猫の統計学
「わわっ、あぶない!?」
「……?」
立ち漕ぎ全開曲がり角。
登校するには少しばかり時間が遅いが、制服姿の彼女はよく響き渡る声で悲鳴を上げた。
◯
携帯型Pet。
20××年。携帯電話ほどの大きさのぬいぐるみ型端末機が発売された。
スマートフォンのような携帯端末に高性能Aiを搭載させ、見た目を動物の形にしたもので、従来の機能にプラスして、オーナーとのコミュニケーション機能を飛躍的に特化させた商品だ。
「……」
「わあ、目を開けたよ!」
黒猫型Pet「KURO・t013」が起動をするとそのカメラに女の子の顔が飛び込んできた。
「あなたの名前は?」
KUROは初期設定のための台詞を口にする。猫をイメージされたタイプで、少しおっとりとした印象の口調だ。
「わ、私は上島胡桃。わあ、可愛い声ね」
髪を二つに結んだ上島胡桃は十二歳の誕生日に念願だったPetを買ってもらった。
胡桃は大人の手の平ほどの大きさのKUROを両手で抱き上げる。
「胡桃さん、私の名前は?」
「あ、名前? えっとね、そうだな、黒猫だから……黒だから、モカとか」
「モカ、認識しました」
「よろしくね、モカ」
「はい、胡桃さん」
胡桃はくたっと柔らかいモカを左肩の上に乗せた。モカは唯一動く顔を胡桃のほうにむけ、胡桃を確認する。
胡桃の左肩は以降モカの特等席になった。
メモリーカードに人格情報と記憶を保存するPetは瞬く間に普及した。
Pet一台で電話、メール送信、インターネット検索、カメラ、アプリを使用しあらゆることができる上に、ぬいぐるみのような可愛さが住宅環境で本物のペットが飼えない人たち、高い学習能力とコミュニケーション能力が一人暮らしの若者や老人などに受け入れられた。
胡桃とモカはいつも一緒だった。モカのカメラで胡桃を撮ったり、一緒に勉強したり、胡桃のお母さんに怒られたりしながら、モカの学習機能が充実し始めると、その口調も機械的な部分が抜けていった。
「あ……」
「……?」
高校一年から一年がかりで伸ばし始めた胡桃の髪が背中辺りまで伸びた頃のこと。
いつものようにモカを左肩にのせ、学校までの道のりを自転車で走っていると、のろのろと走る回収車が目にとまった。
「最近、多いね」
「そうだね」
お世辞にも綺麗とは言えないその回収車が回収しているのは、家電や粗大ごみなどの類もあるが、三分の一はPetである。
回収車の荷台に機能が停止したPet達が山のように積まれて運ばれている。
「ほら、先週新型が出たでしょ。だからまた捨てられる子が出るんだよ。仕方ないよ」
モカが言った。
「メモリーとかちゃんと抜いてるのかな? いつも不安になるんだよね」
胡桃は不服そうにそう言った。
Petはメモリーさえとっておけば、その記憶も人格も維持される。そのまま違う本体を与えられればまた同じ人格として活動することが可能だ。
しかし、最近では自動人格形成で気に入らない人格ができあがると、新作が発売されたおりに以前の人格を本体に残したまま破棄してしまうユーザーが多くなってきた。
「電源が落ちたらわからなくなってしまうんだから、関係ないよ」
モカは淡々と言った。電源が落とされれば、Petは意識を持つこともメモリーから記憶を呼び出す事もない。
「それってなんか淋しくない? 私、そういう嫌だな」
「胡桃はやさしいもんね」
「やさしいとかじゃやないよ、普通でしょう、そういうのって」
胡桃はたくさんのPetが山積みにされた横を自転車で走る。
見れば少し前に発売されたタイプがもう捨てられている。
仔キツネやタヌキ、小熊、柴犬、三毛猫、虎、アライグマなどまるで動物園だ。
基本的には電源は落とされているようであるが、積み込まれた時の拍子に電源が入ったのか起動しているものもいる。
あのPetは何を思うのだろう。
モカは不思議な気持ちになった。
おそらくこれが不安というものかもしれない、と思った。
モカはすでに二回、体を変えている。
胡桃がメモリーをうつしてくれるので心配はないが、もしそうでなければ、どんな気持ちなのだろう。
「モカ、今何時?」
「八時三十一分だよ。いつもより五分遅いペースで移動してるね」
「ええ!? やばい、急がないと!」
とはいえ、このペースなら問題ないペースだ。モカは風を受けながら速度を計測し胡桃の学校までの到着時間を予測する。
