うごめくいんぼー
「ゴ、アガ、ギ……!」
海に叩き落とされたヴェルパーナは、まだ生きていました。十倍もの質量差の一撃に耐えるとは、流石は空の覇王と言うべきでしょう。
ですが此処には、海の帝王もいます。
オルガウムです。オルガウムはでんでんとヴェルパーナの争いに割り込んだ第三者ですが、同時にどちらも獲物と見ていました。そしてオルガウムは大物相手にも怯まず挑む気質を持ちますが、それは誰彼構わずケンカを売るという意味ではありません。
ちゃんと、安全確実に殺せる方を優先します。
つまり海に入っても力強く貝殻から全身を飛び出し、如何にも元気いっぱいなでんでんよりも……強烈な打撃を受けて瀕死のヴェルパーナを積極的に襲うのです。
「キャアァアアッ!」
「ガッ!?」
オルガウムは素早くヴェルパーナに巻き付き、海中へと引きずり込みます。そして反撃される前に、牙のように鋭い大顎で身体に噛み付きました。
でんでんに通じなかった神経毒は、ヴェルパーナには効果的でした。生粋の捕食者であるヴェルパーナは、毒素を多く摂取する植物食と異なり、毒素に触れる機会が多くないのです。このため毒素の分解酵素をあまり持ち合わせておらず、神経毒の中和が出来ません。
身体が麻痺したヴェルパーナは、呼吸すら満足に出来なくなりました。尤も、仮に息が吸えたとしても……オルガウムによって海中へと引きずり込まれれば、否応なしに窒息するでしょうが。
「ウジュゥウウウウィィ……!」
これを不満げに見ていたのが、でんでんです。ディーエンデンは植物食傾向の強い生物ですので、ヴェルパーナを持ち去られても困る訳ではありません。しかしブチのめそうとした相手を横取りされるのは、それはそれで不満なのです。
無論オルガウムはそんなのは知った事ではありません。賢王ディーエンデンと違い、感情など持ち合わせていないオルガウムはさっさとヴェルパーナを連れて深い場所へと行ってしまいます。
でんでん達ディーエンデンは肺呼吸の生物であるため、水中では息が出来ません。無理に追跡しても、流石に水中ではオルガウムに勝ち目はないでしょう。
今回ばかりは、オルガウムに勝ちを譲るしかありません。いくら賢王といえども、なんでも好きに出来るほど自然界は甘くないのです。
「ぜぇ……ぜぇ……し、死ぬかと、思いました……!」
ちなみにヴェルパーナに捨てられたシャミルは、どうにか自力で砂浜まで這い上がりました。
着ていたドレスは水を吸って重くなりましたが、この三日間の旅路でボロボロになったお陰で布面積が減り、結果吸い込んだ水が少なくて済みました。もしも綺麗なドレスのままなら、そのまま水底で身動きが取れなくなっていたでしょう。
勿論騎士団員達がそれを見過ごす訳もないので、どの道助かりはしたでしょうが。
「姫様! よくぞご無事で!」
「お怪我はありませんか!?」
「わ、わたくしは、げほっ、大丈夫です……ごほっ、ごほ……ちょ、ちょっと、水を飲んだぐらい……それより、あなた達の方こそ、怪我はありませんか?」
「はっ! 一名負傷しましたが、診たところ命に別状はありません。我々も大きな怪我はなく、ご心配には及びません」
騎士団員は力強くそう語りますが……動きは何処かぎこちないものとなっていました。ヴェルパーナの羽ばたきで吹き飛ばされた際、なんらかの負傷をしたようです。
それに負傷した一名は彼等の傍で寝かせられていますが、腕を動かすような素振りもありません。気丈に振る舞う事すら出来ない状態を、どうして『問題ない』と言えるのでしょう。
前向きに捉えるならば、空の覇王ヴェルパーナを相手にしてこの程度の怪我で済んだ、とも言えるでしょう。ですがそれは幸運の結果に過ぎません。特に一人目の負傷者は、ヴェルパーナが鎧というものに慣れていなかったがために、上手く掴めなかっただけです。足でがっちりと握られていれば、大怪我では済まなかったでしょう。
自分が遭難した所為で、危うく三人の騎士が死ぬところだった……それが分からないほど、シャミルは無垢で愚かな姫ではありません。
そして騎士団員三人の死というのは、単なる人命の損失ではありません。騎士とは国の治安を担う者達。パンゲア大陸の情勢は現状安定していますが、災害やクーデターなど、何時安寧が崩壊するか分かりません。その時優秀な騎士がいなければ、多くの臣民の命が脅かされるでしょう。
騎士団の規模を考えれば、三名の『損失』は大きなものではありません。戦場であれば容認される事もあるでしょう。ですが平時の、無意味な死は、絶対に避けねばなりません。
