らは谷を下りアイル達の住居と反対側、西側の斜面の尾根伝いに歩いた。街の西側には長く住人が住んでいるのだろうか、屋根は補修され赤く統一された瓦で覆われていた。家と崩れた遺跡の壁との間に、洗濯物が紐にくくられて風にぱたぱたとはためいていた。

「そういや風呂入ってないな。お前着替え持ってんの?」アイルはアベルに訊いた。

「まったく持ってない」アベルが応えた。

「ていうかさ、お前ら金持ってんの?」

「いやまったく持ってないんだ……だからこれからどうしようかって話てるとこ」

「市場に質屋とかあるけどいまはまだ金に変えないほうがいいよ。足元見られるから。しばらくは仕事で稼ごうぜ」


 彼らがさらに尾根を下ると職人街があった。屋根の煙突からもうもうと白い煙があがっていた。日干し煉瓦が広場一面に干してあり、焼いた屋根瓦がその横にきれいに並べられていた。アイル達の耳に鉄を打つ金属音が聞こえた。工場の入り口を覗くと、赤く光る金属を叩いている鍛冶屋の作業場が見えた。


 かれらはさらに尾根を降りて、職人区と市場の間のスラム街にたどり着いた。飲んだくれのおっさんどもが昼から石畳に寝そべって豪快にいびきをかいていた。ここは見習い職人や流れ者が住み着く日陰の街だった。金のない新参冒険者や傭兵稼業の 荒くれ者もこういう界隈に好んで住んだ。血と喧騒が渦巻く下っ端区域はどんな都市にも存在した。

 アイルは峰の上からスラムの路地を眺めていると、煙管をくわえている髭面の浮浪者に目を留めた。彼は小道へ降りると、男に声をかけた。

「おっちゃん、葉っぱどこで買えんの?」

 彼はうつむいたまま右手の方向を指差さした。

 アイルたちが薄暗い路地をぶらぶらと進んでいると、少年が狭い路地裏を走ってきた。

 少年はアイルたちの手前で、待てと叫ぶ男に後ろから肩を掴まれ、地面に引き倒された。少年は両手にたくさんのりんごを抱えていた。そのりんごが引き倒された拍子に腕から転げ落ちた。少年は男に馬乗りにされ、顔面をタコ殴りにされた。

 アイル達が割って入り、男を少年から引き離した。

 「なんだてめぇら!!見ねえ顔だな。新参もんか!?」男は叫んだ。そしてアイルたちの腕の呪痣に目を留めた。

 「けっ。あんたら義勇兵か。いっとくがその餓鬼が悪ぃんだよ、人の売りもんかっぱらいやがってよ」

 アイルはポケットをまさぐり銭を取り出した。

「いくら?」

「5カパーだよ。いっとっけどな、こんなことやってもキリねえぞ」男は言った。そして金を受け取りその場を去った。

 アイル達は少年を助け起こした。少年の体は痩せ細り、腹が頬は痩せこけ汚れていた。彼もアイルたちと同じく難民の一人だろう。

 少年の足取りはふらふらとおぼつかなかったので、アイル達は彼を家まで送り届けた。

  

 アイル達は湿った路地裏の暗い店で大麻の小袋を買った後、市場を廻った。活気に溢れた街の通りは屋台や売り子が立ち並び、とても昨日戦争があったばかりとは思えなかった。アイルは昨日見た屋台で串焼きを買い二人におごった。城壁へと続く階段には衛兵など誰も立っていなかったのでアイル達は登った。そして城門の上から外を眺めた。

