4話目・その1
久十里駅にほど近い小洒落た喫茶店に、一組の男女の姿があった。
男の方は黒のジャケットに白のインナー、薄茶色のロングパンツを身に纏い、女の方は白のブラウスに、ブルーストライプ柄のプリーツキュロットスカートを違和感なく着こなしている。
傍から見れば何の変哲も無いカップルに見えるだろう2人には、決して公には出来ない秘密があった。
先ず男…エル・ヘッシェルヴェン・ロアキーヌ・ド・サタンという仰々しい名を持つ彼は、実は人間ではない。
勿論、外見や風貌は、人間と殆ど差異はない。
唯一点において、彼は人間とはかけ離れた性質を持っている。
”魔法”という、漫画やアニメの世界にのみ存在するとされる架空の超能力…それを実際に扱えるのだ。
生まれたのは、人間達が暮らす世界とは異なる、”魔界”と称される場所。
その”魔界”における唯一権力者───『魔王』の息子である彼は、人間の世界や技術を学ぶためにやってきた魔人と呼ばれる存在なのだ。
次に女…夏川 茉莉という少し変わった名を持つ人物は、実は女性ではない。
勿論、外見や仕草を見る限りでは、誰もが女性だと疑わない。
しかし、それでも夏川 茉莉は男である。
”女装”という、他人には公言出来ない趣味を持っている少年が、彼なのだ。
それぞれに秘密を持つ両者は、互いの秘密を知った後も尚、友であり続けている。
そんな二人が現在、喫茶店で何を話しているのかというと、
「携帯っていうのはね、電話したりメールしたり、離れてても連絡が取れる便利なものなんだよ。」
と、携帯電話に関する説明が、話し手の茉莉からされている。
エルが人間世界にやってきたのは、つい3週間ほど前のことになる。
異世界からの来訪者である彼は、未だに文明の利器である携帯電話の存在を知らずにいた。
「そうか…ならば我も、茉莉との連絡用に、そのケータイとやらは是非とも入手したいものだ。」
エルは、初めて知る携帯電話に興味津々の様子だ。
この傍目からは恋人同士のような二人は、同じ学園に在席する学生で、且つクラスメイトでもあるが、校内ではあまり話をすることはない。
その理由は、互いに秘密を守る為だ。
今現在そうしているように、女装姿の茉莉とエルが一緒にいる場面は、一部のクラスメイトから何度か目撃されていた。
茉莉は学園では当然ながら、男子の制服を着用している為、二人が教室で仲良さげに会話をすると、茉莉の女装がバレてしまう可能性がある。
クラス内では勿論のこと、最近ではリスクを恐れ、帰宅時も会話という会話をしなくなったので、実はこれといった連絡手段が確立されていない。
しかし、疎遠になってしまっている訳ではなく、都合が合う時は、今日のように一緒に出掛けることが多い。
それが行えているのは、会う度、別れ際に次の約束を取り付けているからだ。
「会う約束してても、急にダメになっちゃうこととか、もしかしたらこの先あるかもだし…出来れば、買って欲しいかな。」
「うむ。ならば購入するとしよう。」
茉莉は前向きに検討するエルの後押しをするように微笑み、エルも同意したが、
「…あ、でも…未成年だから親が付いてかないと買えないんだっけ…。」
と、思い出したように声を上げた。
携帯電話には月々の使用料がかかる。収入のない子供が、無計画に買えるものではない。
気軽に買うことの出来ない物を勧めてしまった…と気付き、茉莉は考えなしの発言だった事を反省する。
エルの家のお財布事情は全くの謎だ。
魔界の王の息子というからには、魔界での暮らしに困らない経済力は持っているだろう。
ただ、その経済力が人間界でも活かせるかは甚だ疑問である。
茉莉は魔界に通貨が存在するのかは知らない。存在したとして、それが人間界で換金出来る代物なのかも分かっていない。
エルの住居は確かに、かなり家賃のお高いマンションで、人間界においてもそれなりの資金が確保されていることは分かるが、同じく魔界から世話係兼監視役として派遣された執事グラゼルが働いている様子もない。
つまり、継続的な収入は無さそうで、もし元手が尽きてしまったら、強制的に住む場所を追われ、帰らざるを得ない状況に陥ってしまうのではないか…という憂慮も、茉莉の中にはあった。
そう考えると、グラゼルは敢えてエルに携帯電話の存在を教えていなかったのかもしれない。
そして自分は、勝手に携帯の存在を教え、本来使う予定のないお金を、長期に渡って浪費させる提案を口にしてしまったのだろう…と、茉莉の心には、少しずつ罪悪感と不安が広がっていく。
だから茉莉は、
「そうか…ならば、グラゼルに付いて来させるとしよう。」
購入は既に確定事項だ、と言わんばかりのエルの態度に、
「えーと…一度、買えるかどうかは聞いてみた方が良いと思うよ…。」