「ごめんなさい……わたくしの失態で、あなた達の命を失うところでした」
全ては遺物で事故を起こした自分の責任。そう感じたシャミルは、命を賭けてくれた騎士団員達に謝りました。
「姫様が謝る事ではありません! 全ては――――」
すると騎士団の一人が謝罪を拒み、それから何かを言いかけます。
言いかけて、そのまま口を噤んでしまいました。
聡明なシャミルは気付いた事でしょう。彼等が何かを知っている、と。それがとても政治的で、尚且つ確定はしていない事柄である事も、察しが付きます。
「ウジュィ〜」
しょんぼり気味のでんでんが海から戻ってきた(口許には海で拾った海藻が咥えられていました)事で、周囲の安全も多少は確保されました。
そしてでんでんの感覚では近くに『敵』はいないため、特段警戒もしていません。その姿からシャミル達も、近くに一旦脅威はないと知ります。
「何か、掴んでいる事があるのですね?」
今なら話が出来ると考えたシャミルは、騎士団員に問いました。
騎士団員二人は互いに顔を見合わせます。言葉は交わしません。
ややあって、一人が小さく息を吐きました。
それから騎士団員は、真剣な面持ちで語り始めます。
「……姫様は、ダイガン卿をご存知ですよね」
「ええ、勿論。新興貴族の中でも、特に目覚ましい貢献をしている方ですから」
王国における貴族は、決して不変の存在ではありません。大きな問題を起こせばお家が取り潰しになる事もありますし、武功など国に多大な貢献をした者が新たな貴族となる事もあります。
ダイガン卿は新興貴族――――新たな貴族の一代目当主であり、とても優秀な人物です。爵位は子爵と然程高くありませんが、多くの貴族や王族と交流を持ち、政治の世界に深く関わっています。それ故に力も大きいですが、彼の統治は臣民から好意的に受け取られていました。
表向き、大きな問題はない人物です。
「……個人的には、ちょっと出世欲剥き出しな感じが、苦手ではありますけど」
強いて言うなら、気質の合わない人がいるぐらいでしょう。しかしそんなのはどんな人間にも言える事です。
「そのダイガン卿が、最近フレミア様と接触した事は?」
「……いいえ。それは知りませんでした」
「では、ダイガン卿もまた古代遺跡の積極活用派であり、近年同じ考えの貴族を集めて多くの会合を行っている事は?」
「いいえ。それも初耳です」
騎士団員の質問のような答え方に返事をしつつ、シャミルは口許に手を当てて考え込みます。
――――古代文明の遺物に対する扱いには、二つの派閥があります。
以前語ったように『封印派』と『活用派』、遺物を封印するか活用するかで分かれています。現在の王国では封印派の考えが採用され、最小限の研究を除いて遺物の活用は禁じられています。
しかしそれは今の王が、封印派の考えであるからこその方針です。
王の考えが変われば、この方針も変わります。そして王には現在二人の子供がいるのですが、二人の考えは真逆のものでした。
王姫シャミルは封印派なのに対し、その兄である王子フレミアは活用派なのです。王位継承権は第一子であるフレミアが一位で、シャミルは二位。順当にいけばフレミアが次代の王となり、いずれは活用派の政策が採られるのですが……ところが臣民の多くは封印派であり、シャミルの方が好まれているのです。
このためシャミルとフレミアの間には政治的対立が生じていました。
……とはいえ。
人間の考えというのは白黒キッチリ分けられるものではありません。活用派の中でも「全ての遺産を復元すべき」という考えもあれば、「兵器は絶対触るな」という意見もあります。封印派にしても「どんどん研究と調査をしよう」という意見に対し、「遺跡に近付く事さえ忌まわしい」と拒絶する人もいます。
シャミルとフレミアにも同じ事が言えます。シャミルは封印派ですが遺跡の調査研究は積極的にやるべきと考えていますし、安全性が確認された遺物の活用については容認しています。フレミアは古代兵器関連の遺跡はより厳重に封じつつ、日用品の復元を行うべきとの考えです。どちらも国の繁栄を考えた上での思想であり、対立はあれども折り合いも付けられる関係でした。政治的対立と言いますが「ちょっと考え方が違うよね」ぐらいなもので、家族仲も良好です。
しかし、この些細な考え方の違いを利用しようとする輩は大勢います。
「……成程。わたくしが消えれば、封印派の勢いは大きく弱まる。元々お兄様側にいる方々は、一気に出世出来るでしょうね。ダイガン卿も」
