8話目・その5
「突然泣いたりして本当ごめんね、二人共…。」
茉莉は突然泣き出してしまったことについて、同席するエルとリアに頭を下げる。
涙自体は止まったものの、泣いた所為で目が充血してしまっているのが、ちょっとばかり痛々しい。
『気にしないで、茉莉姉ぇ!』
「今回のは何かタイミングが悪かっただけなのであろう。我もリアも、気にしてはおらぬから、茉莉も気にせぬようにな。」
リアはエルの通訳を受けて言い、エルは茉莉が泣いた理由が分からないなりに言葉を選びながらフォローしようとする。
泣き止んだからといって理由を問い質そうとするような無神経な兄妹ではない。
何より、再び泣き出されては困るのだから、触れない方が良いだろうと考えたのだ。
とはいっても、理由が気にならない訳ではないエルは、冷めかけの紅茶を一口啜ることで、心を落ち着かせた。
そうして一段落ついたところで、ルナルナが注文のホットサンドの皿を両手に、彼らの座るテーブル席の前にやって来た。
「失礼します。お待たせ致しました。ホットサンドのミックスがお二つになります。」
ルナルナは言い終えると、両手に持っていた皿を、エルとリアの前に一つずつ丁寧に置く。
その後で、
「…まーちゃん、大丈夫?」
と、少し声量を落として、茉莉の方を心配そうに見遣る。
「…は、はい…大丈夫です。…ご、ごめんなさい、ルナルナさん…。」
茉莉は顔を赤くしながら謝罪しながら、少し居心地悪そうに身体を揺すった。
バイト先で、休憩中とはいえ、泣き出してしまった訳で。
他の従業員や客にも、泣いている姿を見られてしまっていたかもしれないのだ。
店に迷惑を掛けてしまったことによる後ろめたさを感じる一方で、同じかそれ以上に羞恥に苛まれるのも無理もない話である。
「んー…まーちゃんが大丈夫なら私は気にしないんだけど。それに、ユニちゃんもアヤメちゃんも心配そうに見てたから、気にはしてないと思う。まーちゃんは大丈夫そうだった、って、私から伝えておくね。」
「はい…ありがとうございます…。」
やはり他の従業員にも見られていたらしい事実を告げられて、茉莉は余計に顔が熱くなった。
「はい。それでは失礼します。」
元気付けるように笑みを見せるとルナルナは、一礼してから去っていく。
茉莉とルナルナの会話を聞くともなしに聞いていたエルは、茉莉がこの店の従業員と悪くない関係を築けているらしいことを嬉しく思ったが、口に出して言うのも何だか憚られる気がして、
「ふむ…茉莉が注文したという料理の方は、未だなのか。」
と、敢えて別の話題を振ることにした。
エルの胸中に気付く様子もない茉莉は、特に疑問も持たずに、その話題に応じる。
「ボクが注文したのは、魔王く…エルくん達より後だから。」
“魔王くん”と呼びそうになって、他の従業員や客に聞かれるのを懸念して“エルくん”と言い直す。
既に何度か“魔王くん”呼びをしてしまっているのだが、その時は混乱していたり気持ちが逸っていたり、呼び方を気にしていられる状態ではなかった為か、茉莉の記憶には残っていない。
現状は、茉莉はエルの呼び方にも気を配れる程度の落ち着きを取り戻したということだ。
それでも、完全に冷静になれた訳ではなかった。
立て続けに感情を揺さぶられ過ぎたのだから、こんなに短時間で気持ちを整理するなど、出来はしなかったのだ。、
「…あ、えっと、二人は気にせず、先に食べててね!ボクちょっと、お手洗いに行ってくるから!」
そのように続けてから、茉莉は席を立つ。
「うむ。」
頷いたエルは、リアに茉莉の台詞を伝え、リアも了承を示す意味で頷いてみせる。
二人が承諾したのを見届けてから、茉莉は小走り気味に店内の手洗い場へと向かう。
