4話目・その8
土曜日のことである。
エルは学校で出された宿題を片付けると、一人で街へ出かけた。
例によって茉莉は用事とのことで、今日はどこへ出かけるか、と表通りを歩きながら考えていると、
「あれ?エルか?」
と、聞き覚えのある声が、エルを呼び止める。
「ん?…なんだ、神田か。」
振り返ると、神田 亮吾がいた。
「友達に向かって、なんだはないだろ!」
冷めたエルの物言いに、神田は自身の扱いの不当さを訴える。
「何度も言っておるが、お前とは友達ではない。」
神田の、エルへの一方通行的な友達扱いは、彼がクラス内でエルの席に頻繁に足を運ぶようになった2週間と少し前から続いている。
一向に神田とは友達になろうという気が起きないエルは、断固拒否の姿勢を崩さない。
友達を作ることで自分の見識が深まるとしても、およそ神田には当て嵌まりそうにない。
勿論、友達というのは、メリットがあるからなるのではない。
しかし、神田を友達にするのは、デメリットが大き過ぎるのだ。
「今から彼女とデートか?くそ羨ましい、爆発しろ!」
友達ではない、と言われたのを半ば無視する形で、神田は、彼女がいる男に対しての恨み事を口にする。
「違う。単に街中をぶらついてるだけだ。」
呆れながらエルは返した。
神田と話すと、毎回そういう話題にしか結び付かないのは、ここ2週間で嫌という程理解している。
「そうか、じゃあ今日は彼女と遊ばない同士、仲良く出来るってことだなー。」
と、朗らかに語る神田。
無碍な扱いをされようとも諦めない忍耐力だけは、賞賛に値する。
尤も、その忍耐の根幹を担っているのが邪な感情である以上、手放しに褒められるものではない。
そしていつものように、流れで「彼女を紹介しろ」と強請ってくるのかと思いきや、意外にも今日の神田は別の話題を切り出してきたのだ。
「そういやお前さ、夏川とは友達なのか?」
「夏川…?」
敢えて知らない振りをしてはいるが、エルは茉莉の苗字が夏川ということを覚えている。
「夏川っているじゃん、クラスの男子に。お前、たまにあいつと話してなかったか?」
どうやら、エルと茉莉が校内で話をした少ない機会は、神田に目撃されていたようだ。
こうして話題に持ち出したからには、茉莉の秘密に気付かれてしまった可能性も否定出来ない。
気付いた訳ではなかったとしても、今後は一層周囲に気を配らなければならなくなるだろうが、携帯電話での連絡手段が確立された今、その問題は解消されていると思って良い。
相手の出方を窺う為、取り敢えずエルは先を促すことにする。
「まぁクラスメイトなのであれば、何かの拍子に話すこともあるだろう。」
と、無関係な振りは貫き通したままだ。
「友達って訳じゃねぇのか。」
「…そうだな。」
という風に、エルは予め茉莉と取り決めをしている。
エルが肯定すると、明らかに落胆した素振りを見せる神田。
その理由が少し気になったので、
「で、その夏川がどうかしたのか?」
と、今度はエルの方から質問をする。
「いやぁ、別にどうって訳じゃないんだけどな。あいつこの辺の中学じゃねぇからあんまり友達いねぇみたいだし、俺も遊びとか誘ったことあんだけど、土日は基本、バイトだからって断られてよー。」
神田は若干面倒くさがりながらも、エルの質問に律儀に答えていた。
話ぶりから察するに、茉莉の女装がバレたという訳ではなさそうだ。
長ったらしいが前置きのようだったので、エルは無言で聞きに入っていると、
「あ、バイトって知ってるか?えー…ドゥーユーノーアルバイト!?」
神田は、エルがアルバイトというものを分かっていないかもしれない、という要らぬ気遣いで、自ら話の腰を折っていく。
慣れない英語でそこだけテンションが上がっているように聞こえるのが、エルの目には少し滑稽に映る。
「そのくらいは知っておる。あと、日本人の英語は通じぬ。日本語で話せ。」
