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「今日もすごい量ね」
「本当に!ユースティ先生って、いつの間に本を借りに来てるんですかね?少し気を抜くといつの間にか仮眠室に本が積みあげられてるんです」
背負っていた籠から次々と本や資料を取り出しながら愚痴をこぼすミーシャにドリーは苦笑した。
「あの子は図書室の鍵を持っているし、何でも持ち出せる許可をとっているから。それに、自分のためというより他の人と情報共有するために持っていってるのでしょうね」
「一度読んだら忘れないって言ってたのに、わざわざ本を持ち出すのはそのためだったんですね」
ユースティは、自分が始めた研究以外にも複数の研究に関わっている。
本人曰く、息抜きみたいなものらしいが、意外なことに研究主を置き去りにするわけでもなくきちんと向き合っていた。
おかげで、いつでも時間が足りないと嘆くことになるのだが……。
行き詰った研究のヒントになりそうな過去の文献を、覚えているからといちいち自分の口で説明するのは効率が悪いため、現物を持ち出して参考にしろと渡しているのだ。
渡された方は、大抵がすぐにその場で読みはじめて、「ひらめいた!」と本を放り出して自分の研究室に駆け戻っていく。
結果、残された本は積みあげられ、ミーシャが来るまで、部屋のかなりの面積を占有していた。
「持ってくるまではするのに、次を取りに行く時ついでに戻そうってならないのは、なんでなんですかねぇ?」
不思議そうに首を傾げながら、ミーシャは背表紙の番号を参考にしながら手際よく本棚に戻していく。
初めて図書室に来た時に、ナディアの片づける動きを見てすごいと感心していたミーシャだが、今では同じかそれ以上のスピードで動けるようになっていた。
「相手に渡すという目的が果たされた時点で、興味が次に移ってしまうのでしょうね。忙しい子だから」
ミーシャを手伝って籠の中から資料の束を取り出すドリーは、呆れたような顔をしながらもその瞳は優しい光を宿していた。
「あの子は、私の初めての教え子だったのよ。昔から記憶力が良くて、ちょっと生意気なかわいい子だったわ」
過去を懐かしむドリーを、ミーシャが振り返る。
「ドリーさんの最初の生徒って、いったいユースティ先生、幾つなんですか?」
溌溂としているが、ドリーの顔に刻まれたしわは深い。
現在は子供たちのパワーに負けてしまうから教師を引退して、のんびり図書室の番人をしている、とは本人の言葉だ。
実際の年齢を聞いた事はないけれど、それなりに年を取っているはずである。
「あら、女性に年齢を聞くのは失礼ですよ?」
ミーシャの驚きに目を丸くした後、ドリーは悪戯っぽく微笑みながらそっと人差し指を唇に当てた。
「別にドリーさんの年齢を聞いているわけじゃ……」
そう言いかけて、最初の生徒という言葉から間接的に聞いたのも同じようなものだと気がつき、ミーシャは口をつぐむ。
「興味があるなら、本人に聞いてみたらいいわ」
くすくす笑いながら、ドリーは最後の本を片付けた。
「まだ、お手伝いの時間なのでしょう?早く帰らなくっちゃ」
そして、空になった籠をミーシャに渡しやんわりと促す。
「はい。片付けるのを手伝ってくださって、ありがとうございます」
研究の手伝いをさせてもらえるようになったと張り切っていたミーシャは、少しの時間も研究所を離れるのが惜しいのだろう。
ハッとしたような顔をした後、いそいそと去っていく小さな背中を見送って、ドリーの胸に懐かしい気持ちが蘇る。
光を弾いて不思議な輝きを放つ白金の髪は一族由来のものだ。
今はもう色を失って久しいが、ドリーもかつて同じような色をしていたし、村を見渡せば五人に四人は似た色を見つける事ができる。
とはいえ、まるっきり同じというのは少なく、わずかとはいえ濃淡があるし髪質も違う。
「本当にレイアースとそっくりね」
真面目で凝り性で、図書室の常連だった少女。
夢見るような大きな瞳は、いつだって未来を見つめてキラキラと輝いていた。
『先生、私は成人したらお母さんみたいに外の世界でいろんな人に薬をつくってあげたいの。兄さんと一緒に旅をするのよ』
ないしょ話をするように語ってくれた未来は、どれほど叶えられたのだろう?
