3話目・その9
エルが本日二度目の帰宅を済ませると、リアが心配そうにリビングから飛び出してきた。
『茉莉姉ぇは大丈夫だった!?』
問題なく元に戻ったことを告げると、
『良かった…。』
と、リアは心底ホッとしていた。
リアは最初、待ち合わせに付いて行こうと思ったが、お前が来ても出来ることはない、と言われてしまい、大人しく家で待つことにしたのだ。
『妹の後始末をするのも兄の役目だ。天才の兄を持ったことに感謝するが良い。』
『うるさい馬鹿兄貴。』
魔法を使う際には、エルの胸中は不安でいっぱいだったが、そんなことはもう忘れたかのように、こうして冗談めいた口調で話す。
リアも感謝しているのか、いつものようなキツイ言い方ではなく、やんわりと返すだけだ。
茉莉が無事に元に戻ったという事実を知れて、リアに思い残すことはなくなった。
一度息を吐き出すと、何でもないことのように、リアは切り出す。
『じゃあ私、帰るね。』
それは、あまりに唐突だった。
家の中には、魔界からの迎えが来たような気配はない。
エルは一瞬聞き間違いかと思い、
『は?帰ると言ったのか?どういう風の吹き回しだ?頭は大丈夫か?』
と、目の前で澄ました顔をする妹に疑問をぶつける。
『はぁ!?頭大丈夫かって、そこまで言われる筋合いないんだけど!?』
リアは憤慨する。当然だろう。
その様子に、エルはやはりさっきのは聞き間違いか、と断定し、あっさりと謝罪を口にする。
『いや…すまぬ。頭が大丈夫ではないのは我の方だったか…よもや、リアが自分から帰るなどとは言わぬだろうしな。幻聴が聞こえるとは、今日は疲れた証拠だな、早く休むとしよう。』
そのまま自分の部屋へ向かおうとするエルだが、リアは後ろから彼の服を掴み、引き留めた。
『どうしたのだ?』
エルは立ち止まり、首だけ振り向くと、不思議そうにリアの顔を見た。
『帰るって言ったのは………幻聴じゃない。』
目を逸らしながらだが、リアの言葉はハッキリとしたものだ。
その様子を見るに、何か帰ろうと思い立った理由があるのだろう。
思いつくのは、やはり茉莉に魔法をかけたことだが。
そんなエルの考えを肯定するように、
『迷惑、かけちゃったし…。』
と、リアは弱々しく口にした。
『あのなぁ…迷惑などとは思っておらぬ。』
エルは溜め息を吐いて、身体ごとリアの正面を向く。
『茉莉姉ぇは…、優しいから、言葉には出さないし、そういう態度も見せたりしないけど、絶対…迷惑だって思ってた。』
苦い表情で、リアは俯く。
『茉莉の気持ちを代弁することは出来ぬがな、我がプールでお前を怒らなかったのは、茉莉が許せと言ったからだ。』
『優しいからだよ。』
エルは今更ながら本当のことを告げる。
別に隠していた訳ではないし、リアにも察しは付いていたことだったが、それでもリアに譲る様子はない。
だが、リアは茉莉のことを何も分かってはいない。
『違うな。間違っておるぞ、リアよ。茉莉は優しいだけではない。自分の意見はハッキリ通そうとする、あれでいて結構頑固者なのだ。』
リアより長く(…と言っても三日ほどしか差異はないが)一緒に過ごしたのだ。エルの方が茉莉の人間性を、より解っている。
そういうエルの態度が勘違いを引き起こしたのか、
『え…なに…ここノロケるところなの…?』
リアは文字通り一歩引いた。
『ノロケておる訳ではない。真面目に聞け。』
エルは変な思い違いをする妹にぴしゃりと訂正を放ると、今度は安心させるように、諭すような口調で言葉を続ける。
『茉莉はお前のことを許しておる。それは間違いない。我が保証する。』
だが、リアはそれでも意固地になり、