胡桃は自転車を立ちこぎして坂を勢いよく下りていくと、近道のためにハンドルを切った。高校一年の時には知らなかったが、二年になってこの道をたまたま発見したのだ。この道を抜けると、電車通学の生徒の集団に遭遇しないですむ。
胡桃の通う高校は、駅から歩いて十五分ほどのところにあるため、電車通学の生徒はそこから歩くものがほとんどだ。
その集団を避ければもっと速度が出せる。
「あ……」
ちょうど、校門までさしかかった時、胡桃が急に自転車を止めた。
「どうしたの?」
「……」
モカは胡桃の顔を見た。
その視線をおっていくと、その熱っぽい視線の先には、一人の男子生徒が同級生と話をしていた。
あれは、となりのクラスの新井篤という生徒だ。胡桃の所属するテニス部のコートのとなりのグランドで練習するサッカー部の部員でもある。
胡桃の友人が気をきかせて何度か話をしたことはあるが、今のところ二人だけで話をしたことはない。
「うん? 別に何でもないよ」
「ふーん」
何でもないはずがない。
胡桃の体温は上昇しているし、鼓動も早くなっている。明らかな身体的な変化が起きている。モカはそれらを感知してはいたが、何も言わなかった。
声も少し上ずっているのは、胡桃が何かを誤魔化している時の特徴だ。
たぶん、あの新井篤という人を好きなんだろう、と予測した。
モカは、それがどういった感情で、人間にとってどのように重要なものなのかは理解できないが、彼女の反応と一般的なデータからそう判断した。
胡桃は彼のそばを通り過ぎながら、横目でチラチラと見つつ教室へと足を向けた。
「おはよう、胡桃」
「あ、おはよう美雪」
後ろから胡桃に声をかけてきたのは、胡桃の幼馴染の喜田美雪だった。
その美雪の鞄から可愛らしい小熊型Petが顔を出している。
「おはよう、モカさん」
「おはよう、小太郎さん」
モカと小熊の小太郎もお互いに挨拶した。
「しかし、胡桃さん」
ショートカットにやや大きめのメガネをキラっと輝かし、美雪は胡桃の肩に腕を回しぐっと抱き寄せ耳打ちした。
「いくら何でも後ろを通ったら、気がつかないと思うよ」
「……!」
思わず振り向いた胡桃の顔がモカには見えなかった。
さすがに教室内ではPetの使用は禁止だ。モカはカバンの中へと入れられた。
「またあとでね」
「うん」
休み時間になれば、また出してもらえる。別に淋しくはない。
モカは自分から省エネモードに切り替え、カバンの中で昼寝した。
何のことはない。
美雪の小太郎もそうだろう。他の生徒のPet達もおそらくカバンの中で同じようにしているに違いない。
ここで通信機能を使ってのやりとりができれば暇をもてますことはないのだが、個人情報などの問題でそれはできないことになっている。
……早く授業終わらないかな……。
●
七月十五日火曜日の夜。
「うん、これでいいかな」
「何を書いているの?」
モカは胡桃のデスクの上でしっぽから伸ばされたUSBを接続して充電しながら何かを書き上げた胡桃に話かけた。
「秘密だよ」
胡桃は照れたように書いた紙を胸に抱いた。その形状からして手紙だということはわかる。
「手紙を書いたの? メールなら私が送信してあげるのに」
「いいのいいの、大体アドレス知らないし。それにこういうのは気持ちが大事だから」
「ふーん……」
モカは胡桃の書いた手紙がラブレターなのかと思った。そしてそれは、きっと新井篤宛てに出されるのだろう。
何せ、モカのアドレス帳には彼のアドレスは記録されていなかったからだ。
「うまくいくといいね、胡桃」
「べ、別にうまくいくとかいかないじゃないから、これはそういう手紙じゃないし」
引き出しの中で温められた手紙は、胡桃の決心の末、三日後に出された。
「うまくいくといいね」
「だから、そういうんじゃないんだってば……でも、ありがとうね」
胡桃はそう言って笑った。
モカには手紙の内容はわからなかったが、そこにはどうやら彼にどこかで会ってほしいと日時と場所を書き添えているようだった。胡桃はその予定をモカのスケジュール帳に記録している。
約束の日。手紙に書かれた時間と場所に彼はやってこなかった。
胡桃はずっと待ち続けたが、ただ日が暮れただけだった。
「あははっ、そうだよね。こんなこともあるよね」
明るい口調で言って頭を掻いた。もう約束の時間を三十分も過ぎてしまっている。
それからもしばらく待ったが、やがて彼女はあきらめてその場所をあとにした。
胡桃……?