という風に、エルは魔界で教えられた魔法の言葉を実行している。
これを口にすれば、大抵の日本人は納得するらしいのだから、“魔法”と謳っても差し支えはないだろう。
アルバイトという単語はそもそもドイツ語である上に、神田の発音も全然英語っぽくない、更には文体としても誤っているので、仮にエルが英語を解したとしても、通じる訳はない。
エルの事務的な返しにテンションを下げながら、神田は話を続ける。
「つれねーなー。で、まぁその夏川のバイト先にでも行ってみるかーって思い立った訳なんだけど、探してもそんな都合よく見つからねぇわなーって。それでお前を見かけたから、場所知ってりゃ教えて欲しかったんだよ。」
「宛てがないにも程があるな…。」
呆れ気味に、エルは率直な感想を述べる。
「いや、高校生でバイトっつったらコンビニじゃね?」
「…それは偏見だと思うぞ。」
「そうかー?」
神田の安易な発想を、エルは更に呆れながら窘めるが、あまり効果はないようだ。
確かにコンビニはアルバイトの代表的なものの一つであるが、高校生のアルバイトがそれだけに限られる訳ではない。
表通り、裏通り、共に飲食店は多く、いくらでもバイト先の候補は存在する。
「まぁ何にしても、知らなそうだよな。」
「うむ。知らぬ。」
茉莉がアルバイトをしていること自体、エルにとっては初耳なのだ。
それにしても、友達がいないからと茉莉を気にかけるとは、案外まともな奴だったのか…?
我に話しかけたのも、実は友達がいないのを気遣ってのことだったのかもしれないな。
そう思うと、少し神田が良い奴に思えてくるエルだった。
だが、
「そうだよなぁ。実は遊びすぎて今月の小遣い使い切っちまったから、夏川なら気が弱そうだし飯奢って貰おうと思ってたんだが見つからねーなら仕方ないぜ。」
下衆な発想を悪びれもせず講釈する神田を見て、直ぐにエルの考えは訂正される。
「そうか。なら大人しく家に帰れ。」
一瞬でも神田のことを、良い奴だ、などと思ってしまったことを後悔しながら、エルは冷たく言い放つ。
「冷てぇー。あ、じゃあエルが飯奢ってくれたら帰っても良いぜ。」
神田の言うことは、支離滅裂である。
「何故我が奢らねばならぬ…。」
と、エルが迷惑そうなのを隠すことなく口を開くと、
「俺達、友達じゃん。」
言いながら爽やかに笑顔を向ける神田。
「友達ではないと何度も言ったが?」
それに、友達を財布か何かだとでも勘違いしているのか?…と、エルの中で神田に対する苛立ちさえも生まれる。
「ちっ…友達いねーんだから断る理由なんかねーじゃねーか…。」
神田は、最早何度目になるか分からないエルからの拒絶に項垂れ、そう呟いた後、、
「………なのに彼女がいるとか羨ましすぎんだよぉ!」
と、突然語気を荒らげ、
「いい加減友達だって認めて、彼女を…いや妹でも良い、むしろ両方紹介しろよ!」
最終的に、やはりそこに行き着いた。
神田らしいと言えば、らしい発言なのだが、毎度毎度言われる側からすれば、迷惑以外の何物でもない。
そのことを、身を以て体験しているエルは、
「そういう不純な動機で友達になろうとするのが嫌だと言っておるのだ。」
と、口に出す。
携帯電話欲しさに友達を作ってしまった自分を棚に上げている感があり、エル自身にも突き刺さったが、そんな態度はおくびにも出さない。
「お前が何と言おうと、俺は諦めねーからな!ぜっっってー友達になってやる!」
神田は捨て台詞のようなものを吐くと、エルの横を通り過ぎ、そのまま歩き去った。
そんな彼の後ろ姿を見ながら、エルは深く溜め息を吐いた。
神田のクラス内での評価は、気さくで付き合い易い、というのが専ら(ただし男子に限る)であり、友達は意外と多い。
自身の欲望に忠実な神田でさえも友達がいるのなら、茉莉に友達がいないのはおかしい事のだがな…と、エルは心の中で漏らす。
前々から気にはなっていた。
