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それから数日が経過して、双子ちゃんたちは海へ。
スウェイとカイエは山へと出かけて行き、わたしは診療所をいつものようにやりながら、夕方の閉院を迎えた。
あの日のような大きな夏の夕陽に照らされて、待合室にしている部屋が幻想的な緋色に照らし出される。
「お母様は孤独ですよー……」
なんてぼやいてみる。
この二十年近い間、常に誰かが側にいてくれた。
それはスウェイだったり、家族だったり、前夫だったり……あれから妹は失脚して聖女から罪人となり、王都の塔に生涯幽閉されたと聞く。エドワードの噂は何も入ってこなかった。
ロメロは王国を騒がせたとして処刑されたと報道が流れ、伯爵家の血筋で自由な身になったのは皮肉にも、わたしだけになってしまった。
でも、その家も両親も、肉親もほとんどが散りじりとなって跡形もなく没落した。
もう、あんな地下室に戻りたくない。家族はここにいて贅沢はできないながらも生きていけるのだから。
そんなことを、待合室の席に腰を下ろしてぼんやりと考えていると、診察所の入り口にかけてあるベルが鳴った気がした。
そういえば、扉を施錠するのを忘れていた。
「あ、すいません、今日はもう、終わり――。先生?」
誰かが廊下をやって来る気配がしてその姿が目に映ったから振り向いたら、そこにはブレア先生がいた。
「おや、もう終わりですか。お疲れさまでした。スウェイに呼ばれたのですが」
「え……っ」
「今夜、食事会をしませんか、と。あれ?」
「えええっ」
それを聞いて、思わず悪戯好きな侍女の顔が脳裏に浮かんだ。
してやられた、と心で舌打ちする。
スウェイったら、とんでもない爆弾を用意していながら、素知らぬふりをしてキャンプに出掛けたのだ。
食事の用意? こんな診療着を着たところを見られたら、それすらも用意してないのは先生には筒抜けだった。
「うーん。どうやらスウェイに騙されたのかな?」
「すいませんっ! さっき、ほんのさっき診療が終わった所で、そのっ……食事の用意が……」
慌てて謝罪する。
頭をこれでもかっ、と勢いよく下げていた。食事の準備なんてできていないのに。どうしたらいいの?
焦り過ぎて視界が思わずぐるぐると回っているように感じた。
これはまずい、どう取り繕えばいいの……。
誘っておいて、何も用意していません、では無礼な女だと思われるじゃない。
今から用意するにしても、誰もいないから簡単なものでいいと思って、食材の買い出しすらしていないし……詰んだ!
ダラダラと汗が額から流しつつ、頭を下げたままでいると、向こうからは苦笑する音が聞こえた。
「それでは……どうです、リシェル。今夜は私と外食をしませんか?」
「あ、でも。お誘いしたのはこちらなのに」
「いえいえ。いつも誘って頂いているお礼も込めて。どうですか」
「……行きます」
遠慮してはいけない気がした。
誘われるがままに診療着を素早く着替えると、余所行きの格好になってそそくさと先生の後に続く。
わたしが着替えている間に、診療所を戸締りしてくれていて、どこまでも頼りに慣れる。頼りにしてしまっている、わたしがいた。
「行くって言っても、わたし、お店を知らなくて――」
「ああ、大丈夫。夏だけやっている、屋上のレストランがあるのです。まあ、レストランというよりは、露店をそのまま屋上に移したような、そんな店ですが景色はいい。今夜は晴れているし、月も綺麗に昇ってくれそうです。お酒も美味しいですよ。そこではどうですか」
「……先生は、色々と街にも詳しいのですね。わたし、ここにきて一年が経過するのにあまり詳しくなくって」
「校長などやっていると、色々と付き合いもありますから」
と、歩きながら先生はそこで言葉を一旦、途切る。
歩幅を短くして、ちょっとだけ思案するような顔をした。
「お付き合いが、何か」
「いえ。そろそろだな、と」
「は?」
「いや。何でもありません。とりあえず、辻馬車を止めましょう。それと――」
街中に続く街道に出ると、行き交う人々の中に馬車を認め、先生は片手を上げてそれを止めた。
辻馬車は狭く、すぐ隣に先生がいてわたしは早くなった鼓動を聞かれないかと、少女のなりながら肩を細める。
この気恥ずかしさを感づかれないように、と願いながら馬車が目的地に早く付くことだけを考えていた。
店があるという四階建ての建物に到着する。
そこは一階が雑貨屋で、二階、三階はそれぞれ別々の飲食店が入り、四階のレストランがこの時期だけ屋上を解放しているのだと説明された。
階段を上がる時にすら、手を差し伸べてくれる彼には、どうしても頭が上がらない。
その顔をまともに見上げることができない。
自宅でなら、こっちのペースで話を進めることができるのに、こうして外食なんて――。
店員に案内された壁際の席で、食前酒を飲みながら、そんなことを思い出す。
前夫としか経験のないことが多すぎて、わたしは本当に世間知らずだと感じていた。
「落ち着いて、そんなに気を張る場所でもないですよ」
「それは……はい」
言われてみれば、確かにそうだ。
両隣の席のカップルも後ろの席の老夫婦も、前の席の労働者風の男性たちも。
みんなが陽気になって昼間の暑さを忘れるように、料理を食べて酒を楽しんでいる。
これもまた、一つの経験になる――そう思ったら、心に蓋をしていた何かが、ようやく消えてなくなった。
「美味しいですね、お酒も。お料理も。この夜景も――とても、綺麗です」
会話を楽しみながら、夜景の向こうで道行く人々や、夜を美しく照らし出す月に自然と目が行き、その真ん中にわたしと先生がいて、周りが温かく迎えてくれているような、そんな気分になる。
前菜で出てきたサラダを終え、魚料理を口に運びながら、過ごす時間よりも数倍早い速度でわたしの心は先生へと向いていた。
この雰囲気は悪くない。でも、自宅で二人っきりだったら、これまでよりも進展する可能性があって――。そう考えたら、後からスウェイには文句を言ってやろうと目を細めるも、自分にはやっぱりそんな行動力はないのだ、とうしろを振り向きそうになる。
そんなわたしを見ていた先生は、何を思ったのか「ところでね、リシェル」と話し始めた。
「あ、はい。何でしょうか」
「最近、リグやスウェイが何やら暗躍しているように思うのですが」
「えっ!」
暗躍? つまりそれって、ここにきたきっかけのような――そういうことを企んでいるということだろうか。
幸せな感触に酔っていた私の心は一気に冷めてしまった。すいませんっ、と謝罪を口にしようとしたら、先生が言葉を続ける方が早かった。
その後のセリフに私の思考は停止する。
「実はそれ、私の後押しをしてくれているのです。そろそろ、私達も先を見据えて――リシェル? リシェル? 聞いていますか?」
ああ、不味い。
それは本当に不意打ちじゃない?
エドワードに告白されたときなんて比較にできないくらいの動揺と嬉しさが心の中で重なって意識を混乱させる。
その後、どんな話をしたかなんてもう、憶えている暇はないくらい――わたしは、彼からの告白。そして、将来について。
つまり結婚に向かいようやく話が進むのだという喜び酒を重ねてしまい……。
その返事はもちろん、はいと答える以外の選択肢はなかった。
夜の星空に浮かぶ銀色が、世界の全てを祝福しているように見える。
それから、数か月後。
私の左手の薬指には、彼から贈られた指輪が輝いていた。