 アイルはポッケに手を突っ込み、大麻をひとつまみ取り出しもみほぐした。

「え、ここで吸うの?」アベルが訊いた。

「だいじょぶだいじょぶ」アイルが答えた。そして紙を取り出し大麻を巻いて棒状にすると、櫓の炎に突っ込んで火をつけた。

 アイル川向うの地平線を見ながら大きく煙を吸い込んだ。そして長々と煙を吐いた。

「はい、アベル」彼はそう言いアベルに紙巻きを差し出した。

 アベルは燃えさしばらくじろじろと眺めた後、それを咥えて深く息を吸った。

「衛兵さーん、ここで悪い事してる人いますよ~」ジェイが両手を口に当てて叫んだ。

 アベルは口から紙巻きを放しむせこんだ。二人は大笑いした。ジェイはアイルの手から紙巻きを摘み取ると、口に咥えてアイルと同じく対岸の草原を眺めた。

 ラインベルクの対岸には果てしない平原が広がっていた。この平原とラインベルクの豊かな水量を生かした大規模な農耕が何度も試みられてきたが、その度に火竜の襲撃を受け放棄されてきた。地平線には霞がかった霧がかかり、その奥にはロードラン北部の都市ヴェリザードの高い城壁がうっすらと見えた。


 櫓の兵士たちの動きが騒がしくなった。彼らにつられて川の上流を眺めると、騎馬兵の隊列が遠くに見えた。

 北部連隊の兵士たちが帰還したのだ。

 

 街の広場では町人総出で帰還兵たちの大歓迎会が行われた。兵士達には酒が振る舞われ、彼らの腕を引っ張り甘い声をかける女の子たちがいた。

 もちろんブリスコーの住人が兵を歓迎するのは当然だ。しかし、スホルトもフーケンも敵に占領されたままだった。アイルの友人たちは既に皆殺しにされているだろう。

  広場ではお祭り騒ぎが始まった。屋台の肉や、店から料理が運ばれて、酒盛りが始まった。人々が笑顔をで語り合う様を見て、アイルは気分が悪くなりその場を離れた。


 アイルが家に戻ると、ネネが家の壁に鏡を立てかけ、見たことのないスカーフを頭にかぶせてポーズを取っていた。よそ行きだろうか。

「どこか出かけるのか?」アイルが訊いた。

「うん、仕事始めたの」ネネが応えた。

「へえ、もう?どんな仕事?」

「『キッピス亭』っていう兵舎の隣の酒場で、ウェイターのしごとが決まったんだ」

「へえ。でも大丈夫なの?酔っ払いに絡まれたりしない?」

「えへへへ。ダイジョブだよ。あたしはそんなに弱い女の子じゃないから」

「ふうん……」

「今日は初仕事だから。早めに出かけなきゃ」ネネはそういうと、荷袋を肩に下げて家を出た。

 

 アイルはアベルとジェイを連れて酒場『キッピス亭』へやってきた。アベル曰く、どこかの言葉で”乾杯”という意味らしい。

 中は北部連隊の帰還兵でごった返していた。すでに何人もの酔っ払いが顔を真っ赤にして床に倒れ、おが屑まみれになって床でいびきをかいていた。

 「席とれるかな」アイルは言った。

 年嵩のウェイターは、兵士たちには愛想の良い笑顔を向けていたが、アイルたちを見ると張り付いた笑顔は消え、不躾な目線でアイルたちの身なりを上から下までじろじろと見ると、鼻を鳴らして部屋の一番奥を親指で指した。アイル達は便所の横のカビ臭い小さなカウンターへ案内された。

「なんか便所臭えな」アイルが言った。

「ま、しょうがねええよ。今日は兵士にゆずってやろうぜ」ジェイが言った。

「ていうかさ、もともと兵士御用達しの酒場っぽいけどね。場所的には」アベルが言った。

「そうかね」ジェイは言い手を上げて大声でウェイターを呼んだ。

 ネネが注文を取りに来た。胸の大きく空いた黒いブラウスに白いフリルの付いた、子供っぽいデザインのエプロンを着ていた。短いスカートにの下にはハイソックスに締めつけられた肉厚の白い太ももが弾けていた。

