16
一晩悩んだ後、シャイディーンは実験に参加することを決めた。
「一応こんなのもあるよ」と見せられた装具もシャイディーンが今まで見てきた物より充分性能は良かったけれど、クルリと自分の足に巻きついていった猫の尻尾の幻影がどうしても消えなかったからだ。
(どうしても耐えられなければ止めればいい。けどまあ、痛みには耐性があるほうだし、どうにかなるだろ)
そんな楽観的な事を考えていた自分を、後悔する機会は直ぐに訪れた。
打撲、切り傷、刺し傷に火傷。
騎士をしていれば、必然的に怪我を負う機会は増える。
シャイディーンは、自ら前線に立って戦うスタイルだったのでなおさらだ。
だからこそ、いろんな痛みを経験していたし、自分には苦痛に対して耐性があると思っていたのだ。
「ヴアアアアアアアアァ!!!!!!!!」
しかし、人格すらも壊れてしまいそうな痛みがあるなど、知らなかった。
いや、人格を放棄することで楽になれるなら、それを選びたくなるほどの苦痛に、シャイディーンは必死に抗っていた。
「ごめんね。頑張って~。この段階まで来ちゃうと、下手に痛み止めを使ったら気がつかない間に植物に意識を乗っ取られる危険があるからさ~。痛みを感じている間はまだ君が主導権を握っている証拠だし、気をしっかり持って、自分を見失わないでね~!」
どこか遠くで誰かが何かをしゃべっていたけれど、今のシャイディーンにはかろうじて音として聞こえてはいても意味を認識する余裕などなかった。
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い)
腕が痛かったはずなのに、今では頭の中をドリルか何かでかき回されているかのような苦痛がシャイディーンを襲っていた。頭の中が「痛い」という言葉で埋め尽くされ、他の事を考えている余裕がない。
それなのにその陰に隠れるように何かが囁いていた。
(痛い痛い痛い痛い痛い)
「ヴガアアアアアアアアッッ!!!!!」
その囁きに抗うために、シャイディーンは吠える。
その声を聞き入れてはいけないと本能が訴えていた。
自傷行為を防ぐために猿轡をはめられ、体は幅広の布でぐるぐる巻きに拘束されたシャイディーンは、まるでできの悪いミイラのようだ。
それの状態でも、驚くべき力で体をよじり、転げまわっているシャイディーンを、一定の距離を保ってユースティたちが観察していた。
「うーん。やっぱり厳しいかな~?これまでで一番長時間持った方だけど」
「そうですね。元の身体能力値も高かったですし、期待していたのですが」
「声が弱ってきてますね。動きも鈍いです」
シャイディーンが、人のだしている声と思えないほどひどい唸り声をあげもだえ苦しむ様子を、眉一つ動かさず、一瞬も変化を見逃さないように冷静に観察しているユースティ達を他者が見れば鬼と評したかもしれない。
しかし、それは被験者の命を守るギリギリを、見極めるために必要な技術でもあった。
どれほど貴重な実験でも、いざという時は人命は優先しなければならない。
命を救うために別の命を犠牲にするのは本末転倒であり、そこを越えてしまえば医療集団ではなく狂人集団になってしまう。
それは、一族の村ができた時からの掟の一つだった。
毒と薬は紙一重。
だからこそ、守らなければならない倫理はしっかりと自分の心に刻むしかないのだ。
「そうだね~。でも、過去の症例だと意識を乗っ取られた場合、唐突に動きが止まって静かになっていたよね~。徐々に動きが弱まっているなら、ラック達の時と似てないかな~?」
「単に支配が終わる前に体が耐えきれずに弱っているだけかもしれませんよ?」
「……その時は蘇生をがんばるから~、もう少しだけ待機で」
とはいえ、出来るだけ記録をとっておきたい本音もあるため、命の瀬戸際を見極める技術も磨かれたのだった。
(……畜生どもめ。他人事だと思ってゴチャゴチャと……)
一方、限界以上に苦痛を耐え続けていたシャイディーンにも変化が起きていた。
痛みに支配されて何も考えられなかった思考が、途切れ途切れではあるが戻ってきていたのだ。
痛みがなくなったわけではないのだが、ふとそれが遠ざかる瞬間がある。
その時は、妙に静かで感覚が冴えていた。
数メートルは離れているはずのユースティ達の会話も鮮明に聞こえる。
(だいたい義手つけたからって、なんで頭まで痛いんだよ。お前、何なんだ?)
