8話目・その4
「ん!?…茉莉!」
注文の料理が来るのを待つ間、紅茶を片手に何気なく店内を見回していたエルは、茉莉が私服姿(言うまでもないが女装である)で『STAFF ONLY』と書かれた看板の向こうから姿を見せたのを視界に収めると、小さな驚きの声を上げた。
『え?…茉莉姉ぇ!?』
向かいの席で、ふーふーと息を吹いて紅茶を冷ましていたリアも、エルの驚きの声に反応し、彼の視線の先を追うことで、少し遅れて茉莉の存在に気付く。
茉莉が彼らのテーブル席の前に到着するまで何秒と掛からなかった為、リアが声を上げた時には、茉莉はもう声の届く距離まで近付いていた。
「魔王くん、リアちゃん…!」
席に座る二人が自分の存在に逸早く気付いてくれたことに嬉しさを覚え、気持ちが急いた結果、茉莉は勢いを殺し切れずに、若干前のめりにテーブルに両手を付くことで事なきを得…しかしそんなことはどうでも良いとばかりに、久しぶりの再会となる友人達の名前を呼んだ。
ゴールデンウィークの連休中はずっとアルバイトに勤しんでいた茉莉にとって、エルには5日ぶり、リアには丁度3週間ぶりの再会となる。
気の置けない友人、それに、自分を姉のように慕ってくれる妹のような存在。
そんな彼らと久々に話しをする機会が訪れたのだから、茉莉の心中は喜びの色でいっぱいだった。
仕事中の不意打ち的な再会でさえなければ、茉莉とて取り乱しはせず、こうして喜悦に浸ることが出来た。
しかし周りの目を気にすれば、あまり目立ちたくはない。客や従業員から何事かと奇異の目を向けられても困る。それが仕事先ともなれば尚更の心境である。
なので茉莉がエルとリアを呼ぶ声量は抑え気味であったし、いつまでも喜びに浸って進路妨害し続ける訳にもいかない、とは茉莉の理性が訴えている。
故に、次に茉莉の口から出たのは必然的に、
「…取り敢えず…す、座って良いかな…?」
という、遠慮がちなお願いだった。
下手をすれば再開の余韻をぶち壊しかねない台詞だが、幸いにもエルは気にした風もなく、
「うむ。」
当然のように頷いて返す。
何故なら、茉莉の様子は非常にそわそわしていて、今この瞬間も話したいのを我慢しているらしいことを、エルは正確に読み取っていた。
そうして頷きを返した直後、エルはリアへと声をかける。
『リア、茉莉が座るスペースを空けてやってくれ。』
四人掛けのテーブル席ではあるが、長椅子の中央付近でエルとリアが向かい合うように座っていた為、そう言う必要があった。
エルが言うと、兄貴に命令されるのは癪だけど茉莉姉ぇの為だし仕方ないかぁ…とでも言いたげな顔で、リアは紅茶を持ったまま奥に詰めた。
「ごめんね、ありがとう!」
リアが奥に移動してくれたのを見、茉莉はお詫びとお礼を立て続けに言ってから、リアの隣へと腰を落ち着ける。
茉莉が席に座ると、タイミングを見計らったように、ルナルナがコップを二つトレイに載せてやって来た。
「失礼します。お待たせ致しました。まーちゃん、オレンジジュースね。あとお水もどうぞ。」
ルナルナは先程茉莉が注文したオレンジジュースと冷水を、茉莉の前に丁寧な所作で置く。
「あ、ありがとうございます、ルナルナさん。」
「いえいえ。それでは失礼致します。」
前半は茉莉に、後半は席の全員に向かって言葉を述べ、一礼するとルナルナは自然な動作で反転し、元来た方へと戻っていった。
もしルナルナがこのタイミングで来なければ、茉莉は早速とばかりにエル達を質問攻めにしていたかもしれない。
そう思えば、気持ちを落ち着かせる為の時間をくれたルナルナに、心の中で感謝する。
「茉莉、仕事は終わったのか?」
「ううん、今は休憩時間だよ。ご飯食べながらでも、ちょっとでも二人とお話ししたいな、って思って。」
何気なくエルが切り出すのにも、いつも通りの気軽さで答えることが出来た。
「そうか。それで茉莉も、もう注文しておるのか。」
「うん。着替えて出て来たら、ルナルナさん…あ、今の人が、注文を聞いてくれて。…あっ、二人は何か料理は注文した?」
「うむ。ホットサンドを注文しておる。」
「そっか。一人だけ食べるのも何だか悪い気がするから、それなら良かったよ。」
と、茉莉は久方ぶりの会話を、先ずは和やかに楽しんだ。