「はい。それとダイガン卿とフレミア様が接触した後、ダイガン卿と一部の従者が接触したようです。そしてその従者が、姫様が事故にあった時同行していた者の一人です」
「状況証拠だけで考えれば極めて怪しいですね。それにしてもこれは……かなり、良くない」
人と人の関係は、外から窺えるものではありません。そして人は、より過激なゴシップを好むものでもあります。
シャミルとフレミアの仲は良好です。ですが政策の違いもまた事実。多くの臣民は今回の事件に、王室絡みの『陰謀』があったと噂しているでしょう。
当然王家はその噂の払拭を試みるでしょう。不敬だなんだと言えば、表向きは皆黙る筈です。ですが人の心は、そこまで物分りがよくありません。むしろ黙らされた事で、勝手に確信を深めます。「本当にただの事故」という、一番合理的な考えから目を逸らして。
貴族達はそうした臣民の支持を利用し、王子周りで様々な策略を巡らせるでしょう。これだけでクーデターが起きるなんて事は考え難いですが……封印派のごく一部、過激派が何かをやらかす可能性も考慮すれば、あちこちに目を向けなければなりません。
当然、ダイガン卿への監視も疎かになるでしょう。いえ、疎かにならざるを得ません。フレミア王子と接触したダイガン卿を監視する事は、フレミアに疑惑を向けていると受け取られかねないのですから。
「現状、王家と貴族達の政治関係は大きく混乱しています。この混乱を収めるには、姫様の生存を急ぎ知らせねばなりません。それこそが、ダイガン卿が何か良からぬ企てをしていた時の、最大の抑止力となる筈です」
「ええ、そうですね」
国の混乱を知り、シャミルは緊迫した想いが顔に出ていました。
しかし、奇妙さも感じています。
「……ところで、一つ疑問なのですが」
「はっ。なんでしょうか?」
「仮に、わたくしの事故がダイガン卿の謀略で、結果的にわたくしが死んでいたとして……それでダイガン卿に何が出来るのかしら?」
王族といえども、シャミルはまだ幼い姫君です。公務や政治的活動があるとはいえ、どれも父である王からの指示であり、自分の政策をアピールする事は殆どありません。支持の大きさや派閥などを考慮しても、王国政治にそこまで強い影響力はないのです。
ですからシャミルが死んだところで、王国の運営が止まる事はありません。シャミル派の貴族にしても、一部過激派を除けば、利権や利益を考えた上でシャミル側に付いています。死んだ小娘に何時までも付き従うほど義理堅くもなく、大半はいけしゃあしゃあと王子側に加わるでしょう。
どう大きく見積もっても、政治的混乱は一月もあれば収まります。
ダイガン卿が何かを企んでいるなら、その一ヶ月以内に何かをしなければなりません。しかし一ヶ月という期間はそこそこ長いようで、いざ大きな事を起こそうとするなら、あまりにも短い時間です。
例えばクーデターを起こすつもりならば、兵を集め、兵糧を集め、それらを移動させなければなりません。これを一月でやるとなれば相当慌ただしくなり、それ故に露呈しやすくなるでしょう。
政府がとことん腐敗し、政治機能が麻痺していれば可能でしょうが……繰り返しになりますが、王国の情勢は安定しています。シャミル目線ではありますが、汚職や腐敗もそこまで酷いものではありません。一月なんて短期間でクーデターを強行しようとすれば、すぐに発覚する筈です。そこまでして成功しても、国民が王族を支持している以上、強奪した政権は極めて不安定なものとなります。新たなクーデターの火種となりかねません。
「今からお兄様の政治基盤を盤石に、という考えにしても不可解です。確かにわたくしの方が臣民に好かれていますが、お兄様が嫌われている訳ではありません。どっちがいいかな、と聞かれて、こっちと言われているだけ。王族を殺す危険を犯してまでやる事ではないです」
王族の謀殺は重罪です。疑いを向けられるだけでも危険であり、もし発覚すれば弁護の余地なく一族郎党処刑されます。
或いは元凶はダイガン卿ではなく、兄であるフレミアがこの事件を企てたのでしょうか? 様々な疑念が、シャミルの中で渦巻きます。そしてそれを確かめる術は、今のところありません。
分かった事があるとすれば、もしもこれが陰謀ならば――――想像も付かない、とても大きな出来事が、近々起きるかも知れない事でしょう。
不気味な予感に、シャミル達人間は沈黙してしまいます。
「ウジュ〜」
その沈黙の意味など露ほどにも考えず、美味しい海藻を食べたでんでんは上機嫌に『二度寝』に入るのでした。