お手洗いに行く、とは言ったが、言葉通りの意味ではない。
泣いた跡をそのままにはしておけないし、ついでに、ちょっとの間だけでも一人になって、もう少し心を落ち着かせたい、と思ってのことだ。
手洗い場は客席からは壁によって遮られており、客の少ない時間帯ということもあって、よっぽど運が悪くなければ、誰にも見られる心配がない。
とはいえ、あまり長い時間だと別の意味で心配させてしまうかもしれないという危惧もあった為、洗面台で顔を洗って軽く化粧直しするだけの、本当に短い時間のことである。
席に残されたエルとリアは、茉莉を見送った後、おしぼりで手を拭いてから、ホットサンドを食べ始めることにした。
ホットサンドと称される料理はサンドイッチの一種であるが、具を挟んだ後に食パン部分を焼いた物として区別されている。
挟む具材に関しても温かい状態で食べることを想定した物が多く、バリエーションは店舗や個々人によってすら様々だ。
猫カフェ『STRAY’t』に於けるホットサンドにしても、豊富な種類を有している。
その中でも、エルが注文したミックスは、一皿でなるべく多くの種類を食べたい人向けの品である。
よく水切りしたキャベツとチキンカツを挟んだもの、スライスされたアボカドとポテトサラダを挟んだもの、ベーコンとレタスとチーズを挟んだもの、ゆで卵をみじん切りにしてマヨネーズと少量のマスタードで和えて挟んだもの。これらの4種類が一つの皿に乗せられていた。
エルは右手を使わずに食べられる物を、という自分本位でのホットサンドという選択ではあったが、実はリアにしても、サンドイッチは思い出深い味なのだ。
何故なら、遊園地に行った際、茉莉が作ってきたお弁当の中に入っていたのも、サンドイッチだったのだから。
しかしホットサンドはパンの表面が焼かれている為に、見た目からしてサンドイッチとは異なる料理にも見える。挟んである具材にしても、全く同一の物はない。
ただし一つだけ、あの時のサンドイッチと印象の変わらない具材も混じっていた。
リアは目に付いたそれに、一番最初に手を伸ばす。
それは、黄色と白の二色で構成された、卵サンドであった。
茉莉が作った卵サンドにはレタスも一緒に挟まれていたが、黄色と白が挟まれたサンドイッチは、リアには最も印象強く頭に残っていた。
手に持って、一口分を齧り取る。
全く同じ味ではない…とは思うものの、決して落胆はしなかった。
それどころか、リアの頬は自然と緩んでいた。
何故と問うまでもない。全く同じではなかったとしても、記憶にある卵サンドの味と、ちゃんと重なったのだ。
茉莉が『STRAY’t』の卵サンドの分量を参考に作っていた為、同じような味だった、というのはあるのだが、そういった理屈をリアが察した訳ではない。
表面はパリッと焼かれて熱を帯びたパンであるし、食感からしても別の料理のようではあるが、見た目や味に共通点を見出し、思い出補正も加えられた結果、リアにはこの卵サンドがとても美味しく感じられた。
エルは、一時は食事に興味なさそうだったリアが嬉しそうに食べ進める姿を、優しい眼差しで見守りつつ、自らもホットサンドを食していた。
視線に気付いたリアから、
『…何?変な目で見ないでくれる?きもいんだけど。』
と毒を吐かれたが、リアがすっかり普段の調子を取り戻していたという証左であり、そのこと自体は本来喜ばしいはずなのに、素直に喜べないエルだった。
少し自棄気味にホットサンドを口に放り込み、不満の言葉と一緒に飲み込んだ。
それから程なく、茉莉が席に戻ったのは、リアが卵サンドを食べ終えて、次のホットサンドに手を伸ばそうとした時だった。
