5話目・その6
4月最終日の私立久十里学園の日程は、授業は午前中で終わり、午後からは全校集会の後、下校となっていた。
全校生徒は、翌日からのゴールデンウィーク休暇中に羽目を外さないように…と、耳にタコが出来そうなくらい、代わる代わる教師陣から注意を呼びかけられた。
集会の間中、うんざりした顔の生徒も多かったが、大半は教師の話など上の空で、これからの連休への期待に胸を膨らませていた。
エルはというと、特にどちらにも属さず、特に変わらない。
そもそも休暇中の予定といえば、朋希と会って話をすることくらいだ。
後は家で学校の勉強を進めるなり、外出して人間界への知識を深めるなり、自由に過ごす、普通の休日と差異はない。
浮かれるようなことは何一つない。
逆に残念に思うことなら有る。
連休中には茉莉と会えないのだ。
以前から予定があると言われていた。
恐らく、休日は毎日アルバイトがあるのだろう。
多忙なのに、時間が空いたら会いたい…などとは、軽々しく言えるはずもない。
ならば、逆にバイト先である猫カフェに、朋希を誘って一緒に行くのも良いかもしれない…とエルは考える。
もしかしたら茉莉は嫌がるかもしれないが、そうであったとしても、やはり1週間もの間、1日たりとも友人と会えないのは寂しい、という思いが強かった。
全校集会の進行───良く言えば再三の注意喚起、悪く言えば似通った長話をする教師達の話、を消化すると、全校集会は締め括られ、クラス単位で各々の教室へと戻っていく。
エルもクラスメイト達の流れに従い、1-D教室へと戻り、自分の席に着く。
まだ帰りのホームルームが残っているというのに、半分以上は席を離れ、それぞれの友達とお喋りを始めていた。
内容はゴールデンウィーク中の予定を話し合うものばかりだ。
談笑が続く中、生徒達にやや遅れて担任教師の長谷川 義が教室へと入って来る。
「おーい、まだホームルーム残ってんぞ。話すなら終わってからにしろよー。」
長谷川は教室内の騒然たる様子を怒る訳でもなく、簡易に注意を促しただけだったが、席を立っていた者は話を中断し、自分達の席へ急いで戻る。
フレンドリーで親しみやすい先生というのを売りに、実際多くの生徒から好かれている長谷川だから、皆が軽い呼びかけにも反発せず従う。
「よし。じゃあホームルーム始めるぞ。」
全員が着席を済ますと、長谷川は頷きながら、担任としての仕事を開始したかに思えたが、
「まぁお前らどうせこの後すぐ遊ぶんだろ?散々他の先生方から言われてるしな、俺は長ったらしい話はしない。取り敢えず危ないことと犯罪だけはするなよ。じゃあホームルーム終わり!委員長、号令!」
この適当加減である。
「さっすが、長谷川先生分かってるぅー!」
「ハセセン最高ー!」
数名の生徒は口々に、長谷川のした気遣いへの感謝を告げた。
“ハセセン”というのは、長谷川先生と呼ぶのが長いから、という理由で誰かが付けた渾名らしく、一部の生徒に浸透している。
クラス委員長が起立礼を行うと、再度、1-D教室内は騒々しさを取り戻す。
長谷川が声をかけたことで中断した話を再開する者達の声が賑やかに響く中、傍ら帰宅や部活へ向かおうと教室を出て行く者達もいる。
エルも帰り支度をし、鞄を持っていざ教室を出ようとしたが、
「エル、ちょっと職員室来て欲しいんだけど、時間あるかー?」
教壇で他の生徒達から声をかけられている長谷川に呼び止められたことで、立ち止まる。
視線を教室の前方に移し、頷いて肯定の意思を示すと、エルは一旦教室を出、廊下で長谷川が来るのを待った。
待つ数十秒の間に、同じく帰宅する為、廊下に出て来た茉莉とすれ違う。
すれ違い様に茉莉は、何かあったの?…と、目で心配を訴える。
エルは、心当たりがない、と表情で返す。
そのまま茉莉は足を止めたりはせず、何事もなかったように歩き去り、入れ違いで長谷川が姿を見せた。
「悪いなぁ、待たせちまって。」
「否、構わぬ。特に用がある訳でもない。」
気さくに話しかける長谷川だが、エルはどちらかというと事務的に言葉を返していた。
長谷川は、男女問わず話しかけやすい雰囲気を作っているが、エルは積極的に関わりに行く生徒ではない。
エルは教室で孤立していることもあり、自ら話しに行ったのは、勉強で分からない部分があった時、くらいしか記憶にない。
決してこの教師が嫌いという訳ではないが、軽そうな人柄に親しみを覚えたりはしないだけだ。
長谷川は目線で促すと、職員室へ歩き始め、エルも後に付いて行く。
「ハセセンさよならー。」
「またねー、先生。」
「おう、気ぃつけて帰れよー。」
すれ違う生徒、追い越していく生徒、必ずと言って良い程、長谷川は声をかけられ、応答する。
それは階段を上った先、学年が一つ上の生徒達に於いても同様で、長谷川が学園内で信用を勝ち取っている事実が窺えた。
久十里学園には三つの校舎が在る。
その中の第一校舎は1学年と2学年が使用し、第二校舎は3学年、第三校舎は殆どが使われていない。
職員室という名称が付けられた部屋は、第一校舎の二階に位置する。