と、当たり障りの無い意見を言うしか出来なかった。
だが、やはり勧めたのは自分な訳で、エルに携帯を持って欲しいという気持ちも当然強い。
茉莉は少し迷ったが、最終的には、笑顔を伴って自己の願望を口に出す。
「…携帯、買ったら教えてね、魔王くん。」
「ケータイというものを買いたい。許可が欲しいのだ。」
喫茶店で茉莉と別れ帰宅した直後、エルはキッチンで夕飯の準備をする老執事に、そう訴えた。
「携帯、でございますか?そんなものをお持ちになられて、どうされるおつもりなのでしょうか?」
執事…グラゼル・アルエインは、調理の手を止めることなく、不審そうに声を上げた。
「友人との連絡手段だ。」
友人と言っても、友達は茉莉しかいない。
名前を出せば、グラゼルは嫌味の3つや4つは言うだろうと思い、敢えて伏せたが、そんなエルの考えはグラゼルにはお見通しといったところだ。
「ご友人…ですか?茉莉殿でございましょう?それなら必要ありませんぞ。茉莉殿であれば学校で毎日、帰ってからも頻繁に、会われているではありませんか。」
そして、間髪入れずに、グラゼルは続ける。
そもそも、茉莉殿を連れてきた日から、毎日茉莉殿の話ばかりでございますからな。
いいですかエル様、エル様は魔人であり、魔王の息子でもあらせられます。ただの人間の娘に、恋心など抱くものではありません。
我々と人間とでは住む世界が違うのです。何れは、別れの時がやってくるのですぞ。なのに今からそんなにべったりでどうするのですか。
エル様は近い将来魔王の名を継がれるお方。よもやそれを放棄し、このまま人間界に居残り、茉莉殿と結婚し幸せな家庭を築きたいなどとは仰られぬでしょうな!?
私はそのようなこと、認める訳にはいきませんぞ!!?
と、口を開けばグラゼルは矢継ぎ早に言葉を吐き出していた。
本来、ただの友人であれば、グラゼルとしても歓迎するのだが、グラゼルにとって茉莉は、エルの恋人という認識が今も尚続いている。
エルが初めて茉莉を家に連れてきた際に、エル自ら茉莉のことを恋人だと宣言し、以降も訂正はされていない所為だが。
「グラゼルが心配するようなことではない。」
難しい顔で聞き流すエルだが、完全にグラゼルの言うことを無視した訳ではない。
魔界へ帰る日が来たら、茉莉とは離れ離れになる…それに関してはエルも理解している。
グラゼルはエルの態度に渋い顔をするが、それでもエルに対する親心のようなものから、
「…他に友達の一人でも作ってからであれば、私も携帯電話を持つ許可を致しましょう。」
と、軽い溜め息の後に、妥協案を告げた。
茉莉以外に友達がいないのは、グラゼルとしても思うところがある。
魔界でも、エルに友達と呼べるような者はいない。
何れ魔王になるエルにとって、他人との関係を円滑にする能力も必要になる時があるだろう。
ともすれば、この機会になるべく多くの他者と関わり、そういったスキルを身につけて欲しい、という思惑も働いたのだ。
エルにしてみれば、グラゼルの提示した案は厄介な事この上なく、
「…う、うむ。」
と、取り敢えず頷くしか出来なかった。
グラゼルはそんなエルの様子を気にした風もなく、次の話題を切り出すように口を開く。
「それと、エル様。私事で恐縮ですが…エル様と茉莉殿にお話があります。次の日曜日、茉莉殿には、此方に足を運んで下さるようお願いして頂いても構いませんか?」
「…分かった。聞いておく。」
グラゼルは、茉莉にテストという名の料理を行わせた日以降、茉莉に何かしでかそうと企てることはなかった。
以前、茉莉に魔法を使おうとした時や、無断でテストを課したのがエルにバレてしまった際にも、エルから散々咎められた為、大いに反省しているのだろう。
グラゼルは同じ過ちを繰り返すほど愚かではない。
今回も何か企んでいる可能性は否定出来ないが、無断で行うことはないだろう、とエルは承諾した。
そもそも、魔法を使わず人間的な方法を取るのであれば、あまり口を挟む気はない。
茉莉には迷惑がかかるだろうが、茉莉はあれでいて中々したたかな面を持っていて、解決出来ることなら自力でなんとか出来るのではないか、と、エルが勝手に信頼している節もある。
手に負えない場合は、いざとなればエル自ら止めに入れば良いだけなのだ。
であるなら、さして悩む事でもないのだろう。
「では、宜しくお願い致しますぞ。さて、丁度お食事も出来上がりました。さっそく晩御飯に致しましょう。」
グラゼルは言いながら、俊敏な身のこなしで、配膳までを僅か数秒で完了させる。
「うむ、ではいただくとしよう。」
難しいことを考えるのは後にして、今は空腹を満たそう。
魔人といえども、お腹は空くのだ。