「ただいまー。」
控え目に声を上げながら戻って来た茉莉は、席を立つ前よりも表情が穏やかだった。
声の感じもだが、見た目や雰囲気的にも、元気を取り戻しつつある。
『おかえり、茉莉姉ぇ!』
と、声の主が茉莉であると気付いたリアが、素早く反応した。
日本語を聞き取った訳ではなく、茉莉の声がしたので言うべき言葉を言っただけである。
そんなリアの言葉を聞いた茉莉は、リアに笑いかけてから隣に座った。
こちらも魔人の言語を理解している訳ではないにせよ、たとえ魔人語であろうと、自分の名前に限って言えば、イントネーションの違いこそあっても聞き慣れるものである。
「…うむ。おかえりだ、茉莉。」
チキンカツのホットサンドを咀嚼していたエルも、嚥下してから茉莉に返事を返す。
「うん。ただいま。」
茉莉はそう言って、エルにも笑みを向けた。
その笑顔には、もう心配しないで大丈夫、という意味も込められていた。
果たしてそれが伝わったのかどうか、エルも優しげな微笑を返すことで茉莉に応える。
エルにしてみれば、ようやく普段通りの茉莉と再会したような気になり、幸福な心地を得られたのだ。
『…目の前でイチャつかれると、ちょっと困るんだけどー。』
と、半目になった妹からの棘のある視線、というおまけ付きではあったが。
『…イチャついてなどおらぬ。我は純粋に茉莉の復調を喜んでおっただけだ。』
直ぐにエルは表情を正してリアを一瞥する。
そして、反論は受け付けない、とでも言いたげに、新たなホットサンドを一切れ掴み取って口に運んだ。
ジトーっと数秒間、エルに対して疑いの視線を向け続けたリアだったが、目の前でイチャイチャし続けないなら良いか…と、あっさり食事を再開した。
二人が食事を進める姿を見て、茉莉の身体は空腹を思い出したかのように、小さくお腹を鳴らす。
茉莉は軽くお腹を抑えながらオレンジジュースを飲み、何事もなかったように振る舞おうとするが、
『茉莉姉ぇ…食べる?』
横に座るリアには聞こえてしまったらしく、気を遣われてしまった。
片手に食べかけのホットサンドを持った状態で、残っている2切れを皿ごと茉莉の方に寄せたので、エルに通訳されなくても言いたいことは分かった。
茉莉はそれに若干の恥ずかしさを覚えながら、軽く手を振ることで、リアの申し出を断る。
遠慮もあったが、注文したホットケーキは然程時間のかかる料理でもないので、そろそろ完成する頃合いだろう、という見込みもあった。
リアは茉莉の反応を見て軽く頷くと、自分の手元に皿を引き戻してから、手に持っていたホットサンドを食べ進める。
そうして食事を続ける二人を、茉莉はなるべく視界に入れないようにしながら、再びお腹が鳴り出さないように気を引き締めつつ料理の到着を待った。
2分と経たない内に、茉莉の期待通り、猫耳ウェイトレスの一人が、注文の品を運んできた。
「し、失礼しまっす…!お待たせ致しました!えーと…ホットケーキになりまっす!」
“アヤメ”と書かれた名札の下に“研修中”の札を貼り付けているウェイトレスは、未だ接客に慣れておらず、緊張した様子で茉莉の前にホットケーキの皿を置いた。
供されたホットケーキは、分厚い3枚の生地に蜂蜜が掛けられて、中央に四角いバターが載せられたシンプルな物だ。
「ありがとうございます、アヤメちゃん。」
自分の接客も他人から見るとこんな感じなのかなぁ…と思って内心で苦笑しながら、茉莉はお礼を言った。
マニュアルであれば、この後「失礼します」と言って、礼をしてから席を離れるのだが…アヤメはマニュアル通りの行動をせず、少し躊躇いがちに、あまり大きくない声量で茉莉に話しかけた。
「あ、あの…すみません、まーちゃんさん。ちょっと…自分、質問良いっすか…?」