余談だが、第二校舎には通称、第二職員室、と呼ばれる、教員執務室があり、3年の担当教師は校舎間の移動の手間を省く為、主にそちらに待機している。
第一校舎二階の廊下を前進したエル達は、幾つかの教室を横切って、目的の職員室へと辿り着いた。
長谷川は入口扉をスライドし、続くエルを中へ招き入れる。
開かれた扉の向こう側、一番に目に飛び込んでくるのは、教職員達のネームプレートが置かれた事務机。
向かい合わせで整然と横並びになった、集合机とでも呼ぶべき事務机の集合体は、それが本来の形であるかのような錯覚を、見る者に与える。
出入り口の扉から見て、手前と奥に一列ずつ、計二台の集合机が、職員室内の殆どを占めていた。
集合机の列間…つまり職員室の中央を進み、長谷川 義と書かれた名札が置いてある席すら通り過ぎ、長谷川はエルを、更に奥の、目隠し用の置きガラスで仕切られたスペースへと導く。
長方形の机を挟み、対になるようにソファが二脚置かれた空間。
個室とは言えないまでも、中で誰と誰が話しているかは、外からなるべく分からないように工夫が施されている。
「座ってて良いぞ。」
長谷川はエルに短く告げると、一旦場を離れ、2~3分の後に戻って来た。
エルは遠慮なく、入って右手のソファに腰掛けていた。
「熱いから気ぃつけろよー。」
言いながら、長谷川がエルの前に置いたのは、なみなみと緑茶の注がれた湯呑みだった。
自分もソファに腰掛けると、もう片方の手に持っていた同じデザインの湯呑みを自分の前に置く。
二人分のお茶を用意する為だけに、長谷川は一度離れたのだった。
「さて…」
と、長谷川は直ぐに本題に入る。
「エル、日本での生活には慣れたか?」
「…ん?ああ、まぁ、それなりには。」
気軽に生徒を呼び込めるような場所ではないだろうと察していたエルは、もっと深刻な話題が挙げられると思っていた為に、少々拍子抜けという感じで生返事を返した。
「友達は出来たか?」
「一応はな。」
「そりゃ良かった。入学して直ぐは授業にも身が入らないようだったし、最近はよく頑張ってると思うけどな。学校に来るのが苦になってなきゃ良いんだ。」
担任である彼なりに、例の「魔王になる」発言に対する心配をしていたようだ。
普段はいい加減だが、長谷川という教師は、真面目に生徒のことを考えられる一面もちゃんと持っている。
少なくとも、エルはそう認識を改めた。
「心配は無用だ。別に苦ではない。今のところは、だがな。」
「まぁ勉強でも人間関係でも、何かあったら相談に乗るから、気楽に言ってくれよ。」
「うむ。その時は宜しく頼む。」
そんな社交辞令的な遣り取りの後、エルは湯呑みに手を伸ばし、湯気の立つ緑茶の表面に数度軽く息を吹き掛け、少量を啜る。
「苦いな…。」
思わず出た感想が、それだった。
「ははは、やっすい緑茶だからなぁ。」
直後、そんな長谷川の笑い声と台詞は他の教師にも筒抜けだったらしく、わざとらしい咳払いが聞こえてきた。
「…っと、いけねぇ、こりゃ後で怒られちまうかな。」
声を潜め、まるで反省していない風に独り言ち、、長谷川は先を続ける。
「まぁ、日本には五月病って言葉があってな、新しい環境で多忙な日々を送って、理想と現実のギャップを感じたり目標を見失ったりなんかするとだな、学校なり仕事なりのやる気がすっかり無くなっちまう奴も、それなりにいるんだ。主にゴールデンウィークの連休明けに急に来なくなる人間が多くて、五月病なんて名前が付いてるんだけどな。」
長谷川の説明した五月病の内容を聞いて、エルには思い当たる節があった。
エルが目標を失い、授業に集中出来なくなっていた期間が正に、早めの五月病に掛かっていたと言えるだろう。
「これでも教職なんてやってるからな、担当してるクラスの人数が減るのは、どっちかっていうと嫌だ。心配そうな奴には大体声をかけてる。そいつらにも言ったが、お前にも勿論言うぞ。」
長谷川は息を吐いて少し溜めた後、
「俺は、学校辞めるなよ、とは言わない。もし辞めようと思った時は、その瞬間に必ず俺に相談しに来いよ。」
目の前に座る自分の教え子を見据え、言葉を吐き出した。
この時ばかりは、普段のいい加減な彼からは想像出来ない程、実に教師らしい顔をしていた。
だから、エルも目の前に座る担任教師に、本音というものをぶつけられる。
「先刻も言ったが、その心配は要らぬ。我はまだこの学園に通い、勉強したいことが山のようにある。むしろ、卒業までの3年間、全力で居座ってやろう。覚悟しておくが良い。」
「そりゃ楽しみだ。」
納得した風に頷いた長谷川の表情は、すっかり普段と変わらぬ親しみやすいものに戻っていた。
「それはそうと長谷川、案外まともな教師をやっておるのだな。」
そう漏らすエルは、決して長谷川を馬鹿にしている訳でない。彼の教師として尊敬に値する一面を垣間見、素直に感心したのだ。
「当たり前だ。あと、一応“先生”は付けろよ。」
「了解した、長谷川“先生”。」
言葉を交わした後、彼らは不敵に笑い合うと、安物の緑茶に口を付けた。