 ネネはウインクしながらメニューを手渡すと、猫なで声で言った。

「ご注文はいかがですかあ?」

「……ビール」アイルが頬杖を付きながらぶっきらぼうに言った。

「俺もビール」

「じゃあ俺もビールで」ジェイが笑った。「お前不機嫌すぎだろう」

 ネネはビールを運ぶと、すぐに他の注文を取りに戻った。店は満員でてんてこ舞いだ。立ち飲みをしている兵士も沢山いた。

 ネネは見えの奥から出てきて大皿を運んできた。表面に塗られた油がジュウジュウと音を立てている小豚の丸焼きが、玉ねぎや青菜などの上に鎮座していた。酒の匂いが充満している酒場でさえその香ばしい匂いが便所の隣の席まで届いてきた。

「これはお店のおごりで~す」ネネは言った。

 彼女は皿をテーブルびおろし、ナイフを手に取り豚の皮に切り込みを入れた。黄金色の皮がはじけ、熱々の脂が肉汁とともに滴り落ちた。

 おーっ、と歓声が上がった。

 アイル達にはもちろんそんなものを買う金はないので、ただよだれを垂らして肉を眺めているだけだった。

「お姉ちゃん新入りか?いいけつしてんなぁぐへへ」鼻を真っ赤にしたハゲた兵士が目尻を垂らしながらネネの欠をぽんと叩いた。「俺の母ちゃんよりでけえケツ!ぐへへへ」

「あの野郎……」アイルがテーブルから立ち上がろうとしたが、ジェイがその袖を掴んで引っ張った。

「まあまあ。今日ぐらいいいじゃん、大目に見ようぜ」

「……ああ」

 しかしネネは大テーブルの兵士達につかまり、長々とちょっかいをかけられた。

「姉ちゃんすっげー美人だなあ。おれっちの嫁にならないか」

「この胸のデカメロンはいくらですかあ。ぐへへ」

「えええエプロン売ってくださいいいっ家でシコシコして家宝にしますうううっ」

 次から次へとや卑猥な言葉を浴びせられていたが、彼女は笑って受け流していた。

「美人って大変だな」ジェイは言った。

 ネネがようやくそのテーブルから開放された直後に、となりのテーブルの若い冒険者数の髪を逆立てた男が同じノリでネネに声をかけた。

 「お姉ちゃ~ん次は俺と遊ばな~い?お姉ちゃん髪綺麗だね~。俺長い髪が好きなんだかぁ」

 男はそう言いながら身を乗り出してネネの尻を指先でつーっと撫でた。男が椅子に座りなおすと、そばにアイルがそばに立って見下ろしていた。

 アイルは男の顔面をぶん殴った。

 男は倒れ、食器がガチャりと音を立てた。兵士達は目を丸くし、店は静まり返った。

「てんめぇ」

 男は振り返り様にアイルの顔面を殴った。

 そうしてすぐに取っ組み合いの喧嘩が始まった 。

 「やれぇ!やれぇ!」「殺せええええ!」

すぐに兵士達が乗っかり、大声で囃し立てた。

 ツンツン頭の仲間のがたいのいい男が二人の間に割って入った。

「おいおい、やめろやめろ」

 二人は男の強い腕っ節によって引き離されたが、つんつん頭は男の後ろから手を伸ばしアイルのアゴを殴った。

 アイルは後ろに倒れ椅子に激突した。しかしすぐに身を起こし、その仲間ごと男をテーブルに突き飛ばした。

 男はつんのめって食器の上に倒れた。スープが飛び散り男の顔を汚した。

 男は皿をつかむと上かぶりでアイルに投げつけた。

 アイルは頭を振って避けた。

 皿そのままテーブルの間は飛んでいき、喧騒を無視して下を向いて飯を食っていた兵士の後頭部にぶち当たった。

「ってめ何すんだクソ野郎!!!」

 彼は目の前にあったサラダボウルを手に取りアイル達に向かって投げた。

 しかしそれは大きな放物線を描きアイルたちの頭上を飛んでいった。そして部屋の反対側の兵士たちにぶつかった

「テンメェこの野郎!!!」

 兵士は手持ちのビールジョッキを放り投げた。

 そしてテーブルの上を跨いで 走り出し、アイルたちを通り過ぎサラダを投げた兵士をぶん殴った。

 仲間の兵士がそれに応戦した。

