鳩 11
アクセス解析というものがあったのですね。知らなかった・・・。
いつか、「お気に入り登録 一件」という表示を見つけて、読んでいる人がいると喜んでいたのはいつだっただろうか。あれから、全然読まれている形跡を見つけることができなかったため、「誰も読んでないのでは?」と疑心暗鬼に陥っていました。
さっそく、アクセス解析をしてみました。どうやら、「読者のみなさん」は私の中の虚構の存在ではなかったみたいです。安心しました。読んでくださっているみなさん、本当にありがとうございます。
物語もそろそろ佳境に入ります。改めて、読者のみなさん、これからもよろしくお願いします。
ちなみに、鴇はトキと読みます。鳥の名前です。難しい漢字ばかりで、申し訳ありません。
鳩
目の前を鳩が横切る。ホーホークックッという鳴き声で、俺は我に返り、顔を上げる。目の前の砂場で、数人の男の子と女の子が砂の山をつくっている。ここは、どうやら公園らしい。どうやってここまで来たのだろうか?目が重たい。徐々に意識がはっきりしてくる。
そういえば、赤ん坊はどうした?
慌てて立ち上がり、辺りを見渡す。ベンチに腕を投げ出し、足を組んだ若い男が鳩の追いかけっこを眺めている。
「ちょっと、びっくりさせないでよ。なに?赤ん坊ならここにいるわよ。」
若い女性の声が聞こえ、俺は首を下に向ける。そこにはベビーカーがあり、赤ん坊はその中で眠っていた。胸を撫で下ろし、再びベンチに腰を下ろす。俺と女性の間には、俺が背負っていたリュックサックが置かれていた。
「もう大変だったんだから。赤ん坊は泣いているわ、君は何を尋ねても心ここにあらずだわで。まあ、いろいろ袋に入っていたから何とかなったけどさ。」
「そうか、悪かったな。」
「ねえ、何があったのさ?君みたいな若者があんな亡霊みたいな状態になるって、余程のことじゃない?」
そうだ。俺は郭公のおっさんのところに帰ろうとしていたんだった。おばちゃん集団。黄色いテープ。頼りない警官。爆発。
「大切な人を失った。」
頭を整理した末にようやく出たその声は、情けないくらい感傷的だった。
「そうなんだ。ごめん。」
ありきたりな同情の言葉。届かぬ想い。
「あんたに何が分かる!」
思わず口調が強くなる。しかし、隣の女性はひるんでいないようだった。言葉を続けようと何度も口を開いたが、言葉にならなかった。何度も口を開けては閉め、舌打ちを繰り返し、髪を掻き乱しながら、ようやく言葉になった。
「あいつはなあ、こんなところで死ぬべき人じゃないんだよ。それなのに、あいつは死んだ。殺されることを感づいていたのに、あいつは逃げずに死んだ。格好悪いんだよ!死ぬのは怖いくせに、平気なふりして死にやがった!何で言ってくれなかったんだよ!」
俺は次々と言葉をぶつける。沈黙が流れる。その沈黙の中、流れているのは俺の呼吸の音と遠くの砂場から聞こえる子供たちの明るい声、そして情けない鳩の声だった。
「俺は、何もできなかった。俺なんかに、生きている価値なんて分かるわけねえよ。」
「生きている価値のある人間なんてひとりもいない。」
突然聞こえてきた女性の言葉が、その澄んだ声色にふさわしくない言葉であったことに違和感と戸惑いを覚えた。
「生きていて、それに何の意味がある?生きることで、この大地を豊かにし、海に輝きを取り戻すことができるのか?人間ほど、傲慢で身勝手な生物はこの世にいない。」
俺は顔を上げる。女性は俺の視線に気が付くと、そっと笑う。目尻に皺が寄るその笑い方は、もうなじみ深いものになっている。俺はこの顔を見たことがある。
「ある人が私に言った言葉。ほら、みんな一度は思うでしょ?生きている価値って何だ、って。私もそう思ってたよ。でも、その人の言葉の意味を考えているうちにさ、人生観が360度変わった。」
「それを言うなら180度だろ。」
女性は静かに首を横に振る。首を振るたびに、どこかで嗅いだような花の香りが漂う。
「360度だよ。クルッと一回転してさ。なんだ、私が探していたものはこんなところにあったのかって、初めて思えたんだよ。回る前と回った後じゃ、全然違った。」
女性はまた微笑む。その笑顔が、郭公のおっさんと重なる。そのとき、頭の中でパッと何かが光り、郭公のおっさんの話を思い出していた。