『…兄貴の保証じゃあてになんない。』
とまで言い出す始末だ。
確かに冗談も言う、からかいもするが、エル個人はリアにとって良い兄を演じてきたつもりでもあった。
それだけに、心から信用されないとは、思ってもみなかった。
猜疑心を持つだけの理由もあるのだろう。
『疑っておるのか?』
ちゃんと言葉にしないことには、説得の余地もない。
問われた方は暫く黙り込んだが、そのうち観念したように、自分の意見を述べ始める。
『…だって、私と茉莉が会話するのだって、兄貴が仲介してる訳だしさ。ほんとに茉莉の言葉を正確に伝えてくれてる訳じゃないじゃん…。』
エルを信じられない、とは本気で思っている訳ではない。
リアは単に不貞腐れているだけだ。
話し方にも、兄への非難は感じられない。
『それはまぁ、一字一句違えぬようには無理があるのは分かるであろう?それに、嘘の翻訳をしたところで、我にメリットなどないのだぞ?』
兄は、やれやれ、全く手のかかる妹だ…と思いながらも、真摯に妹に向き合う。
『うん、分かるけどさ…あてになんない兄貴の言葉を信用するより、ちゃんと茉莉姉ぇの言葉を聞きたい。』
『無茶を言うな。』
エルはリアの我が儘に肩を竦める。
『今は…ね。』
リアはそう短く呟いた後、気持ちを切り替えるように頭を数度横に振った。
そして、目の前の兄に、まるで睨むように視線をぶつけると、
『兄貴だって、人間界の言葉覚えるだけならすぐだったんでしょ?私も魔界で、次来る時までに、ちゃんとこっちの言葉覚えてくる。それで、茉莉姉ぇに謝って、ほんとに許してもらえたら、またいっぱい話したいの…自分の言葉で!』
と、自らの考えを露わにした。
リアも今回の件があって、反省の後、自分で考え、答えを出したのだろう。
ならば、止める理由などあるはずがない。
エルは、妹の成長を見守る兄の目で、リアを見る。
『そうか。次来る時は、ちゃんとクソ親父の許可を取ってからにするのだぞ。その時には我も、もっと人間界に詳しくなっておるからな。改めて人間界を案内してやろう。』
妹の成長を見るのは案外嬉しいものなのだな…今なら何でも買い与えてしまいそうだ。
そう思う今のエルの心境は、言うなれば、親馬鹿ならぬ兄馬鹿であった。
『ん、少しだけ楽しみにしておいてあげる。じゃあまたね、兄貴。』
気持ちを吐き出し、少しすっきりしたリアは、いつもと変わらぬ調子でエルに告げた。
そして人間界を去る為に、グラゼルに魔法を使って貰おうと、グラゼルの部屋へ向かおうとするのだが、それをエルは制止する。
『待て、リア。我も付いて行く。』
『はぁ?ひ、一人で帰れるしー、心配しないでよね気持ち悪い。』
何で家に帰るのに兄貴の引率が必要なの、とリアは気恥ずかしいのもあり、嫌がった。
『そうではない。我もクソ親父に文句の一つでも言わねば気が済まぬ。だから別にリアを見送りたいという訳ではない。我が我の個人的な理由で勝手に付いて行くだけだ。』
勿論エルのそれは建前だった。
だが、建前というのは時に大事なものである。
それを証明するように、
『それなら仕方ないね、好きにすれば?』
と、リアは素直に了承したのだから。
魔界…その中心である魔王城では現在、大変な騒ぎになっていた。
魔王の娘が行方をくらましてから、もう7日目だというのに、何の進展もない。
2日目には捜索隊を組み、ずっと彼女を捜していた。
人間界にいるのだから見つかるはずはないのだが、魔王はそれを知る由もない。
「あの家出娘は、ったく、いつもいつも、ふらっと城を抜け出しやがって…今回は何で帰って来ないんだ。」
大広間で玉座にふんぞり返る魔王は、深々と溜め息を吐く。