外の世界に出る事がなかったドリーには、一族を離れて嫁いでいったレイアースの未来を知る術はなかった。
「でも、あんなにいい子を育てたんだもの。きっと幸せだったのでしょうね」
こぼれそうに大きな瞳も、真っ直ぐに背中に流れた髪も。
かつてのレイアースにうり二つのミーシャを思い出して、ドリーは静かにほほ笑んだ。
『先生。前に話した夢は叶えられないかもしれないけど、後悔はしないわ。だって新しい夢を叶えに行くのだもの』
最後に会った時のレイアースの言葉を思い出す。
新しい夢が何だったのか聞くことはできなかったけれど、瞳は変わらずキラキラと輝いていたから、ドリーは笑顔でその背を押す事ができた。
「若くして命を落としてしまった貴女の代わりに、私達がミーシャを導くわ。安心して見守っていてね」
誰ともなくつぶやいたドリーの言葉は、人気のない図書室に静かに広がって消えた。
「ミーシャ!久しぶり!」
「ナディア!元気にしてた?」
四時になり、追い出されるように研究所を後にして帰路についていたミーシャは、向こうから手を振りながら駆け寄ってくるナディアに笑顔を浮かべた。
「すごい偶然!今日はもう終わったの?」
まだ村に来たばかりで見習いの見習い的なミーシャと違い、正式に見習いとして村の診療所に勤めているナディアの仕事は17時までと決まっている。
たかが一時間の差ではあるが、家の事もしなければならないミーシャは、仕事が終われば真っ直ぐに帰路につく為、村の中を歩いていてもナディアとはすれ違う事はほとんどなかった。
「違うわよ。ただ、前に遊んだときに、診療所にも興味があるって言っていたでしょう?今日、その話を先生にしたら帰りに少し見学したらどうかなって言ってくれたから、誘いに来たのよ」
「え?そうなの?嬉しいけど、帰りが遅くなったらおじさんが心配しないかしら?」
迷うように視線を揺らしたミーシャに、ナディアがしたり顔で胸を張った。
「ミーシャがそういうんじゃないかと思って、伝鳥を飛ばして許可は貰ってるわよ。帰る時は笛を吹いて、レンを呼ぶようにって」
「ナディア、すごいわ!ありがとう!!」
あっさりと心配事を解決してみせたナディアに、ミーシャはきらきらとした目を向けて喜んだ。
「こちらがお誘いするのだから、それくらいの気づかいは当然よ!」
尊敬の目を向けられて、ナディアはさらに胸を張る。
もっとも、伝鳥の手配をしてくれたのも手紙を書いたのも診療所の先生だったのだが。
「じゃあ、行きましょう!」
先に立って歩き出したナディアをミーシャは急いで追いかけると隣に並んだ。
「診療所は、村のみんなの診察をしているのよね。忙しい?」
「ぜーんぜん。大抵の人が自宅にある薬で対処しちゃうし、診療所迄来るのは先生にお話を聞いてほしい人がほとんどね。急患は一日に一人か二人くらいだし、のんびりしたものよ」
軽く肩を竦めて見せるナディアの言葉は本当だった。
軽い風邪くらいなら自宅に置いてある常備薬で対応してしまうし、そもそも普段の予防がしっかりしているためか極端に感染症が少ないのだ。
「特に今日は、本当に暇で暇で……。自習で教科書や資料を読んでばかりだったのよ。もう、うんざり。こんなんじゃ診療所の見習いになった意味がないわよ」
うんざりしたようにぼやくナディアに、ミーシャは目を瞬いた。
「病気やけがで苦しむ人がいないのは良い事じゃない?」
薬師が求められるのは、病人や怪我人がいる時が主である。
『本当は私たちの出番がないのが一番なのかもしれないわね』
ミーシャは、季節の変わり目に体調を崩す人が増えるのを見越して、薬を大量に作りながらもしみじみと呟いていた母親を思い出していた。
さらに、実際に関わった何人もの患者達の事を……。
「それはそうだけど……。知識だけ持っていても実際に使わないと無駄じゃない!」
唇を尖らせるナディアに、ミーシャの表情が曇る。
「でも、患者を診るだけではなく、病人を出さないための予防策を練るとかだって大切な仕事だわ。無駄なんかじゃ……」
「なにそれ。それくらい分かってるわよ。ミーシャって、本当にいい子ちゃんよね! 真面目で嫌な感じ!」
ミーシャの言葉を遮るように、ナディアが叫んだ。
その眉間にはくっきりとしわが刻まれている。
「さすがは、外から来てすぐにユースティ先生に付くだけあるわ!さぞかし、外でも大活躍だったんでしょ!」
「ナディア……」
すごい剣幕で詰め寄ってくるナディアに、何がそこまで逆鱗に触れたのか分からず、ミーシャは戸惑いを隠せない。
黙り込んだミーシャの顔を見て、ハッとした顔をしたナディアの体から急速に力が抜けていく。
それと同時にみるみる暗い表情になり、唇を噛んで俯いていくナディアの様子は、明らかに尋常ではなかった。
「ナディア?」
思わず名前を呼んだミーシャに、うつむいていた顔をバッとあげたナディアは何か言おうと口を開き、しかし、その口から言葉がこぼれる事はなかった。
再び唇をかみしめたナディアが、くるりとミーシャに背中を向ける。
「……ごめん。診療所はそこの建物だから、一人で行ってくれる?」
「ナディア、どこに行くの?!」
そして、そのまま歩きだした華奢な背中を、ミーシャは慌てて呼び止めようとする。
「大丈夫。家に戻るだけだから。悪いけど先生に急に気分が悪くなったから家に帰るって伝えてちょうだい」
小さな声でそう告げると、ナディアはそのまま走り去ってしまった。
みるみる遠ざかる背中はすべてを拒絶しているように見えて、ミーシャから呼び止める声を奪ってしまう。
「どうして……」
その背中が見えなくなっても、ミーシャはしばらく動くことができずに立ち尽くしていた。
些細な会話だったはずの何が、あれほどまでにナディアを傷つけてしまったのか、いくら考えてもミーシャには分からなかった。
けれど、話の流れからミーシャの言動がナディアを傷つけたのは確かだ。
「……行かなきゃ」
わざわざ伝鳥まで使ってラインと話をつけているのに、ナディアがいないからといって、このまま家に帰るわけにはいかない。
こんな状況では、最初の予定通りにはいかないかもしれないけれど、少なくとも一言くらいは挨拶をしておくべきだし、ナディアから頼まれた伝言の件もある。
ションボリと立ち尽くしていたミーシャは、診療所に向かってノロノロと歩き出した。