「人は生きているだけで犠牲を払う。あんたが言いたいのは、犠牲を払うくらいなら生きていない方がいいってことなのか?」
だから、郭公のおっさんも逃げなかったのかもしれない。どんなに恐ろしくても、払ってきた犠牲に見合う生き方など出来ないことに気が付いた郭公のおっさんは、死ぬしかなかったのかもしれない。女性は俺から視線を逸らすと、息を大きく吸って口を開く。
「そういうのって考えるだけ無駄なんだよね。生きていれば、それでいいじゃん。」
それを合図にしたかのように、二羽の鳩が羽音を立てて飛び立つ。考えるだけ、無駄。
生きていれば、それでいい。でも、郭公のおっさんは死んだ。
「犠牲とかいう言葉、君の大切な人の言葉なの?」
「ああ。」
「そうなんだ。だったら、大事にしなよ。君がその言葉を忘れなかったら、その人は君の中で生き続けるからさ。」
一体、俺は何の話をしているのだろうか。先程からの女性の言葉に一貫性がないように思える。まるで、自分の言いたいことを一方的に言ってくる子供のようだ。そして、俺はまるで母親の言葉を何も疑いもしない子供のように、その言葉を受け入れる。
「本当にそう思うか?」
「うん。だから、その人の分まで頑張って生きなきゃね。あ、頑張っては余計か。」
砂場の方から大きな声が聞こえる。いつの間にか子供たちの身長を大きく超えた山の中腹辺りから水が流れ出し、いくつにも分岐してふもとに向かって流れていく。少し肥満気味の少年に、一人の少女が食ってかかる。その様子を見るベンチの男。多分、あれは笑っている。小さな笑い声が聞こえる。隣に座っている女性も静かに笑っていた。
きっとこの小さな公園にいる人々は、俺なんかよりずっと器用に生きている。俺は180度回ったまま、そこにあるはずの答えに背を向けたまま止まっているのかもしれない。
「ねえ、あの子、また私たちの邪魔してきたんだけど。なんとかしてよ。」
いつの間にか少女がベンチに近づき、俺の隣に座る女性に話しかけている。まるで、友達と話しているかのような口調だった。女性は目尻の皺を増やし、ポニーテールがよく似合う少女に微笑みかける。
「一緒に遊んであげたらいいじゃない。」
絶対いやっ、と少女は頬を膨らませ、力強く言って顔を背ける。その視線の先には俺がいた。少女と目が合う。少女は一瞬戸惑ったのか唇がわずかに震えたが、すぐにその顔は笑顔になった。
「雀さん?雀さんでしょ。」
少女はそう言うやいなや、素早く俺に近寄り手を伸ばす。抵抗する間もなく少女の小さく白い手は俺の胸元を探り、十字架のネックレスを取り出す。
「何をしやがる。返せ。」
「ほら、これだよ。ね、だから言ったでしょ?雀さんに会ったって。」
「人違いじゃない?」
相変わらず少女のような話し方と声色で女性はポニーテールの少女に微笑みかける。少女はネックレスを女性に渡す。それを手にした女性はしばらくそのネックレスを眺めていたが、何かに気が付いたのか、わずかに目が開く。女性がこちらを見る。穏やかな目の奥に疑念の色が浮かんでいた。
「あなたは一体誰なの?」
雀さんだよ、と少女が明るい声で言う。その明るさが不自然に感じるほど、このベンチ周辺の空気は張り詰めていた。俺は予想もしなかった展開についていけない。
「えっと、俺が無知で大変申し訳ないんだけど、雀って誰?有名人かなんかか?」
それとも空を飛ぶ雀だろうか。もし、そうだとしたら俺はとんでもない思い違いをして生きてきたことになる。なにせ、いままで人間のつもりで生きてきたのだから。学校に通っていたことも、ファミレスでアルバイトのウェイトレスにいちゃもんをつけていたことも、全部俺の勘違いだったってことになる。ああ、だからあの姉ちゃんは俺が何を言っても返事をしなかったんだな。言い方とか、そういう細かいことじゃなくて、もっと根本的な問題だったのか。
「何で、あなたがこれを持っているの?」
下らないことをゴチャゴチャと考えていると女性の声が聞こえた。突然聞こえてきたので、ハイ、と威勢よく返事をしてしまった。郭公のおっさんからもらったのであります、軍曹。
「もらったんだよ。なんか悪いのか?」
流石に誰にもらったかは言えなかった。しかし、そう言った直後に俺の考えは変わっていた。雀云々言っている女性と少女なら、郭公と言っても通じるのではないか?
