甘い色
今日から出勤だ。
そう思うとニバリスは心が重かった。
まだ自身の変化についていけてない。
一過性のものと思いたかったが、あれから数日経った今も世界はうるさいままだ。
昔から音や視線には敏感だったがここまでではない。
不安を抱えながら、会社に行くために地下鉄に乗った。
人の匂いで溢れかえる朝の地下は地獄だった。
いつもより人の声が大きい。
不躾にこちらを見る視線もいつもより刺さった。
ニバリスは現地民とは異なる姿をしている。
横に長い耳に、派手な髪の色はどこに行っても目を引いた。
コスプレかと聞かれたことは何度もある。
様々な色が押し寄せて、気持ちが悪くなった。
が、吐くわけにもいかず、なんとか会社まで行くことに成功する。
会社に行くと流石に好奇の視線は減ったが、代わりに別の視線が貫くのをニバリスは感じていた。
「おはようございます。イヤードさん。」
部署の違う女性だ。
毎朝こうして挨拶をしてくれる良い女性だが、今はちょっと余裕がなかった。
できる限り努めて普段通りに挨拶をするがそこで気づく。
――口の中が甘い。
この女性からは淡い桃色が見えていた。
それを感じた瞬間、なんとも言えない芳醇な甘さが広がった。
思わず、舌が動く。
「イヤードさん?大丈夫ですか?」
一瞬、呆けてしまうと女性が心配そうに尋ねてきた。
藍色に変わる。
一度、味を認識してしまえば他の色も同じだった。
濃厚な味わいにニバリスは戸惑う。
どうすればいいのかわからなかった。
ただ、取り繕うために少し笑って見せると強い桃色が舌を支配した。
「……。」
自分の席について口元を押さえる。
明らかにおかしい。
けれど、どうやって相談したら良いかわからない。
アレクロミシアに会ってから体調がおかしいと言えば、真っ先に疑われるのは寄生だ。
そのまま宿主を食い殺して成り代わる。
そうやって彼らは増えていく。
そこまで考えて、ニバリスは恐ろしくなった。
もしかすると自分は寄生されてしまったのかもしれない。
それでおかしくなったのだ。
もしこのことを言えば、駆除対象として処分されてしまうだろう。
「……!」
ニバリスは世界が不確かになったような不安に襲われた。
呼吸が浅くなる。
汗が滲んだ。
その様子に同僚が声をかけてきたが耳に入らない。
嘘だ、と言いたかった。
「イヤード、帰れ。」
心配した上司にそう言われて、ニバリスは会社を早退する。
その間も舌の上を転がる味は変わらなかった。
*
「……ただいま戻りました。」
「あれっ、早いですねニバニバ。」
家に帰ると母がいた。
専業主夫なので当たり前だが、彼はキョトンとしながらニバリスを見つめる。
ニバリスは何も言わずに自室に籠ると、ベッドの上にダイブした。
ギシと、木枠が鳴る。
「……。」
舌の上に残るのはあの甘い味だ。
また、味わいたいと思ってしまった。
その恐怖に身を竦める。
なんというか、味わうほどに全身がむずむずとしてもどかしい。
「……は。」
熱っぽい息が漏れた。
体が火照ってるのがわかる。
自分が自分じゃなくなる感覚に心地よさを感じ始めているのは気のせいだろうか。
もしこのまま、アレクロミシアに成り代わられたとして一番最初に犠牲になるのは誰だろう。
家族かもしれない。
そう思うと怖い。
けれど、自分が消える最後の日まで一緒にいたいとも思うのだ。
枕を涙で濡らす。
「ニバリス、お昼食べますか〜?」
呑気な母の声が聞こえる。
とてもじゃないけど飯を食う気にはなれなかった。
ニバリスは布団に突っ伏したまま眠る。




