第六話 昼休み
館内に昼の休憩を告げる鐘が鳴った。廊下へ出ると、先ほどとは打って変わって、人の気配が増していた。あちらこちらから職員達の声が聞こえてくる。
「今日の日替わり、魚だっけ?」
「そう。数量限定だしめっちゃ美味いらしいから早く行こうぜ。」
「私はパスタにしようかな。しかも、大盛りで。」
他愛もない会話が、廊下に飛び交っている。
クローディアンには査定士だけではなく多くの職員が勤めている。そのため、食堂も広く造られているが、昼休みになると一斉に人が集まるため、この時間だけは人間らしくなる。
レオは料理を受け取り、人の少ない席を選んだ。
一人で食事を始める。
「レオくん。」
声に気づいて顔を向けると、両手に食事のお盆を持ったリシアが立っていた。肩につかないボブの髪。女性の平均よりも小柄な体。
「ここ座ってもいい?」
「どうぞ。」
「ありがとう!」
リシアは向かいの席へ腰を下ろした。少しして、リシアがスープを口にした。
「……あれ?」
「どうしました。」
「今日のスープ、いつもと違う気がするんだけど。」
そう言って、もう一度匙を口へ運ぶ。今度はすぐには飲み込まなかった。目を閉じ、舌の上に残った味を確かめるように、ほんの少しだけ首を傾ける。
「んーなんだろう。出汁か……隠し味か……。」
そこまで真剣に悩むものなのか。特に気にしてはいなかったが、そこまで言われると少しだけ気になるのが人間だ。レオも匙を取り、スープを口にした。
「……。」
温かく塩分も適量だ。具材も柔らかく煮込まれている。だが、それ以上のことは特に分からなかった。
「俺には分からないです。」
「えーほんとに?私、食べるの好きだからかな!」
少し照れたように笑い、ご飯を口へ運ぶ。
「レオくんって、食べること好きじゃないの?」
「好き嫌いを考えたことはありません。」
「えー。」
リシアは箸を持ったまま、少し考えるようにレオを見る。
「前から思ってたんだけど、レオくんは、何のためにご飯食べてるの?」
「生きるためです。」
「ん?……生きるため?」
「はい。必要な栄養素を摂取し、身体の機能を維持する。生きるためには必要不可欠なことなので食べています。」
特別な考えではない。食べなければお腹が減る。お腹が減れば、身体が動かなくなり、最終的には死んでしまう。だから、食べる。幼い頃から、それだけは疑うことはなかった。
「いや合ってるんだけど……そうだけどそうじゃないって言うか……。」
「じゃあ、甘いもの食べて疲れ飛んで幸せー!とかムカついたから爆食してやるー!とかないの?」
「食事によって、満足感や満腹感を得ることはあります。」
「えっと、それが幸せって感じじゃない?」
「……そういうものですか。」
「少なくとも私はそう思うけどな。」
リシアは匙でスープをすくい、少し冷ましてから口へ運んだ。
「美味しい物を食べて、美味しいなって思う。それだけでも、結構幸せだと思うけどな。」
「栄養とは別の話ですね。」
「レオくん……食堂の人が聞いたら泣くよ?」
「そうでしょうか。」
「毎日一生懸命作ってくれてるのに、生きるために食べてるだけ。なんて言われたら人によっては悲しいでしょ。」
「ですが、事実です。」
「いや、そうなんだけど!」
リシアは力が抜けたように項垂れ、額へ手を当てた。
「もう……。レオくんって、こういうところ真面目というかなんというか……。」
その傍らでレオは黙って食事を続けていた。なぜそこまで食事を幸せと関連づける必要があるのかと。
やがて、リシアがふと思い出したように尋ねた。
「そういえば、午後って査定何件あるの?」
「二件です。」
「二件か。私、三件なんだよね。あと、その合間にも書類整理しないと。」
「三件ですか。」
「うん、ちょっと多いよね。書類整理、昨日やっておけばよかったよ。」
「通常は二件程度で、なかなか三件はありませんからね。」
「……。」
「……。」
「それだけ?」
「……はい、なにか。」
リシアは箸を止め、レオを見る。
「レオくん。」
「はい。」
「ねぇ!そこは大変ですね、頑張ってくださいとか声かけてくれてもいいじゃん!」
「先輩を少しは労ってよ!」
「労う……。」
レオはその言葉を反芻した。
人が疲れているとき、声をかけてほしいときに何と言えばいいのか。そういう言葉を誰かにかけたことがない。自分自身も、誰かにかけてもらった記憶が少ない。だから、正解がわからないのだ。
「……午後も、大変ですね。」
「もう遅いよ!」
そんなことを話しているうちに、昼休みは少しずつ終わりへと近づいていた。食堂の席も一つ、また一つと空いていく。二人もまた席を立ち、食器を返却口へと運んだ。
「ごちそうさまでした。」
二人で並んで食堂を出る。廊下へ出たところで、後ろから明るい声が聞こえてきた。
「リシアさん!」
二人が振り返ると、若い女性職員がこちらへ小走りに近づいてきた。
「この前は本当にありがとうございました!」
勢いよく頭を下げる。リシアは誰かわからないような顔をしていたが、少し考えた後、驚いた顔をした。
「えっと……あ!書類整理のときかな?」
「はい!」
「あの日、締め切りまで全然終わらなくて。一緒にやっていただけなかったら、間に合いませんでした。」
「そんな大したことじゃないよ。時間が空いてたから一緒にやっただけ。」
「それでも、本当に助かりました!」
女性職員はもう一度、深く頭を下げる。
「ありがとうございました!」
そう言い残すと、軽い足取りで廊下を歩いていった。その背中を見送る。
「知り合いですか。」
「ううん。」
「では、なぜ手伝ったんですか。」
「困ってたから。間に合いそうになかったし、その日は本当に余裕があったからね。」
「それだけですか。」
「うん。それだけ。」
肩をすくめながら笑う。
「私も誰かに助けてもらうこともあるし。自分に余裕があって、手伝えるならやる。それだけだよ。」
査定記録に残せるような、明確な理由も価値もない。それなのに、リシアは迷うことなくそれを選んでいた。レオはその感覚が到底理解できない。けれど、理解できないからといって、間違えているとも思わなかった。むしろ、理由を探さなくても誰かのために動けることが、不思議で。
ほんの少しだけ羨ましい。そんな気がした。