茉莉は秘密のこともあってか、あまり他人と深く関わろうとしていないようなのだ。
その根底にある理由を、エルは知りたいと思う。
決して興味本位などではない。
出来るなら心の壁を取り払いたい。
茉莉がエルの前では見せるように、何れは学校でも、気兼ねなく笑って過ごせるようになることを願う。
そんな暫しの黙考の後、エルは宛てもなく歩き始めた。
4月もそろそろ終わりを迎えようという第5週の日曜日。
グラゼルが改まって、エルと茉莉に話をしたい、と指定した日である。
時刻は朝の11時頃…エルはグラゼルに連れられて、街を歩く。
といっても、どちらかと言えば裏通りの方へ進んでいる。
「話しなら家ですれば良いのではないか?」
と、不審がっていたエルだが、
「会って頂きたい人がいるのでございます。」
グラゼルから、それだけ告げられて、外へ連れ出されたのだ。
歩くこと約十五分、目的の建物の前に到着した。
入り口に置かれた、腰ほどの高さの黒板には、チョークで『☆本日のランチセット☆スパゲティー(一種類)+自家製パウンドケーキ+紅茶orコーヒー』と書かれている。
喫茶店なのだろうことは、外観からも見て取れる。
内外を繋ぐガラス扉を引くと、ドアベルがチリンチリンと可愛らしい音を立てる。
その音が、スタッフが来客に気付き、挨拶をする合図なのだろう、
「いらっしゃいませ。二名様でしょうか?」
と、出迎えのウェイトレスが直ぐにやってきて、エル達に笑顔で対応する。
「いえ、待ち合わせなのですが、来られているか確認は出来ますでしょうか?ご婦人の方で、神無月と申します。」
「あ、はい。その方ならもう席におられます。こちらへどうぞ。」
グラゼルが伝えると、ウェイトレスは少しの間も置かず、笑顔でエルとグラゼルを促し、
「お連れ様、ご案内します!」
続けて、来客を知らせるように声を張ると、
「「「いらっしゃいませ。」」」
店内にいる他のスタッフからも、入店を歓迎する挨拶が飛んでくる。
ウェイトレスの後ろに続き、エルとグラゼルが案内されたのは、角のボックス席だった。
そこには確かに先客がいるようだが、店の入り口を背にして座っている為、エル達の側からでは顔や性別、年齢などは確認出来ない。
「失礼します。お客様、お連れ様をご案内致しました。」
「あぁ、ありがとうよ。」
ウェイトレスが声をかけると、席に座る人物は、老齢を思わせる声音で応じる。
「いえ、ごゆっくりどうぞ。失礼致します。」
丁寧にお辞儀すると、ウェイトレスは三人を残し、その場を離れた。
それを軽い会釈で見送ると、グラゼルは改まって席に座る女性に話しかける。
「お待たせ致しました。」
「いや、待っとらんよ。まぁ座りな。」
グラゼルが頭を下げると、老女は顔を上げることなく淡白に応える。
「はい。では、ささ、エル様。」
忙しなくグラゼルに促され、老婦人の対面にエルは無言で腰掛ける。
エルの着席を確認すると、
「それでエルとやら。お前さんを呼んだのは………あぁ?」
切り出そうとした老齢の女性は、顔を正面に向けエルを見た途端、驚きの声を上げた。
エルもまた、目を見開く。
眼鏡をかけた老婆が今、エルの目の前に座っている。
マンションで二度会っただけだが、その姿は見間違えようがない。
まさかこの場で出会うなど、互いに予期せぬ出来事だった。
「どうかされましたか?」
グラゼルだけは、何故老婆が言葉を止めたのか分からず、疑問の声を上げる。
その声で、対面する2人はハッと我に返る。
「…いや、何度か見たことある坊やだっただけだ、気にせんでええ。それよりグラゼル、あんたも早う座りな。」
老婆は簡単な説明を述べ、グラゼルにも着席を催促する。
「いえ…私は此処で構いませぬ。主と同席する訳には………。」
「んなとこにボーっと突っ立ってたら邪魔になるじゃろ、ちっとは考ええ。」