“まーちゃんさん”という、最後に敬称を二つくっ付けたような妙な呼び方をしたアヤメを、エルは変な顔で見たが、茉莉の方は仕事中にも何度も呼ばれているので最近は気にしなくなっている。
「はい。何か分からないことでもありましたか?」
茉莉は即座に問い返す。
マニュアルの内容を忘れてしまったとかだろうか、と気楽に構えていたが、
「あーいえ、その…。」
と言い淀むアヤメからは、何やら簡単に片付かない質問が飛び出しそうな気配が醸し出されていた為、茉莉は少しだけ気合を入れて臨もうと決意した。
アヤメは内緒話でもするように茉莉の耳元に口を寄せると、恐る恐るといった様子で口を開き、
「こ、この人が、まーちゃんさんの彼氏さん、なんっすか…?」
エルの方にチラチラと視線を向けながら、茉莉の想像の斜め上な質問を投下するのだった。
「ちょ、ちょっとアヤメちゃんっ…!?」
仕事関係の質問だとしか思っていなかった茉莉は、慌ててアヤメを見ながら焦った声を出した。
「あ、つい…!すみませんっす!…し、失礼しましたーっ…!」
アヤメはばつが悪そうに、逃げるように去っていった。
『…?』
「どうしたのだ?」
リアは普通に食事を進めていたので、何があったか見ておらず首を傾げ、エルは茉莉の慌てた様子を見、不思議そうに尋ねる。
エルは一連の流れを(変な顔をしながら)見てはいたものの、アヤメの質問の内容は聞こえなかったので、突然茉莉が焦った声を上げた以外は分からなかったのだ。
「べ、別に何でもないよ!う、うん!何でもないから気にしないでっ!」
茉莉は慌てた様子のまま、手を身体の前でぶんぶん振る。
「…それなら良いのだが。」
何を言われて茉莉が慌てたのかは気になったエルだが、追及しても茉莉の口から語られることはなさそうだったので、追及はしないでおいた。
エルがそれ以上聞いてこなかったことに、茉莉はホッと息を吐く。
ルナルナには既にエルのことを彼氏だと認識されてしまっているようだが、やはり茉莉としては自分から認める訳にはいかなかったのだ。
『STRAY’t』の従業員は、店長一人を除けば茉莉が本当は男であると知らないのだから、“まーちゃん”に彼氏がいたとしても特に不自然には思われないだろう。
そして女装している時の茉莉は、エルとは恋人関係ということになっているのだから、肯定しても問題は無かったのかもしれない。
但し、恋人関係でいるのはエルの事情であって、茉莉の事情ではない。
更に言えば、職場で公然と認めてしまうと、何かの拍子に女装がバレてしまった場合、エルにまで迷惑をかけることになってしまう。
本来であれば、否定した方が良いに決まっている。否定すればリスクも減るのだから。
しかし勝手に恋人関係を否定する訳にもいかない事情も存在する。
常連客の神無月 詩鶴には“まーちゃん”がエルの彼女だと紹介されてしまっている訳で。
その詩鶴は店長とは知り合いであるし、常連客なのだから他の従業員と何かしらの世間話をする機会もあるかもしれない。
もし否定すれば、どこから話が伝わるか分かったものではない。
なので茉莉は、自分が“まーちゃん”でいる間は、少なくとも否定してはいけないんじゃないか…という気になっている。
そうして板挟みのような状態であるからこそ、茉莉にとって、エルとの関係を聞かれるのは、かなり答えに窮するのである。
「はぁ…。」
茉莉は二人に気付かれない程度に、軽い溜め息を吐く。
顔も熱を持っているらしかった。
だから冷たいオレンジジュースで頭の熱を下げて、空腹を訴えそうになるお腹を何とか黙らせてから、茉莉は目の前のホットケーキに向かい始めた。