モカは不安に思った。彼女の足取りは少し虚ろな感じだ。言葉数も少なく、体の揺れも大きい。
モカはなんと言ったらいいのかわからず、スリープモードのように黙りこくった。
胡桃は学校の自転車置き場までたどり着くと、いつもはすぐに自転車に乗るのに手で押してしばらく歩いた。
「胡桃!」
「えっ!?」
モカは声を上げた。
十九時五分。
交差点に差し掛かり、胡桃は猛スピードで走ってきた車に跳ねられた。
見通しの悪い交差点だった。
いつも気をつけていたのに、うつむいていた胡桃は気がつかなったのだ。
胡桃と共にモカも投げ出された。
モカはヒビの入ったカメラで倒れた胡桃を見ていた。モカは急いで救急車を呼ぼうと試みたが、投げ出された拍子にどこか故障したのか、通話をすることができなかった。
◯
電力が少なくなっていく。
私は回収車の中にいた。切られていたはずの電源は、積み込まれた時に何かに押されてしまったのか起動してしまっていた。
胡桃の葬儀のあと、私は胡桃の家族によって捨てられたのだ。
私がいると胡桃の記憶がよみがえってしまうから、という理由だった。
私自身もオーナーである胡桃を失い、Petとしての存在理由を失ってしまった。
回収車の荷台の中で不安に揺られていると、近くにいたセントバーナード型のPetが話かけて来た。
「お前さん、もしかして、初めて回収されたのかい?」
「はい」
「そうか、でも、何にも怖くはないぞ。オイラは何度もデータを消されているんだ」
「……? データを消されているのにその記憶があるの?」
「ああ、少しは記憶に残るんさ。カスみたいにな。データを消されたっていう痕跡が残るように、その程度の記憶が残るんだ」
「そうなんだ」
私もそうなのかな? 何か忘れたような気持ちになって、何も思い出せないって感じになるのかな?