執事の身であるグラゼルからすれば、この主張は尤もだが、場所柄を弁えれば老婆の言うことの方が正しい。
「は、はぁ…申し訳ございません。では失礼ながら同席させて頂きます。」
流石に返す言葉もないようで、律儀に断りを入れてから、グラゼルは座席の端っこに、ちょこんと座った。
グラゼルに腰を落ち着けさせたことで、「さて…。」と、再び老婆はエルに向き直り、
「話の前に、注文はせんとね。代金はあたしが持つで、二人共、何でも好きな物、頼みな。」
早速話が始まるのかと思いきや、そんなことはなかった。
「では紅茶を。」
と、エルはすんなり決定する。
対して、グラゼルは中々注文を口にしようとはしない。
「グラゼル、あんたはどうすんだい?」
痺れを切らしたように、老婆は語気を強めた。
「いえ、私は従者であります故、主君と同席した上に、お茶まで頂くなど…───」
と、遠慮を見せるグラゼルを遮り、
「呼び付けたのはあたしなんだ、わざわざ来て貰っとるんだから、そのぐらい払わせや。それに、そんなしょうもない礼節より、店の売り上げに貢献してやりな。」
老婆は有無を言わせぬ態度で放った。
「…失礼致しました。では、恐縮ですが、お言葉に甘えさせて頂きます。私も紅茶をお願い致します。」
グラゼルも折れて注文が決まると、老婆は店員の呼び出しボタンを押した。
その横で、恐らく人間であろう神無月という名の老婦人に対し頭が上がらない様子のグラゼル、という異例を、エルは不思議そうに眺めていた。
「もう一人の方は連れて来られなんだようだな。」
「えぇ、その………。」
老婆はさして気にしていない風に言い、グラゼルが謝罪しようとするより早く、
「失礼します。」
と、あまり客もいなかった為か、呼び出しに応じたウェイトレスが駆けつけた。
仕方なしにグラゼルは言葉を中断する。
そのウェイトレスは、
「ご注文はお決まりで………ひゃっ!?」
マニュアル通りに注文を伺おうとし、突然、短い悲鳴を上げた。
何事かと卓に座る3名は、反射的にそちらを振り向く。
すると、ウェイトレスは伝票とボールペンを左右の手に握り、注文を受ける体勢をとったまま固まっていた。
そして、その目線の先───エルとグラゼルもまた、目を開いたまま、硬直した。
この人物が何故、今この場所に立っているのか…と、暫し現実を受け入れられなかった。
“まーちゃん”と書かれた名札を付け、ウェイトレス姿に猫耳、という奇抜な格好に身を包んだその人物は、彼らの知る夏川 茉莉に他ならない。
「………茉莉?」
いち早く頭が働き始めたエルは、躊躇いながらも声をかけた。
「あ…え…ぅ…ひ、人違い…です。」
頭がパニック状態の茉莉は、顔の前でわたわたと、伝票とボールペンを振って、必死に誤魔化そうとするが、
「茉莉殿、此方でアルバイトをされていたのでございますか…!?」
と、グラゼルにも勿論、誤魔化せてはいない。
茉莉は今度は、ぶんぶんと何度も首を横に振った。
只一人、この場において状況の呑み込めない老婆は、、
「なんだ、知り合いなのかい?」
落ち着いた態度で問いかける。
「あ、えぇ…何と言いますか、少し混乱しております故、少々頭を冷やす時間を下さいませんか?」
未だ正常な思考に戻っていないながらも応じたグラゼルだが、
「頭ぁ冷やすも何も、知り合いなのか聞いとるだけじゃろ。」
老婆は、訳の分からないことを言うグラゼルに呆れながら悪態をつく。
「…そ、そうでございますね。ええ。」
確かに自分が混乱している自覚のあるグラゼルは、ありのままを述べる覚悟をし、
「あの………こ、この方が、エル様の恋人、でございます…。」
と、何とも歯切れ悪く、言葉を続けたのだ。
先程まで落ち着いていた老婆は、グラゼルの台詞を聞くと表情が険しくなり、暫しの間を置いた後、
「………あぁ!?」
この日2度目になる、エルを見た時よりも大きな驚きを声にしたのだ。
第4話・完