「まぁまぁ、きっとあの子も、たまには親に反発してみたい年頃なんですよ。」
娘が行方不明だというのに、魔王の妻は普段と変わる様子はない。
「たまにどころじゃないんだが…。」
魔王の気苦労は絶えない。
そんな魔王の元に、家来の魔人が走り込んでくるなり、声を上げる。
「失礼致します!緊急伝達です、魔王様!リア様が戻られました!!」
息を切らせながら、魔人は報告を伝えた。
「ようやく帰ってきたか…それで、どこに行っていたと?」
魔王が威厳に満ちた声で問いかけると、
「そ、それが…」
と、報告に来た魔人は言い難そうに言葉を詰まらせた。
良いから言え、と魔王が怒鳴りつけようとした時、その場には似つかわしくない軽い声が聞こえた。
「帰ったよ。」
声と一緒に、リアは大広間へと入ってくる。
リアだけでなく、エルも一緒だ。
「おい、まさかお前、人間界に行っていたのか?」
唖然として魔王は、娘リアに問いかける。
「そうだけど?」
リアの返事は、やはり軽かった。
「グラゼルの奴はどうして何も言って来なかった!それより定時連絡はどうした、定時連絡はー!!」
怒鳴り散らすように、魔王は声を上げる。
申し訳無さそうに、魔人は恐る恐る発言する。
「はぁ、それが…奥方様の指示で、定時連絡をあまり顕著にしすぎるのも良くはないと…しばらく連絡を取っておりませんでした…。」
それを聞いた魔王は、横に立つ妻を睨みつける。
「お前…!全く動揺してないと思えば、一枚噛んでやがったのか!」
「ふふふ、ごめんなさい魔王。私も魔王に反発してみたい年頃だったんですよ。」
悪びれた様子もなく、魔王の妻は軽くあしらった。
「んな訳あるか!!」
遊ばれているようで、魔王は流石に腹が立った。
そんな魔王に怖じることなく、エルは一歩前に出、再会の第一声をかける。
「相変わらずのようだな、クソ親父。」
「おう、馬鹿息子…随分帰ってくるのが早かったな。もう人間界に飽きて、魔界が恋しくなったか?」
離れていた時間は短いが、エルにとっては久しぶりの対面であるかのように錯覚してしまう。
それほどエルにとって、人間界の時間は濃密だった。
「馬鹿を言うな。クソ親父がいつまで経ってもリアを迎えに来ぬので、連れ帰っただけだ。」
やれやれ、世話のかかる親だ…と言いたげに、肩を竦めるエル。
リアは自ら帰ると言ったが、エルの物言いは、まるで自分がリアを説得して連れてきたかのようだった。
だが、兄にも何か考えがあるんだろう…とリアは口を挟まず傍観する。
「うるさい、こっちだって魔界中隅々まで探させてたんだ…家出娘が一人で人間界行くなんて考える訳ねぇだろ!」
魔王は息子の態度に更に腹を立てた。
「リアには魔界から迎えが来るまで人間界に置いておくと約束したが、こうしてわざわざ連れ帰ってやったのだ。まだ返してやる理由は本来ないのだが、今回のことを貸しにしてやっても良いぞ。」
「貸しだと?」
訝しむのも当然だろう。
現在人間界に滞在中のエルが、魔界に暮らす魔王に貸しを作る意味は薄い。
「クソ親父に貸しを作ったところで、今の我には返してもらう機会も訪れないのは分かっておる。」
エルもそれは理解した上で尚、貸しにすると言っている。
何か企んでるのか…と魔王は息子の態度に不信感を覚える。
「だから、そんな返される保証もない貸しは、チャラにしてやる。」
貸しにすると言ったのにチャラにすると言う。エルの言葉に、魔王の不信感は更に強くなるばかりだ。
「まるで意味が分からんぞ。」
魔王が言うと、エルは不敵に笑い、続けた。
「まぁ聞くが良い。チャラにするのにも条件がある。リアが今後、人間界に行きたいと言った時は、止めるでないぞ。それが条件だ。」
