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侍女は思い出せないと頭を捻る。
それから、もうすぐ国境ですがと話しを変えた。
ハンカチの件に関しては、わたしが必要になれば話すと思ったのだろう。
それ以上の質問はやってこなかった。
「ホッフル岩山を抜ければ帝国領だとか。合間のトンネルを通過する間は、鉱石ランプが点灯すると、食堂車で訊きました」
「そうなのね。灯りがないのは心もとないから助かるじゃない」
「……で、いつになったらスキルを使うのを止めるのです?」
「魔力を消費するわけでなし。しばらく、このままで行きたいところなのだけれど」
「神殿の脅威を感じておいでですか、なるほど」
ふんふんとスウェイはうなずくと理解を示してくれた。
そうなのだ。
わたしはエントス夫人の発言を聞いてから、不安を忘れることができなかった。
自分が異端だという意識はあるけれど、もし見つかったらという原始的な恐怖。
見えないもの、感じられないもの、どこかに潜む悪意。
そういったものに、敏感になりすぎていた。
「まあ、そういうところ‥‥‥かな。このスキルを発動しておけば誰かに認識されなくて済むもの」
「でも――それは、あまり賢くない。かもですね、リシェル」
「どうして」
「だって、この客室に私が入るのを近隣の客席から見ているでしょうし。侍女も主人も二人ともがいなくなったとなれば、周りが騒ぎ出しますよ。あのご夫人だって、味方かどうかわからないし」
「逃げた、と思われるってこと?」
「そうですね」
と、スウェイはのんびりと言った。
岩山の中では転移魔法など発動しない可能性もある。
逃げるとしたら今だし、トンネルに入るために減速する時期を狙うべきかも? と確信が様子のままスウェイは幾つかの案を出してくる。
岩山を指差して、あの、言葉を飲み込んでいた。
「あれがなに?」
「……この時期、岩山を徒歩で越えるのはさすがにリシェルじゃ、無理かなって。三年ほど、まともに鍛錬していませんものね」
「そんなことないわ、ちゃんと行けます。あの程度の高さくらい」
「荷物を担いで、ですか? 国境の合間には警備兵だっていることくらい分かりますし。現実的ではないかも」
「それは‥‥‥」
確かに現実的ではない。
そうしようとも考えていない。
言葉のあやで言い返しただけ。
まだまだ若いと思いたかったし、夫人との会話で自分の足元が崩落したような感じに襲われていたから、とにかく『わたし』というものを示したい気分だった。
「お嬢様は気になさりすぎなんですよ。ほら、スキルを解いてください」
この程度の短い時間なら、誰も気にしていないから。
そう言われ、渋々、スキルを停止させる。
耳元に車内の喧騒が戻ってきたと感じたら、いきなり、スウェイはわたしの着ている上着の内側に手を忍ばせてくる。
慌てて裾を抑えて抵抗したものの、それは時すでに遅く、終っていたハンカチはスウェイの手のなかにあった。
それを開き、隅に金糸で縁どられたとある紋章を見て、「なるほど‥‥‥」と呻くような声を出す。
見なかった方が良かった。
そんな意思が感じられる発言だった。