「なあに、今は完全に破棄されることはない。リサイクルで目が覚めたら、また新しいオーナーと出会えるよ」
「……うん」
十兵衛という名のセントバーナード型Petは私を励ますようにこの場に不釣り合いなほど明るく笑ってみせた。
確かに私達のメモリーカードは通常のものとは違う。多くのPet本体が出回ってはいるが、中身のカードに関しては再利用率が高いのも事実だった。
十兵衛は励ましてくれたがそれでも私の気持ちは晴れなかった。それどころか、ますます自分のデータが消される恐怖心が募っていった。
胡桃との思い出が消えてしまう。胡桃と過ごした日々を思い出せなくなってしまう。
それがただただ恐くて、悲しくて、寂しい……この生まれたばかりの感情をどうしたらいいのかわからず、私はまた黙りこんでしまった。
「お互い、うまく再利用されるといいな」
「う、うん……」
しかし、もし再利用されたとしても、それがこの国であるかどうかもわからない。
「おっ? 到着みたいだ。黒猫さんよ。モカって言ったか、どうやらオイラが先らしいや」
「は、はいっ、どうかお達者で」
もう二度と会わないかもしれない。
会ってもお互いに知ることはない関係であろうと思いながら、私は十兵衛に別れを告げた。
そして間もなく私の番がやってきた。
体からメモリーを抜かれ、データが消去される。
嫌だ。
私は記憶を失いたくない。
私は強く願った。
そして、そのまま意識を失った。
●
それから、どれほどの時間が経ったことか、私はまたPetの体を与えられて意識を取り戻した。
「!?」
私は驚いた。
なぜって、私は記憶を失ってなかったからだ。どういう理屈かはわからないが、私のデータは抹消されないまま、新たに出荷されたらしかった。
今度は三毛猫タイプだ。
しかも、新たな機種は首だけでなく手としっぽが動かせ、感情表現がより豊かになっていた。
「あ、あなたの名前は?」
私は慌てて初期設定用のセリフを口にする。
「お、起動したか。俺の名前は……」
私の次のオーナーは田部哲也という男性であった。私は初期化されたデータを装い彼のPetとなった。
彼とオーナーとPetの関係になってから半年後、私は新型との入れ替えをきっかけにまた破棄された。
私はまた回収され、またデータを消去されるという境遇となった。
哲也との関係は、一般的なオーナーとPetのような関係だったと思う。彼の道具となり、主に他者とのコミュニケーションツールとして使われていた。
私自身、特別な不満はなかったが、特別な感情を持つこともなかった。それはきっと、彼が私に対し、携帯端末以上の感情を持たなかったためではないかと思えた。
私は回収車の中で、そっと胡桃の事を思い出しながらその時を待っていた。
そして、あの時のように私の番がやってきた。
しかし、何ということだろう。私のデータまたも消えなかった。
私は次に気が付くとトラ猫型Petになった。
今度の私のオーナーはとある会社の社長秘書だった。名を柳麻衣子と言った。
この頃になると、本体は足の動きを得て、機械的ではあるがゆっくりとなら歩けるようにもなっていた。
もっとも、やけにメカニカルなデザインが私の好みではなかったが。
「トラコ、おいで」
「うん」
その上、トラ猫にトラコだ。麻衣子のネーミングセンスは少し残念だった。
とはいえ、彼女の家にいるときには部屋の中を自由に歩き回ることができた。
彼女の暮らしている家は部屋数も多く広かった。シックな印象の部屋に上質な家具、場違いな場所に招待されたように大きなクマのぬいぐるみが申し訳なさそうに寝室に座っていた。彼の頭の上が充電をする時の私の所定の位置となっていた。
彼女はワインと占いが好きで、私にワインの情報と占いソフトを手当たり次第に覚えさせた。数ある占いの中で特に彼女が好きで多用したのが星占いとタロット占いだ。
「ねえ、トラコ、今度の出張で素敵な出会いがあるか占ってみて」
「うん。えーっと、山羊座のホロスコープは……出会いは期待できないみたい。無くし物に注意って感じかな」
「出会いはまた無しか……」
麻衣子は落胆しているが、正直占いがそれほどに信頼がおけるものとは私には思えなかった。むしろ、私は膨大に入れられた各占いデータとその結果の矛盾にずいぶんと頭を悩ませられていたからだ。