「誰に?雀に?」
「だから雀って誰だよ。郭公だよ。」
女性の目がまた開く。おいおい、本当に通じちゃったよ。一体どんな解釈しているのだろうか?まさか、誘拐犯とは思ってはいないだろう。そうなんだ、と女性はつぶやく。
「ねえねえ、やっぱり雀さんでしょ?」
少女が女性の肩をつかみ、軽く揺らす。早く確証をとりたくて仕方がないという感じだ。
「悪いけど、俺、雀じゃねえし。」
「鳩でしょ。」
「鳩がベンチに座るのかよ?」
「鳩。八代哲に雇われた殺し屋。7月5日に黒田清正の殺害を試みるが、雀に先を越される。その後、運び屋と勘違いをして郭公を尾行。郭公と接触する。」
女性が淡々と述べる。女性は言葉を切ると、俺に笑いかける。どう?合っているでしょ?とその目は言っていた。俺はしばらくその女性の顔を見ていると、ふと屋敷の前に集まる人だかりとバス停の時刻表が思い浮かんだ。一体何があったんですかねえ?
そうだ。目の前の女性はそのときの老婆だ。老婆は俺が思い出したことに気が付いたのか、その姿にふさわしくない澄んだ声と年齢に似つかわしくない口調で言う。
「思い出した?君って結構鈍感だね。まあ、人の記憶なんて、そんなものかもね。」
「あんたこそ、何者だ?」
俺は腰に刺さっているピストルに手を伸ばそうとするが、なんとかそれを抑える。秘密を吐かせるときには、相手より優位な立場に立つ。俺がこの業界に入ってから身についた悪い癖だった。
「ニッポニアニッポン。」
「ニッポン?」
「鴇だよ、雀さん。」
「だから、俺は雀じゃねえって言ってんだろ。」
少女は驚いたのか、まるで漫画でよく見るようにピョンと軽く飛び跳ねる。少女は何気なく言ったが、女性の言った名前は、「ああ、そうなんですか。」で終わらせることができないものだった。鴇という名前の人間はおそらくいない。
「俺を殺しにでも来たのかよ。」
俺の言葉に少女の顔がこわばる。白く小さな手が咄嗟に女性の方に伸ばされ、少女と同じくらい白い腕を強く握っていた。その腕には皺ひとつない。
「ちょっと。そんな物騒な言葉、こんな小さな子供の前で言わないでよ。」
「雀だの鴇だの、そんな変な名前に疑問を持たない子供なら大丈夫なんじゃねえのか。」
少女の目が涙ぐむ。しゃっくりをするように喉がわずかに動くと、次の瞬間には、泣き出してしまった。それが合図だったかのように、ベビーカーに座っている赤ん坊も泣き出した。女性は泣きだした少女の頭を軽くなでながら、俺を睨んできた。
「女の子を泣かせるなんてサイテー。」
俺は右手で髪をかき乱す。面倒くさくなった。この先の見えない日常会話に飽きたわけではない。ただ、こんなことをしていていいのか、と頭の中の俺はむやみに俺を急かす。何の目的も当てもないのに、俺に行動することを強要する。
「メンドクセーな。こいつのこと、ありがとうな。」
俺はとりあえず、泣きやまない赤ん坊を乗せたベビーカーに手をかける。いつ、いかなるときでも感謝の気持ちを忘れてはいけない。
「あ、ちょっと待って。忘れ物。」
俺は振り返る。視線の先では女性がベンチの上のリュックサックを指さしていた。
「必要なんでしょ?」
こんなもの、一体いつ使うんだよ。小さくつぶやいたが、女性は少女とともに微笑みを湛えたままだった。この二人が一体何者なのか、ただの一般人なのかどうでもよくなった。ただ、ふとこんなことを聞きたくなった。
「好きな花ってあるか?」
女性と少女が怪訝そうに顔を見合わせる。花とは無縁そうな若者に尋ねられたら、そんな反応もするだろう。二人は視線を戻すと、女性が人差し指を顎の下に当て、考える動作をした。
「そうだなあ。私は桜かな。きれいだったよ。もう一度見てみたい。」
まるで、ある特定の桜に思いを馳せているかのような言い方だ。
「四季がクルッと回って、もう一度。そういうことか?」
「君もなかなか詩人だね。」
あんたの言葉を拝借しただけだ。気が付くと少女が不機嫌そうな顔をしている。その顔は、どうして、という疑問と、なんでよ、という不満を女性に伝えていた。
「あ、もちろんヒマワリも好きだよ。」
女性は慌てて付け加える。少女の顔が笑顔で一気に明るくなる。その顔は、まさにヒマワリのように明るく輝いていた。
「私もヒマワリ。だってきれいだから。」
そう言うと、少女と女性は二人で何か話しこみ始めた。どこにでもありそうな日常の一ページ。描こうと思えば、俺にも描けたはずの一ページ。幸せそうだな。そう思ってしまった。
俺はベビーカーを押し、そっとその場を離れる。公園の出口で赤い炭酸飲料の缶を持ち、悪戯を企んでいるような笑みを浮かべる若い青年とすれ違った。




