鳩 14
鸚鵡と鴇についてです。彼らは、ずいぶん遅く登場してきました。当初の段階では、彼らは存在しませんでした。ただ、物語を書いているうちに、「主要人物以外にも、鳥の名前を持つ人物が欲しいな。」と思い始め、急遽、作り上げた二人です。
彼らが今後、どのように振舞うのか。彼らにも注目しながら、物語の残りを楽しんでいただけたらいいな、と思っています。
鳩
何分経ったのだろうか。嘔吐もなくなり、呼吸も落ち着いてきた。なんとか壁から離れると、いつの間にか男は消えていた。代わりに、黒いスーツを着た男たちが数人、通路を塞いでいた。俺は拳銃を構える。構えた拳銃はどこも狙ってはいなかった。男たちも動じていないようだ。
「頼む。頼むからどいてくれよ。」
かろうじて振り絞った声は掠れていた。おそらく、男たちには聞こえなかったのだろう。男たちは表情を変えることなく近づいてくる。
「もうこれ以上、俺のせいで犠牲を出したくねえんだよ!」
人が飛ぶ。黒い物体が突っ込んでくる。俺は咄嗟に横に転がる。何かが横をものすごい勢いで通り過ぎるのが分かった。黒いワゴン車だった。
ワゴンは路地の出口付近に止まる。ゆっくりと窓が開く。開ききっていない窓の隙間から、少女が顔を出す。
「乗りたいなら、早く乗って。」
何が起こったか、飲み込めなかった。しばらく呆然としていると、少女の眉間に皺が寄った。
「早くしてよ。乗らないなら置いてくよ。」
少女が顔を引っ込めると、車がゆっくり動きだした。俺はベビーカーから赤ん坊を抱き上げると動いている車に走り寄り、助手席のドアを開け、飛び乗った。
何の会話もなく、目的地も分からず、見知らぬ少女とのドライブは続く。周りの車の動きに合わせて動くドライブは、たった今物騒な男たちから逃げてきたとは思えないくらい、穏やかで奇妙だった。
少女の顔を見る。少女と視線があった。何を言えばいいのか迷った末、口を開いた。
「助かった。ありがとな。」
「助かった。ありがとな。」
聞きなれない声が聞こえ、後ろを振り返る。そこには黒いコートを着た男が二人いた。一人は窓に肘をつき、ゆっくりと流れる景色を眺め、もう一人は眠っているのかフードを深くかぶり、俯いたままの姿勢を保っている。
「あんたは誰だ?」
「あんたは誰だ?」
「いや、俺が尋ねてるんだって。」
「いや、俺が尋ねてるんだって。」
少女が笑いだす。風が木の葉を揺らすような小さな笑い声は好印象だった。悪い奴じゃない。まあ、俺の善悪の判断なんか、あてになんねえけど。
「突然のことでびっくりしたでしょ。その人は鸚鵡。変わってるでしょ?人のまねばっかりするの。仲良くなると少しはまともになるよ。」
「知り合いなのか?」
そう言った後、知り合いでなければ車に乗せるわけないだろう、と思った。そして、その直後、俺はこの中の誰とも知り合いじゃないぞ、と心の中で抗議した。
「ノーコメントだ。」
俺は後ろを振り返る。先程とは違う声だったので、もう一人の男が口を開いたのかと思ったが、少女の代わりの答えたのは鸚鵡だった。フードを被った男は眠り続ける。
「あれ、随分早いじゃない。もういいの?」
少女が笑う。鸚鵡はそれを聞いているのかいないのか、少女の言葉に答えることなく、窓の外の景色を見続ける。俺は話を本題に戻す。
「あんたたちはいったい何者だ?どうして俺を助けた?」
少女の顔から笑顔が消える。女の子を泣かせる男は最低だ。どこで聞いたのかわからない教訓が頭をよぎった。なんか俺、悪いことしたか?
「私は雉。で、さっきも言ったけど、あんたの後ろにいるのが鸚鵡。これでいい?」
「よくねえよ。あんたの後ろで眠っているのは誰だ?」
俺は後ろを振り返りながら尋ねる。相変わらず男は俯いたままだ。
「私の後ろ?誰もいないわよ?」
雉は正面を向いたまま、真顔で答える。確認もしなければ、顔色一つ変えない。逆に不自然だろ、それ。
「嘘つくんじゃねえ。黒いコート着た奴が寝てんだろうが。」
車が赤信号で緩やかに止まる。雉は両腕をハンドルに乗せ、溜息をつきながら答える。
「世の中には、聞かない方がいいこともあるんだよ。君もこの業界で生きているんだったらその位分かるでしょ。とにかく、そんな男なんて知らない。知らないから。」
俺は雉の肩をつかむ。雉は驚いたのか、飛び上がり、丸くした目を俺に向けている。
「嘘だろ。おまえは後ろの奴のことを知っている。」
俺はついこの間教わった、本当か嘘かも分からない知識を思い出していた。
「知っているか。大抵、二回言ったことは嘘なんだよ。知ってる、知ってる、みたいにな。」
「もし知っていたとして、何が悪いのよ。分かったわよ。面倒だから教えてあげるよ。後ろの男は死んでるの。で、それを私が仕事で運んでいるってわけ。納得した?いい加減、放してよ。」
「何で死体を運んでいるんだよ。気味悪いな。」
後部座席から小刻みに息を漏らす声が聞こえる。悪戯を言及された子供がそれでも優位に立とうと漏らす笑い声に似ていた。そして、俺は自分で言った『運ぶ』という言葉をきっかけに、この少女たちの正体に思い当った。
「運び屋か?」
雉は諦めたのか、再び溜息をつく。
「そうよ。それが?」
俺は自然と笑い声が漏れた。ようやく見つけた。いや、むこうから歩み寄ってきた。
「本当に運び屋か。」
「だから、そうだって言っているじゃない。証明するものは持ってないけど。」
「だったら、頼みがある。」
「私、今仕事中なんだよね。後回しにしてもいいなら、どうぞ。」
車が加速しながら右に曲がる。横断歩道を渡ろうとしていた自転車が急ブレーキをかけ、倒れそうになったが見える。俺は左に流された身体を起こし、体勢を立て直す。
「この赤ん坊も、運んでくれないか。」
赤ん坊を雉に差し出す。雉は正面を向いたまま目を細め、眉間にしわを寄せる。どこからか、歌声が聞こえる。鸚鵡が歌っているのだろうか?