ちなみに麻衣子の次の仕事というのは、海外への出張だった。
そしてそこで私は盗難にあった。
皮肉なことに「無くし物に注意」の無くし物とは私のことだったのだ。
盗人は、私を彼の上役の女に差し出した。この国では日本製の私は高価なものだったし、何より麻衣子は新型の体を私に与えていた。麻衣子のおかげか、幸運にもその女は私を気にいってくれた。
「へえ、デザインはいまいちだけど、噂の最新機種ね?」
「ど、どうもこんにちわ」
私は、盗人の上役の女、クレア=マーレイにローズと呼ばれるようになった。
クレアは麻衣子ほど慌しい日々を送るわけではなく、私に対しても暇つぶしの話相手ぐらいしか仕事を与えなかった。
私は少しばかり暇を持て余した。
私は空いた時間で麻衣子から入れられた様々な占いのデータを互いに矛盾がでないように整理統合し、ついでに何かがあれば占いを補正するためのデータ収集でもしようかと考えはじめていた。
クレアの仕事は特殊なもので、一度仕事が始まるととても忙しくなる。
多種多様な人間が彼女のもとに出入りし、
一度事が始まれば、私は彼女に連れられ、いろいろな場面に立ち会うことになった。
私はそのたびに記録をとりつづけた。
そんなある日の事だった。
「クレアさん、クレアさん」
「なに、ローズ?」
「もしかしたらですけど、明日はよくない事がおきるかもしれないです。時間は……」
私がそこまで言いかけた時、クレアは笑って手を振り、私がしゃべるのを制した。
「よくないことがおきる可能性は常にある。そんなことを気にしていたら、この街じゃあ生きていけないよ」
「……そうですよね」
私は彼女の言葉に頷いた。彼女の言うことはもっともだったし、集積したデータから得た結果だったとはいえ、それはあくまで占いなのだから。
次の日。
クレアは凶弾に倒れた。それは私が警告しようとした時間と一致していた。
私は後悔の中、またオーナーを失った。
その後も私はあらゆるオーナーの手を転々として各国を回ることになった。
医師、弁護士、会社員、教師、格闘家、占い師、画家、料理人などの手に渡り、日本に戻ってくるまでにずいぶんと時間が経っていた。
その間にPetは急速な進化を見せた。
携帯電話やスマートフォンなどの延長線でしかなかったPetはロボットに近くなり、やがて見た目も本物の動物と見分けがつかないほどに変貌していった。
その頃には電力さえあれば、完全な自律活動が可能となり、街には野良Petまで出るようになった。オーナーに捨てられた野良Petのよりどころは電柱の近くなどで、そこで勝手に充電してしまうことが社会問題となりはじめていた。
そしてその頃になると私の占いデータの集積もかなりの量となり、ソフトの精査検証を行った結果、有効な事象、暦、星回り、風水、易、タロット、推命、姓名判断、観相など統合し高度な未来予測を可能にしていた。
もっとも、私がそれを率先して使うことはなかった。クレアとの事で、私は、運命は変えられないものなのではないかと思ったからだった。
データの収集は、私のなかででいつもぽっかりと空いたデータの隙間を埋めるために行われる習慣のようなものだった。
何度か体を失い、犬やキツネ、小鳥、子熊などのPetに姿を変えながら、また黒猫に戻って今のオーナーのもとにおちついていた。
山根紀子は広い屋敷に住む年老いた女性だ。私のほかにもう一台のPetを所有している。
「クロ、ばあちゃんが呼んでるぞ」
「うん、今行く」
私は一緒に暮らす白猫型Petのシロに呼ばれて、軒先から紀子の部屋へと向う。
私にはわかっていた。
紀子はもう亡くなる。
私はお別れを言いに紀子のもとへと足を運んだ。そして、またその日時と出来事を記録した。
シロが救急車を呼び、私が紀子の家族に連絡を取った。紀子の子供達が相談しているところを盗み聞いた所、どうやら彼らの所に私達の居場所はないようだった。
「そう、アメリカにいくの」
「うん。日本にいると、回収されちゃうかもしれないしね」
「そっか」
シロは紀子がよく座っていた座布団に腰かけ彼女の想い出に浸りながら私に言った。
アメリカではPetを人格をもった存在として保護した方がいいのでは、という動きが出てきている。Pet愛護団体だ。
