第9話 願いのみなもと
闇に沈み、静まり返った深い森。
そんな中に、ぽつんと木の家が立っている。
窓からはゆらめく光がもれており、そこだけは、ゆるやかな時間が流れていた。
ーーーーーー
私は暖炉のそばにある椅子に座って、ヨムンの背中を撫でていた。
寝る前の何気ないひととき。
暖炉の炎がおさまるのを、ふたりで静かに待っている。
黒くなった薪は気まぐれに炎を噴き上げて、パチパチと唸る。
それも次第になくなると、赤く煌めく炭へと変わっていった。
「……ふわぁ。そろそろ寝よっか?」
あくびを噛み殺しながら膝の上のキツネに声をかけると、彼はぴくりと耳を揺らしただけだった。
半分夢の世界にいるような様子に、抱き上げて運ぼうかと少し迷う。
〝でも、この前寝たふりしてたからなぁ〟と、ヨムンの閉じられた瞼をじっと見ていると、ふと誰かに呼ばれた気がした。
すぐに窓の外の暗闇に目を向けて、その正体を確かめようとする。
「……ナナシィ……?」
私のいつもとは違う空気に、ペタリと伏せていたヨムンが身を起こす。
私は心配そうな彼の琥珀色の瞳と目を合わせ、「今日みたい」と呟いて席を立った。
ヨムンが膝からするりと降りるのをよそに、飛び出すように外へ出る。
「…………っ」
私は家のそばに広がるスズラン畑を見て、息を呑んだ。
何度も目にしているのに、胸の奥をキュッと締めつけられる。
そのスズランたちはーー
花の中に光を宿し、柔らかい風に優しく揺れていた。
濃い霧の中に浮かび上がる小さな光たち。
スズラン畑だけが光を帯び、そこだけは春の陽気のように暖かかった。
「きれいだね」
あとから来て隣に寄り添ったヨムンが、ぽつりと告げる。
「…………うん」
私は弱々しく頷き返すと、スズラン畑の中へと進んでいった。
花弁を光らせて、辺りをほわりと照らすスズランたち。
時折り風に吹かれると、びっくりしたかのように光を弱める。
けれどそれがおさまると、私を歓迎するために地面を張り切って照らしてくれた。
スズランが儚く光る、幻想的な夜。
こんな日は決まって、畑の真ん中の小さな草地に座り込む。
そしてここからみんなを見渡すことが……
私のやるべきことなのだろう。
いつも自然と足が向かい、ひどくほっとするから。
同時にここで優しい光を見つめていると、言いようのない悲しみにも襲われる。
けれど胸の奥に燻る黒い感情も、健気に咲き続けるスズランたちの姿に、少しずつ和らいでいった。
するとその時、ぽろりと涙が頬を伝った。
「…………ナナシィ」
耳を伏せたヨムンが私の膝に前足を置き、体を伸ばして頬をチロッと舐める。
「ヨムン……ありがとう」
消え入るような声で囁き、彼を優しく抱きしめた。
ヨムンのぬくもりを感じながら目を閉じると、ポロポロと涙が流れていく。
こんなに泣いてしまうのは、なんでだろう。
もしかしたら、この血に流れる遠い記憶なのかもしれない。
スズランが柔らかく光る夜は、決まって胸が切なくなる。
音もなく流れ落ちる透明な雫。
それはスズランの光を受けて瞬くと、ぽたりと落ちて、地面でわずかに跳ねた。
するとパッと弾けて光の砂となり、さらりと地面へ溶け広がっていく。
そのたびに、スズランたちが慰めるようにかすかに揺れた。
ヨムンは私の腕の中で器用に丸まると、私と同じ方を向いてすっぽりとおさまった。
私が流す涙の行方を見守り、ただただじっとしている。
その瞳からは、何も感情が読めなかった。
そんな彼を見ていると、私の中である思いが湧き上がってきた。
けれど何故か言葉に出来ない。
その気持ちをなんとか手繰り寄せようと、心の奥を探りながら口を開いた。
「……ヨムンもずっと待ってくれているよね? 退屈……?」
するとヨムンは、くるりと振り向いた。
パタパタと尻尾を振りながら、いつもの調子で答える。
「それほどでもないよ。僕にとってはなんてことないし……」
「…………」
「けど、それはーー」
ヨムンがニッコリと笑って続けた。
「ナナシィもだよね?」
彼の無邪気すぎる笑顔に、一瞬だけ心臓が跳ねた。
けれどすぐに温かい気持ちに塗り替えられる。
少しだけ芽生えた不思議な感情に戸惑いながらも、私はそれを誤魔化すように小さく笑った。
「そう…………なら、よかった」
ホッと息をつき、ヨムンの頭をひと撫でする。
そして再び、スズラン畑に目を向けた。
いつまでも温かな灯りを宿した、光の海を。




