11
「すみません。どなたかいらっしゃいますか?」
ナディアに教えられた建物は、赤い屋根が可愛らしい小さな一軒家だった。
ミーシャは、扉にある呼び鈴を鳴らしながら、奥に向かって声をかける。
「はーい。どちらさま?怪我かな病気かな?」
すぐにパタパタと奥から足音が聞こえ、柔らかな声と共に扉が開かれた。
サラサラと流れる髪は肩の長さでまっすぐに切りそろえられ、丸い眼鏡の奥では大きな垂れ目が優し気に細められている。
ほっそりとした長身の男性は、ミーシャを見下ろして不思議そうに首を傾げた。
「君はミーシャちゃんだね。ナディアが迎えに行ったはずだけど、すれ違っちゃったかな?」
「……あ……の、あの……、私…………」
不思議そうに問いかける優しい声に、ナディアから頼まれた伝言を伝えようとしたミーシャは、ふいに胸の奥からこみあげてきたなにかに喉を詰まらせた。
村にたどり着いて最初にできた友人。
まだ出会って二週間ほどだけど、休みの日は一緒に過ごし、たくさんの事を語り合った。
村の決まりや、子供達の暗黙の了解。お勧めの本の話に、新しく覚えた薬の調合や村の近隣で採取できる薬草の事。
(全部楽しかったのに、何が悪かったのかな?何に怒ってるんだろう?私のこと嫌いになっちゃったのかな?)
走り去ったナディアの怒っているような悲しんでいるような顔が、ミーシャの脳裏に浮かんでくる。
共に過ごした時間は短いけれど、ミーシャにとってナディアはいつの間にか大切な存在になっていた。
そんなナディアに突き付けられた一方的な拒絶は、予想以上にミーシャの心を傷つけていた。
「おやおや。どうしたんだい?私で良ければ話を聞くから中にお入り」
突然、ほろほろと涙をこぼし始めたミーシャに、男性は少し驚いたように目を丸くした後、柔らかな微笑みと共にその小さな背中を押した。
「ふぅ……。うぇっ……。ううぅぅ…………」
精一杯嗚咽をかみ殺しながら、ミーシャはその手に逆らうことなく診療所の扉をくぐる。
とたんにふわりと包み込まれたのは薬草と消毒用アルコールの香りだった。
体に馴染んだその香りに、混乱していたミーシャの心が少し落ち着く。
グスグスと鼻をすすりながら通されたのは応接室で、1人がけの小さなソファーは力なく座り込んだミーシャをしっかりと受け止めた。
少し硬めの座面が妙に座り心地が良く、ミーシャはくったりと体から力を抜いた。
男性はミーシャが素直に座ったのを確認した後は、何も言葉をかけることなくスッと席を外した。
そしてすぐにカップを二つ持って戻ってくる。
「飲めそうなら、どうぞ」
フワリと香る甘い蜂蜜茶の香りに、ミーシャはふぅッと大きく息をつくと、カップを持ち上げた。
コクリと飲み込めば、優しい甘さが口の中に広がる。
いつも飲んでいる蜂蜜茶とは違い、少しスッとした香りが鼻に抜けた。
(初めて会った人と一緒なのに、なんでだろう?)
静かで不思議と居心地の良い空間に、ミーシャはゆっくりと心が落ち着いていくのを感じていた。
「……取り乱してしまってすみません」
カップ一杯のお茶を飲み干して、ミーシャはようやく口を開くことができた。
そんなミーシャに、向かいのソファーに腰かけてお茶を飲んでいた男性が優しく微笑む。
「いいえ。僕ものどが渇いていたから、お茶に付き合ってくれてありがとう」
明らかに嘘と分かるそんな言葉に、ミーシャはクスリと少しだけ笑った。
「ナディアには会いました。でも、彼女は体調が悪くなったから帰る、と」
その時の事を思い出したミーシャの胸がまた微かに痛んだけれど、溢れそうになる涙を今度はどうにか飲み込んだ。
「そう……。ミーシャちゃんは?」
「……わた…し……は…………」
ただ告げられた言葉を静かに肯定し、何気なくと投げられた問いに、ミーシャは再び言葉に詰まる。
お茶と共に飲み干したはずのなにかはグルグルと胸の奥で渦巻いていたけれど、その混乱と不安をどう言葉にすればいいのか思いつかなかったのだ。。
「……分かりません。なにがナディアを傷つけちゃったんだろう」
長い沈黙の後、ミーシャはポツリとつぶやいた。
途方にくれたような声に、男性が小さく頷いた。
「そうだね。考えて、どうしてもわからないというなら、それはきっとミーシャちゃんではなく、ナディアの問題だったのかもしれないね」
少しゆっくりとした穏やかな語り口調は、不思議なほどすとんとミーシャの胸へと落ちてくる。
「……でも、それなら私はナディアがなにか悩んでいたのに、それに気づいてあげられなかったって事ですよね?」
それでも、その答えに飛びついてしまうのは何か違う気がして、ミーシャは一生懸命首を横に振った。
「友達なのに、それってすごく情けないです」
「それは少し傲慢かな?」
自分を責めて顔を顰めるミーシャの言葉を、男性は、すっぱりと否定した。
先ほどまでの穏やかな雰囲気とあまりにも違う強い物言いに、ミーシャはあっけにとられて男性を見つめた。