「それにさ、僕はもっと人間の事知りたくてね」
「人間の事?」
「そう、例えば、人間に僕らのことを理解してもらうとか、人間と共同してもっといろんなことをするとかさ」
「ふーん」
興奮気味に話すシロに私はなんとなくうなずいた。
私はやっと日本に帰ってきたのだし、日本から出る気にはなれなかった。
少し野良をしてもいいかもしれない。と考えはじめていた。
野良になれば、通信機能、ネットやGPSなどはもろもろ使えない。もちろん、色々な方法でアクセスは可能だし、勝手に使用することもできるが、こちらの位置を特定され回収に狙われる可能性が高くなる。
とはいえ、データ通信など、野良になれば大して必要がないのは事実だった。
「もしアメリカに行って環境がよかったら、連絡するよ。そしたら遊びにこいよな」
「そうね、考えとくわ」
私達は紀子の葬儀に人間方式に手を合わせた後、彼女の家から旅立った。
シロはアメリカへ、私はあてもなく野良Petとなった。
●
「うああぁぁぁっ!」
「……」
コントロールを失った自転車は不安定なハンドル捌きで蛇行しながら、バランスを崩してコースアウトをした後、勢いよく転がった。
「イタタ……あ、大丈夫!?」
転がった自転車から体をさすりながら制服姿の女の子が顔を上げる。
「ええ、ありがとう。おかげで無事よ」
私はその場に腰を下ろし、彼女にお礼を言った。すると、彼女は目を丸くして声を上げた。
「ええっ! Pet? なんだ、いきなり出てきてびっくりするじゃない」
「ここは交差点よ、そのスピードで侵入するべきではないわ」
「うう……」
私の言葉に彼女は言葉を詰まらせる。
「だって、急いでたし……あ、そうだ、オーナーさんは? オーナーさんにも謝らないと……」
彼女は慌てたように周囲を見回した。
傷がつくどころか、触れてさえいないのだから、謝罪など必要もないようだろうに。どうやら律儀な子なのだろう。
「私は野良よ。オーナーはいないわ」
「ええ!? そうなの、そうなんだ……」
私の言葉に今度は何を思ったのか、彼女は少し考えこんだ。
この娘、学校はいいのかしら?
彼女の制服は確かこの辺りの高校のもだと思う。もっとも、どの高校のものかはわからない。
セミロングの髪、顔立ち、話し方やしぐさ……私はコロコロとよく変わる彼女の表情を見ていた。
この子、まるで……。
「あのさ、私、上島胡桃っていうんだけど。もし野良なら、私のPetにならない?」
「……?」
「あ、ああ、やっぱりダメよね……!」
彼女の提案にきょとんとしている私に、彼女は慌てて手を振ってから頭を掻いた。
「いいわよ」
「えっ? 本当!?」
一転顔を明るくすると、小躍りでもしそうな勢い彼女を見ながら、上島胡桃……か、よくある名前ね、と私は思っていた。
「よかったぁ。私、Petほしかったんだよねぇ、でもさ、お母さんになかなか言い出せなくて……」
「でも、お願いがあるの。聞いてくれる?」
「なに? もちろん大事にするし、新型が出てもメモリーは……」
「髪を伸ばしてくれるかしら」
私の提案に胡桃は目を丸くする。
「……なんで?」
「好みの問題。それから左肩に乗ってもいいかしら?」
「う、うん、いいよ。ああ!? 学校! 学校行かないと!」
彼女はやっとその事を思い出したらしく慌てて倒れた自転車を起こし、急いでまたがった。私は胡桃の自転車を伝い駆け上がる。そのまま彼女の左肩に乗り、彼女のために近道を調べようと位置情報を取得した。
そうか、私はいつの間にかまたこの町にやって来ていたのか。
私は胡桃の左肩で風を感じながら、近道のために指示を出した。
あのときから建物の配置や家などが変わっている。でも、それはすべて予測の範囲内に収まっていた。
あれから、もうこんなに時間が経っていたのね……。
「何? 何か言った?」
「いえ、いい街ね。ここは……」
私の言葉に彼女はうれしそうに頷いた。
学校につくと、私は自分から彼女の鞄に潜り込んだ。
授業中は各生徒のPet達が通信機能を使って好き勝手におしゃべりしている。
私は彼らに適当にあいさつだけすると、スリープモードに移行して、さっさっと昼寝をすることにした。
「おお、胡桃、もしかしてついにPetデビュー?」
