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「……リシェル。酷い女だ……」
「あなたに言われたくないわ、元妻を捨て、その実妹に手を出して、また舞い戻って来るなんて。おまけに子供たちのなんて理由をつけて、心配しているのは家のことじゃない。あんな家、さっさと取り潰されたらいいのよ!」
「どうして分からないんだ! あの家を守ることが俺たちの使命だろうが! この裏切り者が」
エドワードの叫び声は悲痛な物だった。
悲しみを通りこして、自分以外のすべての存在に、憎しみを感じているふうでもあった。
こんな状況に自分自身を追い込んだのは、何もかも他人が悪いと叫んでいるようにも聞こえた。
そうじゃない。そうじゃない、とわたしは心の中で彼の言い分を即座に否定する。
エドワード……何もかも利用できるものを都合よく利用しようとしたその結果が、あなたをそうしたのよ、可哀想な人。
そんな憐れみしか感じるかとができなくなっていた。
本当に……彼はもう、誰にも必要とされていないのだ。
少しでも、そう。少しでも、ここに来る馬車のなかでだけでも、あの子に。
カイエに愛情を注いでいれば、父親として謝罪することができていれば、あの子だってわたしに言えただろうから。
お父様が泣いているの、中で可哀想な人になっているの。お母様、助けてあげて、と。
しかし、そんなことすらしなかったのだろう。
だから、彼はもう必要がない。
わたしたちには、無用の存在なのだ。
わたしはエドワードの耳元に口を近づけると、静かに宣告した。
「あなたはもう必要ありません! わたしは自分で生きていけます。いつまでも自分に従う愚かな女だと思わないで。帰りなさい‥‥‥さもないと」
殺してやるから。
その一言は――視線を逸らしたまま首を萎縮させる元夫の耳元ではっきりと囁いてやった。
「やめろっ、お前まで‥‥‥やめろっやめろーっ‥‥‥」
泣きわめくだけの彼に、かつて求めたあの愛情はもうひとかけらも感じなかった。
それどころか忌々しいとさえ思ってしまったのだから‥‥‥わたしという存在も、都合のよいものなのかもしれない。
彼を乱暴に馬車の床に放り出すと、後ろを確認しながら慎重に階段を降りる。
御者に「もういいわよ」と扉を閉めて告げると、何も言わずに馬車を発進させた。
エドワードを詰めたまま走り去る馬車が視界から消えるまで眺めていたら、いつの間にやってきたのか、先生が側に立っていた。
わたしは途端に気恥ずかしさを感じてしまい、顔を俯ける。
夕陽が辺りを錆色に照らし出していて、どうにかその光に顔色が隠れてくれないかと密やかに願った。
「終わりましたね?」
静かに、それでいて優しく、先生はわたしの肩に手を置いて抱きしめてくれる。
「……どこから」
「彼をスキルで突き飛ばしたところくらいから、かな? 成長しましたね、リシェル。さすが、私の教え子です」
「……恥ずかしい。見ないで下さい。はしたないところをお見せしました……」
本当に恥ずかしい。顔が熱くなって止まらない。あんなところを……冷たい女だと思われたのかもしれないと考えると、心が冷えていくのを感じる。
「立派な母親だと思いました。何も引け目に感じることはないと思いますよ」
「先生……」
目に涙が溜まっているのが、自分でもよくわかる。
顔を上げると、眩しい笑顔をこちらに向けてよく頑張った、と先生は肩を叩いて誉めてくれた。
その優しさが、とても申し訳なくて、同時に胸に染み込んでいく。
子供たちのためにこの人が側にいてくれないか、とも思ってしまいそれはいけない発想だと頭を振って考えを打ち消した。
「戻りましょうか。屋敷に」
「……ごめんなさい、馬車を戻してしまいました」
「いえ。近い距離ですから。誰かを呼びますよ。歩いてでも戻れる距離ですからね。しかし、やはり自分がいた方が良かったのか」
「先生?」
「その涙は、流させるべきではなかったと。少し後悔しています」
そう言い、先生はそっとわたしから両手を放して、距離を取る。
その背中越しに子供たちが玄関の扉からこちらを見ていることに気づいて、母親としての顔が先に立つ。
これ以上、個人としてのわたしの気持ちをだすべきではないと自重しようとしたら、扉の隙間からスウェイが手と尾を突き出して、ぐっとそれを握って見せた。
そこで行け、押せ! みたいな勢いのある仕草だった。
ちょっと、と口で声にならない文句を口にすると、スウェイがひょいっと顔を見せる。
その口は、「はやくいきなさよ! リシェル頑張れーっ」、と言っているようで、その下には三人の子供たちの顔もにょきっと突き出してきて……。子供たちまで頑張れーと囁いてくる。
その応援、ここでする? わたしが自分の想いを諦めようと決めようとしたその時に――?
「何やら後ろが騒がしい気がしますが……」
「はっ! いいえ、いえ、その――そのっ……」
と、わたしはここに来てからずっと。
いいえ、生徒であったころからずっと胸の内に秘めていた思いを何故だか、吐き出していた。
それはこれまで搾取され続けられた元夫を追い返した勇気が、そうさせたのかもしれない。
でも羞恥心が先に立ってしまう。
どうしても勢いに欠けてしまっていきなり想いを伝えるのは難しい。
エドワードを追い立てたときの勢いはどこにいったのか。自分でも情けないと思いつつ、そっとお誘いするしかできなかった。
「なんでしょうか、リシェル」
「先生。その……先生さえ良ければ、お話をしませんか。今夜‥‥‥ワインでもどうですか」
恋に恥じらう乙女のように情けない告白をしてしまう。
先生はクスリ、と苦笑を漏らし困ったようにこちらを見下ろしていた。
そこには大人の余裕が見え隠れしていて、やわらかい視線がわたしの心を包み込む。
無理に相手の内側に踏み込まない、それでいて、常にこちらを優先してくれる。
ゆっくりといつまでもわたしの返事を待ってくれる気がして、ついついそれに甘えそうになる。
ここで決断を迫らなくてもいいんじゃない? 今の提案を断ってくれても――わたしには子供たちがいるし……と臆していると、しっかりしろーと子供たちの声が心に突き刺さる。
少し離れた玄関先からは子供たちの声が、先生の返事を待つ心を追い立てて、わたしは額に大量の汗をかいていた。
「あーあ、もっとはっきり言えばいいのに」
「しっ、聞こえるでしょ! リグは静かにして……いいところなんだから」
「スウェイ……お母様、頑張っている?」
「カイエ様を迎えた時のような勇気はまだ無いかもですねーあとは先生次第」
もう止めて、後ろでそんなこと言ってけしかけないで! と、わたしがそちらを睨みつけると、「やべっ!」と声を発して彼らの顔は扉の内側に消えた。
そんなやり取りのなか、先生はそうですね、と目を伏せる。
迷っているようなそれでいて、この一言を待っていたような、そんな不器用な「そうですね」だった。
「私、お酒には強くありませんよ。それでも良ければ‥‥‥」
「……はい!」
「貴方たちのこれまでの冒険を、聞かせてください。私のリシェルの成長を」
「はい、はい!」
嬉しさで、笑顔がほころんだような気がした。
向こうでは野次馬たちの「おおっ!」とそんなどよめきを聞いた気がする。
先生の差し出したその手を握りしめて、わたしたちは屋敷への扉をくぐった。