 そこからはもう大混乱だった

 方方で大立ち回りの喧嘩が始まった。皿が空中を飛び、テーブルが倒され、

 アイルとツンツン頭は互いに腕をからめ絡みついていたが、後ろから羽交い締めにされて引き剥がされた

 アイルはそのまま店の外に連れ出された。

「触んじゃねえ」アイルは腕を振りほどいた。

「お前しばらくここ近づくなよ」若い茶髪の兵士がアイルに言った。

「俺に指図すんじゃねえよ」

「お前店滅茶苦茶にさせた弁償させられるぞ。犯人見つかんなきゃ騎士団が代わりに弁償するからしばらくすっこんどけ」

「チッ」アイルはそう吐き捨てて店の前から去った。


「いや~若いやつは熱気がすごいね」茶髪の兵士が言った。彼はザックといい、北部連隊の若い輜重兵であった。

「若いね」もう一人の男が応えた。彼はランドルといい、同じく輜重兵であった。彼は黒いウェーブした髪をオールバックに背中に流していた。二人は若い頃からの馴染みであり、ヴェリザードから南のザイスという商業都市で騎士の訓練を終えた後、北部連隊に志願してこの血へやってきたのだった。

「まあこうやってどんちゃん騒ぎしてさ、嫌なことみんな忘れるのがいいんじゃないの」

「ああ……」 ランドルは浮かない顔をして応えた。

「なあ、ちょっと歩かないか」ザックは言った。

 二人は陽の落ちた路地を歩いた。表通りはまだ祭りの喧騒に騒がしかった。彼は人混みを避けて、城壁につながる階段を登った。

「俺らはこの戦争に負けてる」ザックは言った。

「たしかにそうだな。ネーヴェも陥落した。だのにこの騒ぎようだ。情けねえやつらだぜ」ランドルは応えた。

「まあこの街出身のやつも多いからさ、それは仕方ないんじゃないの。そういえばオランドの駐屯兵ニ千人を北に移すそうだよ」

「ほんとか?それは心強いな」

「だがすぐに兵を前線まで動かせるわけじゃない。とにかくやつらの進入路をみつけないと、やたらと兵を動かすわけにもいかんしな。奴らは完璧に補給路を隠匿している それは補給線を隠す事自体は当然なんだろうが、ここまで完全に進入路の隠匿に成功していることが、逆にやつらの補給線が脆弱であることを示していると思う」

「隠匿がうまく言っているのは内部の裏切り者のせいもだろう」ランドルが指摘した。

 城壁から草原を眺めているザックたちの顔をそよ風がなでた。この高度地帯の砦は晩夏も過ぎたばかりだというのにもう肌寒かった。薄い大気を貫通したばかりの幾万の星の光が空一面に瞬いていた。

「俺は前線に出たいんだ」ザックは言った。「あんな訓練を積んだ跡で輜重隊なんてやってられっか」

「輜重隊も重要だが……」ランドル言った。

「俺は前線に出たいんだ。親父みたいに魔物と剣を交えてみたい。そして勇敢に戦って、死にたい……」ザックはランドルを振り返った。

「なあ、義勇兵団に参加してみないか。おれ達二人で前線に立とう」

 

 アイルは家に帰った。まだ壁の割れ目だけ補修したボロ屋で、木組みの板に藁だけ敷いた簡素なベッドに見を横たえた。興奮して寝れず何度も何度も寝返りを打った。

 そして幾度目かの寝返りの後、体をドアの方に横に向けると、そこにネネが立っていた。彼女は麻のワンピースだけの無防備な格好で立っていた。

 彼女はベッドのそばまで来ると、アイルの顔の真横に座った。ワンピースの薄い生地越しに彼女の豊満な肢体のラインが顕になった。

「助けてくれてありがと。うれしかったよ」

「……ああ」アイルは応えた。

「……ねえ、寒いから一緒に寝たい」

「え……」アイルが言葉に詰まっていると、彼女は藁をかき分けアイルの真横に潜り込んできた。

 彼女はアイルの顔をその胸に抱いた。

 アイルは乳臭い胸にその顔をうずめ眠った。

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