エルと茉莉がそういった会話を交わしている最中…リアは静かに茉莉のことをジッと見つめていた。
向けられる視線に気付いた茉莉は、
「うん…?えっ、ど、どうしたの…リアちゃん?」
と、少しおどおどしながらリアに向き直って問いかける。
久しぶりに会えたのに構ってあげられなかったから、機嫌を損ねてしまったんだろうか…と、茉莉は胸中で不安になった。
そう感じたのは、リアが僅かに緊張の色を露呈していた故だ。
『リア。茉莉がどうしたのか、と聞いておるぞ。言いたいことがあれば伝えるが。』
エルが声をかけても、リアは口を開こうとはせず、茉莉を見続けた。
何かを伝えようとしているのは明白なのに、何故だか言葉にするのを躊躇っている。
気安い関係くらいには成れていたはずの相手から、そういった態度や視線を向けられるのを、茉莉は怖いと感じて目を逸らしてしまう。
本当は女装の件がバレてしまっているんじゃないだろうか。そして今の瞬間、それを告げようか告げまいか、悩んでいるんじゃないだろうか。
そんな妄想に取り憑かれて、その後に続くであろう言葉を想起させられて、恐怖に身体が震えてしまいそうになるのを必死で抑え込んだ。
エルから見てもリアの様子は異常だった。更には、それに反応したらしい茉莉の様子も。
自分の目が届かない所で二人の間に何かが起きた訳ではないはずだ、とエルは思う。
そもそもリアは茉莉に会いたがっていたのだから、長く口を噤んでいること自体が不可解である。
こうして沈黙を貫くのは、一体何故なのか。
だが当然、悠長に理由を推察している場合ではない。
『おい、リア。言いたいことがあるのであれば、さっさと言え。』
痺れを切らしたように、エルは再度リアに言葉を投げる。
リアは緊張を崩さないまま一瞬だけエルの方を見、それから軽く息を吸い込むと、
「ま、まつり、ねぇ、…このまえ、は…ゴメンナサイ…。」
拙いながらも日本語として聞き取れる言葉が、リアの口から発せられた。
エルは突然のことに驚いた。茉莉も驚きに目を見開き、反射的にリアの顔を見た。
「リアちゃん…日本語………日本語、話せるようになったの!?」
言葉の内容云々よりも、リアが日本語を話したことにこそ驚愕を露にしたのだ。
先刻まで茉莉の頭を覆っていた暗鬱な想像など、すっかり霧散していた。
それどころか、今現在バイト先の店内に居ることすら失念してしまった程だ。
茉莉に驚声を上げさせた当人はというと、
『あ、あああっ!兄貴!ねぇ!茉莉姉ぇ今何て言ったの!?』
と、此方も先程までの張り詰めた雰囲気など完全に消し飛んでいて、茉莉の返事を早く確認したい焦りから、狼狽えながら情けなく兄に助けを求めていた。
エルは二人の急激な変わり様に大いに苦笑してから、先に茉莉へと言葉をかける。
「茉莉。リアは未だ日本語を習得してはおらぬ。」
「そ、そうなの!?でも今、日本語で話さなかった!?」
勢いよくエルの方を振り向いた茉莉は、納得出来かねている様子で疑問を放った。
それに対してエルは、「あくまで想像であるが…。」と前置きを言い置いてから説明を口にする。
「恐らく、自分の言葉で謝罪しようと、先程の台詞だけを覚えたのであろう。」
「な、なるほど…。」
と、茉莉が頷いた傍らでは、
『ねぇ!ちょっと兄貴!茉莉姉ぇが何て言ったのか、早く教えてよ!?』
自分を無視して茉莉と会話を始めたエルに、眉を吊り上げながら、再び翻訳を要求するリアの姿があった。
『ああ、すまぬ。茉莉が、リアは日本語を話せるようになったのか、と驚いておったのだ。』
待たせてしまったのは事実なので、エルは軽い謝罪をしつつ、今度はリアへと状況説明する。
しかし、そんなことを聞きたいんじゃない!…とばかりにリアは、エルを急かす。
『それで茉莉姉ぇの返事は!?』
これには若干呆れを隠せないエルだったが、
『少し待て。』
と言ってから、再び茉莉へと視線を向ける。
翻訳を待つ者達が一刻も早く相手の言葉を知りたいと欲す時、仲介役は板挟み状態で忙しいのだ。
だがそれも、妹と友人を取り持つ為の苦労であれば、決して悪い気はしないエルだった。
「茉莉、リアが先程の返事を待っておるが。」
