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⭐︎おなかすいてるだけ

 唇が首筋に触れた。

 びくり、と女の体が跳ねる。


 その瞬間――


 味がなだれ込んできた。

 

 とびきり濃くて美味しい。

 そのままカプと首を噛んでみる。

 また味がした。


 カプ、カプ、カプ。


 場所を変えて何ヶ所か噛んでみる。

 頭を振って泣いていた。

 腕に力が入る。


 ……もっと強く噛んでみたらどうなるだろう。

 舌が疼いた。

 歯を肌に突き立てる。


 か、ぷ。


 鮮烈な味が舞い込んだ。

 それは鉄臭くて嗚咽が出るはずなのに……美味しい。

 恐怖の濃さと鉄の臭さが交わって、新しい味がした。


「……。」


 ちゅ。


 ちゅ。


 夢中で血を啜る。

 ちろちろと舐めてみたり、強く引っ掻いてみたり。

 ただ美味しさに身を委ねる。


「おいしい、これ、おいしい!」


 自然と笑みが溢れた。

 はむはむと噛み付く。

 肉を食いちぎることはできなかったが、傷跡をつけることはできた。


 もはや女は抵抗すらしない。


 そこでふと視線が合う。

 その瞳には、頬を染めて笑う化け物(じぶん)の姿が映っていた。


 急速に胸が冷えていく。


「あ……。」


 喉が引き攣った。

 口の中に残る味が重くなる。


 さっきまであんなに美味しかったのに、今はただ気持ち悪い。


 べたつく自分の手を眺めた。


「何だ……これ。」


 動けない。

 現実が遅れて追いついてくる。


 ――自分がやった。


 人間を食った。

 ルイックは大丈夫だと言ったけど、大丈夫なんかじゃない。

 同族を食ったんだ。


 そこまで考えて、ふと思う。


 どうぞく……?

 視線が肉に落ちた。

 これがどうぞく?


 ニバリスの心に不思議な感覚が宿る。

 目の前にいるのはニンゲンだ。

 でも、同じじゃない。

 自分よりもずっとちっぽけで弱い生き物。


 違う。

 違うはずだ。


 甘い匂いのする美味しいごはん。


 こんなに――

 美味しいものが、同じなわけない。


 胸の奥がざわつく。

 嫌だ、とどこかで思っているのに、舌がもう一度欲しがっている。


 ぐ、と喉が鳴る。


 ――いいのか?

 誰かがそう言った気がした。


 でも。

 もう遅い。


 口の中に残った味が、全部を塗り潰していく。

 

 ……いっかぁ。


 ニバリスの口の端が再び持ち上がる。


「いい表情してるじゃないか。」


 アルセラはとっくに食事を終えて、ニバリスを見つめていた。


「これが食うってことだ。」


 ガシガシとニバリスの頭を撫でる。

 ニバリスは、少しだけ笑った。

 褒められて、嬉しいと思ってしまった。


「……何してんだ。」


 後ろから声がかかる。

 振り向くとテスに連れられた、デリスとヴァリスがいた。


「ごはん。」


 ニバリスは獲物を二人に見せつける。

 でも、取られたくないから半分しか見せなかった。


「人間だろ……それ……。」


 デリスが下がった。

 ニバリスはもう一口食べたくて首元に顔を埋める。


 くちゃ……。


「アルゥセゥラ、お前下品な食べ方を教えましたね?」


 テスがアルセラを睨む。

 彼は肩を竦める。


「この世は弱肉強食だ。

 骨までいただいて何が悪い。」


「肉が美味いのは認めますが、汚れるでしょ。」


 テスはやれやれと首をふる。

 その様子をヴァリスとデリスは、顔を顰めて聞いていた。


「な、なんなんだよ。お前らおかしい。」


 デリスが言う。


「人殺しじゃねぇか!」


 ヴァリスが肉を貪るニバリスに近づく。

 その頭を引き剥がそうと力を加えた。


「やだ!」


 ニバリスは強く首を振る。


「これは、俺の……!」


 ぎゅっと抱きしめる。

 奪われる恐怖が、胸を締め付ける。


「お前だって、食うだろ!」

 

 それを聞いたヴァリスは泣いていた。

 必死でニバリスの名前を呼ぶ。


「おいババア!テス!」


 デリスがテスにつかみ掛かる。

 テスは言葉をこぼす。


「お前も同類ですよ。

 所詮私たちは化け物です。」


 ニバリスの方をデリスは向いた。


「食うってのはなぁ!」


 デリスが歯を食いしばる。


「それでも“選ぶ”もんだろうがよ!」


 テスがデリスの手に、自分の手を重ねる。

 それからいつもの優しい声色で言った。


「……あなたたちも、そのうちわかりますよ。」


 母の宥めるような声に、デリスは絶望の表情を見せた。

 ニバリスはそんな様子に目もくれずもう一口食べる。

 デリスは怒鳴った。


「やめろ!さっきから臭ぇんだよ!」


 づかづかとニバリスに近づいていくと、ぶん殴る。

 ニバリスは一瞬殴られたことがわからなくて、キョトンとした。

 けれど次にじわじわと痛みが襲ってきて、涙が出てくる。


「……なんで?」

「黙れ!殺すぞ!」


 デリスはニバリスの胸ぐらを掴んだ。

 それが怖くてニバリスは泣いてしまう。


「なんでぇ?」


 様子のおかしいニバリスにデリスは、言葉が出てこなかった。

 間にテスが割り込んで、引き剥がされる。


 デリスはなおも手を伸ばそうとするが、

 テスの手がそれを止めた。


「落ち着きなさい。」

「落ち着けるかよ!」


 デリスの声が震えている。


「こいつ……こいつ、普通に……!」


 言葉が続かない。

 ニバリスは地面に座り込んだまま、頬を押さえていた。


 じんじんと痛む。

 でも、それよりも。


「……なんで。」


 尖らせた唇からぽつりと零れる。


「なんで、だめなの。」


 ぽろぽろと涙が落ちた。

 手の中の“ごはん”を見る。


 まだ温かい。

 まだ、美味しそうだ。


「おなか、すいてるだけなのに……。」


 ゴクリと喉が鳴る。

 その音に、デリスが息を呑んだ。


「……っ。」


 ヴァリスはその場で崩れ落ちた。


「ニバリス……やめろ……。」


 絞り出すような声だった。

 ニバリスは首を傾げる。


 本当に、わからなかった。

 どうして怒られているのか。

 どうして泣かれているのか。


 ただ。


 ――取られたくない。


 その気持ちだけが、強く残っていた。

 

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