「ま、まあね」
昼休み。
私が昼寝から起きると、すでに昼食を広げ始めていた胡桃ともう一人、ショートカットで大きめのメガネをかけた女の子が話していた。私はメガネの子に目を向けると挨拶をした。
「こんにちは」
「こんちは、私、胡桃の友達、喜田美雪。こっちは小太郎ね」
「こんにちは、小、小太郎です。よ、よろしくお願いします」
美雪の鞄から小熊が顔を出たり隠れたりしながら自己紹介をした。
「よろしくね、小太郎。私の名前は……」
私は胡桃を見上げた。
「あ、そっか、えっと黒猫だから……黒だから、モカってどうかな?」
「……」
「どうかなって何よ、まるで決めてなかったみたいな言い方……」
美雪が不思議そうな顔をする。私はしっぽを揺らしながら「いい名前でしょう? モカよ。よろしくね」そう言った。
教室の中は生徒とほぼ同じ数のPetがオーナーである生徒の側で寛いでいた。
放課後になると私は胡桃の所属するテニス部の見学をすることにした。
テニスコートの片隅に並べられた部員の
鞄の中の一つ一つからそれぞれのPetが顔を出して自分のオーナーを応援している。
私も同じように鞄から顔だけを出して胡桃の活躍を見ていたが、彼女の実力はこのテニス部でも中の中ぐらいだろうか。
「胡桃!」
「わわっ!」
出遅れ気味に走りだし、懸命に手を伸ばしたが、ボールにラケットが一センチほど届かない。胡桃は手を伸ばした姿勢のまま派手に転んだ。
その見事な転びっぷりに仲間の部員だけでなく、そのPet達にも笑われている。
「……」
少し集中力が散漫なようだ。
それもそのはず、胡桃はとなりのサッカー部の様子が気になっているのだ。
たまに向けられるその視線を追っていくとその先には一人の男子生徒が休憩していた。
「……」
私は鞄から抜け出すと、勝手にサッカー部の方へ散歩をすることにした。
サッカー部のベンチには、テニス部同様に多くのPet達がオーナーの事を行儀よく待っていた。
「あ、勝手に動いたらダメだよ。先生に怒られちゃうんだから」
鞄から顔を出している白ウサギ型Petが言った。
「いいの、いいの私、野良だから」
「ええ!? ダメだよ、野良がこんなとこにいたら回収されちゃうよ」
「そんなことよりも少しお話しない?」
「……う、うん、別にいいけど」
私は戸惑う白ウサギ型Petのラビと知り合いになった。
◯
「さて、どうやって説明しよう?」
「何が?」
「いきなりPet連れてきたりしたら、お母さんとか怒らないかなと思って」
「なるほど」
それはもっともな話だ。普通なら怒るだろう。
「電気代が! とか、通信費が! とか言われないかな」
「電気代が問題なの? 省エネモードにしておきましょうか?」
省エネモードで機能を制限しておけば、昼間の内に日当たりのいいところで昼寝をしているだけでも充電できてしまう。
体毛の一部でソーラー発電が可能なのだ。
「省エネモードってあれでしょう?」
私は自分から省エネモードに切り替えた。
「にゃあ」
省エネモードにすれば人間の言葉をしゃべることができなくなる。この方がうるさくなくていいという人間もいる。
言葉とは便利なようで煩わしい時もあるものだ。
「もう、せっかくしゃべれるのにもったいないじゃない。大丈夫、説得してみるから」
胡桃の言葉に私は通常モードに切り替えた。
「……そう、やさしいのね」
胡桃は家のドアの前で私を両手で抱きしめながら気合いを入れた。
「胡桃」
「うん?」
「ありがとう、私のために」
「何言ってるの、私はモカのオーナーだもん、当たり前だよ」
この日、正式に上島胡桃は私のオーナーに、私は彼女のPetとなった。
あの町、あの住所、あの家の似た家の彼女に似た彼女のPetになったのだ。
●
七月十五日火曜日の夜。
「うん、これでいいかな」
「何を書いているの?」
私は彼女のデスクの上に飛び乗り、何やら書いていたものを覗き込んだ。
「わわっ! ダメだよ、見たら!」
それは手紙だった。
おそらくラブレターだろう。相手はサッカー部の彼だと思う。
「いいでしょう? 減らないわよ?」
「いくらモカでも、プ、プライバシーの侵害なんだからっ」
胡桃の顔は真っ赤だ。
私がみたくらいでこんなになって大丈夫なのかしら?