エルがそう言って声をかけると、茉莉は、状況を納得した為に少し冷静になった頭で「うーん…。」と可愛らしい声を上げながら、右手の人差し指を頬に当てて考え始めた。
先ず考えるのは、リアが口にした、この前はごめんなさい、という言葉。“この前”というのは丁度3週間前、遊園地でリアが茉莉に魔法を掛けて、茉莉を女の子にしてしまった事に対する謝罪だというのは、直ぐにでも思い当たる。
というか、遊園地に遊びに行った日の夜にリアは魔界に帰り、以降今日まで会っていないのだから、それ以外に心当たりはなかった。
その件に関しては、リアは茉莉の為を思って魔法を使ったのだから、茉莉としては怒ったりはしていないし、そもそも当日にちゃんと謝ってくれている。
茉莉の中では既に終わった話であり、わざわざ蒸し返すような話でもないような気がしていた。
あれ、でも…と、茉莉は記憶を遡って状況を思い返してみる。
自分を姉のように慕ってくれて、懐いていたはずのリアは、別れの挨拶を告げなかった。
リアが魔界に帰った…とは、翌日にエルから聞かされたことだ。
当時は、リアが罪悪感に苛まれていた様子もあって、顔を合わせては言い出し辛かったんだろうし仕方ないのかな…と、茉莉は単純に考えていた。
しかし今回、開口一番にあの時の謝罪をした、というのであれば。次に会う時にはエルを介さずに直接謝りたかったから、別れを告げずに魔界に帰ったのではないだろうか…そんな想像にまで至った。
自身の感情に対して不器用なリアなら、それは充分あり得るのではないか、と。
事実、茉莉の想像通りであった。
リアが緊張を見せていたのも、茉莉に許して貰えるかどうか、と内心の不安を押し隠す為だったのだ。
その解に至った故に茉莉は、リアからの謝罪を軽く扱うことは出来ないと悟った。
この間、数秒を要した。
リアは一秒でも早い返事を求めていただろう。直ぐに返事を返そうとしない茉莉に、やきもきしながら不安を募らせていたかもしれない。
であれば、茉莉のやれることは一つ。逸早く不安を取り除いてあげることだけ。
「リアちゃん。」
と、真っ直ぐに目を向けて、名前を呼んだ。
その声に反応して、リアは少し強張った表情で茉莉を見た。
続いて、スッと、茉莉の手がリアの頭に伸びる。
リアは思わず目を瞑りそうになったが、少し顔を下に向け視線を外すことで何とか我慢した。
もしかしたら、許して貰えないかも…と、あるはずのない想像をしてしまったのだ。
そんなリアを安心させるべく、茉莉は少女の頭に軽く触れ、優しく撫でた。
俯いていたリアは、上目遣いでもするかのように茉莉を見た。
すると茉莉は、笑顔を向ける。
それだけでリアには、茉莉の言わんとすることが伝わり、安堵して、コクリと頷いた。
これにて一件落着…とはいかないのは、実は茉莉の側である。
一点して情けない顔になり、目に涙を貯めたかと思うと、茉莉は自分の顔を両手で覆いながら、
「ボクの方こそごめんねぇぇリアちゃんんんっ!」
リアの事情を察すことも出来ず、勝手に悪い想像をして勝手に怖がって…そういった自分の内を声に出して謝ったのだが、当然というか、それがリアに伝わるはずもない。
むしろ悪いことに、そんな茉莉の行動は、リアに誤解を与え、再びの混乱に陥れてしまう。
『え、ちょっ…茉莉姉ぇ!?何で泣いてるのっ!!?…あ、兄貴ぃぃ!もしかして私、許して貰えなかったのかなぁ!!?』
『否…。茉莉は、自分の方こそごめん、と謝っておる。リアのことは許しておるのだ。大方、お前に不安な思いを抱かせてしまったことを謝罪しておるのだろう…。』
『えぇ…!?』
問われたエルは推測も交えて語るが、そんなことで泣き出すものかなぁ…と、リアは疑問に思う。
しかし、側で見ていた兄にも、それ以上の理由は分からなかったらしいのだ。
茉莉との付き合いはエルの方が長いのだから、エルが茉莉の内情を理解し得ないのであれば、リアには尚更分からない。
『茉莉姉ぇ、私のことは良いから泣き止んでー!』
と、何とか茉莉を宥めようと、声を上げる以外に出来ることはなかった。
その言葉は勿論エルを介して茉莉に伝えられるが、突然涙が止まる訳もなく、リアもエルも困惑しながら茉莉の復活を待つ他なかったのである。
茉莉が泣き止んだのは、およそ3分後のことだった。