エルは今回、この為だけに魔界に戻った。
いつからだったか、きっと茉莉とリアが仲良くなり始めた頃からだ…エルはリアが魔界に帰った後、今度は自由に人間界に来られるようにしてやろう、と考えて始めていたのだ。
「そもそもリアが人間界に行ったのなんて、こいつが協力したからだろ?」
自らの妻をこいつ呼ばわりしながら、魔王は隣の人物に目を向ける。
「面白そうでしたからね。」
魔王の妻には気にした様子は欠片もなく、それどころか笑っていた。
その態度に魔王は、既に何度目か分からない溜め息を吐き出してから、
「ったく、リアもそんなに人間界が気に入ったってのか?」
と、今度は娘に視線を移す。
「まぁ、うん。…仲良くなった人間もいるしね。」
リアは素直に答えた。
「あら、それは詳しく聞きたいわ。リア、後で母さんに話してくれますか?」
「うん。」
食い付いてきたのは、意外にも魔王の妻だ。
「後でじゃなくて良いからこの場で話せよ。我も聞いてやるから。」
「え、やだ。親父には話したくないし。」
「この…このやろう…!」
仲間外れにされたような感覚に、魔王はわなわなと震えた。
そしてもう一人仲間外れにされていた人物も、そこで声を上げた。
「おいクソ親父、我との話がまだ途中だ。」
別に怒っている訳ではないが、承諾を得なければ、エルとしてもどうすることも出来ないのである。
魔王は面倒そうに息子に視線を放ると、
「ちっ…分かった分かった。許可すれば良いんだろ。」
と、意外にもすんなりと許可を出す。
だが、それだけでは終わらなかった。
「人間界だろうと魔界のどっかだろうと、行きたきゃ勝手にすれば良い。でも城を出る時は必ず我に声かけてからにしろよ。お前がどこにいるか分からないのは、我としても面倒なんだよ。」
魔王だって、娘に自由にさせてやりたい気持ちはあった。
しかし、度々勝手に城を抜け出されては、言う機会がない。それだけだった。
面倒だから、という体で話を進めているが、これも歴とした親心なのだ。
尤も、魔王の気持ちを理解出来るのは、この場では魔王の妻くらいだが。
「はぁ…うん、それで良いよ。」
リアも、面倒だけど、という態度は隠さないままだが、了承した。
それを見届けると、エルは大広間に背を向ける形で歩き出す。
「では我は人間界に戻る。」
彼の後姿に、
「おう、さっさと行っちまえ。」
「いってらっしゃい、エル。」
「また遊びに行くから、茉莉姉ぇによろしく言っといて。」
と、三者は三様に見送りの言葉をかけた。
こうして、魔王の息子エルの、短い帰省は終わったのだった。
翌日、朝からエルは真面目に授業を受けた。
茉莉に勉強を教えられるように。
授業が終われば茉莉と、時間の許す限り街を見て回った。
リアに人間界を教えられるように。
目標は些細であっても、人間にとっては大きな原動力になる。
魔人であっても例外ではなく、エルにもまた、この些細な目標が、生活に色を取り戻させた。
街を回る最中、エルは茉莉に、リアが魔界に帰ったことを告げた。
茉莉は少し寂しそうだったが、また近いうち遊びに来る、と言ったら、嬉しそうに微笑んだ。
エルが茉莉とそんな話をしている頃、グラゼルもまた、一人の人物と対面していた。
「ほんで、話しってのは?」
眼鏡の老婆は、向かいに座る初老の執事に目線を据える。
「えぇ…実は…。」
と、グラゼルは、魔王の息子とその彼女について、老婆に語り始めた。
全てを聞き終えると、老婆は難しい顔で、ポツリと告げるのだった。
「…一度その子らと話させな、グラゼルよ。」
第3話・完