ユースティはぼんやりする頭で、義手をつけられた時の事を思い出す。
最初は、腕の切断面を整えるところから始まった。
ケロイドの残る皮膚を取り除き、骨の断面を露出させる。
処置の間は麻酔をかけられていたし、その頃は痛み止めも使われていたから、痛みはあまり感じなかった。
その間に、左腕をモデルに義手が作られる。
指の先までサイズを測り、左右反転して作られた木製の義手は、制作過程は秘密だと見せてもらえなかったけれど、指の第二関節まで滑らかに動くように造りこまれたそれは、まるで芸術作品のようだった。
いざそれが腕に嵌められた時、接着部に何か細かい糸が触れたような感触がした。
(ん?なんだ?)
糸くずでも挟まっていたのかと、その事をユースティに訴えようとした時、ふいに腕の接続面にチクチクとした痛みを感じる。
そこからは、痛みとの闘いだった。
虫に刺されたようなかゆみを伴った痛みは、徐々に針を刺されるような痛みへと変化していく。
「今、義手の木が根を伸ばしてるところなんだよ~。その根が、腕の神経や筋肉に張ることで、義手を動かせるようになるんだよね~。だから、痛いだろうけど、必要な事だから頑張って~」
痛み止めを渡しながら、ユースティが無責任に応援する。
それは、肉体を乗っ取られる痛みだったのだ。
「前にも言ったと思うけど、義手に使われている植物は、動物の神経を支配して自分たちの都合のよいように動かそうとするんだ。それより強い意志でねじ伏せて主導権を自分に奪いとればいい。研究の結果は君も見ただろう?犬や猫にできたことが、君に出来ないわけないよね」
ユースティの顔で唯一見える口元が弧を描く。
「……やってやろうじゃねぇか」
煽られているのは分かっても、退けない一線というものがある。
シャイディーンは痛みをこらえてニヤリと笑ってみせたのだった。
(こんなに痛いなんて聞いてねぇ……。いや、言われたか? 俺の前の二人は、痛みに耐えかねて逃げたんだったか……)
シャイディーンはフウッと、深いため息をつく。
次の瞬間、また激しい痛みが襲ってきたシャイデーンは、悶絶しつつ声のない悲鳴をあげた。
意識する前に、全身が痛みに耐えるために勝手に硬直する。
終わりの見えない苦痛に抗うシャイディーンの腕に、ふわりと温かい何かが触れた。
『かわいそうに。こんなに苦しんで……。あなたも、この子も……』
痛みに支配された脳裏に、ふいに言葉が響く。
男性のような女性のような。近くで聞こえるような遠くから響いてくるような、何とも表現しがたい不思議な声だった。
『力を抜いて。抗わないで。この子はあなたのために生み出された味方……』
ふわりふわりと温かな何かが義手の接続部分を撫でていく。
(味方?こいつが?)
『そうよ。あなたが望んだのでしょう?』
怪訝そうに眉をしかめたシャイディーンに、不思議な声が囁く。
(そう言われりゃ、確かに。義手を欲しがったのは、俺だな)
ストンと言葉が胸に落ちてくる。
それは、極限の痛みから逃れようと、脳が起こした錯覚だったのかもしれない。
けれど、その時のシャイディーンにはそれが救いの声に聞こえた。
シャイディーンは、痛みで強張る体から苦労して力を抜こうとする。
『素直ないい子……。少し助けてあげましょう』
腕から体中に温かい何かが流れてきて、少し楽になったシャイディーンは、震える息を幾度もついた。痛みがゆっくりと遠ざかっていく。
『おやすみなさい。……あなたもね。大丈夫。変わってしまっても、あなたは私の子供よ』
薄れる意識の中で、シャイディーンはまるで母親のような優しい声を聞く。
ピクリと、義手の小指がかすかに動いた気がした。
半日ほど眠り続けたシャイディーンの意識が戻った時、あの死にそうなほどの痛みはすっかり消え失せていた。
そして、シャイディーンは作り物のはずの手の感覚をわずかだが感じる事に気づく。
(まだ、動かせない。だけど、これは俺の腕だ)
無くしてしまったものを取り返したような実感を感じて、溢れてしまいそうな何かを飲み込むために、シャイディーンは唇をかみしめた。
「なんだか不思議な話ですね。その声は何だったのかしら?」
「さあな。側で観察してたやつらには聞こえて無かったみたいだし、痛すぎて俺の脳みそが勝手に作り出した幻聴かもしれねぇな」
マッサージを受けながら、シャイディーンが肩を竦める。
「そうだね。もしかしたら、動物達も声を聞いたのかもしれないけど、それを確かめる術はないしね。今後、人の成功例がでてきたら確認できるんじゃないかな?」
ファージンが腕のマッサージを終え、最後の仕上げに義手用のオイルをしっかりと塗りこみながらほほ笑んだ。