「なんで?というより、どこに?」
「どこでもいい。この赤ん坊が、誰にも傷つけられずに生きていけるところに。」
「そんなことは無理だね。そんなところがあるなら、とっくに私はそこに永住しているはずだもん。」
後ろで鸚鵡が「確かに。」とつぶやき、笑う。そんなことくらい、子供じゃあるまいし、俺だって知っている。
「今のは、言葉の綾だろ。俺が言いたいのは、この赤ん坊が黒田の屋敷に戻されることなく、安全に成長していける場所に連れていってくれって言っているんだ。」
「同じように聞こえるのは、私だけかなあ。」
雉が、バックミラーに映っているだろう鸚鵡に視線を送る。「傷つかない場所。」と鸚鵡は俺の声でつぶやく。だんだん、俺が世の中のことについて何も知らない、無知で愚かな人間だと言われているような気がしてくる。目の前の信号が赤になり、車が静かに止まる。
「とにかく、どこでもいいから運んでくれよ。頼む。」
「気が進まないなあ。」
「気が進まないなあ。」
「俺はもう、面倒を見てやれねえんだよ。」
自然と声が大きくなっていた。雉は、目を丸くする。鸚鵡は外を流れる人の流れを眺めている。静かになった車内には、カーステレオから流れる音楽だけが残った。
「面倒を見てやれねえんだよ。」
「八代のところに行くから?」
誰も知らないはずの俺の胸の内を、雉が言い当てる。心を読まれたのか。そう思った俺は、思わず右手で心臓の辺りをつかむ。
「どうしてそれを―」
雉が笑みを浮かべる。明らかに何か裏がありそうな表情だったが、今それを指摘しても仕方がない。「そうだ、こうしない?」と雉が手を軽く叩き、明るい声で提案してきた。
「私たちは、今、八代のところに向かっている。そして、君は八代と対決する。その間は、その赤ん坊を預かっててあげるよ。もし、君が死んじゃったら、この赤ん坊は黒田の屋敷かどこか適当なところに運ぶ。君が生き延びたら、君が望む場所に運んであげるよ。」
「望む場所って?」
「その子が傷つかない世界。」
そう言うと、雉は声をあげて笑った。後ろから、全く同じ笑い声が聞こえてきた。なぜだろうか。俺は一人、取り残された感覚に陥る。ある異郷の地で、その土地の文化が分からず、一人取り残されているような、そんな感覚だ。
「じゃあ、そういうことでそろそろ始めますか。」
雉がそう言うので、なにか始めるのだろうかと雉を凝視していたが、雉は正面を向いたままだ。何かを始めたのは、雉ではなく鸚鵡だったと気が付いたのは、後ろから聞いたことのない声が聞こえてきたときだった。
「何をそんなに驚いている?」とか、「二人で話がしたい。」などという会話の切れ端が聞こえてきた。おそらく、会話の相手は八代なのだろう。
「誰の声だ?」
「鷹の声。」
「鷹といっても、猛禽類の方ではないだろ。」
「さあ?」
そうじゃないに決まっているだろう。赤ん坊が雉の冗談を指摘するように、人指し指をまっすぐ雉に向けた。
やがて、「着いたよ。」という雉の声が聞こえてくる。俺は、黒いフィルムの張られた窓越しに、ビルを見上げる。比較的新しいビルらしく、すっかり暗くなった夜の闇の中でも、どこか輝いているように見えた。ドアを開け、眠ってしまった赤ん坊を起こさないように、ドアと車体の隙間に足を滑り込ませ、外に出る。
「それじゃあ、頼んだ。」
「こちらこそ、よろしく。」
赤ん坊を助手席に静かに乗せる。さんざん悩んだ挙句、元気でな、という言葉をかけることにした。静かにドアを閉める。車が発進するまで見送ろうと思っていたが、相手も同じことを考えていたのか、車はなかなか発進しなかった。仕方なく、俺は八代のビルに向かう。
自動扉の前に立つ。自動扉が思い出したように開くと、中から涼しい風が流れ出してきた。正面のエレベーターに向かって真っすぐ歩く。エレベーターの前に立ち、ボタンを押す。ランプが光り、右から左へ光が移動する。
背後から人が大股でこちらに近づく気配がする。俺は咄嗟に横に飛び、後ろに身体を向ける。そこに立っているのが誰だか認識したとき。俺は安心と呆れの混じった溜息をつく。
「何でお前まで来るんだよ?」
「何でお前まで来るんだよ?」
鸚鵡は、相変わらず俺の言葉を繰り返してくる。軽くため息をついた後、今度は同じタイミングで言葉を漏らす。
「面倒くせえなあ。」