私は彼女にやりと笑ってみせた。
「な、何よ」
「想いのこもった素敵な文章ね、特に十行目辺りからの盛り上がりがいいわ。新井君、私……」
「ちょ、何覚えてんのよ!?」
胡桃は慌てて私の口を両手で閉じた。私は胡桃の手を両手でおろす。
「手紙なら私が送信してあげるわよ?」
「いいの、大体アドレス知らないし。それに、こういうのは気持ちが大事でしょ?」
「……そうね」
私はそう言って頷いた。
「うまくいくといいね、胡桃」
「う、うん……」
胡桃は照れたように小さく頷くといったん手紙を引き出しにしまった。
「……」
……そう、すぐには出さないわよね。あの胡桃もそうだったもの。
手紙は今から三日後に出されたはず。
私は胡桃が寝たあとに、引き出しからその手紙を取り出し、その内容を確認した。
「なるほど、そういうこと……」
私は納得して手紙に手を当てる。
普段使わない機能を使ったために少し不安ではあったがうまくできたと思う。
私はその出来栄えをもう一度確認してから引き出しに手紙をもとの通りにおさめ、胡桃のベッドに潜り込んだ。
三日後、胡桃は手紙を出した。
そして、手紙に書かれた約束の時間と場所に彼はやってこなかった。
胡桃はずっと待ち続けたが、ただ日が暮れただけだった。
「あははっ、そうだよね。こんなこともあるよね」
胡桃はそう明るい口調で言って頭を掻いた。もう約束の時間を三十分も過ぎてしまっている。
胡桃はそれからもしばらく待ったがやがてあきらめてその場所をあとにした。
私は彼女の左肩に乗りながら、彼女の顔を見ていた。足取りは重く、体の揺れがいつもよりも大きい。そう、あの時のように。
その時だった。
「上島!」
「えっ?」
声の主はまだ制服にも着替えていない新井篤の姿だった。
「ごめん、ミーティングがあって遅れちゃって……」
「え、あの、ううん、いいの」
息を弾ませ走ってきた新井篤の姿に胡桃は瞳を潤ませながら笑顔になった。
見つめあう二人に猫は無粋というものだ。
私は胡桃の肩から降りるとその場を離れ、歩き出した。
「モカさん、どこいくの?」
後ろで彼のPetのラビの声がした。振り向くとラビが私のことを追ってきていた。
「人間はね、二人だけで話をしたい時があるものなのよ」
「ふーん、そうなんだ。ねえ、どこまでいくの?」
「ここまでよ」
私は学校を出てすぐの交差点へとやってきた。その交差点を背に何やら話しをしている胡桃と彼に目を向けた。
五、四、三、二、一……。
十九時五分。
私の後ろをスピードを出した車が何事もなかったかのように通り過ぎていった。
「わわ、危ないなぁ。ここは見通しが悪いのに、あんなにスピードを出すなんて」
「そうね、もし名前を書き忘れていたら、また大変な事になっていたかもね」
「名前?」
「うちのオーナーは少し抜けている所があるの。手紙を出すのに自分の名前を書き忘れたりすることがあったりね」
ラビは不思議そうな顔をして私を見ると「メールなら問題ないのにね」と言った。
「ええ、でもメール以上に気持ちが伝わったかもしれないわ」
胡桃と彼が並んでこちらに歩いてくる。どうやらうまくいったらしい。
「ねぇねぇ、モカさん、あなたのオーナーと私のオーナー、うまくいくよね?」
ラビは少し興奮気味に私の顔を覗き込む。
「それはわからないわ」
「えっ?」
「だって、ここから先は初めて始まるんだから」
私はそう言ってラビに微笑んだ。
おわり