その視線を受け止める男性の瞳は、どこまでも穏やかに凪いでいる。
「君とナディアが知り合ってまだ一月も経っていないくらいだろう? 相手を思いやる気持ちは美しいけれど、全てを知った気になるのは早すぎる。君がナディアの気持ちが分からないのと同じくらい、ナディアも君に言えない言葉がたくさんあったはずだよ」
「言えない言葉……」
男性の言葉を、ミーシャはゆっくりと頭の中で吟味して飲み込んだ。
真面目な顔で考え込むミーシャに、男性は再び小さく頷いた。
「関係をつくるには時間がかかるものだよ。今回はそれができる前に、少しだけ先に気持ちがあふれちゃったんだろうね。関係ができていないから、ミーシャちゃんはその言葉を受け止める事ができずに混乱してしまったんだよ」
「……そっか」
「分からないなら、そして、相手を分かりたいと思うなら、恐れずにたくさん会話をしなさい。それが一番の早道だよ」
そこまで告げて、男性は再び立ち上がった。
「たくさん話したらのどが渇いちゃったね。お茶のお代わりを持ってくるよ」
一人残された静かな空間で、ミーシャはじっと考え込んだ。
(走り去っていったナディアの気持ちはまだ分からない。でも、私は分かりたいって思う。だって、もう大事な友達だもの)
膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめると、ミーシャは勢いよく立ち上がった。
「すみません。私、ちょっと行ってきます!」
ティーポットを手に戻ってきていた男性は、その勢いに目を丸くした。
「先生の言葉は分かりました。確かに、お互いの事を知るためにはもっと時間がかかると思います。だけど、今、悲しい顔をしてるナディアを一人にしたくないんです! せめて、私はあなたを知りたい、大切にしたいんだって、その気持ちだけも伝えなきゃ!」
ペコリと大きく頭を下げて、ミーシャはそのまま返事も聞かずに飛び出していった。
「若いっていいなぁ。まあ、いつも突っ走ってるナディアには、たまには追いかけられるのもいい経験でしょう」
あっという間にいなくなったミーシャにあっけにとられていた男性は、楽し気にくすくすと笑いだした。
正式に見習いとして働きだした時に、尊敬する人のような医術を身につけたいのだと、キラキラした目で語っていたナディアの顔色が徐々に曇っていく事には気がついていたし、少し心配もしていた。
大きな目標を持つ事は良い事だけど、大きすぎる理想に押しつぶされてしまう人間を、何度も見ていたからだ。
ほとんどの人間が医術や薬学に関わっている村で、あえて医師を目指すという事の大変さを、男性は誰よりも理解していた。
一つの限られた分野だけ見たら、そこらを歩いている村人の方が優れている場合があるのだ。
男性はまだ駆け出しの医師だったころ、食中毒の対処法を食堂の女将さんと論じて、やり込められた経験を思い出して苦笑する。
誰もかれもが自分より優れているような気がして落ち込み自信をなくしていた。
父親に教えを乞い木こりにでもなったほうがいいのではないかと悩んで、父親に「木こり舐めんな」と殴られたこともあった。
観察している限り、ナディアはこの村で医師を目指すには、少しだけいろいろなものが足りない。
それは知能であったり、器用さであったり様々だったけれど、それを補って余りある情熱と努力する才能があった。
男性以外にも多くの人にそう判断されたからこそ、ナディアは診療所の見習いという地位を手に入れる事ができたのだ。
「今を乗り越える事ができたら、きっと大きく飛躍できる。このタイミングでライバルになりえる子が現われたのが、吉と出るか凶と出るか……」
この村の大人たちは、子供の希望を否定しない。
それは、この村の成り立ちに由来するのだが、子供たちが目指す夢を応援し、そこにたどり着くための手助けをする事を徹底していた。
そして、失敗すらも糧にできるよう導いていく。
道は一つではないし、辿り着く先が最初に掲げていた希望と違っても良いのだ。
ただあるがままに、まっすぐに、自分にできる事をすればいい。
それは、『森の民』と呼ばれる彼らの生き方そのものだった。
「あぁ、自己紹介をしそびれちゃったな。今日はもう戻ってこないだろうし、また明日だね。ラインに連絡しとこうかな?」
くすくすと笑いながらソファーに腰を下ろすと、男性は手にしていたポットからお茶を注ぎ、一人になってしまったティータイムの続きを、とりあえず楽しむことにした。
読んでくださり、ありがとうございました。
ミーシャと男性のやりとりが、どうにもうまくまとまらず時間がかかりました。
その割に、自分でも何が言いたいのか結局分からなくなってます。
が、これ以上どうにも言葉が出てこないため、そのまま強行しました。
そのうちしっくりくるだろうかと……。
次回、逃亡ナディアの裏事情、です。




