雀 8
今さら気が付いたのですが、「烏」(カラス)と「鳥」(トリ)の見分けがつきませんね。基本的には「烏」(カラス)と思ってくださって大丈夫だとは思いますが、そうではないところもあったかもしれませんので、この場でお詫び申し上げます。
振り仮名をつけろよ、とおっしゃる方もいるかもしれませんが、時間の都合などの理由により、振り仮名はつけないようにしていますので、ご了承ください。
雀
鉄製のドアを開ける。飛び込んできた夏の日差しの眩しさに目を細める。目が慣れてくるにつれて、目の前に広がる屋上がどこにでもある、何の特徴もない屋上であることが分かる。俺は方角を確認し、フェンスに近づく。
フェンスまで近づくと、肉眼で目的の建物を探す。目的のアパートはすぐに見つかった。ここら辺りには建物らしい建物がほとんどなかったため、簡単に見つかった。俺は懐から小さな双眼鏡を取り出す。双眼鏡を覗きこむ。アパートの玄関が見える。俺は303号室を探す。屋上は絶えず風が吹いているためか、気温の割に涼しく感じる。
双眼鏡を横に動かし、303号室を探す。段ボールが置かれた玄関が映る。どうやら、そこが303号室のようだ。
「段ボールか―」
玄関の前に段ボールが置かれているその様子は、あまりにも不自然だった。だからといって、他にいい方法があるのかと言われたところで、何もなかった。むしろ、変な細工をしない方がいいのではないのか、と思っていたくらいだった。
相手は郭公とやらいう、こちらの業界では有名な人物らしい。その名前は何度か聞いたことがある。雉が何度か口にしたこともある。彼女が言うには、郭公の誘拐は『芸術』らしい。
「郭公は誰も傷つけないんだよ。」と雉はさながら、有名野球選手に憧れる野球少年のような顔をして、俺に話した。郭公が『烏』ではないかと言われていたことも、どこかで聞いたことがある。しかし、興味はなかった。今までは。
もし、今度のターゲットが『烏』だとしたら?俺は、俺たちは、『烏』に怯えることはなくなるのではないか?『烏』さえいなければ、俺たちは逃げ切れる。生きることができる。まさに、最期の仕事にふさわしいではないか。
双眼鏡の向こう側の景色に動きがあった。ドアが微かに動く。俺はすかさずポケットを探り、スイッチを握る。ドアは徐々に開かれる。
「なあ。あんたが本当に『烏』なら、その爆弾を消してみせてくれよ。」
心の声が言葉になってこぼれた。
おまえの人生は充実していたか?
目が乾く。目を閉じ瞼を開いた瞬間、目の前が暗くなった。視界が遮られた。慌てて双眼鏡から目を離す。夏の光に照らされた緑や点在する建物が目に飛び込んでくる。双眼鏡を再び覗き込む。双眼鏡の暗闇は消え、ちょうど303号室の玄関を映し出していた。ドアは閉められ、段ボールは消えていた。
本当に消したのか?本当に、郭公が『烏』だったのか?気付かぬうちに、左手はスイッチではなく、胸元につり下がっている十字架のネックレスを握っていた。
どうする?爆弾は本当に消えたのか?試してみるか?俺は再びスイッチに手を伸ばそうとするが、左手はネックレスを握りしめたまま離れなかった。左手の筋肉は硬直し、力を込めれば込めるほど指が内側に曲がり、痛みが走る。どうする?
双眼鏡に映し出される視界の左に人影が現れた。黒いコートを羽織い、フードで顔を隠した男だった。息を切らしているのか、足取りが覚束ない。男は玄関の前に立つと、そのまま立ち止ってしまった。何者だ?何をしに来た?黒コートの男を観察しているうちに、乱れていた思考が落ち着きを取り戻し、明晰になった。
待てよ。ターゲットが部屋の中にいたという根拠がないではないか。ドアは確かに内側から開いていた。しかし、俺はドアを開けた人物を見ていない。それがターゲットかどうかなんて分からないではないか。すると、今ドアに前に立っているのがターゲットである可能性はある。
―ちょっと、何してんのよ。失敗したら、許さないから―
少女の声が頭の中で響く。そう言われても、爆弾はもうない。どうしようもないだろう。俺の思いに呼応するかのように、双眼鏡の向こうで男は頭を抱え込む。
いや、まだだ。まだスイッチは消えてない。俺は離れない左手の代わりに、双眼鏡を離し、右手でポケットを探る。右手で左のポケットを探るのはなかなか苦労した。指先に触れる度に、ポケットの隅にスイッチが移動する。どうにか人差し指と中指でスイッチをつまむと、掌にそれを包み込む。スイッチを握ると、思い切りそれを親指で押した。
スイッチが押しこまれた瞬間、爆発音が静かな夏の風景に響いた。古びたマンションから黒い煙が立ち上る。双眼鏡を拾い上げ、303号室を見る。303号室は玄関から黒い煙を吐き出していた。
どうやら、爆弾は部屋の中に移動したらしい。理由は分からない。この様子だと、玄関前に立っていた男も吹き飛んだだろう。俺は大きく吸い込んだ空気を、静かに吐き出した。空気とともに何かが、心に絡みついていた何か重く黒いものが漏れ出ていった。
双眼鏡の視界の左端で、動くものがあった。アパートの住人か?俺はわずかに双眼鏡を左に動かし、確認する。そこには先程の黒コートの男が立っていた。男はしばらく茫然としていたが、なにかを思い出したように走り出した。
俺は舌打ちする。マズイ。逃げられる。俺は双眼鏡を懐に素早くしまいこみ、屋上を後にする。一度は消えた黒いものが呼吸をするたびに、再び胸の奥に充満してきた。
ビルを出るや否や、携帯電話が振動する。いつもの確認だ。俺は携帯を取り出し、耳に当てる。
「もしもし。いま仕事中?」
こんな状態だというのに、相変わらず底抜けた明るい声が聞こえてくる。少女に悪気はないと分かっていながらも、わずかな苛立ちを覚える。
「電話に出たってことは、終わったんだよね。お疲れ様。」
「まだ仕事中だ。」
「ちょっ、じゃあなんで電話に―」
少女の疑惑に滲んだ声を耳にしながら、今後の方針を考えていた。今までにもトラブルは何度かあった。そして、トラブルのときほど、冷静に思考し判断する必要があるということも何度も経験してきた。
「おまえに頼みたいことがある。」
「なによ?」
「次の仕事だ。」




