歌う草
心臓がバクバクとした。
母が風呂に入っていて良かったと思う。
父はちょうど携帯を見てたようで気づいてない。
テレビリモコンを取ろうとするウルツカを抑えて、そっと図鑑を手に取る。
ウルツカの興味は素直に本に移って、ペラペラとページを捲り始めた。
「お兄様、蝶々綺麗です。」
人差し指でお気に入りの虫を見せてくれるウルツカは、見た目よりずっと幼い笑顔を浮かべる。
ネイドも近くにやってきて、二人で図鑑鑑賞を始めた。
ニバリスはふぅとため息を吐いた。
この家の平穏は自分にかかっているような気がする。
ばしゃんばしゃん。
風呂場から大きな音が聞こえてきた。
絶対に見てはいけない。
覗いてはダメだ。
ばしゃばしゃ。
ダメったらダメだ――!
「母さん……大丈夫ですか?」
堪えきれずに扉を叩くと、中から微かに返事が聞こえてくる。
生きてはいるようだ。
ホッと胸を撫で下ろし、後ろを振り向くと目前に父がいた。
息が止まる。
「……。」
「す、すみません……父さん。」
ジッと見つめてくる父は、ジム通いでつけた筋肉もあって中々体格が良い。
ニバリスは尖った耳をピンと立てると、へなへなとずり落ちながら逃げた。
「テス、近所迷惑だから風呂で遊ぶな。」
メフィが扉越しにメフィに語りかける。
また微かに返事が聞こえてきて、水音は静かになった。
「びっくりさせたな。」
そういってメフィは笑って見せたが、ニバリスはドキドキとしていた。
年甲斐もなく、怒られる、と久々に構えた。
「……お兄様、父様怒ってるのですか?」
「怒られたの?」
ウルツカとネイドが駆け寄ってきて、足にしがみつく。
ニバリスは首を振って、二人を抱きしめた。
「いいや、ちょっと注意されただけだ。」
そのままわしゃわしゃと背中をさすってやれば、きゃーと言いながら二人は散っていく。
しばらくして、テスが風呂から上がってきた。
「いやぁ、サッパリしたのです。」
艶々と肌が輝き幸せそうな姿に、ニバリスはため息を吐いた。
テスは風呂上がりの牛乳を一杯飲む。
グビグビといい音を立てながら、喉が動く。
「んはー!カルシウム摂取ですー!」
湯気で白くなったメガネをチャキっとかけて、テスは言う。
「カルシウムってそう簡単に摂れないらしいぞ。」
「メフィ、これは気分の問題です。」
テスが頬を膨らます。
そして時計を見ると、そそくさとメフィとの寝室に入っていった。
そろそろ寝ろと言われる時間だ。
「ウルツカ、ネイド歯磨こうか。」
今日も騒がしい一日が終わる。
そしてその晩、夢を見た。
星屑の海を泳ぐ夢だ。
濃紺の海には金平糖のような、星々が浮き。
黄金の光に溶けていく。
暖かな熱が体に伝わるたびに心地よくて、気持ちいい。
そんな穏やかな夢を見て目が覚めた。
「おはよう、ニバリス。」
甘い声が聞こえる。
頭が揺れるような声だ。
ハチミツを溶かしたみたいな優しい声。
「ふぁ……。」
「ふぁ、じゃないですよ。朝です。」
布団が剥がされる。
一気に外気がニバリスを襲った。
ぷるると耳が震える。
「おはようございます、母さん。」
ニバリスが起き上がると、肩から髪が流れた。
その毛先をクルクルとテスは弄ぶと笑う。
リビングに行くと、もう朝食の準備は終わっていた。
ウルツカとネイドが前のめりになりながらパンケーキを眺めている。
「メフィ〜、先に食べますよ?」
手を合わせて挨拶をした。
テレビをウルツカがつけると、いつものニュース番組がやっている。
『都内でアレクロミシアが発見』
「歌う草とも呼ばれるアレクロミシアが、先日アーラン都心で見つかりました。
連邦政府は急遽都内を閉鎖し、除去部隊を向かわせました。
この影響で、近隣の学校や幼稚園などは休日となります。」
アナウンサーが、淡々と読み上げる声にネイドが反応する。
「やった!」
見ればウルツカも嬉しそうだ。
二人の通う学校は都心にあるから嬉しいんだろう。
だが、大人はそうじゃない。
「アレクロミシアか……。」
ニバリスが不安げに呟く。
一応会社の携帯を確認してみると、今日は在宅ワークになっていた。
「不要不急の外出はお控えください。」
テレビから音が聞こえる。
この様子だと父の会社は休みだろう。
「久しぶりに出たな。」
メフィがコーヒーを啜りながら言う。
「どうせ野良一匹でしょ。どうにかなりますよ。」
テスはお気楽そうに窓の外を眺める。
そこには野良猫が一匹こちらを覗いていた。
目が合うとみゃあと鳴いてどこかへ行く。
「買い出しに行かなくちゃいけないんですけど、スーパー開いてるでしょうか?」
「近所だったらやってるんじゃないか?」
そのやり取りにウルツカが口を挟む。
「ダメです!アレクロミシアはとっても怖いんです!
お母様が偽物になっちゃったら嫌だ!」
プルプルと唇を震わせて、訴えるがテスはキョトンとして笑うばかりだ。
ニバリスもあまり外に出て欲しくない。
不安からテスをジッと見つめてしまう。
「大丈夫ですよ。テスは平気です。」
そう言ってコーヒーカップの縁を人差し指で叩く。
キンと音がした。
「続いてのニュースです。人気芸能人のデリスに熱愛報道――。」
直後、プツっとテレビの電源が切られる。
無言が広がる。
これが最後の会話になったら嫌だな、なんて思いながらニバリスは手を合わせた。