「それにしても、ここでもユースティ先生が関わってくるんですね。いったいどれだけの研究を同時進行してるんでしょう?」
呆れたようにため息をつくミーシャに、ファージンが面白そうな顔で指折り数える。
「僕は部外者だからそれほど詳しくはないけど、それでもユースティがメインで進めている研究を3つは知ってるかな。現在凍結状態のもののいれると5つか。あいつ、良く過労死しないよね」
「冗談に聞こえないから、やめてください」
嫌そうに顔をしかめるミーシャに、和やかな笑いが起こった。
「それにしても、宿主を操作する事ができる植物があるなんて初めて聞きました」
「そう?有名なところでは冬虫夏草って聞いた事ない?種類によっては薬に使われたりもするけど」
「え?あれもそうですか?あ……でも、そう言われたらそうかも」
冬虫夏草はきのこの仲間だが、虫の体の中で胞子を広げ最後には宿主を殺してそれを栄養に成長する。
その中には、宿主に湿った日陰でじっとするなど不思議な行動をとらせる種類もあった。
「まあ、世界は広いからね。私たちの知らない植物や動物がまだまだ隠れているはずだよ」
ファージンの言葉に、ミーシャとナディアは顔を見合わせた。
(面白そうだけど、ちょっと怖いね)
(そうだね)
目と目でこっそりと会話する少女たちをよそに、ファージンがオイルを塗り終えて、くるくると腕に包帯を巻いていく。
「はい、おしまい。こうやって義手の方も外部からの力で動かすことで関節部の動きが滑らかになるんだよ。次はミーシャちゃんにやってもらうからよろしくね」
ファージンの教えにしっかりと頷きながらも、ミーシャはふと浮かんだ疑問を口にした。
「麻痺した体のリハビリみたいな感じですね」
「実際、それに近いよ。外部から動かすことで刺激して回路を太くしていくみたいだね。気になるならユースティに聞いてみたらいい。ラックはほとんどユースティ一人で実験していたから、動かせるようになるまでの過程も詳しいはずだよ」
「ラック……」
ミーシャは目を瞬いた後、ポンッと手を叩く。
「そういえば、その子たちどこにいるんですか?私、会った事ないです」
その瞬間、微かにファージンの眉が寄った。
「ミーシャ、知らないの? 研究所の敷地の奥の方に実験動物棟があるわよ?」
しかし、ファージンが何か言う前に、ナディアがあっさりと答えてしまった。
「まぁ、しょうがないとはいえ、少し私は苦手だからあまり関わりたくはないのよね」
「実験動物棟? 苦手って……?」
少し目を伏せたナディアに、ミーシャが不思議そうに首を傾げる。
「だって、薬の実験のためにわざと病気にしたり傷を負わせたりするのよ。なんだか可哀想で……」
「ナディア、ストップ。ちょっと口を閉じて」
ファージンが慌てて止めたけれど、ミーシャの目が驚きに見開かれる。
「病気にする……?」
「実験のためだよ。臨床試験の前に、ネズミやウサギなんかの小動物で効果を試すんだ。いきなり人間に使うのは危険だからね」
ファージンが何かを諦めたような顔で説明した後、コツリと軽くナディアの頭に拳骨を落とす。
「刺激が強いから、もう少しの間は秘密にするはずだったのに」
「え~~。でも、私達があそこを見学したのは10歳くらいだったじゃない。ミーシャ、こう見えてもう13歳だよ?」
「まだ村に来たばかりのミーシャの感覚は、小さな子供と同じなんだよ。幼い頃から少しずつ免疫つけてきた君たちと、同じにしちゃだめだろう?」
諭すように話すファージンに、ナディアは納得いかなさそうに唇を尖らせている。
そんな二人のやり取りを見ても、ミーシャは俯いたまま黙り込んでいた。
「ラックは森で怪我していたのを見つけたって聞いたぞ?他の動物に襲われて死にかけてたのを、丁度良かったから拾ったって言ってたな」
「シャイディーン、言い方が!」
あっけらかんと口にするシャイディーンをファージンが諫める。
「なんだよ。命が助かって、無くしたはずの足を手に入れたんだから、いい事じゃないか。名前の通り、ラッキーだよな。俺の先輩だ!」
笑いながら義手を振ってみせるシャイディーンに、ミーシャは顔をあげた。
「私、行きたいです。ラックにも、会ってみたいし」
真っ直ぐに見つめてくる瞳に、ファージンは面倒なことにならないといいなと思いながら、ため息をかみ殺した。
お読みくださり、ありがとうございました。
動物実験。賛否両論ある問題だと思います。
それを悪と言っていいのかも、夜凪には分かりませんが、動物側から見たら、理不尽極まりないんだろうとは思います。
自分がその立場になったら、怒り嘆くと思いますし。
だけど、人間側から見たらどうしようもない犠牲んですよね。
答えなんて出ない問題に、次回、ミーシャは向きあう事になります。




